2010年11月20日

片付け

あまりにも散らかっているので、自分のために少し片付けた。

のぞむがやってきて、「ありがとう」「ひかる、見て、お母さんがきれいにしてくれた」と言った。

それで、スイッチが入った。

なんでかわからなかった。

「ありがとう」でスイッチが入るって?

私は感謝も素直に受けられないのか?

掘る前に、まずそんな自分が悲しくなった。




でも、掘る。

私は、「ありがとう」と言われることに怒りを感じる。

「ありがとう」と言われて悲しくなる。

なぜ?

なぜ?

だって。

のぞむのためにやったんじゃない。

そこか。それか。

のぞむはありがとうと言って、私が片付けたところをまた平気で散らかす。

ありがとう。私のために場所を空けてくれて。

ひかると遊ぶための場所を空けてくれて。

場所がなくなってきて困ってたんだよね。

これでまた、思う存分おもちゃを出せるよ。

それくらいの意味をこめた言葉に、私が勝手に、自動的に受け取っている。

確かにそういう刷り込みを過去に散々受けた。

実家でも、学校でも。

だからそう感じてしまうようになった。




たぶん、今後結果的に感じたような状況になるのも予測できる。

予測はできるけど・・・。

やっぱり今の段階でそこまでに受け取ることはないね。

私は私のために片付けたんだし、私が気持ちよくできる時間が少しでもあれば、それだけで、片付けた成果だね。

そのうち子供たちが散らかすのは、今のあの子たちはそんな状態だから、そうなるね。

でも、それは、別の話。

今は、ただきれいになって嬉しかったから「ありがとう」なだけ。

「ありがとう」だけ、受け取ればいい。

そゆこと。




頭の中も、ちょっとずつお片付け。

目に付いたとこからひとつずつ。

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2010年11月18日

存在価値とかそういうの

ときどき自分の心の状態にアンテナを張りながら生活してみている。

今日は、そろそろ晩ご飯、というときに、「ご飯だから片付けてー」と言っていたとき。

子供たち、聞かない聞かない。遊ぶ遊ぶ。

何度言っても。

今日はおやつがちょっと多めだったから、お腹空いてなかったんだろう。

全然聞かない。

もういいやって感じになって放っておいた。



私はなんだかモヤモヤしていた。

この聞いてくれない感じ。

声を出しても届かない感じ。

それでいて、私には絡んでくる感じ。

私の体はそこにあると認識されているのに、私の声は届かない。

ただの個体でしかない。

子供は正直。

お母さんが必要ないときは、お母さんの声なんか聞こえやしない。なんか言ってる音がする、くらいのもの。

それはそれで健全なんだと思う。

軽んじてるわけじゃなくて、ただそのときは自分のことに夢中なだけで。



ただ私は、そうされることに不快を感じる。

親として、しょうがないなってふうには思えてない。

個人として、聞いてよ!って、なってる。

集団の、1個人になってる。

ひかるとのぞむの集団対私個人ていう図式。

これはスイッチの入る状況なんだね。



状況のスイッチって、相手がどんな人とか関係ないみたい。

子供だろうが、大人だろうが、家族だろうが、誰でもいいみたい。

ただ、複数の人間がいること。

そんで、集団がもりあがってるだけなら、全然気にならない。スイッチ入らない。

その状況で、私の発言が完全にスルーされたとき。

そこでスイッチが入ってるんだな。

その状況で急に気分が落ちる感覚、確かに何回も経験してる。

あの、物体だけはあることになってて、心があることは認められてない扱い。

私は、なに?っていう感じ。

相手に対してどうこうって感情じゃないみたい。

ただ自分ってものの存在のなさ、必要のなさを突きつけられる感じ。

自分の存在に対する自信の揺らぎみたいな感じ。



正体はそうとして。

大丈夫。

私はそこにいるし。

私がそこにいることは、周りが私を聞かないことの影響を受けない。

私のこととは関係なく、たまたま盛り上がってて気付かれてないだけ。

子供は、まだ楽しいときに人の話を聞けるほど成熟してないだけ。

私は私を聞いてるし、感じてるから、大丈夫。

posted by 蝉ころん at 22:12| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

原因不明なイライラ

昨日は外食した。

ひかるものぞむももりもりよく食べ、それを見ながら私もなんとなく、あー、こういうのが幸せって感じなんだなーとか思いつつ楽しく食事してた。

ふざけたり、こぼしたり、なんだかんだとありつつも、楽しく食事していた。

のぞむもひかるも食べ終わり、残ったものを私が平らげているとき、自分の心の状態が変化していることに気付いた。

なんだ、このムカムカ、イライラは・・・・。

ひかるが話しかけてくることに生返事をし、よりかかってくるのぞむを押し返す。それでもたぶんマシな対応。

意識ができていなかったら、何かに理由をつけて怒鳴りつけていたんじゃないか。たぶんいつもの私ならそうなっていた。

表層化を抑えながら、心の中を探った。

何が根っこだ?

今日は、注文もちょっと多めで、残るだろうことは予想もしていて、私が食べられるな、と思っていたし、ひかるが残したことが直接のきっかけじゃないはず。

状況としては、私が1人だけ最後まで食べている、という形だってこと。

そのへんか?と思って探るも、とっかかりが掴めない。

ずっと気になって、寝るときも探ってみたけど、気が付くと違うことを考えていたりして、実は取り組ませたくない、妨害する感じがある。

ちょっとこれは根が深いかもしれない。



実家で一番食べるのが遅いのは私だった。

外食すると、私がいつも最後まで食べていて、それをきっかけに父がイライラし始めた。

学校では、給食はいつも一番最後、掃除中も砂っぽい中で食べていた。

食べるのが遅いのを知っているのに、食が細いのに、量はしっかり食べさせられた。

残すことに罪悪感があった。



証拠としてはこれくらい揃っている。

でもなんか、ピンとこない。

なんか、違う感じ。

なんか、見当違いのところを掘っているような感じ。

ここはちょっと保留かな。

違う視点を手に入れたら、また探ってみよう。



とにかくイライラを出しちゃう前に状態の変化に気付けたじゃないか。

それはなかなかの進展じゃないか。

あそこまで無意識に変わってるなんてちょっと驚きだった。

でも一回経験したから、だんだん気が付くことが増えてくるだろう。

また一歩。

これからも一歩一歩。

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2010年11月13日

描くこと

子供の頃から、絵を褒められると嬉しい気持ちと、苛立ちがあった。

私は自分の作品を上手いとはあまり思っていなかった。

ただ、表現したかったことを描き出せたか、そうでないか。

そこが納得いくかどうかだった。

だから、納得がいっていない絵を褒められても嬉しくなかったし、納得いった絵を褒められても、なにかのズレを感じていた。



一時期、美術系の進路をぼんやりと希望していたことがある。

でも美術系に進むにはすごい勉強がいるんだと聞いて、なんだかやる気がなくなってやめたんだった。

そんなに簡単にやめる気になったんだから、私はそっち系のことがそんなに好きなわけじゃないんだと思って、距離を取るようになった。

頭でっかちな決め付けで、自分の心には聞かなかった。



私にとって、絵ってなんだったんだろう。

別に上手くないしとか。

完成させるのめんどくさいしとか。

決まった時間で終わらないしとか。

私はきっと才能がない。そんなに努力する気もない。成功するはずもない。

だから、やってる価値もない。意味もない。

そんなふうに思ってたけど。



小さい頃。

私にだってあったはず。

歪んだ丸の中に、点をふたつ、線をひとつ引いて、お母さんの顔を描いたことが。

絵ってそういうこと。

「私はお母さんが大好きなの」

私にとって、絵ってそういうもの。

言葉で表現するのが上手くない私が、私の気持ちを表現するためのもの。



技術なんかいらない。

評価なんかいらない。

点数も賞状もいらない。

具材なんてなんでもいい。

ただ、私の心を表現できたかどうか。

私の思いが乗っているかどうか。

今だって、丸に点々とカーブを描くだけで、涙がこぼれることもある。



ああ、やっとわかった。

中学のとき、友達を描いた肖像画に修正を加えられたときの怒り。

それをまた先生の独断で展覧会に出されて、絵は戻ってこず、入賞の賞状になって帰ってきたときの怒り。

私にとって、ただ、絵が自分の手で完成すること、それを友達にあげたいと思っていたこと。それが大切だった。

私の、「私は、あなたのこと大好きなんだ」の気持ち。

あそこまで気持ちを載せられた絵は、あのときが初めてだった。

ラブレターかよ。ラブソングかよってほどに。

それを、ただの、量産された賞状と交換されてしまったこと。

私の伝えたい想いを載せた世界でたった一枚の絵は、たぶんもうどこかに捨て去られている。

そんなふうに私の思いを扱われたことが許せなかった。



先生もきっとわかってたんだ。

私が想いを載せて描いていたこと。

だから、他の人にはどんどん手を入れるところを、私の絵にはほとんどアドバイスだけだったし、手を入れられたところも、本当にちょっとだった。私が慎重になり過ぎて表現しきれていないものを、こうしたら表現できるのにって、教えずにいられないみたいな感じだった。でもそれで印象が大きく変わってしまったから、私は素直に受け入れられなかったんだ。

そして、それくらい想いを載せていたからこそ、選んでくれたのかもしれない。

すれ違っちゃったけど、わかってくれていたんだってことが、わかれてよかった。

あの出来事は、そういうことだったんだな。

これでやっと、あの出来事を思い出として片付けられる気がする。




ただ、私のそのときを表現したいだけ。

それが私が絵を描くこと。

それが私にとってかなり大切な事だったんだってわかった。

やっぱり好きなことだったんだってわかった。

それが嬉しい。

嬉しい。

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2010年11月11日

傷あと

どうも私の中には細かい細かい爆弾がたくさんたくさんあるらしい。

私の傷つきの場所はほとんど家庭と学校。

そのどっちもで、私は母性を求めてさまよっていて、全力ですがっていたために小さな出来事でもとても大きな傷になってしまったらしい。

今まで爆発の発端になったことってどんなことだろう?って思ったので書いてみる。

・責任をなすりつけられること
・人の仕事を押し付けられた上に感謝されないこと
・不当に待たされること
・嘘をつかれること
・理解したつもりになられること
・無視されること
・親切の押しつけ
・うるさくされること
・道具扱いされること
・オンナノコ扱いされること

列挙してる最中から怒りで手が震えてくる。

それにしても、細かいことばかり。

それこそ自己嫌悪が沸いてきそうな細かいことばかり。

怒鳴られたり、殴られたり、は、地雷になってないことに気が付いた。

そっちは怖いだけで、怒りには繋がってないような。

ああ、なんか、これか。そうか。

私は、周りに理解されない形でやられることにものすごく怒りを感じるんだ。

だから、細かいことばかり。

それくらい気にする方がおかしいって言われるようなこと。絶対わかってもらえないこと。

理解されない経験が続いて、自分の中で整理が付かなかったんだ。

でもこれってモラハラの真髄とも言えるやり方じゃん。

私は小さい頃からモラハラ被害に傷ついてたんだな。



私が境界線を踏み越えられたと感じたこと。

それで傷ついたこと。

それを、周りの人に理解してもらえなかった。私の感じ方を承認してもらえなかった。

二次被害ってやつだ。

それをずっと、子供の頃から、家庭内とか学校で受け続けてきたから。

私の学校不信、組織不信みたいなのはここからきてるんだ。

たぶんこっちの方が重いんだ。

どうせ私を受け入れない社会、って思ってる。

なにか嫌なことをされると、自動的にそこまで意識がいってる。くっそーこんなのどうせわかってもらえないって。

違う。私が思ってる。こんなことでいちいち腹を立てている自分に怒ってる。

あーくそ。頭が繋がんない。妨害されてる。

繋がんない。バリヤー張ってる。固くて掘れない。

なんかわかんないけど、怒りを正当化してる回路がある。たぶん。

ほどくのはそこだ。

今はまだタイミングじゃないのかもしれない。




話を戻して。

そういえば被害者だった頃、同じようにモラハラを受けている人たちが、二次被害を受けているのを不思議に思っていたことがある。

なんでこの人たちはわざわざ、理解してくれるはずのない人に話しにいくんだろう?わかってくれないのが当たり前なのに。

なんて。

私にとってはそうだった。理解されないのが当たり前の中で暮らしてきた。

でも、他の人たちは違ったんだ。

理解してもらえるだろうっていう信頼を持ってたってことなんだね。

だから話すことが出来たんだね。

それで、現実の中でも理解者を得ることが出来た人たちもいた。

私は話せなかった。

理解されない社会がスタンダードだと感じていたから。

相談なんてできない。決めるのは自分。

そうやって生きてきた。たぶん今も。




相談することが一番高いハードルだった。

傷ついた、って言うことそのものが怖かった。

誰にも話したくない。

誰にも否定されたくない。

それなら自分で相手を責める方がいい。

責めて受け入れられなければ悪い人ってことにできる。

それなら、もう一度傷つかなくていい。

相手が悪いんだってことにして、自分が傷ついている事実から逃げた。

怒りに逃げた。




きっと何気ない言葉。

私が一番傷ついてきたのは、すごく軽い言葉。

忙しい合間に、適当に放った一言。

それだけなら、きっとほとんど意識されないような。

私自身も気付かないくらいの言葉。

そんなのが積み重なって、積み重なって、爆弾が幾つも幾つもできた。

爆弾になんてならなくてすんだかもしれない小さな出来事が、大きく繋がってしまった。

根っこはきっともっと小さくてきっと見つからないだろう。

すり傷みたいなものだったんだ。

水で洗い流してしまっていれば何ともなかったようなこと。

傷を負うたび、小さな小さな砂つぶが、傷の中に潜り込んで忘れ去られた。

同じところを擦りむくたび、また砂つぶが入った。

痛いよって言う度、それくらい平気でしょって放っておかれた。

だんだん、砂が溜まっていって、中でおかしいことになっていった。

他人からは、すり傷にしか見えない。

でも治そうと思ったら、砂つぶを全部出さないといけない。

出しても出しても、まだ入ってる。

ずっと続く。

いつまで続くかわからないけど、ずっと続く。

深くにいくほど、痛みも大きい。

傷を開けて探さないと砂つぶは見つからない。

自分で傷を広げて、痛い痛いって大騒ぎして。

バカみたい。

バカみたいって思ってる自分にまた傷ついたりして。

ほんとバカみたい。

でも大事なこと。

私にとっては大事なこと。

辛いし嫌だし挫けたい。もうこのくらいでいいじゃんとか思う。

でも負けたくない。治したい。良くなりたい。

なにかあるたびに飛び上がるほど痛いのは嫌だ。

子供のひとことで窓ガラス割りたくなるほどの破壊衝動が沸くのは嫌だ。

私だってにこにこ平和に笑って暮らしたい。



ちゃんと治して、過去の傷跡にする。

嫌だって言おう。悲しいって言おう。辛いって言おう。

嫌だったのって話そう。悲しかったんだって話そう。辛かったって話そう。

ちっぽけなことなんかじゃない。

大切なこと。

うん。

posted by 蝉ころん at 11:19| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

こっちだった

わかった。

なににイライラしてたか。

さっきのは違う。

ひかるが、私のせいにしたからだ。

朝、登校時間を過ぎたあとに声をかけたとき、私が出すべきものが出ていないと言ってきた。

まだ提出期限がきていない提出物だ。

私は、ひかるが本当は何を気にしているかを知っている。

だからこそ、イラついた。



私のせいにされた。

私の不備を、ひかる自身の罪悪感を逃がすために利用された。

自分で背負え!っていう怒り、だった。

お母さんが出してくれないから、怒られるし、ヤダなー。ってことにしてるけど。

本当は、自分の理由で行きたくない、行けない、どうしよう。でしょ?

私のせいにしているうちは直面しないで済むから。

お母さんが出してくれないからだもん。って。

ふ・ざ・け・ん・な



こういうの嫌い。だいっきらい。

どれだけ肩代わりしてきたか。

どれだけ肩代わりして無意味に怒られてきたか。

なんで今?

なんで私?

え?今なにがおこったの?

なんで私こんなことになってんの?

冤罪、濡れ衣、スケープゴート。

なんでもかんでも私に背負わしてみんな無事に逃げ延びた。そして横で笑ってた。

あいつらへの怒り。

簡単に騙される責任者への怒り。

本物の犯人はあいつなのに。

背負うべきはあいつなのに。

私は「いつもの子」だから、どうせまた「いつもの子」が面倒を起こしたんだとしか思われなかった。

事務処理的に怒られた。

とりあえず「いつもの子」を怒っとけば解決したことにできるからって、適当に怒られた。

代わりに怒られてやって、さらに馬鹿にされる屈辱。



大っ嫌いだ。

擦り付けたやつも、信じる大人も、知ってて見てるだけの傍観者も、話を聞かない連中全部も。

絶対許せない・・・!!



悪くなかった。

私は悪くなかった。

私はまだ未熟で、弱くて、自分を助けられなかった。

圧倒的多数と、強権を持った大人には敵わなかった。

私は不当に背負わされてきた。

下ろそうとしても下ろそうとしても、勝手に背負わされた。

私の荷物を落してまで背負わされた。

まだ収まらない怒りを持っている。

あのころのあいつらに対して。

あいつらはまだ許せない。

許せなくていい。

posted by 蝉ころん at 14:08| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

認められなかった・認めたかったこと

やってしまった。

ひかるの言葉を反射的に突き返してしまった。



自分を非難していても地雷を放置しているだけ。

とにかく掘る。

ひかるに突きつけられたのは、責任の所在。

私を責めるニュアンスを無意識に感じて突き返した。

怒りは感じていなかった。

怒りよりも、恐怖が近い。

「私知らない!私じゃない!」

そう。

ぞくっとくる感じ。

全体から責められる恐怖。

私1人だけが断罪される恐怖。

「違う。私じゃない。私じゃない」

「私だけが悪いんじゃない」

誰も聞かない。

私の釈明なんか誰も聞かない。

ほんのカケラでも自分の罪を認めたが最後、全てが私の罪になる。

全員から全てを背負わされる恐怖。

認められない。

怖い。

誰も聞いてくれない。

私だけ通じない言葉を喋ってるみたいに誰も私の言葉を聞かない。

子供の自主性に任せるなんて言って、やりたい放題させる先生は当然手を差し伸べたりしない。

ただ責め立てられて有罪判決が下る。

そしてそのまま罪人としての毎日が続く。

一度着た汚名は消えない。



最初から認めちゃいけない。

絶対に認めちゃいけない。

私は何も悪くない。

私は何もやってない。

絶対やってない。

ほんの少しも認めちゃいけない。

絶対にやっていない。



認めることに強烈な恐怖を感じるようになった。

認めることは、私自身を差し出すこと。

私の中で、認めることは罪になった。

やったかやってないか以前に、私は認めてはいけない。

私は私に認めることを禁じた。

必要のない環境でも自動的に働く声。



もう、いらない声だ。

いらなくなったんだ。

もうそんな声に怯えなくていい。

ずっと怖かった。

怖かったんだ。

怖くて怖くて認められなくて、それでまた自分を責めた。

私にだって責任はあったのに!

全てを負わされるのが怖くて逃げた!

私は逃げた!

私は卑怯者だ!

そんな声も聞きたくなくて、叫ぶように否定した。

私じゃない!

絶対私じゃない!

私は絶対悪くない!



知ってた。

私も悪かったこと。

全部じゃなくても、私にも責任があったこと。

言いたかったのに、怖くて言えなかった。

怖かった。

でももう怖くない。

もう、認めることができるよ。

私はちゃんと言い分を聞くよ。

もちろん責任は免れない。

でも私の分だけの責任を負えばいい。

他の人の分まで負わされることはもうない。

ちゃんと目を開けて見てみれば、そんなに重いものじゃないって、見えるよ。

怖くないから。認めよう。

認めてみよう。

「私です」って、言えるよ。

私は認められる。

posted by 蝉ころん at 21:36| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

後始末の人生

部屋がとことん散らかっている。

食事あとの食器が次の食事前まで積みっぱなし。

決して私の好きな状態じゃない。

片付けというものに気が乗らない。

逃げている。

そんなことを感じながら、昨日の深夜に目が覚めて、見つけたこと。



私は自分の人生を、両親のしたことの後片付けだと感じていた。

いつから芽生えた気持ちなのかわからないけど、あった。

私はあんたたちの後始末のために生きてるんじゃない!!

散らかされた部屋も、洗われるのを待っている食器も、いつも山積みになっている洗濯物も。

全て、私の人生と同じ。

彼らの欲求の結果として作り出された命。

そんなふうに捉えている自分がいた。

そしてそれを封印した私。

人の子として思ってはならない感情として封印した私。



私に会いたかったからだって、信じたかった。

私のことを好きなんだって信じたかった。

でも私には全くそうは感じられなかった。

子供が好きだから子供が欲しかったんじゃなく、子供が必要だから子供を作ったんだとしか思えなかった。

絶望しても絶望しても、忘れ去って信じた。

信じるために、確かめることを諦めた。



私は、ただの結果。

作られてしまった以上、生きねばならない人生。

そこにいなければならない命。

あの両親の子供に産まれた者としての後始末の人生。

そんなふうに自分を捉えていた私がいた。

そんな結果でしかない自分が嫌いだった。

ひねくれもののひねくれた者の見方として、表に出さずに封じ込めた私の人生観。



そう感じていたんだもの。

そう感じるくらい辛かったんだもの。

そう思ったっていいじゃない。

愛されてるなんて感じられなかったんだもの。

嫌いな物をプレゼントされても喜べない。

押しつけを愛情と言われても満たされない。

それでいいんだ。

私はそう感じた。

信じたいことと現実に感じたことは全く反対のことだった。

それをちゃんと感じていた。

それはそれで、いいんだ。



でもね。

私の人生は、後始末なんかじゃない。

生まれたそのときから、私の命は私のもの。

誰のためでもなく、私のために生きよう。

私にとっての私を生きよう。

私のことは、私自身で愛していったらいい。

もう私は、私の命を嫌いじゃないよ。大好きになったよ。

あの人たちは放っておいたらいい。

後始末は自分たちでしてもらおう。

二人とももう大人なんだからね。

posted by 蝉ころん at 11:29| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

子供への嫉妬

嫌だなあ。

子供たちと関わるのが、今、すごく嫌。

生理前なのもあるかもしれない。

でもそれだけじゃなくて。

今、「子供と関わるのが嫌な自分」を認めるときに来てるんだと思う。

だからといってもちろん放り出すわけでなく。

子供との関わりを保ったまま、「子供と関わるのが嫌な気持ち」を、消化していく時期なんだと思う。

もともと、子供の頃から子供が嫌いだった私。

重ねてる部分ももちろん、ある。

それだけじゃなくて、嫉妬。

「平等に扱え」欲求が強い。

これは、直接子供に向かっている感情じゃなくて、子供に関わっている親や学校、社会全体に対する怒り。

それがねじ曲がって向かっている。

なぜ、私に許されない行為、権利、私なら罰せられるようなことを、あの子供は堂々と許されるんだ?

なぜ、誰も罰しない?

おかしいじゃないか。

なんで罰を与えないんだ!

なんで許されるんだ!

憎い。

許せない。

許さない。

これはたぶん、兄に対する怒りか。

私より先に生まれ、まだ小さかった兄は、私が必要とする母の助けをことごとく奪った。

母の視線も、母との会話も、母の膝も、母と遊ぶ機会も、おもちゃも、期待も、母に反抗することさえも。

私は兄がこんなにも嫌いだった。

私に許されない権利を全て手にしていた兄。

嫉妬をずっと持っていた。

ちくしょう。

お前ばっかり。

先に生まれたからって、男だからって、何がそんなに偉いんだ!

私だってできる!

お前が出来ることなら私だって出来るんだ!

お前だけが偉いんじゃない!

なんで私だけダメなんだ!

なんでお前はいいんだ!

おかしいじゃないか!

許せない!

なんでもかんでも、私の前で見せびらかしやがって!!!

そんなに私が羨ましがるのが面白いのか!

悪趣味!変態!性悪!

お前なんか嫌いだ!

大っ嫌いだ!

どっかいってしまえ!

お前さえいなければ・・・!

いなかったらよかったのに!





私は同じようなことを兄に直接言われたことがある。

兄は兄で私に対してコンプレックスを持っていたのは薄々知っていた。

でも、言葉にできただけ、兄の方が良かったんだろうか。

親に対しても、反抗心を表せただけ、兄の方が良かったんだろうか。

私はどっちも今頃やっとだ。

やっぱり私は兄が羨ましい。



私の子供たちのことも、羨ましい。

羨ましがっている私がいつもいてる。

私は多分、色々なことを後悔もしている。

後悔したくないと思って生きてきたから、後悔していないことにしていただけだ。

私は過去に、未練たらたらだ。

たぶんこれも私らしいことなんだ。

そんな私でいいじゃないか。

羨ましいことは羨ましいといいながら、未練があるなら時々振り向きながら、それから前を見たっていいじゃないか。

posted by 蝉ころん at 18:43| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月01日

浸食

部屋がとっても散らかっている。

私のものじゃなく、子供たちのものが散乱している。

だんだん、私のスペースがなくなってきた。

ちょっと前から気付いていたけど、これは実家での状態の再現だ。

気に障るたび、掘り起こして書いて、怒りとか悲しみとかを出してきたけど、まだ残っていたらしくて、昨晩は、ちょっと行動に現れた。

私のスペースに置かれた子供たちのものを、乱雑にバサッ、ドサッ、ガシャッと音を立ててどかす。

やりながら、ああ、これは、実家で本当にしたかったことだな、と思った。

そのあと、また子供たちが寝付いた布団の中で、続きに思いを巡らせた。

中学生頃から私はずっと実家では片付け役だった。

私のスペースに物が置かれていても、私はそれを丁寧に、適切な場所に片付けた。

何度私の場所を占領されても、粘り強く片付けた。文句も言わずに片付けた。

言っても誰の心にも響かず、何かの騒動を引き起こす不快のタネになるだけなのを知っていたから。

その頃には既に体も大きく声も大きく、既に私では太刀打ちできない力を持っていた兄に対しても、私はどこかで恐怖心を感じていた。

兄は既に思春期に突入し、反抗心とともに怒りを親にぶつけるようになっていて、私に向けられたことのないその怒りに対して、恐怖を感じていた。

私は怖かった。あの家庭に存在するのが怖かった。

なるべく主張せず、目立たず、それでいて、受け入れられたい気持ちもあり、ただひたすら私の存在場所を、自分で空けた。

私の場所をくれない家族に怒りを感じつつ、どうかここに入れてくれ、と思っていた。



夜、夢を見た。

実家で、あの、むかし暮らしていた、物が散乱したあの部屋で、私は両親と兄に、散らかった物をぶつけまくっていた。

直接顔に向かって、怒りを叫びながら、私の場所を埋め尽くす物を次から次から拾っては投げていた。

お前が片付けろよ!

お前の物じゃないか!

捨てたら怒るくせに、私の場所に置くな!

そんなに私にいてほしくないのか!

それなら殺せば良かったじゃないか!

私がいらないんだったら、産まなきゃ良かったじゃないか!

この家に私の居場所なんか、どこにもないじゃないか!

私なんかどこにもいないじゃないか!



相手の顔も見ず、声も聞かず、必死で叫び続けていた。

私はまだ怖がっていた。

夢の中でさえ、私はまだ怖がっていた。

あそこで自己主張するということは、それだけの覚悟がいること。

仕方ない。私はまだ彼らのターゲッティングから外れてはいないんだろうから。

怖いものは怖くていい。

私は、父が、力に訴える可能性のある人だと知ってしまっているから。

怖いものは怖いんだ。

夢の中ででも怒りを表明できたのは、やっぱりすごいことだ。

よくやった、私。

posted by 蝉ころん at 20:42| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

手を出せない状況で

ひかるの行動。

だらだらとしていたのに、私が家事をしだすと急に勉強し出す。

いや、宿題終わってないんだから勉強よりまず宿題でしょ?とか思いつつモヤモヤ。

なぜそこで宿題じゃないんだ。

いやいや、これはひかるの問題。

ものすごーく試されてる感がする。

ひかるはただちょっと私がいてるのが嬉しいんだ。

だからちょっとイイ事してみたいんだけど宿題はしたくないんだ。

んで、私はそういう感じがモヤモヤっとするんだ。

モヤモヤなので掘る。



なんで今頃するのかなー?たくさん時間あったよね。

私が見てない時間もできたよね。

ね。

お母さん。

いつもいつも、私が姿を現すと「あ、もうこんな時間」って、始めるんだよね。

で、私はそこで待ってないといけなかった。

その頃は、叱られるわけでもなし、ただちょっと何もできない時間を使わされるのがビミョーだったけど、お母さんはそういう人だから仕方ないなーって思って付き合ってた。

あれって、「時間の感覚がない人」じゃなかったんだね。

見てて欲しかったんだね。

私の事を見てもいない人がね。

自分の方を見てて欲しかったんだね。

私は、お母さんの存在を確認する目だったんだね。

そして私は、小さな怒りを持ってた。

それくらい自分で管理して。

すぐそばにある時計くらい見て。

しなきゃいけないことを先にするくらいわかって。

私が言わないでも、声をかけないでも、やるって言ったんだから、やって。

やらないならやらないで、言ってくれればそれはそれでいいんだから。

手を出させないくせに、自分からはやらないって、そういうのやめて。

あなたがやらないなら、私は私の事は自分でするんだから、手放して。

他の人にも自分たちでさせればいい。

あなたがしないなら、どいて。



そうだ。

いつも、私がしびれを切らして自分でしようと思って動き出すと、母も動いた。

取り上げられまいとしているみたいに。

そして私は手を引っ込める。

していいのか、悪いのか、しなきゃいけないのか、しないほうがいいのか、何もはっきりしない。

「やるよ」と言っても「いいのいいの」とか言うくせに、自分からは動かない。

そんなのがずっと気持ち悪かった。

どうしようもなくなってから、追いつめられてから、でもさせてもらえない。

さらに時間が過ぎる。

自分でしようとした事を、母にされて、感謝しなければならない。

ビミョーな気持ち悪さ。



こんなことにも怒りを持っていた。

どけよ!

もういいよ!

好きなようにさせろよ!

やりたいんなら、もっと、さっさと、こっちの限界がくる前に、やっとけよ!

させないくせに!

早めに言ってもしないくせに!

あんたがいなきゃ進まない仕組みをいつまで続ける気だ?

あんたの存在価値のためにどこまで不自由させられるんだ?

なんでそんなことであんたの存在価値を認めなきゃいけないんだ?

そんなことで陣取りしてなくたって、あんたはあんたなんだから、お母さんはお母さんなんだから、手放してよ!どいてよ!



こっちはいつもイライラしていた。

いつになるんだ。

本当にやるのか。

間に合うのか。

また忘れてるんじゃないか。

そろそろヤバい。

どっちなんだよ。

はっきりしろよ!

パフォーマンスみたいなものだった。

いつもギリギリ。ギリギリになって、バタバタなんとか間に合わす。

あー間に合った、よかったね。

よくねーよ!!

もっと早く終わってただろ!

すごい消耗した。疲れた。

何も手出し出来ない、自分で解決出来ない、ただ見てるだけの辛さ。

それで全部結果は自分に跳ね返ってくる辛さ。

「だってお母さんが」

なんて通用しない。

「自分でやればいいじゃん」

ってことだ。

やろうとしたさ!

でもさせてもらえない、する機会が与えられない辛さ。

いつでも母は陣取りしてる。

母しか使えない状態にしてある。

やりかけの洗濯、食器が積んである台所、雑誌やらで埋め尽くされたテーブル・・・

しかも母のやり方しか受け付けない。

必ず母に聞かなければいけない。

聞くと「私がやるから」と返ってくる。

聞かずに手を付けるとあとで必ず文句を言われる。



地味だけど辛かった。

ビミョーに気持ち悪かった。

歯がゆい、居場所ない、やんわりとした違和感。



どうしたいんだよ!

何がしたいんだよ!

はっきりしろよ!

確かにひかるに向けたくなってる、こんな言葉、全部母へだ。



嫌だったんだよ。

どうなるのかわからない感じ。

不安をずっと持ったまま待ってなきゃならない感じ。

自分で解消出来ることをさせてもらえない。

ただ母の出方を伺っていなければいけない状況。

モヤモヤしながら、イライラしながら、待つしかない不甲斐なさ。

解決したい!

スッキリしたい!

さっさと終わらせて安心したい!

こんな状況に耐え続けなきゃいけないのは嫌だ!

これは一体なんのためなんだよ!

その変なこだわりをさっさと手放せよ!





私が解決したかった私の問題。

解決させてほしかった気持ち。

母が私の問題を私に返してくれなかったことへの苛立ち。

を、ひかるに向けてる。

ひかるが持ってるひかるの問題を、取り上げられた私の問題とダブらせてる。

ってこと。

だな。

posted by 蝉ころん at 14:31| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

怒りきること

許せなかった。

ずっと。

謝られても許せなかった。

わかってないのに謝るな!

伝わってない。私が怒っているわけは伝わってない。

ちゃんと聞け!

最後まで聞け!

面倒くさいからって適当に謝って終わらせようとすんな!

理解してないのに謝れるわけがないじゃないか。

こっちが、ちゃんと説明できてないのに伝わってるわけがないじゃないか。

私は最後まで吐き出したい。

全部出し切りたい。

気持ちをちゃんと伝え切りたい。



でも。

どう伝えたらいいの?

どう言ったら表現できるの?

この感情は、この怒りは、いったいなんなの?

私がわかんないのに伝えられるはずない。

表現できてるはずない。

簡単にわかったなんて言うな。

わかってるはずない。

私がちゃんと言えるまで、表現できるまで、出し切らせて。

勝手に終わらせないで。

まだ、まだ、たくさん残ってる。

残ってるのに。

解決よりも大事なこと。

表現したいのに。

posted by 蝉ころん at 21:16| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

感じたまま

「あんたのせいだ」

私はそう言いたかった。

それをただ認めてもらいたかった。

私の話も聞いてもらえないで、私の気持ちもわかってもらえないで、ただただ言いなりにさせられて。

それで私が傷ついたり泣いたり怒ったりしてもただの私のわがままになって。

あんたたちのせいだよ!

あんたたちが私を傷つけたんだよ!

あんたたちが私を不幸にしたんだよ!



認めろよ!

私がじゃないよ!あんたたちだよ!

私の意思を奪って、感じ方を否定して、それで泣くこともダメなんて。

私はなんなんだよ!

おもちゃじゃないんだ。

人形じゃないんだ。

私は私の意思で、私の感情に従って、私の行動を決めて、私の感じ方で感じる、私の私なんだよ。



あんたたちの代わりの人形じゃない。

あんたたちができなかったことを代わりに体験するための道具じゃない。

本当の私を消し去ろうとするのはやめろ!

自分たちの望む私に作り替えようとするのはやめろ!

本当の私を悪いもの扱いするのはやめろ!

そんなことで私は幸せにならない。

本当の私が幸せに感じることでなきゃ私は幸せにはならない。

あんたたちが掴みたかった幸せは、私を幸せにはしない。

あんたたちは道じゃない。



私の幸せは私が探す。私が叶える。

そのための道も、私が選ぶ。




私は幸せにしてくれる人を探してたんじゃなかった。

一緒にいて幸せになれる人を探してたんじゃなかった。

私の不幸の責任を認めてくれる人を探していた。

親が認めてくれなかったことを認めてくれる人を。

だから、不幸なままの私を受け入れられる人でなければならなかった。

私が幸せになろうとすることを見守れる人でなければいけなかった。



お母さんの代わりはいないの。

お母さんに認めてもらえなかったことは、間違ってることじゃないけど、他の人には背負えないことなの。

辛かったよね。

嬉しくないことを喜ばなければいけないって。

喜べないことを、素直じゃないって言われて。

ひねくれた子って。

私は私でいい。

私が嬉しいことを嬉しいって感じていいし、つまんないことはつまくていいし。

おいしいものはおいしくていいし、まずいものはまずくていい。

好きなことは好きだし、嫌いなことは嫌い。

それは、悪いことじゃない。ひねくれたことじゃない。

素直なこと。

素晴らしいこと。

私の感じるままを表現していい。

それはとっても素敵なこと。



ありのままに感じたことを、ただ、そうなんだね、って聞いてほしい。受け止めてほしい。

それがまず、私の求めていた幸せってやつ。

それもまた私の気持ち。

posted by 蝉ころん at 11:03| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

大人のともだち

子供の頃、近所の大人とよく仲良くなった。

私と仲良くなるような人はのんびり私の話を聞ける人なので、今考えてみれば昼日中に時間のある、正体不明の怪しい人が多かった。

そういう人と遊んでいると、それは当然、親は心配する。

そんな、よく知らない人と遊んじゃダメ。なにをされるかわかんないよ!

結構何回も遊んだあとだったからあまり納得はいかなかったけど、しぶしぶ受け入れた。

変わらず声をかけてくれる、何も悪いことをしていない相手に対して、冷たい態度をとることに罪悪感を持ったことを覚えている。




そのうち、近所の隠居してるおじいさんとか、素性のはっきりした人と仲良くなるようになった。

仲良くなってよく話をするようになると、母がどこからか情報を仕入れてきて、禁止する。

邪魔になるから話しかけちゃダメでしょ。

相手が怪しい人でなくても、そんなふうに言われておしまい。



なんですぐに取り上げるの?

私が見つけた私の友達なんだよ。

大人だってなんだって、私は友達と思ってた。

だって私を対等に扱ってくれたから。

でも、すぐお母さんが大人の事情を持ち込んできて、私は子供だからダメなんだって現実を突きつけられたんだ。

私に悪いことをしてくる人かどうかの判断もさせてもらえないんだって。

悪いことをしてこない人とでも仲良くなっちゃダメなんだって。




喜んでいるように見えても、私が子供だから喜んでいるようにしてくれているだけ。

真剣に話を聞いてくれているようでも、子供相手だから邪険にしないでくれているだけ。

本当は、邪魔だと、早く帰ってくれないかと思われている。




いやいや。

これって、母がそうなんでしょ。

近所で延々と長話した挙げ句、「全くあの人は話が長いんだから」とか。

「平気で子供の相手させて」とか。

言ってた。

押し付けられてただけだ。

私が邪険にされてたなんて、その人にしかわかんないじゃない。

だって私には、私と話している人たちは嬉しそうに見えたよ。

私を話すことを楽しみにしてくれているように見えたよ。

私と会えたことを喜んでくれているように感じたよ。

それは本当にいけないことだったの?

だってそれは私にとっても、すごくすごく大切なことだった。必要なことだった。

でも自分不信に変わった。



私と話したいと思ってるわけじゃない。

無理して相手してくれているだけ。

邪魔になっちゃいけない。

誰かに見られてもいけない。

そうやって自分から距離を置くようになった。

くそー。



みんな、私のこと好きだったよ!

本当に喜んでたよ!

孫に会えない埋め合わせだろうが、話し相手のいない寂しさだろうが、私に会えることを楽しみにしててくれてたよ!

毎日顔会わせてもほとんど時間がないあんたより、よっぽど話を聞いてくれたよ!

せめてそんなことくらい、自由にさせてほしかった。

そんなところにまで手を伸ばしてきて欲しくなかった。



それに、私にとっては、仲のいい大人というのはセーフティネットでもあった。

外に出ているといつどこでいじめに合うかわからなかった当時、近所にそういう大人がいてくれる安心感は大きかった。

でも私が仲のいい大人と話をしているということは、近所の人の目に留まり、母に伝わり、禁止される。

私がいじめられていても大人は誰も気にしないのに、私が大人と話しているとやめさせられる。

私は、いじめられっこから抜け出す手だてを塞がれた。

私が地域に自分の存在できる場所を作ることを阻止された。




自分の外聞が悪いからだけじゃん。

そんなの気にするんなら自分が私の話し相手になってればいいじゃん。

自分が軽く見ているような相手と長話や長電話ばっかりしてないでさ!




私から避ける必要なんてなかった。

もっと素直に受け取っててよかった。

笑顔の人の裏の感情なんて見えないものを予測する必要なんてなかった。

笑ってたら嬉しいんだでよかった。

楽しそうなら楽しいんだでよかった。

私がそう感じたんなら、私のことを対等に扱ってくれていると信じてよかった。

その人本人が嫌というまで、その人本人から避けられるまで、私は好かれているって信じててよかった。

それでよかったんだ。

posted by 蝉ころん at 00:46| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

弱音

辛い、しんどい、疲れた、嫌だ、無理だ、できない、苦しい、やめたい

いつからだろう、弱音を吐けなくなったのは。

弱音を吐いても、それくらいで、と返される。他の人はもっと頑張ってるのに、と言われる。

「お母さんなんかもっとしんどい」
「お父さんは辛くても頑張ってる」
「みんな嫌だけどちゃんとやってる」

他の人なんかどうでもよかった。

私がしんどかったんだ。

私がもう無理だったんだよ。



足が折れてしまえば良かったのに。

気を失って倒れてしまえれば良かったのに。

体力なんて全然なかったくせに体だけは頑丈で。

まだできるだろう。まだいけるはず。根性なし。

他の誰もが辛くてしんどくて投げ出すところまで頑張り切らなければ、自分を止めることを許されなかった。




今日、ふいに思い出したのは元夫とのやりとり。

家事をうまくこなせなくなった頃にさんざん元夫に言われたこと。

「これくらい誰でもやってるだろ」
「こんなこともできないやつだと思わなかった」

あのとき、私は本当は大声で叫びだして発狂してしまいたいくらいの気持ちだった。

手当たり次第のものを投げつけて、元夫を消し去ってしまいたいくらいだった。

これもまた、子供の頃からの繰り返しだった。

私が、自分の限界を自分で決めることに自信を持てるように育っていなかったから。

納得しない誰かを納得させるまで休めないなんてことはないんだ。

それは私が決定していいこと。




あなたたちの望んでいる通りには私にはできないんだよ。

他の人ができるからって、私にできるとは限らないんだよ。

私はあなたたちの期待には応えられないんだよ。

お願いだから私を解放して。

私に期待しないで。

ノルマを勝手に積み上げないで。

私がしたいと思わないことばかり増やさないで。

私がしたいことまでしたくないことに変えていかないで。

私にはできないんだってことを、受け入れてください。

私が感じている私の限界を、ちゃんと受け入れてください。

私がやめたいと感じたときに、やめることを禁止しないでください。

あなたたちがそうして生きてきたつもりだからといって、私にまでそのやり方を押し付けないでください。

私の辛さは、私にしかわからない。

これは、過去の私が言いたかったこと。




やめたかったらやめたいって言っていい。やめていい。

またやりたいと思ったらやりたいって言っていい。また始めたらいい。

続けたかったら続けるって言っていい。そして続けたらいい。

違うことが良かったらそれもいい。

私が限界を感じたらそこが限界でいいんだ。

誰とも比べずに弱音を吐いていいんだ。

誰かの許しがなくとも休んでいいんだよ。

posted by 蝉ころん at 10:02| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

妬み

妬みが出てきた。

ほんと、ドロドロ。

元夫が、面接交渉時に義母家族を会わせていたらしくて、その話しを聞いたのがきっかけ。

元夫の兄弟は、かなり成功した実業家で、まだ婚姻関係にあった頃、うちの子達を連れて行くと「あそこに行くと何でも買ってもらえるから、って遊びにきてほしいし」と、高級なものを買い与えるような人だった。

高級レストランに連れて行っては料理に文句を付けたり、お礼をすると言ってはすっぽかしたり、誠意の感じられないお金の使い方をする人で、当時から嫌だなあと感じていた人。

そんな人が子供たちに近付いてきたんだと思うとモヤモヤとして穏やかでない。

そこの子供は、親に対してずっと不信感を持って嫌い嫌いと言っていたけれど、結局親の事業で食べているらしい。



さらなるモヤモヤ。

モヤモヤは黒い感情の現れなんだな。

掘る。



私の子供たちを取り込もうとしてきているように感じていること。

そしてそれをものすごく不快に感じていること。

私がだ。

私は取り入りたかったんだね。

あの、お金に汚い人に。

違うね。私が自分の「取り入りたい」気持ちに気付きたくないから、「金に汚い人」にして、自分から遠ざけようとしていたね。

そして、人をお金で操っているように見える、金を稼ぎだす力を持っているその人を、妬んでいたね。

私はその人の事業に絡むチャンスがあった。

でも、元夫たちのやり取りの中で、そのチャンスはなくなった。

何回もそんなことがあった。

こういう形で手伝ってもらえないか?

ーーーーーーそういう誘いは、全て私じゃなく、元夫が切っていた。元夫自身は元夫の家族とは親密に関わっているのに、私は関わらせてもらえなかった。

私は、彼らの親族でのやり取りの中から、完全に閉め出されていた。

あれは私に権利のある金ではない。

そんなことは知っている。

でも、なぜ、彼らは私だけをここまで閉め出すのか?

私はここでも、仲間に入りたかった。

使える金を持っているあの人が妬ましかった。




そして、その根は、やっぱり実家にあるんだ。

幼い頃は貧乏だった実家。

小学生くらいになると家業が繁盛しだしていた。

でも、家族の暮らしにはあまり影響はなかった。

家業にどんどんつぎ込まれていたことと、父の散財。

家の中で、父だけは自由にお金を使っていた。

母子と父で違う家庭に住んでいるのかと思うほど金銭感覚が違っていた。

欲しいものは父にお願いする。

母に頼んでも、父にお願いしろと言われる。

私は父が死ぬほど嫌いだったが、欲しいものを買ってもらうために父の機嫌を取って下手に出なければいけない。そんな自分がまた嫌いだった。

兄はなぜか、母を説得すれば父には頼まなくても父まで話が通って買ってもらえていた。

私は卑しい人間なんだ。

私のものは母に頼むだけでは買ってもらえない。

嫌いな人間にヘイコラして、自分で自分のプライドを踏みにじらなければ納得してもらえない。

私だけがそれをやらされる。

母にとって私と兄はまったく価値が違うんだ。

母は私を卑しい人間に貶めていた。

私は母に頼んだんだ。

私は母に叶えてもらいたかったんだ。




金を自由にできないからじゃないじゃないか。

兄にはできることをなぜ私にはできないんだ。

なんで私だけ。

なんでいつもいつも私だけ兄と違うのか。

兄が妬ましかった。

生まれながらに実家での特権を持っている兄。

跡取り息子ととして、将来実家での実権を約束されている兄。

2番目に、女として産まれたというだけで、家業の真髄に関わることを拒まれ、父に媚びる役目を回される私。

道化の私。

もう高校生、大学生になってからのことだ。

バイトに出ることを許されず、嫌いな人間から小遣いをもらわなければいけない屈辱。

嫌いな人間に恵んでもらわなければ自分で自由に動くこともできない惨めさ。

そんな人間が家にいて、常にサイフを膨らませている現実。



父方の祖父も金持ちだった。

いとこたちは、祖父の近所に住んでいて、しょっちゅう何か買ってもらっていた。

私たちは遠方に住んでいて、たまたま正月に行くような用事があって、運が良ければ4ケタのお年玉があるかもってくらいだった。

実家まるまる疎外された状態だった。

子供の頃はなんとも思ってないつもりでいたけど、やっぱり妬ましかった。

ファミリーに入っているいとこたちが。

当然の権利として金持ちの恩恵に預かれるいとこたちが。

未だに祖父の遺産の恩恵で暮らしているいとこたち。

私の実家は事業という遺産だけを取った。

私には何も回ってこない。




平等なんかじゃない。

チャンスもなにも平等なんかじゃない。

私にはなにも回ってこないようになっている。

回ってくることになっている人たちが妬ましい。




たぶん私は金持ちの親戚に目を付けられている、子供たちを妬んでいる。

金の力で子供たちを引きつけることができる、彼らを妬んでいる。

私の中の黒い感情。

優等生が押さえつけていた本当の感情。

見たくなかった、あってはいけなかった感情。

本気過ぎて誰にも見せるわけにはいかなかった感情。

かっこつけて、金なんかいらない、自分で稼ぐ、自分で生きて行く宣言をして、何もいらないって顔をしてきた。

心の奥で、本当は思ってた。

「私も欲しい!!!!」

全部これ。

「私だって!!!」

ってこと。

これも私なんだ。




根っこはきっと、ずっとずっと小さい頃にあるんだろう。

妬みも、怒りみたいに間違えた対象に向けているのかな。

posted by 蝉ころん at 09:36| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

積もった怒り

あってはならないと思っている感情を封印しているとき、本当はその感情が発生していても、私には見えていない。

私が尋常じゃない怒りを感じているとき、その奥には、封印された過去の経験の積み重ねがある。

「またそれか!いい加減にしろ!」

という感覚の怒りに思える。

過去、数えきれないほどの回数にわたって繰り返されてきた、同じような行為に対する怒り。

たまたまそのとき目の前にいる人物がした行為が、その人にとって初めてしたことであっても関係なく沸き上がる怒り。

封じている分、芯の部分が見えないまま積もって積もって大きく育った怒り。


「いい加減にしろ!!」


誰に言ってるんだろう。

そのとき目の前にいる相手を通して、運命のようなものに叩き付けているかもしれない。

何度も何度も目の前に現れる、回避しようとしても回避できない問題に対する苛立ち。

仕組まれているようにさえ感じる。

いつまでこんな目に遭わせる気だ!

いつまで私はこんな目に遭い続けなければいけないんだ!!




それは、私が、気付くまで。

私が、自分に眠っている怒りを正当に解き放って、過去の怒りから解放されるまで。

頑にならず、柔らかく、自分を許しつつ、自分の感じ方を受け入れて、自分を取り戻すまで。

それまで、何度でも、封じられたところで密かに働く自分の無意識が仕掛け続けてくる。

まわりの人間を巻き添えにして仕組んでくる。



私はもう、気付くやり方を知った。

次は、いつ、どんなふうに出てきた怒りに対しても、気付いていけるように、身に付けていくこと。

そして1つずつ焦らずに解放していくこと。

私の人生の宿題。

posted by 蝉ころん at 23:35| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

だから言ったじゃん!!

子供相手の怒りだと思っていたことが親相手だとわかると本当にガックリくる。

今日もひかるとひと悶着。

ひかるがよくやる、こちらが先に忠告してるのを聞かずに結果ドツボにはまって泣きわめき、こちらを巻き込んで影響を及ぼしてくる。

影響が出るのが見えるからとはいえ、私がひかるの問題に口を突っ込んでる時点でまずこちらがイケナイのはわかってる。

で、離れて落ち着くと、本当は何も言わずにドツボにはまるのを見守り、はまったところで落ち着いて話しを聞いてあげたりするのがいいんだろうって、考える。

でも私の怒りは消えてないわけで、そのまま受け入れたフリをしても怒りは確実に伝わる。

収まらない怒りは子供へのものではないってことで、向けるべき先を探る。

そうするとやっぱり母なんだよ。




いつもいつも出かけるとわかっていてもギリギリまで準備をしない母。

私ら子供は用意をして待っている。

父もさっさと人に手伝わせて用意を終わらせてイライラと待っている。

それでも用意を始めず、家事ばかり。

家を出ると言っていた時間を過ぎても家事の手を止めない。

「あれもこれも、やっておかないといけないから」

そう言いつつ、言っていたことが全部終わったことなどないくせに。

そしていつも間に合うか間に合わないかのラインギリギリ。または、父のリミットを超える。

リミットを超えて爆発中の父と出かけるとか、切符の買ってある電車に乗るためにみんなで走る、なんてのがいつもだった。



私らは、焦って焦って、靴もはいて玄関で、

「お母さん、早くしてよ、間に合わなくなるよ」

「お皿なんて、帰ってからでも洗えるから、先に用意してよ」

なんて言うんだけど、絶対に聞かない。

そして、私らが割を食ってた。

本当に小さい頃、自分で上手く準備ができないくらいの頃には、私らの準備も言い訳に使われていた。




あと、こちらが約束のつもりでいたお願いのこと。

「××までに○○してね」なんてお願いすると「時間があるときにしておく」と返された。

約束したつもりの刻限に近づいても○○してくれてる気配がないから、確かめる。

「○○してくれた?」「わかってるから何度も言わないで」

「○○してくれた?」「わかってるってば、あんたはしつこいね」

しつこいとまで言われたら私も黙る。

結局、刻限になって、「○○は?」と言うと忘れていて、慌ててなんとか用意する、そんなことばかりだった。

いつも母が絡むとギリギリセーフか間に合わないか。

私が確認を忘れると用意ができずに対外的には私の失点になった。

私のせいじゃないじゃん!

何度も言ってるじゃん!




朝寝坊もよくした。

まず食事が遅かったし、真夜中に父や兄の怒鳴り声が聞こえて眠れないことはしょっちゅうだった。

それでも遅刻したら私の失点だ。

毎回先生に呼び出されて、「寝坊しました」「もっと早く寝なさい」わかってるよそのくらい!

私の努力で解決できるなら遅刻なんてしてないんだ!




こんな怒りを、親にぶつけたことはなかった。

バカバカしい。言ってもムダ。どうせ私とか他の誰かに責任をかぶせて、うやむやにされるだけ。

私自身の落ち度でできなかったときに倍返しされるだけ。

「あんたがやれって言ったから無理して付き合ってやってるのに、なんであんたがちゃんとしないの」

そんな風に仕返しされるだけ。

私が失敗したとたんに対応を放棄されるだけ。

1回失敗したらやり直しはないんだから、嫌な思いをするだけ損。

そうやって諦めて、そして、それはそれで自分自身への言い訳に利用してきた。

仕方ない、親がこんなだし。

先生が環境を用意してくれるわけじゃなし、この環境で無理しても仕方ない。やるだけムダ。

いつか家を飛び出してから頑張ればいいや。

そうして自分の前向きな気持ちもつぶした。自分でつぶした。




あなたの問題に巻き込まないで。

あなたの問題の尻拭いをさせないで。

私の問題に、ちゃんと取り組ませて。

私を手放して。

ああそうか、「親のせいでできない」っていうことも、子供の問題を取り上げていることになるんだ。

子供自身の力で解決することを妨害してるんだ。

自分の問題に辿り着く以前に足止めをして、取り組ませないってこと。

そして、できない子供にしてしまうってこと。

できないでいいって許可を与えてるってこと。

私が私自身の問題に取り組むためには、解決しなければならない親の問題がいつも立ちふさがっていた。

それが当たり前のように、親の問題を解決するのが先と、差し出されていた。

私は放っておかれていると感じていたけど、こんなに干渉を受けていたのか。

そしてそのことにずっと怒りをもっていたのか。




親の問題は親のものだ。

怒りは、親へのものだ。

やり方は、親の刷り込みだ。

やり方は学び直す。

怒りは、親へ返す。

私には、私の問題と自分でぶつかる権利があったんだ。

posted by 蝉ころん at 18:57| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

「あの子」になりたかった

私の怒りは、「同等に扱え!」っていうのが軸にある。

もっと言うと、せめて同等に扱えってこと。

本当は自分を特別扱いしてほしいけど、それは叶わないようだから、せめて、他の人が受けているものと同等の扱いをしてほしいということ。

抑えて抑えて、同等で納得するから、同等まではできるでしょ?

あの人に、あの子にしてあげられるんだから。

私にだってできるじゃない?

できるのにしないのは、私が、あなたにとって与えるのに値しない存在だから。

そういうことじゃない?



私の頑張りは同等に見てもらえる存在になるための頑張りだった。

権利を勝ち取るための戦いだった。

あの子みたいにできたら、褒めてもらえる、可愛がってもらえる、笑ってもらえる。

「あの子」のような自分を演出してた。

家にいるときの「あの子」は兄。

兄ができることはなんでも追い求める。兄ができないことはできなくていい。

片付けもできなくていい。宿題もできなくていい。遅刻もしていい。

学校にいるときの「あの子」は担任がお気に入りの優等生。

活発に発言する。いじめっこにも立ち向かう。勉強もできる。宿題は出さなければいけない。でも家では兄なので宿題はしない。

人がいるところでは体が動くのに、1人だと何もできない。子供の時から。

1人だと、「あの子」がない。

誰も見ていない。

誰かの目を通さないと、あるべき私が見えない。

何をしていいかわからない。する意味も見えない。

私を同等に扱ってくれる何かは何もない。



本を読んだり、テレビを見たりするようになった。

主人公や、人気者の振る舞いを参考にするようになった。

世間というものの「あの子」になろうとした。

こんな人がいいらしい。

こういうことをしたらダメらしい。

こんなことは知っていないと。

こうできないと。

誰にでも通用する完璧な「あの子」を追いかけるようになった。




私って存在していたんだろうか。

この世に私っていたんだろうか。

私を一番感じていなかったのは私なんじゃないか。

でも「ひとと同じに扱ってほしい」って気持ちがあったのはわかった。

その後の怒りのなかに、この気持ちから出ているものがすごく多いことも見えてきた。




なんでそんなこと言われなきゃいけないの!

なんで私が悪いことになるの!

なんで私だけさせてくれないの!

私も!私も!私も!

「私も」って言っている言葉さえ、聞いてはもらえなかった。

私が不平等に扱われていると感じていることを、誰もわかってくれなかった。

私の気持ちを尊重してくれる人はいなかった。

尊重される立場に立ちたかった。

そこで、聞いてもらいたかった。

いつか爆発させるつもりの爆弾を大切に大切にしまいこんで、「あの子」を追求した。

自分で取り込んで、自分で制限をかけ続けた。

叶わないのは、私が「あの子」じゃないから。

「あの子」なら、叶うはず。

希望でもあり、絶望でもあった理想の「あの子」

いつか、「あの子」になって権利を手にしてやる。見てろ。




誰かがいると頑張ってしまう。無意識にやってしまう。

まだ残ってる「あの子」。ぽいしよう。

それはまぼろし。

まぼろしを追っても、何も得られないね。

「私」を見失うだけだったね。

頑張らないで。

「私」を思い出そう。
posted by 蝉ころん at 21:56| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

糧としての怒り

私を動かしてきたエネルギーはどうやら怒りだったらしい。

目標も、目的も、怒りによって作られてきた。

ちくしょう、なにくそ、負けるもんか。

あんなやつにやられっぱなしでいられるか。

いつか見返してやる。

いつか認めさせてやる。

見てろ。

いつか叩きのめしてやる。

いつか勝ち誇ってやる。




ずっとこんな気持ちを利用して、挫けそうな心を奮い立たせていた。

動けない体を燃やすようにして動かしてた。

私は全く幸せに向かってなかった。

打ち負かすこと。

認められること。

成功すること。

そして最後には立場を逆転させてやる。

そんなことに向かっていた。

復讐の欲求で動いていた。




最近は本当に子供に向けている感情が全部親へのものだってわかるようになってきた。

そしてその怒りを手放したくない気持ち。

私のエネルギーだったから。

怒りがそこにあれば体は動いた。

しなければいけないことをやりこなす力が出た。

馬鹿にすんな、これくらい、意地でもやってやる!

そんな思い。

怒りが沸けば、爆発的に力が出た。

でも逆に、していいこと、好きにできる時間、そんなときには何もできなかった。

好きなはずのことにも気持ちは向かなかった。

ただぼーっと誰もいないところで目を閉じて、そのままなくなってしまいたかった。

それか、ただ時間をやり過ごせる単調作業に没頭した。




怒りを感じられるときには私は未来を感じられた。

いつかきっとって。

怒りのないときの私は私を捨てていた。

感覚を捨てて無になってた。

早く消えてしまいたいって。

当時の私にとって怒りを捨てた現実には希望なんてなかった。

怒りだけが希望だった。

大きくなっても、大人になっても、怒りはずっとすぐそばにあった。

もうそんな環境でなくなってもずっと怒りを抱えていた。

他人に向けるにしろ、自分に向けるにしろ、それはずっと私を動かすエネルギーだった。




私は怒りを感じていたい。

私自身のパワーを感じていたい。

体温がカーッと上がって力がみなぎる感じを味わっていたい。

「できる自分」を捨てたくない。




でもやっぱりこれは違うんだ。

こんな、ドーピングみたいな、麻薬みたいな、自分まで壊してしまうようなエネルギーはやっぱり違うんだ。

怒ってもいいけど、悲しんでもいいけど、それにしがみつくことで自分を確認するようなことはしなくていいはず。




あのころはそれが必要だった。

自分以上の力を出して乗り切らなければ潰れてしまう状況だった。

もう戦場じゃない。

自分を壊してまで自分を大きくしなくていい。

私はそんなに大きい人間じゃない。

ちっぽけな私。

とってもちっぽけな私。

でも私は私を受け入れられる。

本当の、ちっぽけな私を愛してる。

posted by 蝉ころん at 16:57| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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