2011年03月21日

原発のこと

福島原発の状況はまだまだ余談を許さない状態で、ニュースを見る度どきどきする。

前回原発の対応のことを書いたあとも、やっぱりいろんな思いがぐるぐるしていて、なにかひっかかる感じがした。

ひっかかった感じを探ってみたら、やっぱり昔の忘れ物が出てきた。



放射能のことについて習ったのはいつのことだったのかは忘れてしまったんだけど、原子炉の仕組みに話が及んで、私は当時、すごく恐怖を感じたんだった。

なんで原爆で被害を受けた日本が、核に大反対しているはずの日本が、そんな危険なものをエネルギー源として使ってるの?

必ず生成されてしまう放射性の廃棄物を埋めるって言うけど、埋めたら放射性がなくなるの?どこに埋めるの?いつまでそれでごまかせるの?

そんなものが大量に出るものが安全だなんて、なんで言えるの?

大人はなんで、そんな後始末に困るようなものを続々と建設させているの?




私は当時、とてもとても怖かった。

でも、誰にも怖いと言えなかった。

私を否定されることの方が怖かったから。

いくじなしだと思われたくなかった。

固いことを言う環境活動家みたいに思われたくなかった。



だから見ないふりをした。

私は今まで、きちんと原発反対の意思を表に出さないまま、ここまできた。

そうしていつの間にか、原発のことなんか意識もしないで無造作に電気を使ってきた。

政府や東京電力の上層部と何が違うのか。

私は私に怒ってる。

なんであんな怖いものをそのまま使って平気なんだって。

あんなものがなければ成り立たない発電量の電気を平気で使うんだって。



私は私の気持ちを大切にしたい。

節電じゃなくて、電気をあまり使わない生活にシフトしていこう。

原発に頼らなくていいために、自分ができること。

私は、原子力発電に反対。
posted by 蝉ころん at 19:39| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

私の中にあった不安

前回書いた記事について、なにか落ち着かないものを感じていたんだけど、少しわかってきた。

私は、自分の不安をごまかすために外に向けて発散していた。

報道を見ていると、思い出す。

緊急事態が怒ると、両親は、報道や、政府の対応に対して、いつも不平を言っていた。

私はいつもそれを聞かされていた。

人を責める言葉を聞かされ続けていた。

両親も不安だったんだろう。

怒りの形で、自分が何も出来ないことや、事態がなかなか好転しないことへの罪悪感を転嫁していた面が大きかったように思う。



私は両親の不安を受け止めていたんだな。

私自身の不安や恐怖は、私1人で消化しきれないまま、さらに両親の不安も引き受けていたんだな。

前回私が書いた記事はこれと同じことだ。

今も体中が緊張していて、自分が不安を感じているらしいことがわかる。

私はこの不安を外に向けただけだ。

子供の頃から消化しきれないまま、どう処理していいか分からないまま持ち続けているこの不安を、扱いあぐねて逃げただけだ。

あまりはっきりと現れてこないのは、最初から表に出せないままだったのが幸いして、否定される機会もなく、ねじれた感情にならずにすんでいたのかも。



怖いことは怖くていい。

不安なことは不安でいい。

消化できるまで時間がかかってもいい。
posted by 蝉ころん at 16:28| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

東京電力と政府に勇気を

福島原発の状態が心配です。

今、東京電力の方々はいい知れない恐怖の中にあると思う。

自分たちが事態を収めきれない、刻々と状態が悪化する、それが露呈していく恐怖。

国民の怒りに対する恐怖、政府の怒りに対する恐怖、マスコミの怒りに対する恐怖。

日本政府も諸外国に対して同じように感じているんじゃないか。



東京電力や、日本政府だけで事態を収拾しなければならないと思い詰めてしまっているように感じる。

そして、そんなふうに追いつめているのは、マスコミだし、世間だと思う。

今は責めているときじゃない。

もう背負いきれないところまで事態は進んでいる。

見たくない事実を認めた方がいい。

そして少しでも早く情報を、世界に向けて公開した方がいい。

内部の人間よりも、外部の冷静な目の方が見えてくるものが多いはず。

努力を放棄するんじゃなくて、少しでもいい方法を見つけるために。

もう、日本だけの問題じゃなくなっている。

みんなに一緒になって考えてもらっていいんだと思う。

勇気を出して、踏み出してほしい。




そして、現地で危険な作業にあたっている東京電力の作業員の方々、周辺地域の住民の方々が、どうか無事でありますように。
posted by 蝉ころん at 15:25| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月15日

地震から、4日

発生から4日も、呆然と過ごしてしまった。

私自身は被災地からは遠いところに在住なので何も不都合は起きていないのに、緊急事態モードから抜け出せない。

地震と、津波と、原発と。

リアルタイムで流れてくる被災状況に、不安が刺激され続けている。

被災された方の恐怖を思って、胸が痛い。

単純に私自身も恐怖を感じてる。

私の恐怖を、生き残っていることへの罪悪感を、被災した方に投影してしまっているかもしれない。




自分の無力さを感じる。

無力で、非力なことを情けなく感じる。

阪神のときは、ここまでだった。

できることだけしか、できないし、それ以上をしてはいけないことは、学んだ。

自分の罪悪感を紛らすために、親切を押し付けてはいけないこと。

ぐるぐると考える。

私はどうしたいのか。

私が望んでいるのは何なのか。

1人でも多く助かってほしい。

1日でも早く復興して元気を取り戻してほしい。

それは、本当だと思う。

私に出来ることを考える。

今は、募金と、節電、省エネ。

あとは、ちゃんと自分を生きること。

怖い思いもしっかり感じて表現して、自分の感覚を認める。

あとは、祈ることしか出来ないけど。




それから。外国からの応援がとても嬉しい。

日本って1人じゃない。

1人ってのも変だけど。

ピンチになったらこんなにも手を差し伸べてくれる友達がたくさんいる国だったんだ。

私はそれがとても嬉しい。

アメリカ軍は、危険な原発での作業を手伝ってくれてる。

ロシアは、ガス供給を増やしてくれるって。

ニュージーランドは、自分たちが津波の被害があったばかりなのに、助けにきてくれる。

韓国だって、中国だって、カナダだって、フランスだって、イタリアだって、他にもたくさん、たくさんの国が協力してくれるって。

普段はいろいろうまくいかない時もあるけど、仲間なんだ。

こんなに頼りになる仲間がいたんだ。



ありがとう。

私には祈ることしか出来ないけど。

どうか、1人でも多くの人が、無事で、元気で、いてくれますように。
posted by 蝉ころん at 22:53| Comment(4) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

いいなってことだった

ひかるに腹を立てている。

怒りが湧く。

なぜいかないのか。

無意識に気配を消してしまう私。

親への気持ちだとしたら。

なぜいる。

早く出て行け。

仕事じゃないのか。

なんで今日は行かないんだ。

親のいないところでしかのびのび出来なかった。

親がいなくなる時間を今か今かと待っていた。



だめだこれじゃない。違うところを掘ってる。

ここも何かありそうだけど今は違う。




腹が立つ。

いかないなんてありえない。

いかないことが許されるなんてありえない。

ただで済ましたくない。

罰を与えてやりたい。

どうにかして苦しめてやりたい。

思い知らせてやりたい。

学校に行かないで罰を受けないでのうのうとしていられるなんてことがあっていいわけがない。



でなきゃ私のあの日々はなんだったんだ。

違ったなんて。

違ったなんてひどすぎる。

行きたくなかったら行かなくていいなんて。

辛いことがあったら大人が力になってくれるなんて。

辛いと思うことを責められてきたのに。

辛かったらいけなかったのに。

先生は、私が辛いと言ったら、相手の子を軽く叱っておしまいだった。

違うんだと言っても聞いてくれない。

謝ったんだからもういいでしょ。あなたもいつまでもしつこいよ。

そんなふうに言った。

私の方が悪い子になった。

それでも頑張って学校に行った。

行ったのに。

頑張って頑張って頑張って通ったのに。

どれだけ頑張って行っても、私にはマイナスしか付かない。

毎日毎日、学校に行った分だけ私はマイナスをもらってきた。

勉強なんか出来たって、なにもプラスになんかならなかった。

それなのに。

ひかるは、学校に行けなくても、友達がいて。担任からもフォローしてもらえて。親にも叱られないで。

いいな。

私もそんなんがよかった。

私もそんな風に、見守られて、フォローされて、弱音はいて、休んだり、頑張ったりして、辛いことがあっても、慰めてもらったりしながら、やっていきたかった。

いいなあ。ひかる。

私はひかるになりたい。

ひかるの立場だったら、私は毎日楽しく楽しく学校に行ける。

学校に行って笑ってられるなんて。

いいなあ。

そんな学校生活がよかったよ。

そうなんだ。

いいなあって思ってたんだ。

それだけフォローされてるのにって、私が手に入れられなかったものたくさん持ってるのに我がまま言ってって、腹が立ってたんだ。

だから私が学校でもらってきていたマイナスを載せてやりたくなったんだ。同じ以上のひどい目に遭わなきゃ許せないって。

私が欲しかったものをひかるはもってる。

いいな。

うん。

いいなあって思っていいよね。

本当は、それだけでいい。

いいなあって、思っちゃいけないって、思ってたね。

ひとをうらやましがっちゃいけないって思ってたね。

うらやまいよね。

いいんだよ。

いいなあって思ったら、いいなあって言っていいんだよ。




落ち着いたら、聞いてね。

ひかるは、私が持ってなかった苦しみも、持ってるね。

私とは違う種類の苦しみ。

だから、私が欲しかったものを持っていても、辛くて学校に行けない。

学校に行けないだけのものを背負ってる。

私とは違う形で表に出てきてるんだよね。



いいなあって思うね。

私も欲しいって思うよね。

いらないなら替わってって言いたいね。

そうなんだよね。




ころんちゃんはころんちゃん。

ひかるはひかる。

欲しいものも、必要なものも、人それぞれだね。

だから。

必要なら、欲しいなら、手を伸ばそうか。

うらやましがっててもひかるのものはひかるのもの。

ひかるのものを取っても仕方ないし、本当はひかるをいじめたいんじゃないよね。

欲しいものは自分で手に入れてみようか。

敵ばかりじゃないから。

フォローに回ってくれる人たちはいるから。

自分から欲しいって言っていいんだよ。

大丈夫。

大丈夫なんだよ。







言葉って大事なんだな。

何回か探ってて、「羨ましい」って書いてたときは全く繋がらなかったのに「いいな」って言葉が出てきたとたん繋がった。

それでするするほどけて楽になった。

表現力はついたけど 言葉はあくまで当時のものじゃないとダメなんだ。

その時の心にフィットしないと繋がらないんだな。

今日は見つかってよかった。

繋がれてよかった。

諦めないでチャレンジできてよかった。

頑張った。

頑張ったなあ。
posted by 蝉ころん at 19:17| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

このままの私でいいや

イライラは地雷を踏まれている状態。

足が離れると、怒りになって爆発する。

イライラの時点なら、実は分解解除できる。

私の感じている怒りは、不快に感じる出来事そのものじゃなくて、その出来事から引き起こされるであろう不利益、つまり他人の不快から起こる怒りを乗せられること、に対して発生している。

予期不安ならぬ予期怒り。

不安を通り越して怒りへ突き抜けてしまっている。

この道がどれだけよく使い込まれた道なのかと思くらいスムーズに通り抜けてしまう。

予期だから、実はまだ怒りの直接的な引き金になる後乗せの怒りは被ってない。



書くことだ。

出すことだ。

頭の中でぐるぐるとイライラを持ち続けていても、同じ道を繰り返すだけ。余計に増幅されていくだけ。

私が今までブログでやってきたこと。

書くことでどれだけ自分が見つめられるか。

そして、どれだけひどい状態の自分でも、ブログに書いて公開するということで、公に見せてもいい、恥ずかしくない自分なんだって私自身が認めたという証拠として、私自身がどれだけ嬉しいことか。

私は私を誇らしく思っている。

そしてそれを書いてくれることを嬉しいと思う。

私の中は分裂している。

感情ごとの、年代ごとの、いろんな私が、記憶を共有しながら生きている。

それならそれでいいじゃないか。

私は、私のためにこれを書くことができる。

これを読んでいる私に伝えるために書くことができる。

視覚は共有しているらしい。

こんなことを書いてるだけで嬉しくて泣けてくる。

私はこんなことを伝えてほしかったんだ。

そうだ。褒めてほしかったなら、ここでどんどん褒めていいんだ。

イタくたっていいじゃないか。

どうせもう私はイタいんだ。

今更イタくない人間のふりなんかしなくたっていいじゃないか。

私はそんなイタい私のことだって大好きだ。




スイッチ入ったら書こう。

感じてるままに、書こう。

腹が立ったなら腹が立ったって書こう。

嫌な予感がするって書こう。

嫌いなら嫌いって書こう。

子供たちを嫌いだって思ったらそれも書こう。

どっかいっちゃえって思っちゃったらそれも書いていい。

バカーー!ってここで叫んじゃえばいい。

私はそれを読んだらいい。

それで一緒に怒ったり泣いたり笑ったりしたらいい。

私の中のたくさんの私と一緒に、共有したらいい。

それで最後に私に大好きって言ったらいい。

その先は、その後のことは、そのときの私が決めることなんだね。
posted by 蝉ころん at 12:57| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子供たちへ

お母さんの頭の中には、鬼が棲んでるの。

今までずっと、檻の中に閉じ込めようとしていたんだけど、それでも檻を突き破って時々暴れてしまうの。

お母さんは、この鬼を、もう閉じ込めないことにしたの。

だって、本当は、鬼なんかじゃない、とっても優しい子だったはずなの。

人の気持ちのわかる、優しい人になれるはずだったのに、ずっと辛い目にあってきて、怖い目にあってきて、怖くて怖くて暴れてしまうの。

閉じ込められるのもすごく怖いの。

だから、閉じ込めようとするお母さんのこともすごく怖がっているの。



もう、怖がらなくていいんだよって教えてあげたい。

あなたは優しい、素晴らしい人だねって笑ってあげたい。

この子と一緒に入れることが嬉しいよって言ってあげたい。

お母さんと一緒にいることを安心できるようになってほしい。

だから、もう、閉じ込めるのはやめるね。



お母さん、ときどき恐くなっちゃうかもしれない。

ごめんね。

あなたたちには、とっても怖いかもしれない。

もとのお母さんには戻れないかもしれない。

でも、この子も、お母さんなんだ。

あなたたちには、嫌われても仕方ないと思う。

でも、お母さんは、この子を嫌わないでいたい。大好きでいたい。

そして、あなたたちのことも、大好きでいたい。

この子にも、あなたたちのことを大好きになってもらいたい。

だから、お母さんは、この子を閉じ込めない。

大好きだよって、大丈夫だよって、怖くなくなるまで、ずっと優しく、抱きしめて、ぎゅって抱きしめていてあげたい。

お母さんを乗っ取られても、それでも、大丈夫だよって言ってあげたいの。

この子がまた笑えるようになるまで、見守ってあげたいんだ。
posted by 蝉ころん at 10:58| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

イライラも私

今日はなかなかイライラが収まらない。

というか、イライラを収めたくない感じが強くて掘り起こしにかかれないまま一日が過ぎてしまった。



発端は昨日、私が行きたいところに子供たちと一緒にでかけたことだと思う。

私自身はそれなりには楽しめたし、子供たちも楽しんではいたけど、フルパワーで遊びすぎて帰り際から2人ともぐずり通しだった。

今日は2人とも疲れが残ったせいもあってか学校に行かず。

さらに、2人が学校に行くための、私の準備が全部パアになったこと。

たぶん私の疲れもあるんだろうけど、いろいろと合わさって、もう何が原因やら、全てが原因なのやら、発作みたいに昔の情景が浮かんでは泣き、また違う状況が浮かんでは泣き。

まともに掘る気にもなれず、この気分から逃げたいと思うまま、現実逃避に浸り続けて1日。

現実逃避から現実に戻っては、イライラがぶりかえし、また逃避して落ち着いては、現実に戻るの繰り返し。

逃避してる間中、自分でも逃げてる自覚を感じつつ、それでも逃避から抜けられなかった。

しまいには、着替えもせずにゲームしてるのぞむを見てキレてしまうしもう最悪。



で、なんというか、私は今こんな状況なハラッサーであるということ。

まだ、私は良い子であろうとしているところがある。

ハラッサーな自分から大急ぎで正常な人間になろうとしているって気付いた。

それは結局、大急ぎで今までと違う仮面をかぶろうとしているだけ。

ちがうんだ。

私はハラッサーなんだ。

そういう性質を持った私を認めること。

私の中にそういう衝動があることを、大切にすること。

ハラッサー気質を持った私をまるまる、私自身が愛すること。



私はハラッサーでいい。

ハラスメント行為はいけないけど、私の中にあるハラッサー気質そのものは悪じゃない。

私はハラッサーな私との付き合い方を身につけていくってこと。

イライラしてイライラして逃げたくなる私を見捨てないってこと。

ハラッサー気質だってころんちゃんなんだ。

このことを忘れかけてた。
posted by 蝉ころん at 20:30| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

ややこしい怒り

ひかるが約束をやぶった。

そして、それをうやむやにしようとしている。

私の様子をびくびくと伺いながら、普通にふるまえる隙を狙っている。

自分がしたことを認めないまま、私の機嫌が戻るのを待ち、なかったことにしようとしている。

私は、約束を破られたことより、なかったことにしようとしている態度にものすごくムカついている。

それはつまり、私が約束を破られた事実をなかったことにされること。

私が傷ついたことをなかったことにされること。

そして、びくびくしているくらい自覚があるくせに、まるで何事もなかったように気楽な声を出されたり話しかけてこられたりするともう、ムカつきを通り越してイライラMAXになる。

まっすぐ無言で目を見据えてやりたくなる。

のぞむに話しかけられても、「お母さんはひかるのせいで今機嫌が悪いの」とか言いそうになる。

とにかくイライラしてるときに言いたくなることとかしたくなることはハラスメントなのは分かってるから抑える。

でも無言が精一杯。

無言だって十分プレッシャーになるのは重々わかっている。

早くイライラを整理しなければと離れてこれを書いている。たぶんこうして離れることさえも子供は傷つく。でも今はこれがベターな道。ベストを欲張らずにベターを進もう。



書き始めるまで、直接ひかるに対する怒りしか見えなかったけど、数行書いてるうちに糸口が見えた。

私が嫌だったことをうやむやにされること。

事実を隠蔽されること。

それがとっても腹が立つことなんだ。

まるで私が傷ついていることがなかったことみたいに、私が嘘を言っているみたいに。

私が感じていることの方がおかしいみたいに。私の方が悪いみたいに。

そっちが、約束破ったんでしょ?

なんでなかったことにして、私の気持ちを放り出しておいて、その上にまた私と普通でいられると思うわけ?普通にしてやらないといけないわけ?

私だって、私を傷つけるような人とは付き合いたくないんだよ!

私の心を踏みつけにするような人間は嫌いなんだよ!



ああそうだ、これは私が子供時代にずっとさせられてきたことだ。

反省もしてない相手を、むしろこんなことくらいでとか思ってる相手を、私は無理矢理許させられた。

許してやらないといけないって押し付けられた。



今の状況は確かに似ている。

ひかるは、まだ、そういうことで謝らないといけないということに耐えられない。

自分がいけないことをしたということを、受け止められない。

そういう風になったのは、私がそうさせたからで、今はまだ、回復途中。

私は、怒りが先にきているし、このことについてどうひかると話すのがいいのか、迷っている。

迷っているうちに、うやむやにしようとされている状況を感じて、スイッチが入ったんだ。



似ているけど違うから。

ひかるは、あの、昔の、ふてぶてしい奴らとは違うし、私は、許せなんて強要しない。

うやむやにされたくなかったらテーブルに載せていい。

許せなかったら、許せるようになるまで許さなくていい。

たとえそれがひかるでも、許せないものは許さなくていい。

ただ、それと生活は別のものだっていうこと。

許せないことがあっても、私はひかると話ができる。

ひかるは、私を傷つけたくてしたんじゃないし、過去私に怒られたことが原因で認めるのが怖くなってしまったから認められないだけ。

昔とは状況は違うからね。

また私の感覚を否定されるって怯えなくても大丈夫。

私は私が傷ついた事実を持っていていいし、否定しなくていい。

なにも怖くない。



子供がらみで怒るイライラも、実は眠ってるのは大人向けの怒りがほとんどみたい。

そういえば、子供相手だけなら、私は負けないだけの怒りをそのときにしっかり表現していたのかもしれない。泣きながらでも、わめきながらでも、正当な相手に表現していたかもしれない。もっととことんまで、泣き尽くせていたかもしれない。

私は子供の頃から、直接いじめてきた子供たちよりも、そのいじめを過小評価していじめをないものと見なしたり、私に忘れることを強要する大人に対して、怒りを強く持っていたんだ。

大人たちは、それだけのことを私に押し付けてきておいて私の話はまるで聞かなかった。

「さっさと許せよしつこいな」「いつまで泣いてんだようるさいな」「早く黙れよ予定が狂う」

そんな対応だったよ。親も、教師も。

でも。

私が体験したことは、ちゃんとあった。

私が傷ついたできごとは、しっかりあった。

私は確かに、傷ついていた。

誰がなんと言おうと、その時私は傷ついていた。

そして、傷ついたっていう、その感覚を、無理矢理取り上げられたことに対して、猛烈に怒りを感じてた。

それを訴えると私の方が問題児扱いになった。

それがまたさらに納得がいかなかった。

私が何を訴えても、大人は結局、自分たちのやるべきことをスムーズに進めることしか眼中になかったんだ。

私をとことんまで否定するようなことをしていることも、まったく自覚がなかったに違いない。

でも、私はそうして一回の出来事で元にあった出来事よりも何倍も傷ついた。



私はうやむやにされたくない。

うやむやにされるのを見過ごしにさせられたくない。ああややこしい、くそう話を複雑にしやがって。どうりでなかなか掘れないはずだよ。

ただ事実を認めて、それを謝って欲しい。

元は、それだけだったんだ。
posted by 蝉ころん at 21:38| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月21日

順調に進んでないとき

地雷をもう一つみつけた。

何かやってるとき、それが何であっても、私が何かやってるとき、順調に進んでるときは大丈夫。でも、うまくいってないとき、そばに誰かが寄ってくるとアウトらしい。

これ、自分が被害者側のときは、上手くいっていないことを八つ当たりされていると思っていたんだけど、私の場合はそうじゃなかった。

1人だったら、別にストレスとも思わないくらいの小さなことでも、誰か知ってる人物がそばに出現すると、ざわざわしてくる。

上手くいっていない現状を知られることが、地雷。

終わったことだったら大丈夫だったりする。

とにかく、今現在順調に進んでないとき。どんなに小さなことでもアウトらしい。

順調じゃなくなった時点で焦り始めていて、周りにいる人の動きに過敏になってくる。

失敗をすることが怖いんじゃなくて、失敗しそうな状態を悟られることを恐れてる。



なんであっても、私が取り組んでいることは他の誰かの方が上手かった頃、私は出来ないことを馬鹿にされたし、呆れられたし、そして、取り組んでいることを取り上げられた。

終わってしまえば、いくら途中で失敗しそうになったことがあっても、何回もやり直しをしていたとしても、結果的にできていれば、何もマイナス評価はなかった。

上手くいっていない途中経過を知られることは、最終的に到達できるはずの成功への道を断たれることを意味した。

以前、横取りって表現したこと。

横取りは、同じ立場の人間に取られることな気がするけど、この感じは横取りじゃなくて、取り上げられるって感じ。

取り上げられ経験が元になって、横取りへの怒り・悲しみも増幅されてたかもしれない。

とにかく、上手く進んでいないことを知られると、私が達成したいことへ到達するチャンスを取り上げられる。

そして取り上げられたチャンスに、次は二度と来なかった。



何度も、何度も、どんな小さなことでも、私は巡ってきたチャンスを取り上げられた。

母は、私のことを、知らないうちに何でも出来るようになっている子だったと言っていたが、当たり前だ。

知られないようにでしか、できるようになれなかったんだから。

出来ないところを見られたら、出来るようになれないようにされるんだから。



失敗したり、上手く行かないとき。

私が挑戦し続けたくても、横から手を出されて終了させられた。

私は何度でも立ち向かいたかった。

本当は立ち向かうことを応援して欲しかった。

できれば「上手くできないよ」って弱音だって吐きたかった。

弱音はギブアップのサインと捉えられてしまうから、言えなかった。

できるなら、弱音を吐いても励ましてもらいたかった。

そしてもう一度立ち向かいたかった。



「できないくせに手を出すな」って言われるのが嫌だった。

ひどい。

誰だって最初はできないじゃないか。

まして子供ができないのなんて当たり前じゃないか。

兄貴ができるからって、なんでもかんでも兄貴の手柄にして私は出来ない子のままでいさせようとして。

チャンスも与えてもらえないで、出来るようになるわけがないじゃないか。

私だってやれば出来るもん。

私だって出来るようになるもん。

お兄ちゃんだけが偉いんじゃないもん。

私だって偉くなれるもん。




兄貴には家に取って価値のある仕事を回し、偉い子として育て、私には雑用、誰でも出来ること、誰がやってもいい仕事を回してあくまで価値のない子として育てられた。そう感じていた。

私は、みんなに隠れて、価値のある方の仕事を身につけて、兄を出し抜こうと必死だった。

出し抜いて、いつの間にか兄より出来る人物になって、親が、私に価値ある仕事をさせなければ仕方がないと思うようにさせたかった。

私なりの反乱だった。

でもそんな日は来なかった。

私はどれだけ技術を上げようと思っても、必要なことはまず兄に教えられるし、私がそれを盗み見て必死で独学している間も、兄はどんどん新しいことを教わっていた。

いつまでたっても追いつけないし、親は私には一切教えないし、私にさせるつもりが全くなかった。

そして結局、父に「女にはできない」と断言されて、引導を渡された。

この父が私を認めることはない。私がいくら努力しても日の目を見ることはないんだって。




この人たちは、私の望みなんてほんとに見てなかったんだ。

ただ、私が邪魔をしてきて面倒だとしか思ってなかったんだ。

私はいつも、何をしても、家庭のメンバーの中で、私だけが、いつも出来ない子で、必ずそれで兄に奪われて、馬鹿にされて、邪魔にされて、悲しくて、悔しくて、それでも食い下がったら母に怒られた。

私はただ、みんなと同じことを出来るようになりたかった。

そしてただのお荷物じゃなくて、みんなと同じ、役に立つ、重要なメンバーとして、そこにいられるようになりたかった。

チャンスを奪われることは、はしごをはずされることだった。

はしごを上ることを望まれていなかったから、はしごを上っていることを知られるのが怖かった。

のぼっている途中で外されるのを恐れて、こそこそと上って何もしてないふりをしていた。

私はただ成長したかっただけなのに!



成長を止められてたんだよ。

私は成長させてもらえなかった。

だから隠れて成長しようとした。

何も変わってない顔をしながら隠れて必死に変化してた。

変化してる途中を見られたら、また戻されるから。

私は進みたかったから。

そうか。

私頑張ってたんだ。

隠れて成長するのって大変だった。

誰もいないときに、どきどきしながらしてた。

何回も、はしごをかけ間違えたり、踏み外したりしながら、焦って焦って上っていた。



悪いことでもなんでもないのに。

でも実家では、私だけは悪いことと同じようなものだった。

取り上げられるのは咎められるのと同じことだった。

私は、何かを達成しようとすることを悪いことのように感じていた。

達成してしまえば良いことに変わるのに、達成できるかどうかわからない状態は悪だった。




この前、誰かが言ったって言葉をテレビで言ってた。

ものごとには、成功か、成功しつつある状態か、その2つしかない。

ていう感じの言葉。

失敗も、成功のための段階に過ぎないって。

そういうことなんだよね。

子供の頃に欲しかったな。その言葉。




もう、取り上げる人はいないよ。

ひかるも、のぞむも、取り上げたりしないよ。

自分でもしたがりはするし、知ってることは口も出してくるから、取り上げられるように感じるんだよね。

でも道を譲ってあげるかどうかは、私自身で決めていいんだよ。嫌だったら、譲ってあげなくてもいいの。

「上手くいかないよー」って弱音吐いてもいいんだよ。

「悔しいよ」って言っていいんだよ。

「見てよ」って見せてもいいんだよ。

誰も笑わないし、怒らないし、取り上げられないよ。

怖くないよ。

達成への道を、隠れずに進んでいいんだよ。
posted by 蝉ころん at 22:03| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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