2010年09月29日

ブレーキをかけてくるもの

いろいろと掘り返すことができるようになって、なんてものを子供たちに向けていたんだろうと思う。

ずっと無意識に、でもなにか違和感は感じつつ、抑えたり、正当化したり、ゆがめたりしながらこんな感情と付き合ってきたけど、掘り返して、見えるようになってみると、じぶんがそれをちゃんと感じていたということも見えてくる。

書きながら、すごくぼーっとしてきている。

書きたくないんだな、と思う。

都合が悪いこと。

書かれたらもう引けない。

ごまかしておきたいって思いがどこかにある。

怒りに満ちた自分に戻れる道を残しておきたいって思い。

でも書いた方がいいことを知ってる。

書くことで、整理することで、見えてくるものがある。

自分の中に、覚悟が据わる。

もう戻らないんだって、もうそのやり方は捨てるんだって、私は怒りの道を進むのを諦めるんだって。




子供たちの行動に対して感じるものも、だいぶ変化してきた。

いきなりブチッとキレていたのから、モヤモヤ、イライラを経て、怒り、悔しさ、悲しみ、欲求なんかの、気持ちまで辿り着けるようになってきた。

掘り返すほどに、感情を封じているものが少しずつはがれていってる。

正体が見えてゾッとする。

私は子供にこんなものを感じていたんだ。

それでも、毎回、脇道にそれそうになる。

自分が邪魔をしてくる。



自分の感じた物を掘り下げようとすると、
「またすぐそうやって自分のことに走る。ちゃんと子供と向き合わなきゃ」
なんて声がする。

関連した経験を探っているとそれらしい答を渡してくる。感情が反応しないから違うとわかるけど。

感情を見つけたら、
「そっか、今子供たちもそんな気持ちなんだな。今まさに。子供が先じゃない?」

自分に向けられていた感情の正体に気付いたら
「それと同じことを今自分もしてるじゃない。自分のしてること棚に上げて人を責めてるんだ」

感情を向けるべき相手に向けて表現していたら
「相手だって自分のしてることわからなくて相手なりの最善だって信じてしてしてくれてたのに」

そんなふうに、自分を掘り下げることから遠ざかろうとしてしまう。

これだけ進んだと思っても、まだ聞こえる。




でも踏ん張って進む。

もう私は知ってる。

そんな声が、私をずっと埋め込んできたこと。

自分の気持ちから目を逸らさせて、自分を粗末に扱う結果に導いたこと。

本当に相手を思いやっての言葉じゃない、私のことをそういう風に見られるよ、っていう、脅し。

非難されることに怯えているころんちゃんの声。

もうそんなの怖がらなくていい。

どのみちそんな声に従ってたっていい方向には進まないことはもうわかってるね。




相手が辛く思うなら、相手が私から離れるかどうかは相手が選ぶこと。

子供たちの気持ちは子供たちのもの。

私と子供たちは同じじゃない。

子供たちの気持ちは子供たちが表現するまで待つ、だけ。




私にできることは、私を取り戻すこと。

自分を掘り起こすこと。

本来向けない相手へ不当な感情を向けないために、正当な相手へ返していくこと。

埋まっているのは、私の気持ち。

なにも怖くなんかない。

怖がらないで進んでいっていい。






まだ、なにかある。

もっと探らないといけないなにかがあるのを感じる。

なにか、最後の引導を渡すキーワードがある気がする。

でも今はここまでしか繋がらないみたい。

今はひどくぼんやりと鈍くて、言葉が出てこない。

また次の機会にしよう。

焦らないで、諦めなかったら、きっとまた進める。


posted by 蝉ころん at 14:58| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご機嫌取り

最近順調に学校に通っていたひかる。

今日は久しぶりに休んだ。

昨日は宿題に手を付けてなかったし、いろいろ授業以外の予定もあって今日は負担が多そうな日だった。

それは、まあよかった。

お昼前、食事の支度をしはじめると、それまでだらだらとしていたのにこれ見よがしに勉強をしだしたひかる。

これが、すごくすごく気持ち悪く思えてしかたがない。

私の機嫌を取る行為。勉強してるからいいよねって様子を窺う行為。

キモチワルイ。

これもひかるに向けてる感情じゃないはず。

こういうことをされていたってこと。

大人から。

上の立場の人間から。




したいことをしてたらいいでしょ?

私が来たからってなんで急に機嫌とるわけ?

それで私に何かを期待しないでくれる?私が感謝しなきゃいけないってどういうこと?私が責められるってどういうこと?

したいことをやめてまで私の機嫌とるのはやめてくれる?

あなたが自分のことをしないのはあなたが自分で選んだんでしょ?

私がやめてって言ったんじゃないでしょ?

私のせいにしないでよ。

やりたくなかったらしないでよ!

私にぶつけるために私のためのフリなんかしないでよ!

「機嫌とってやってるのに」って全部私に責任押し付けないで!

機嫌とってなんて誰も言ってない!

私は私を好きでいてほしかっただけ。

私が泣くから、鬱陶しいから、仕方ないから、相手されてた。

私が笑ってたら嬉しいから、喜ぶ顔が見たいから、なんてなかった。

誰も私といて嬉しそうじゃなかった。



そんなふうに扱われて傷ついてた。

でも、相手してもらって感謝もしないって。せっかくしてやってるのにって。

どんどん、鬱陶しがられて。

じゃあ、なんで頼んでもないことを勝手に苦労してしないでよ。

私が喜ばないことを私のせいにするなら、最初からやらないでほしいよ。

私がしてほしくないことを10するなら、私がしてほしいことを1してくれたらずっといいよ。

勝手に色々やって、勝手に私を嫌わないでよ。

私だってありがとうって思いたいのに。

私の話しを聞いてよ。




そうだ。

親は、一応私を喜ばせようとしているつもりだったんだ。

私が望んでいないことばかりで。

私は普通に話しができたりするだけで嬉しかった。

抱っこしてもらえるだけで良かった。

でも、親は、無理に頑張って旅行に連れて行ったり、何かを買ってきたり、全部、一言もなしに計画してた。普段の私のこともよく知らずに。私がどんなことに喜ぶかも知らずに。本当は自分たちがしてほしかったことを私に向けてるだけだった。

全然ズレてることにエネルギーを使って、私らの反応が鈍いとキレた父。父の機嫌を取るために私らを無理矢理喜ばそうとした母。

どっちもオカシかった。気持ち悪かった。

私らは付き合わされてただけ。

私はそんなこと望んでない。

あんたたちの子供時代と私らの気持ちは別物なんだよ。

勝手に私の喜ぶことを決めてんじゃねーよ。

私の話しも聞かずに私を動かそうとすんじゃねーよ。

ちゃんと、私を、見ろよ!!!

posted by 蝉ころん at 13:02| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月23日

もういない相手に返す

ひかるを追いつめそうになった。

ささいなこと。

私が声かけしたときにひかるが反応していれば回避できたことだった。

回避できるタイミングで声かけをしたのに反応がなかったから、スイッチが入った。

当てつけで手を貸す。

ここまでして、結局ダメなら、そのときはわかってるんだろうな。

そんな思考があった。

そして、ダメになってしまえと思っていることも感じた。

なんとかしなきゃと思う気持ちがあった。でもこの怒りを消したくない、ぶつけたいという気持ちが主導権を持っていた。

でもやっぱり違うんだ。

違うんだよって言う。

その怒りはひかるに向けるものじゃないんだよ。

ひかるじゃないんだよ。

その相手はもういないんだよ。

悔しいけど、本当に悔しいけど、もういないんだよ。

いないんだよ。




手を貸しながら自分に声をかけ続けていたら泣けてきて、そのまま泣いて。

気がついたら、当てつけじゃなくなってた。

ちゃんと、手を貸せてた。




今日味わった感覚。

1つずつ、逃げ場を塞いでいく感じだった。

助けるんじゃなく、言い訳を潰していく。逃げられないように追い込んでいく。

恐ろしい。

モラハラは本当に恐ろしいと思う。

自分でしてて思う。

外から見たら親切にしか見えないことで、人を追いつめることができる。

しかも、してる本人も自分が裏に追いつめたい欲求を持っていることに気付かないまま親切のつもりでやってしまう。

できごととしてはほんの些細なこと。

そんなことで、って言うくらいのこと。

当事者間でしかわからない、見えない恐ろしさ。




それが、自分の意識が違うだけで全然別のものになる。

してる行為が同じでも。ちゃんと親切に戻る。

今日は、見えてよかった。

ころんちゃんとつながれてよかった。

過去のことは過去に返す。

過去のこととしてしっかり悲しみ尽くす。

ひかるの問題はひかるが背負うしかないように、ころんちゃんの問題はころんちゃんでないと解けないんだ。

そこは私じゃだめなんだ。

posted by 蝉ころん at 23:18| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感じてた事実

私はいらない子だった。

私はそう感じていた。

母は家では忙しいと言って私の相手を後回しにしておいて、長電話。近所の人とも長話。それで時間がなくて聞けないなんて。正直に私の相手をする気なんかないと言えばいいじゃない。

父は仕事が終わるとすぐに遊びに行ってほとんど家にいない。私たちの相手なんかしてられないってことなんだ。

ねえ。

なんで私を産んだの。

いらないなら、邪魔なんなら、産まなきゃよかったじゃない。

こんな、誰にも歓迎されていない生き方しかできないなら、産まれてきたくなかったよ。

でももう産まれてしまったんだもの。

受け入れてほしいよ。

会いたいって言ってほしいよ。

嫌わないでほしいよ。



傷ついてたし、悲しかった。

でも、それを否定された。

私が感じていた、「嫌われている」「受け入れられていない」感覚は全部否定された。

そんなわけないじゃない、相手ができていなくたって、親なんだから嫌ってるわけないじゃない。

変なこと言わないで。

って。

私の被害妄想。そういうことにされたんだ。




ねえ。

本当は、私のこと嫌いだったよね。

好きになれなかったよね。

そんなことがあっちゃいけなかったから、そんなわけないって、気付かないふりしてたでしょう。

子供ってわかってるんだね。

親が無意識に隠してること、全部感じてるんだね。

それで知らないうちに傷ついてるんだね。



私も傷ついてたんだよ。

被害妄想ってことになって、もっともっと傷ついたんだよ。

愛情を感じられないのに、それでもその中に愛情をこじつけて作り出して、愛されてるって自分を言いくるめた。

もう愛情を感じられないことを私のせいにされたくなかったから。

嫌われてると思って傷ついて、それを伝えて怒られて、もっと傷ついた。

もうそんな目にあいたくなかった。




私は嫌われているって感じた。

嫌われていることが悲しかった。

その感覚を、自分で封じ込めなきゃならなかった。

私の感覚を、私自身が信じてはいけなかった。

それもとても悔しくて、辛いことだった。



悲しくてよかったんだよ。

私の感情は私のもの。

たとえ私が感じた現実が親にとって受け入れられないものだったとしても、私は私の感じたままを感じていてよかった。

私が悲しかったんだもん、悲しくてよかったんだよ。




受け入れられたかったんだよね。

受け入れられてることにしたかったんだよね。

それでとっても悔しかったけど、封じ込めたんだよね。

辛かったね。

それだって、間違ってなかったんだよ。

頑張ったんだよね。

これはもう使わなくていいやりかただから置いておこうね。

頑張ったね。

もう、悲しいことは悲しくていいんだよ。


posted by 蝉ころん at 18:25| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

嫌われてる

キライ。

ひかるなんかキライ。

のぞむだってキライ。

誰も彼もキライ。


なんでみんな私の言うこと聞いてくれないの?

好き勝手なことばっかりして。

私との約束はいっつも後回しにして。

それで絶対順番回ってこないじゃん。


私はいっつも一番最後。

最後の最後で、もう無理ってなる。

私の言うこと聞く気なんてないんじゃん。

聞いてるフリして返事して、全然その気なんてないんじゃん。



平等にしてるフリして私だけいっつも底辺。

一番下の、下の下。

気が向いたら。気分が良かったら。

運が良かったら、叶うかもしれない。その程度の扱い。



私はいっつもその程度の扱い。

はいはいって。

わかったわかったって。

私がどれだけ先に頼んでても、ぱっと口をついた兄貴や親父のことが優先。

私が頼んだことがどれだけ切実でも、兄貴や親父のがどんなしょーもないことでも、私はいちばん後回し。

てか、いつも忘れ去られている。



お母さんに取って、私はそんな程度のもの。

先生に取って、私なんて目の隅にも入らない存在。

そんな扱いをずっと受けてたこと。



私にとっては命の危機まで感じていたいじめの問題も、先生に取ったらそれで乱暴者のストレスが発散できるなら歓迎だったんでしょう。宿題もしない、忘れ物ばかりの私が同級生からいじめられてていい気味だったんでしょう。

先生がいじめっ子怒ってるとこ、見たことないもん。仲良しだったもんね。私のこといじめてた子と、先生。

先生は私のこと嫌いだったんだよね。



お母さんも私のこと嫌いだったんだよね。

まとわりつかれて、大人ぶって偉そうなことばっかり言ってきて、鬱陶しかったんだよね。



私は嫌われてるんだってずっと感じてたんだよ。

どうしたら好かれるんだろうって。私はどうしたら大切な存在になれるんだろうって。

一生懸命気を引こうとしてた。

でも全部無意味だった。

余計に嫌われるだけだった。



どうせみんな私のことなんか嫌いなんだ。

私のことを好きな人間なんかいないんだ。

それが私のスタート地点なんだ。

これが私の生きていく世界なんだ。





私はこんなものをベースにして生きてたのか。

世界中に恨みを持って憎しみを持って。

嫌われる自分をひた隠しにして。受け入れられる殻をかぶって。

人の良さそうな振りをして近づいて。心の底では憎しみが吹き出す隙を狙ってた。

本当の私を見せていないから、本当の私を責める言葉が聞こえる。

ほらやっぱり。どうせあなたも本当の私のことは嫌いなんだ。

私はどうせ嫌われものって決まってる・・・・・・



私はとっても悲しかった。話しを聞いてほしかった。

みんなと同等に扱ってほしかった。

あまりにも悲しくて、悲しみを受け止めきれなくて、希望を封じこめた。

私にはそんな風に扱われることはありえないんだと。ムダな望みを持つな、もう諦めろと。




私は他の人と同等に大切な存在。

誰からも粗末に扱われるような人間じゃない。

私は私自身で私を大切にする。大切に思う。

ころんちゃんの声を見捨てない。後回しにしたりしない。

posted by 蝉ころん at 21:02| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月21日

軽い存在

のぞむは私に何かを頼んでおいて、自分は忘れて遊んでいることがよくある。

私は、遊んでいるならいいか、と何も言わずに放っておく。

そして、もう寝るという頃になってのぞむが思い出す。

なんで頼んだのにしてくれなかったの?

私はカチンとくる。

自分で勝手に他の遊びに夢中になってただけでしょう?私のせいにしないで!

そっちこそ私にものを頼んでおいて他のことに夢中になるなんて!




のぞむは私のせいにしていない。

ただしてほしかったと言っているだけ。

私の中の、怒りを出したい面が、私のせいにしてほしいと思っている感覚があることに今日気がついた。




こうして書いてみると、色々と私が無意識に悪い方へ悪い方へ誘っていることが目につく。

他のことに夢中になられたら、そのときに声をかけていればいい。

それをしないのは、私がやりたくないんだってことを伝えないまま、やらないですむ状況だから。そしてやらなかったことについてはのぞむが原因だから。のぞむが悪いから。だから私は悪くないと堂々と言えるから。

これは私が断ることで責められるのが怖かったころに身につけたやり方。これは、変えていけると思う。




問題はもう1つのほう。

こちらは昔の感情が絡んだ衝動だから、ほどけないと改善しない。

のぞむが別のことに夢中になったおかげで私は頼まれたことから逃げられてしめしめと思っているのに、それでも私にものを頼んだ本人がそれを忘れているということに傷ついている。

怒りで表現されるけど根っこは悲しみ。この悲しみを糸口にして怒りが吹き出してくる。

私に頼んだことはそんなに大事なことじゃないんだ。そんなに大事なわけでもないことのために私を使うんだ。私の存在なんてそんなものなんだ。

ああこれは、元夫の私の扱いに感じていたことだ。実家での私に回ってくる役割にまつわる感情だ。

誰でもできる、別にどうでもいい、しょうもない、と、そのコミュニティで捉えられていること。そんなことだけが私に回ってくる。

できないことを責められるようなものばかり。

「これくらいのこともできないの?」

できても感謝なんかされずできないときにそうやって責められるだけ。

みんな、自分でできるけど面倒くさいことを私に押し付けてるだけ。

「どうせヒマでしょ」
「ついでにやっといて」
「時間ないし」

そして私に投げたら私が労力を割くんだってことなんかなんとも思わない。

みんなが面倒くさいこと、私だって面倒くさいのに。

時間だってとるのに。

できたかできてないか、それが全て。

なんであんたたちの面倒を解消するために私が面倒を背負わなきゃいけないんですか。

私の価値はそんなものなんですか。

あなたたちができないから、私にお願いするなんて、ないんだね。

私はどうせそんな、みんなができることしかできない。私じゃなきゃいけないことなんてなにもない。

ただそこに都合良く立ってたから使われるだけの、その程度の存在。

どうせ誰でも構わない。

私なんていなくて構わない。

私は誰のプラスにもならない。

いらない人間。









私は大切な存在。

誰が何と言おうと。どう扱おうとしようと。

私は私を守ってきた。

私という存在のプライドを守ってきた。

私自身の技能的な能力は確かにしょーもないものだ。そんなことはわかってるんだ。

でも。

私は私をどうでもいいもののように軽く扱ってほしくない。

それをただ私は伝えたかった。

本当はそんなふうに感じていたけど、言葉にはできなかった。はっきりと意識できるような形で心になかった。

ただモヤモヤと、なにかが違うんだって、そんなんじゃないんだって、1人であがいていた。




役割とか、そんなんじゃない、ただ私を大好きで、大切で、いてほしい。

それが、まず根本にあってほしかった。

それをまず感じたかった。

それを感じなかったから、私は役割にしがみついたね。

でも私だけの役割はだれもくれなかったね。

私だけがなれるはずだった「母親」というオンリーワンのはずの役割でさえ、元夫は義母に譲らせようとしたね。

実家でも、結婚生活でも、最終的に私に回された役割は無料の住み込み家政婦だった。

それは私にとって奴隷に等しかった。

だから私は必死で逃げたんだったね。




私は私を精一杯大切にした。

そのときできるやり方で私を守った。

守り切った。

もう切り抜けたんだよ。

私を奴隷にする人たちはもういないんだよ。

子供たちは、今はそういう時期なだけ。正当に私の力を必要としてるだけ。

だからもう、子供たちに怯えなくていいんだよ。

子供たちは、怖くないんだよ。

私のことが大好きなだけなんだよ。


posted by 蝉ころん at 18:30| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

愛情ってもの

私は母を「お母さん」と認識していただろうか。

私は、母を、ただ生活の面倒を見てくれる人として捉えていたんじゃないだろうか。

私は母に親しみを持っていた。大好きだと感じていた。

でも私は誰も大切に思っていなかったんじゃないか。




人を大切に思うこと。

知らなかったんじゃないか。

私は子供を大切にしたいと思った。

でも大切だと思ってなかったんじゃないか。




私が本当に思っていたことは、私が大切にされたいってだけだったんじゃないのか。

私を大切にしてくれる人が欲しい、そんな人に育ってほしい。

そういうことじゃないのか。

母に対して向けていた気持ちを子供に向けているだけじゃないか。

私を大切だと思ってほしい。

愛情を込めて私を見てほしい。

私のお母さんは私を愛する人であってほしい。



人の気持ちは変えられない。

たとえ赤ん坊であっても、愛することのできない母親に愛してもらうことはできなかった。



私の母親を求める欲求はとてもとても大きくて。

愛されるということを諦められなくて。

周りにいる人をひたすら「お母さん」にしようとし続けてたんだ。

母親も、父親も、兄も、同級生も、先生も、後輩も、友達も、元夫も。

子供たちも。




愛情をもらいたくて、愛情に似た行動をとり続けた。

私のは愛情なんかじゃない。そんなもの知らないもの。

愛情として受け止めてくれた人もいたけど、やっぱり私から出たときは愛情じゃなかった。

だって心の奥底では対価を求めていた。「次は私がもらう番」って。

はやく私にくれるようにならないかなって。




母が「お母さん」になれないことは見切りを付けたけどまだやっぱり「お母さん」を作ろうとしていたんだ。

それで人間関係がきちんと築けないんだ。

大人と大人の距離感の関係に満足できないんだ。

「お母さん」を探しちゃダメだ。

「お母さん」はいない。

誰も私の「お母さん」にはなれない。

私はそんな、誰かの絶対的な存在になることはできないんだ。

私にはもう一生、「お母さん」から向けられるような愛情は手に入らないんだ。

どんなに似ているように見えても、違うものなんだ。

これは逃げずに見つめなければいけないこと。

どれだけ時間がかかっても正しく絶望すべきこと。

辛くても受け止めなきゃいけないこと。

posted by 蝉ころん at 19:15| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

「頑張ろう」

「がんばろ」って言ってる自分に気付いたのはいつ頃だろう。

振り返りを始めて、好きなことをするようにしていても、ふと立ち上がったときに口をついて出てくる。

「よし、がんばろ」

言ってから、おいおい、がんばるんじゃないでしょ、って思ってた。

きっと、ずっとずっと小さい頃からの口癖だったんだな。

学校に向かうときも、ご飯を食べるときも、眠るときも、ずっと「がんばろ」って思ってた。

頑張って耐えよう。頑張って全部食べよう。頑張って寝なきゃ。頑張って起きなきゃ。

生活の全てのできごとで私は頑張っていた。




そうやって、私は私自身に暗示をかけてきたんだなあ。

私はダメな子じゃない。

ちゃんと頑張れる。頑張ってる。

人は気付かないかもしれないけど、私はこんなに頑張ってる。

頑張ってるんだから、ダメな子じゃないんだから、だから私にも生きる権利はある。





頑張り続けている反面、頑張れなくなるのが恐かった。

一度緊張が切れたら二度と頑張れなくなる予感があった。

頑張れなくなったら私は自滅していく予感があった。

頑張れない自分を自分自身が許してくれない・・・・・




いつから思い込んだかもわからない子供の頃に、こんな思想をどうやって植え付けたのか。

昨日は猛烈な怒りが出てきて、今日は悲しみが出てきている。

頑張れなくたっていいよ。

頑張らなくたっていいよ。

もう頑張らなくていいんだよ。




楽しもう。

なにをどう楽しむのかはわかんないけど、頑張ろうはもうやめて、楽しもうにしよう。

楽しようでもいいや。

なんかそっちの方が楽しそう。

ね、ころんちゃん。

posted by 蝉ころん at 14:30| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

恐かったんだ

夜中に夢で目が覚めた。

運動会かなにかで、私はなぜかキャッシュコーナーで2冊目の通帳を作っていた。すると女の子のグループがわいわい楽しそうにやってきてキャッシュコーナーに文句をつけた。私はなぜかびくっとしたんだ。

目が覚めて襲ってきたのは恐怖。あの頃の、子供の頃の、ころんちゃんの恐怖。

まわり中敵だらけなところへ1人だけで突っ込んでいく恐怖。

私は本当は嫌だったね。

でも家にも私はいなかった。

家に1人でいても私はいなかった。

無か、マイナスか。

私はマイナスを取ったんだ。

マイナスを浴びせられ続けても、私は存在していたかった。

だから私が存在する場所へ通い続けた。




基準がおかしいんだ。

私はマイナスを基準にしてしまったんだ。

辛くて、苦しくて、周り中が敵。

そんな世界を基準にしてしまった。




受け入れられるために自分を曲げることを学んだ。

仲間であるかのように演技する。

混ざっていても違和感のないように自分を押し込めて。

人気のある人の真似をして。

責める人が出てきたら失敗。化けの皮がはげたら失敗。そこにはもう私の居場所はない。

次のコミュニティではもっとうまくやらなきゃ。

下手だからバレるんだ。本当は受け入れられない私のことが。

今度こそバレないようにして居場所を確保しなければ。







会話することも、目を合わせることも、笑顔を作ることも、恐怖だった。

いつ、私の何が相手を怒らせるかわからない。

今笑っている相手が突然私を罵りだすかもしれない。

なにが致命的な失敗になるかわからない。

その場その場をただ必死で乗り切る。

いつでも体はこわばっていた。

目が笑ってないと言われれば目も笑って見えるように笑った。

本気で楽しんでいるように笑った。

冗談だって言わなければ。

フル回転で考える。

どう答えるのがいい?今は笑うところ?悲しい顔?

あの子はなんでこんな難しい会話をそつなくさも自然にできるんだろう?

私だって真似していればきっとうまくなる・・・











私はコミュニケーションというものを根本から間違えて学んだ。

自分自身というものは必ず否定されるものであって、まわりに馴染める自分を作り上げていくものだと学んだ。

馴染めないのは自分が失敗したから。まずいことをやったから。上手く隠し通せなかったから。

そして自分の居場所をがっちり確立できれば、そのときは自分の言いたいことを出してもいいんだと思っていた。

確立できた人にだけ許されることなんだと。

上に立った人間にだけ。選ばれた人間にだけ。




頑張ったね。

まるまる自分じゃない人間を自分の中に作り上げて。すごく頑張ったね。

でもなんか、変だね。

もうわかってるね。







あれもこれも手放すんだって。

頑張って頑張って身につけたことも、ぜんぶ必要ないんだって。

いらないんだって。





そんなのって。

惨い。

ひどい。

今さら。

ここまできてから。

ひどいよ。





でもわかってる。

あの時はそれしかなかった。

生き抜くのに必要だった。

あそこが異常だったから。ひとりでやり切るしかなかったから。

間違ってたんじゃない。

正しく頑張ったんだ。




よく見つけたし、よくやり抜いた。

あの恐怖の中を、よく自分で切り開いてきた。

生き抜いてきた。




もう戦場じゃないから。

鎧も、武器も、変装もいらないね。

捨てなくていいから。まずは外してみようか。

そのままがいいよ。

posted by 蝉ころん at 09:46| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

学校に行くということ

今日は子供たちがふたりとも突発的に学校を休んだ。

いや、昨日、記事を書いていた時、なんとなく予感はあったんだ。

夏休み明けのスタートダッシュでひかるが頑張りすぎてる無理が来てたこと。暑さが和らぎだして気候の変化にのぞむが体調を崩しそうになっていること。

さらに私は長い夏休みをずっと子供たちと過ごした挙げ句に学校が始まり朝のストレスがのしかかっていた。

「明日あたり休むかもな」

と思っていたのに。

それでも今朝はダメージを受けてしまった。

予測できてもダメだなんてそれもまたショックだあ。




以前から、子供が学校を休むとイライラに支配される。

私の時間が取られるから、自由がなくなるから。そう思ってたけど、なんかそれだけじゃない。絶対違う。

だって夏休みの間はそこまでのイライラはなかったもの。日中ずっとひかるものぞむも家にいて、宿題のことを思い出しもせずに過ごしていても平気だったもの。

だから引き金はたぶん違う。

学校を休むこと、それ自体が引き金なんだ。

私はまだ学校を休むことをちゃんと受け入れられていない。休むことにまつわる感情を解放できていない。

だから子供が休むことに対して憤りが出てくるんだ。




私は学校を休むことを許されていなかったし、学校に行かないなんて選択肢があるわけがないってくらい、封じ込めている。

きっかけになる出来事は思い出せないけど、学校を休みたい、行きたくない気持ちを、封じたらしい。

無理をしてでも頑張ること。やりたくないことでも頑張ること。つらいことでも頑張ること。

誰も認めてくれなくても、私は頑張ってる。今日もちゃんと学校に行った。

いじめが待っていることがわかっていても、先生に怒られることがわかっていても、私はちゃんと学校に行った。


それが私のプライドだった。


それだけが、私が私を認められるところだった。


そんなことしかなかったんだ。

そんなことだけだったんだ。

そんなことにしがみつかなければ生きていけなかったんだ。


誰からも認めてもらえなかった私が、自分自身に自信を持つために必要だったことだった。

中学でできもしない部活を選んで、厳しい指導に3年間耐え抜いたのもそのため。

辛い状況を耐えてやりきることだけが、私が私を認められることだった。

それも、他人から与えられた苦行でなければいけなかった。

私にそれを課してきた相手が根負けする場面が欲しかったんだ。

やられ続けていても、耐え切るということでプライドを保ちたかった。

自分を保ちたかった。




頑張った。よく頑張った。

よく潰れずに自分を守り通した。

偉かった。

そうだった。私はずっと見てた。

忘れ物をして立たされても、カンニングの疑いをかけられても、ランドセルの中身をぶちまけられても、バイキン扱いされても、殴られても、首を絞められても。

死んじゃうんじゃないかと思っても。

それでも毎日学校へ行った。

楽な方へ逃げずに立ち向かっている。

私は間違ってない。私は悪くない。私は頑張っている。

そのことを誇りに感じるために学校へ行っていた。

私は知ってる。

偉かったころんちゃんのこと。

頑張り抜いたころんちゃんのこと。

私はころんちゃんを誇りに思う。




これは私が選んだ方法。

無理を貫くことで自分を守った。これは私が選んだ方法。

生き抜くために必要だった方法。

私だけが理解して、私を認めていればいい。

子供たちに証明してもらう必要はないんだね。

posted by 蝉ころん at 20:33| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

失敗するよ

私は結構な完璧主義だ。

今まで色々なことに手を付けてきたけれど、途中で進まなくなるのは決まってなにかケチがついた時。

9割方終わっていても、どこかでミスをしていたなんてのが見つかると、ぶつっとやる気が消える。

誰かにヘルプを頼むのもダメ。

下準備であっても誰にも口も手を出させない。人の手が入った時点でやる気0。

全て自分で進めなければダメ。

そんな感じ。



失敗したら、怒られていた。嘲笑われていた。

助けを頼むと、断られる、横取りされる、バカにされる。

そんなことがたくさんたくさんあったから、私は誰にも見せず、知らせず、完璧にできた結果しか人に見せたいと思わないようになった。



失敗するのは悪いこと。人に頼むのは自分で全うできないダメ人間。



最近、子供と一緒に失敗を笑えるようになっていることに気付いた。

私が失敗しても、子供が失敗しても、みんなで顔を見合わせて、一緒に笑い出す。

みんなで笑って、また作戦を練る。上手くいってもいかなくても、放り出しても、また笑える。

失敗って楽しい。

完璧よりずっとずっと楽しい。



こんな環境にいたことがなかった。

こんな環境にいたかったんだよ。

バカにした笑いじゃない、ただハプニングを面白がってる笑い。

失敗っていいんだ。




完璧主義なくせにとりかかるのがギリギリなのは、どこかに言い訳を残すためもあったのかもしれない。失敗する未来を見たくなくて、ギリギリまで他のことに逃げていたのかもしれない。

メモをしたり、用意をしたり、余裕のある時間から手を付け出したり。そんなことが少しずつできるようになってきている。

それでもやっぱり、失敗する。

メモを忘れたり、準備が足りてなかったり、時間が早すぎたり、それでもやっぱり遅れたり。

でもそれも、笑えるんだ。

「失敗したら真面目に真摯に反省して二度と失敗しないように」

よく言われてたな。

何度でも失敗するよ。

命に関わらない限り失敗する回数に制限なんかない。

失敗は自分のための大切な経験のひとつ。

失敗を汚点として消し去ろうとしなくていい。



人生なんて予定通りに進まない。

完璧になんて生きられない。

失敗を笑ってたくさん経験した方が、きっと楽しい。

posted by 蝉ころん at 18:35| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

子供に用事を頼まれて・・・

ひかるには、母親の代役をさせてしまっていたんだなって、最近思う。

母親と、することが似ている。

それはつまり、そう育てたから。そういうことに引っかかってしまう私だから、そこが強化されていったってこと。

のぞむにそういう面があまりないのは、のぞむは私の身代わりとして育てたから。理想の私として育てたから。

無意識にそんなふうに二人を育てた。

そんな感じが、見えるようになってきた。




遊んで帰ってきたひかるに自分でできるようなことを頼まれるとムカッとする。

それはない、と思っていたことを受け入れてみる。

私がひかるたちに相手をしてもらえなくて拗ねてるみたいだって。

受け入れてみたら糸口ができた。

それはつまり母に相手をしてもらえなくて拗ねている私。




お母さんは仕事があるしお父さんやお兄ちゃんのことも色々あるし私の相手はしてもらえなくても仕方ないんだって自分を説得してた。

それで、我慢して我慢して、それなのに母は私にばかり家事の手伝いをさせた。

私のことなんか何もしてくれないくせに。

私がしたいことにブレーキばかりかけるくせに。

自分でできるようなことは私にばっかりやらせる。

できないことはぜったい私には頼まないんだ。

そして、できないことをしてくれた人にしかありがとうはなかった。




お母さんは自分がすることに夢中で。

私のことなんか全然目に入っていなくて。

私を見ずに話す。

笑わずに話す。



私の頼みも聞いて欲しかった。

笑って聞いて欲しかった。

お母さんに面倒ばかりかけて困らせてるってことじゃなくて、お母さんを頼ってお願いしてるってこととして、受け取って欲しかった。

それで笑ってありがとうって言いたかった。

申し訳なくごめんねって言うんじゃなくて。




笑ってよ。

笑えるよ。

そんなにいっぱいいっぱいにならなくていいよ。

見て。

そんなに大切なことじゃないよ。

しがみついてないで手放していいんだよ。

怖がらないで。

放してみて。

いっときの恐怖が過ぎたら、ほら。

笑えるよ。

大丈夫だよ。




そんなことを、自分の年もわからないくらいからずっとずっと伝え続けていた私。

知ってたの。そんなことを知ってたの。そんなに小さい頃からずっと伝えてたの。

それでもずっと叶わなくて叶わなくて諦めていったの。

きっと素敵な笑顔があったのに。

それで自分がしがみついてしまったの。

しがみつけなかったのか。

いいよいいよ。

また怖くなったら抱きついておいで。

もう私は笑えるから。

一緒に笑お。

ころんちゃんもきっと笑えるよ。


posted by 蝉ころん at 19:29| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

今日出たイメージ

自分が食べたいものを子供にあげたくない。

横取りされるのがイヤ?減るのがイヤ?

なんかどうもそんなんじゃなかったらしい。

今日、おいしいものをおいしく食べてるイメージとして、広くてちょっと薄暗い昼下がりのダイニングで、誰か母親でない大人の女性と二人で座っていて、私が何かを食べている。女性は何も口にせず、ただ微笑んで「おいしい?」なんて話しかけている・・・そんな情景が浮かんだ。

私が求めているのはそういう感じ。

ただ私がおいしいって食べているのを、嬉しそうに見守ってくれている、そういう存在が欲しいわけで。

まずそれが満たされるのが必要なんだってこと。

他のことでも同じ順番が必要だと思ってたけど、こんなにはっきり情景が浮かんだことはなかったな。

これは結構大切にしていたイメージみたい。

実際にこんなことがあったんだったか、テレビかなにかで見たものなのかはわからないけど、大切なものって感覚はする。

私の分を、全部ひとりで食べていいの。食べ終わるまで見守っててくれるの。急がなくても、誰にも取られないの。見守っててくれてるから、なにも邪魔は入らないの。

安心感の中で食べたかったのかな。薄暗いのは、他の人間から隠れていたい気持ちが出てる気がする。




これも、やっぱりいつも通り、自分で時間をかけて満たしていこう。

ころんちゃんと一緒に食べるんじゃなくて。ころんちゃんが食べてるのを見守る。

私が食べたいんじゃなくって、大好きなころんちゃんに食べさせてあげたかったって気持ちを向ける。

「おいしいね」じゃなくて。

「おいしい?」ってね。

「ゆっくり食べていいんだよ」って。

posted by 蝉ころん at 22:04| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月30日

何にでもなれる

ぽんと出てきた言葉。

「何にでもなれる」

涙も一緒に。

感情はついてこない、出来事もついてこない。

ただ、「何にでもなれる」

うん、そうだね。

何にでもなれる。

私は何にでもなれるね。

何も、諦めなくていい。

拘りも捨てていい。

私は何にでもなれる。



生活が変化すると新しい刺激があるんだな。

また違う方向から掘り出すものが見つかりそうな予感。

焦らない、怖れない、侮らない。

ただ力を抜いて受け止めるだけ。
posted by 蝉ころん at 19:10| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

バツにバツをかさねる

子供のころ、住んでいたところは木造のアパートの2階だった。

声は筒抜け、足音は1階に響く。

当然、騒いではいけない、暴れてはいけない、話は小声で、歩く時はそーっと。

うるさい子は、悪い子だった。

それが、幼稚園、学校に入って、逆転する。

おとなしい子はつまんない子。大きい声が出せない子は元気がない子。活発で、大きい声で喋る子は、とっても良い子。

今度は、静かな自分にバツをつけて、元気で快活な子を目指さなければいけない。

家では、相変わらず、静かにしなければいけない。

そうなると、元気な自分にさらにバツをつける。

だんだん、声の出し方がよくわからなくなって、元気にしているつもりでも万歩計が反応しないような歩き方になってた。



家では、自己主張はNGだった。泣くのも、要求するのもバツ。

学校では、発言ができなければいけない。自分の意見を持たなければいけない。自己主張のできない自分にバツをつけて、意見をひねりだして声を出す。

プライベートの付き合いでは、相手を尊重できなければいけない。主張できるようになった自分にバツ。

表現のしかたもどんどん忘れていって、笑う時だから笑い、泣いてもいいから泣き、怒るべき時だから怒り。必死でまわりに合わせて、感情を出さなければいけないから感情があるふりをしていた。

合わせるのに必死で、本当に自分が感じていることなんて、意識にものぼらなかった。



どんどん、身につけたものにバツがついていく。

バツの上にバツをつけて、さらにバツを重ねて、なにがよくて何が悪いのかももうよくわからなくなっていって、それさえもバツになって。

そんなことをずっとしてきた。



笑っていいんだよ、って言われても。

笑わなきゃ、って思った。ああ、ここは、笑うべき時なんだって。

よかれと思ってかけられた言葉でも、バツに変わっていく。

軽くしようと思ってくれたことでも、重荷に変わっていく。

自分でもなぜなのかわからない。

でもそうなってしまう。

苦しいよ。

もうなにも乗せないで。

ただそのままの私でいさせて。

ただ私でいさせて。

立ち止まっていさせて。





バツを無理にはがそうとしなくていいね。

バツはかさぶた。

傷を守るためのかさぶた。

時が来たら、自然にはがれる。

ただ立ち止まっていれば、自然に癒えていくよ。

posted by 蝉ころん at 13:43| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

逆の立場

次はひかるの側。

こっちも私はやっていた。

相手はひかる。

私がターゲットにしていたのはひかる。



鬱陶しかった。

私が見つけて獲得してきたものを、横からかっさらっていくひかる。

なんでも真似して、先にやってしまう。

させるものか。

私のだ。

私がやるんだ。

わからないように、バレないように、ブロックする。

お前なんかにやらせるものか。

嘘もつく。

あ、やりたかったの、ごめんごめん。

邪魔なんかしてないよ。

気のせいだよ。




私もやってたね。

嫌だったんだ。

私が受け入れられなかった気持ちを実現していく子供たちが妬ましかった。

全部伝わってる。

ひかるにはバレてるよ。

それでもひかるは頑張って生きてるよ。

私も頑張って生きてた。

こんなこと、いらないね。

もうこんなこと、必要ないね。

手放そう。



私はもう自分で実現していけるから。

誰も邪魔なんかしてこない。

受け入れられることを待っていなくてもいいんだから。
posted by 蝉ころん at 08:42| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

掃き溜めの役

子供はちょくちょく刺激をくれる。

今日は、ひかるがのぞむがしようとしていることをさりげなく邪魔ししてて・・・。

モヤモヤ〜っとくる。

だーーーー!もうっ!

いらんことすなっ!

自分がうまくいかないからってのぞむを巻き込むな!



ふーーーー。



ころんちゃんひさしぶり。

私も、よくやられてたんだよ、そういうこと。

誰にも相手にしてもらえずに、仕方なく自分でなんとかしようとすると必ず邪魔する人がいた。

足を引っ張る人がいた。

私はやっぱりターゲットにされてたんだね。

私に自律して欲しくない、ずっとターゲットのままでいてほしい人がいたんだ。

それもたくさん。

みんなにターゲットにされていた。

そうだったんだ。

私がターゲットで居続けることで助かる人がたくさんいた。



嫌だったね。

助けてって言っても無視されるのに、進もうとすると止められる。押しつけられたりする。

立ち止まるとまた放っておかれる。

私にどうしろって言うの?

進むことも許されず、止まっていたら置いていかれて。

私はどうしたらいいのよ。

どうしたらみんなと一緒に歩けるの?



私は一緒に歩くことを拒まれていた。

どんな私になろうが、あの人たちは私と一緒には歩かなかったんだ。

常に後ろをこそこそとついてきて、気が向いたら石でも投げられる存在であり続けることを求められていたんだ。

集団で、私の立ち位置はそこしかなかった。

集団の中でもなく、外でもなく、壁より外、堀より内。

そんな立ち位置。



悔しい。

やっぱり誰も私そのものなんて見てくれていなかったんだ。

私が感じた、部外者だけが私を人として見てくれるって感覚は、本当だったんだ。



入らなくていい。

そんな集団に入らなくていい。

私は私でいい。

ころんちゃん、辛かったね。

ずっとずっと外側をひそかに歩き続けて、寂しかったね。

認められずに、ひとりぼっちで、嫌だったね。

よく頑張った。

もういいからね。

もう、そんな思いはさせないよ。

私は私でいいんだもの。

私が進みたいように進んでいいんだもの。

誰にも道は塞がせない。

一緒に進もう。
posted by 蝉ころん at 08:19| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

捨てられる恐怖

新しいカテゴリを追加しました。

書くという形でころんちゃんを表現する必要はなくなったけど、私は相変わらず忘れっぽいのでやっぱり出てきた記憶は綴っていこうと思います。

===============================

昨日、まだ私が親に繋がる命綱を握っていたことに気付いたあと、夢のことが浮かんできた。

ここにも書いた、父に対して怒鳴ってる夢。

私は放置されていたし、奔放な子の役もやっていたから、結構好きなことをして、好きなことを言っていたように思っていたけど、それも違った。

子供の頃、父の本気を試したとき、私はちゃんと父の限界を知っていた。

私を受け入れられる限界を知っていた。

いつも、限界に届かないレベルで発言してたんだ。

本当に自分の気持ちを主張したことなんてなかった。

だから、夢でしたように親に言いたいことをぶつけきる経験はしたことがない。



私は父が恐かった。

格闘技の心得があり、段位を取れる力があるくらいだったけど、素人を相手にできなくなるから段位は取らなかったというほどの実力だった。

そんな男が、家庭で大声で怒鳴る。物に当たる。

私は父のことが恐ろしかった。

母に暴力を振るったことはなかったらしいし、そんな記憶もないけど、そうなるかもしれない恐怖は常にあった。

それから、捨てられる恐怖。

なぜなのかはわからないけど、逆鱗に触れたら「出て行け」って言われると思っていた。

なぜ、の部分はまだ埋まってるんだろう。




とにかく、私は捨てられるのが恐かったし、家庭内で暴力が発生するのがとても恐かったってこと。

覚えている限り人に対して暴力がふるわれてはいなかったけど、命が奪われる恐怖が常にあの家にはあったんだってこと。

捨てられて、ひとりぼっちになる恐怖があったってこと。
posted by 蝉ころん at 18:08| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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