2012年04月15日

要求の強い子

ひさしぶりにころんちゃん登場した。

のぞむとテレビ権争いして。
私が番組を見てたところへ、ビデオが見たいから替わって、と言ってきた。
「お母さんこの番組見たいんだよ。だから嫌だよ」
と返す。
「のぞむも見たいんだもん。おーねーがい」
ときた。もう少し頑張って
「お母さん一週間でこの時間しかテレビ見てないんだからこの時間くらい好きに見させてよ」
と言ってみる。
「どーーーしても見たいの。お願い!お願い」
悪気もなく、ただ見たいだけ。
こういうストレートな言い分に弱い私。
結局譲った。不機嫌になりながら。


別にそんなにどーしても見たいって番組じゃなかった。ただ、ちょっと面白そうだなって、それくらい。
もともとテレビは付いてるとなんとなく面白そうな気がして見てしまうけど、どうしても見たいのはそんなにないから、いつもあんまり見ないようにしている。ただ私の好きな1番組だけはリアルタイムで見ることにしていて、その時間は「お母さんがテレビを使う時間」になっている。今日は好きな番組がやってなかったから、違うのを見ていたら、のぞむは見慣れていない番組が面白くなくて好きなのが見たくなったらしい。


それで、私が不機嫌になったのは、見たい番組が見れないから、じゃない。
私も見たいんだ、と言っているのに、私が見ていいはずの時間なのに、悪びれず横取りしようとしてきたから。そして、あまりにも無邪気なその行動で、ブラックボックスに突入したらしい。
すっかり子供に戻って対等な気分で腹が立ってた。


子供の頃、私を嫌な目に合ったとき、こういうタイプがいたんだ。

悪びれず、かわいく、でも実はずうずうしいことを当然のように頼んでくる子。しかもしつこい。私が嫌がって拒否し続けると、相手の方がいじめられてるみたいな雰囲気になってきて、だんだん、私が悪いことをしているようになってしまう。

まわりにいてる大人などは、相手の子が泣き出したりしてから事態に気付いて、「そんなに嫌がらなくてもいいでしょ、やってあげなさい」とか、状況も知らずに簡単に言う。さらに嫌がっていると「意地の悪い子だ」なんて言われたりする。

そんな大人が周りにいなかったとしても、相手の子自身が周りに「ころんちゃんがひどいの」などと言って回るので、後日「○○ちゃんに意地悪したんだって、なんでそんなひどいことするの?」なんて言われたりする。私はそんなことを人に言ったりもしないし、元々言えるような友達もいないので、味方はいない。説明しても、「嘘ばっかり」とか言われてしまう。


のぞむにその子を見ていた。

私は、そういう子に対しては、実はそんなに強い怒りは持っていない。
そういう子は、ただ自分の我がままを言いたいように言ってるだけってわかっていたから。ただ私が要求を受け入れなければそれでいいと思っていたから。

怒りはやっぱり、まわりの人間に向いている。公平でない、一方的に相手の言い分だけを聞いたり、いつまでも収まらないその子の要求に面倒くさくなって私の当然の権利を放棄させようとする人達。ずうずうしいのはあっちでしょう?あっちの言い分がいいなら、私の言い分だっていいはずでしょう?

人間は、「嫌だ」という方を意地悪だと思うようなところがあるのかもしれない。いつも私が悪者だった。たとえ、みんなに1つずつ配られたクッキーを、私が大事にとっていて、その子は他の子からも何枚ももらってあっという間に食べてしまっていたとしても、それでも私のクッキーまで要求してくるその子の要求の方が、通されるのだ。これは私のだから嫌だ、という私の当然の主張は、協調性のない証拠にされてしまう。たくさんの子からクッキーをもらったその子は、お友達が多くていい子なんだって。
私は実際友達がほとんどいなかったし、私がなにかもめ事の当事者になっていると、相手方に味方が沢山つき、私が悪者になるのが当たり前な雰囲気ができあがるし、大人もそんなものだった。


私はその子に言って欲しかった。

なにをいつまでも言ってるんですか、あなたは自分のクッキーを食べた上に友達の分までもらっておいて、ころんがとっても楽しみにして大事にとっておいたクッキーまで取る気ですか?ころんは嫌だと言っているんだから、もう諦めなさい!

ころんが悪いわけじゃないでしょう!人のせいにするのはやめなさい!

ずうずうしいのはあなたです!

泣きたければ泣いていなさい、先生はそんな行為は許しません!

いいですか、人のものを際限なく欲しがるのは卑しい行為です。そんな行為に対して自分の大切なものまで譲ってしまうのは優しさではなく、愚かな行為です。大切なものを守り通すことも大切なんですよ。


なんてね。

私の判断が間違ってないって、後押ししてほしかったんだなあ。

でも本当は自分で言いたかった。多勢に無勢じゃなくて、対等に、1対1で。周りは本当に第三者でいてほしかった。

え?あげないよ。
あんた自分のもってんでしょ?
あげたくない人のまで自分のものにしようなんてずうずうしいよ。
あげないって言ってるでしょ?
私だって楽しみにしてたんだよ?
あんただけが欲しいんじゃないんだよ?
泣いててもいいけど、私は絶対あげないよ。私だって食べたいもん。

それで断固として跳ね返してやりたかった。

それを、大人が見守っててくれたら、嬉しかった。

でもこういうことがしょっちゅうあったから、泣こうが喚こうが、嘘付こうが、嫌がらせしようが、マナーもルールも破っても、結局味方を集められる人間が得をするんだな、って、学んじゃったな。

で、そこまでを予測して、要求の強い相手には渋々譲るようになった。悪評を避けるために。だから私の恨みは悪評に向いてる。ジャッジして私に悪者のレッテルを貼る外野の人達に向いてる。

のぞむに対して、上手く表現できない感情の正体。


のぞむはまだ、成長中だし、意欲が強いのはいいことではあるから、周りの人との兼ね合いを学んでいってくれればいいなあ、と思う。

次こういうときは私はどう表現しようかな。
posted by 蝉ころん at 22:43| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月28日

攻撃的な非難

突然見知らぬ人からメールが届いた。

とても攻撃的に私の落ち度を一方的に責め立ててくる内容だった。

SNSの一種で登録してあるアドレスに送信されてくるようになってるもので、直接のやりとりがあったわけではない、すれ違っただけの関係なはず。

こういうことがあると、精神状態が一気に崩れる。

子供を相手にしているときにハラッサーへ切り替わるのと逆の反応、被害者思考に陥る時のパターン。

たぶん、相手のしてることは子供のしていることと自動思考的には同じはず。

視点の固定された捉え方で、相手の考えも理解しないまま自分の不満を自分が背負えないためにくる全押しつけ。

やっぱり私も相手によって態度を変えているってことだ。たぶん、家族と、他人の違い。

家族には、それなりに自分の言いたいことを言っていたんだな。聞いてはもらえなかったけど言ってはいたんだな。

他人・・・同じコミュニティに属する他人からの攻撃には反撃しても逆効果と学習してしまった。後で倍返しでいじめられるとか、学級会でさらし者とか・・・・で、攻撃を感じたとたんに思考停止(本当は停止じゃなくて、答えが見つからない状態に感じる)して、萎縮してしまう。



そういえば最近はハラッサーころんの道しるべ作りは頑張ってきたけど、被害者ころんはほったらかしだった。

こっちのパターンも救ってみる。

まずこういう人物はこっちの言い分は絶対聞かない。何を言っても無駄。

自分の感じている世界が常識だと思い込んでいて、それを盾に脅してくる。

昔はいちいちこれに対抗していたんだ。親兄弟にぶつけるように。

親兄弟は話は聞かないまでも、その後いつまでも続くような報復措置はなかったから、それはそれで私の身に付いていたんだ。言葉にするのは私の力になるから。

でも、それはこの差出人のような人には通じない。

こちらが反論したり主張すればするほど、よりエスカレートしていくし、じゃあ相手の話を聞けばいいかというと、それも違って、もっと主張を強めてきたり、さらに長引く結果になる。

相手に対して、よかれと思って何をしてアプローチしても、全て逆効果に終わって、こちらの責められる立場が強化されていくだけ。

なぜか。

それは、相手にとってそれがプラスだから。

威嚇してきたとき、私が反撃したり、話を聞いたりすれは、それは相手にとってもっと怒れるということであって、プラスになる。

プラスの経験は、その行動を強化する。いいこととして学習する。

もっとしてくるようになる。

ハラッサーへの道まっしぐら。



つまりは放っておけばいいだけのことなんだけど、それが私にはすごく怖かった。

放っておく
 →なんで無視するんだ、と余計に責められる
 →コミュニティ内で人を無視する変な人ってレッテルがつく
 →孤立
 →何かあったとき、全員から攻撃される

っていうところまで、ブラックボックスで予期している、らしい。で、回答が見つからず、ボックス内で回転を続ける・・・

確かにそういう経験はあった。

とにかく、小学校在学中に、そういう経験が何回もあった。

小学校の経験から、私はコミュニティが怖く、人が怖くなった。少し仲良くなれた気がしていても、いつ私を責め立てる方に回るかわからない。信じられない。攻撃から逃れる術がない。もし冤罪を受け入れて謝ったとしても、それはさらなる攻撃の口実を与えるだけにしかならないと学んだから。

一度コミュニティでそういう立場に置かれると、そのコミュニティで立場を挽回することはできないと学んだから。



怖かったんだった。もちろん最初は嫌だったんだけど、嫌な経験が重なり続けたおかげで、嫌なことが起こる予感に恐怖が先にくるようになった。

それでも学校生活を続けるためには、その場にいなければいけなかった。

唯一状況を変える力をもっているはずの、上の立場の人物、つまり教師も、はみ出しっ子がいることに迷惑している様子で私を面倒者扱いだった。

逃げ場はないと感じていた。それが余計に怖かった。



怖かった。

こういう子、思い込みの言いがかりで世間・常識を味方につけて攻撃してくる人物が、私は怖かった。

こういう子の話を聞いて、簡単に味方になって私を責める方に回る、人間ってものが怖かった。

こういう子が攻撃を始めると、全体が一緒に攻撃を始めるコミュニティが怖かった。

誰か助けて。私の話を聞いて。そんなつもりじゃなかったのに。なんでこんなことになってしまうのか全然わからない。

私は悪いことをしようなんて思ってない。悪いことなんてしてなかったはずだ。

忘れ物をする子は悪い子だから私が悪いことをしたはずなんですか?

なんで誰も私の話を聞いてくれないの?

なんで先生まで私の話を聞いてくれないの?

なんで先生はあんな学級会なんてまだ人間として出来上がってもいない未熟な子供がつるし上げで出した結論をよしとして1人の子供に罪を押し付けるのを黙って見てるの?

子供たちが多数決で方針を決める経験をさせるためには1人の子供の冤罪なんてどうでもいいの?

人間の世界ってそんな世界なの?

・・・・そんな世界なんだ、と学習した。

私はそう学習して、世界にある意味絶望した。

そして怖がりの私を閉じ込めた。



大人になってハラスメント被害を受けたことで、ブラックボックスが強化されてしまった。

まだいた。怖がりの私。

大丈夫。

あんなのは、ただの言いがかり。放っておけばいい。

具体的に責められると自分がいけなかったように感じるけど、あれはただのいいがかり。

あなたのしたことは悪いことじゃない。

ただあの人が気に入らなかっただけ。それを伝える方法を工夫する努力をせず、ただ怒りをぶつけてきた無礼な人ってだけ。

あの人の目的は、不快の解決じゃなくて、ただ怒りをぶつけたいだけ。

だから、関わりたくないと感じている、そのままに行動すればいい。

大丈夫。怖くない。

怖いけど、大丈夫。
posted by 蝉ころん at 22:28| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月21日

原発のこと

福島原発の状況はまだまだ余談を許さない状態で、ニュースを見る度どきどきする。

前回原発の対応のことを書いたあとも、やっぱりいろんな思いがぐるぐるしていて、なにかひっかかる感じがした。

ひっかかった感じを探ってみたら、やっぱり昔の忘れ物が出てきた。



放射能のことについて習ったのはいつのことだったのかは忘れてしまったんだけど、原子炉の仕組みに話が及んで、私は当時、すごく恐怖を感じたんだった。

なんで原爆で被害を受けた日本が、核に大反対しているはずの日本が、そんな危険なものをエネルギー源として使ってるの?

必ず生成されてしまう放射性の廃棄物を埋めるって言うけど、埋めたら放射性がなくなるの?どこに埋めるの?いつまでそれでごまかせるの?

そんなものが大量に出るものが安全だなんて、なんで言えるの?

大人はなんで、そんな後始末に困るようなものを続々と建設させているの?




私は当時、とてもとても怖かった。

でも、誰にも怖いと言えなかった。

私を否定されることの方が怖かったから。

いくじなしだと思われたくなかった。

固いことを言う環境活動家みたいに思われたくなかった。



だから見ないふりをした。

私は今まで、きちんと原発反対の意思を表に出さないまま、ここまできた。

そうしていつの間にか、原発のことなんか意識もしないで無造作に電気を使ってきた。

政府や東京電力の上層部と何が違うのか。

私は私に怒ってる。

なんであんな怖いものをそのまま使って平気なんだって。

あんなものがなければ成り立たない発電量の電気を平気で使うんだって。



私は私の気持ちを大切にしたい。

節電じゃなくて、電気をあまり使わない生活にシフトしていこう。

原発に頼らなくていいために、自分ができること。

私は、原子力発電に反対。
posted by 蝉ころん at 19:39| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

いいなってことだった

ひかるに腹を立てている。

怒りが湧く。

なぜいかないのか。

無意識に気配を消してしまう私。

親への気持ちだとしたら。

なぜいる。

早く出て行け。

仕事じゃないのか。

なんで今日は行かないんだ。

親のいないところでしかのびのび出来なかった。

親がいなくなる時間を今か今かと待っていた。



だめだこれじゃない。違うところを掘ってる。

ここも何かありそうだけど今は違う。




腹が立つ。

いかないなんてありえない。

いかないことが許されるなんてありえない。

ただで済ましたくない。

罰を与えてやりたい。

どうにかして苦しめてやりたい。

思い知らせてやりたい。

学校に行かないで罰を受けないでのうのうとしていられるなんてことがあっていいわけがない。



でなきゃ私のあの日々はなんだったんだ。

違ったなんて。

違ったなんてひどすぎる。

行きたくなかったら行かなくていいなんて。

辛いことがあったら大人が力になってくれるなんて。

辛いと思うことを責められてきたのに。

辛かったらいけなかったのに。

先生は、私が辛いと言ったら、相手の子を軽く叱っておしまいだった。

違うんだと言っても聞いてくれない。

謝ったんだからもういいでしょ。あなたもいつまでもしつこいよ。

そんなふうに言った。

私の方が悪い子になった。

それでも頑張って学校に行った。

行ったのに。

頑張って頑張って頑張って通ったのに。

どれだけ頑張って行っても、私にはマイナスしか付かない。

毎日毎日、学校に行った分だけ私はマイナスをもらってきた。

勉強なんか出来たって、なにもプラスになんかならなかった。

それなのに。

ひかるは、学校に行けなくても、友達がいて。担任からもフォローしてもらえて。親にも叱られないで。

いいな。

私もそんなんがよかった。

私もそんな風に、見守られて、フォローされて、弱音はいて、休んだり、頑張ったりして、辛いことがあっても、慰めてもらったりしながら、やっていきたかった。

いいなあ。ひかる。

私はひかるになりたい。

ひかるの立場だったら、私は毎日楽しく楽しく学校に行ける。

学校に行って笑ってられるなんて。

いいなあ。

そんな学校生活がよかったよ。

そうなんだ。

いいなあって思ってたんだ。

それだけフォローされてるのにって、私が手に入れられなかったものたくさん持ってるのに我がまま言ってって、腹が立ってたんだ。

だから私が学校でもらってきていたマイナスを載せてやりたくなったんだ。同じ以上のひどい目に遭わなきゃ許せないって。

私が欲しかったものをひかるはもってる。

いいな。

うん。

いいなあって思っていいよね。

本当は、それだけでいい。

いいなあって、思っちゃいけないって、思ってたね。

ひとをうらやましがっちゃいけないって思ってたね。

うらやまいよね。

いいんだよ。

いいなあって思ったら、いいなあって言っていいんだよ。




落ち着いたら、聞いてね。

ひかるは、私が持ってなかった苦しみも、持ってるね。

私とは違う種類の苦しみ。

だから、私が欲しかったものを持っていても、辛くて学校に行けない。

学校に行けないだけのものを背負ってる。

私とは違う形で表に出てきてるんだよね。



いいなあって思うね。

私も欲しいって思うよね。

いらないなら替わってって言いたいね。

そうなんだよね。




ころんちゃんはころんちゃん。

ひかるはひかる。

欲しいものも、必要なものも、人それぞれだね。

だから。

必要なら、欲しいなら、手を伸ばそうか。

うらやましがっててもひかるのものはひかるのもの。

ひかるのものを取っても仕方ないし、本当はひかるをいじめたいんじゃないよね。

欲しいものは自分で手に入れてみようか。

敵ばかりじゃないから。

フォローに回ってくれる人たちはいるから。

自分から欲しいって言っていいんだよ。

大丈夫。

大丈夫なんだよ。







言葉って大事なんだな。

何回か探ってて、「羨ましい」って書いてたときは全く繋がらなかったのに「いいな」って言葉が出てきたとたん繋がった。

それでするするほどけて楽になった。

表現力はついたけど 言葉はあくまで当時のものじゃないとダメなんだ。

その時の心にフィットしないと繋がらないんだな。

今日は見つかってよかった。

繋がれてよかった。

諦めないでチャレンジできてよかった。

頑張った。

頑張ったなあ。
posted by 蝉ころん at 19:17| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

子供たちへ

お母さんの頭の中には、鬼が棲んでるの。

今までずっと、檻の中に閉じ込めようとしていたんだけど、それでも檻を突き破って時々暴れてしまうの。

お母さんは、この鬼を、もう閉じ込めないことにしたの。

だって、本当は、鬼なんかじゃない、とっても優しい子だったはずなの。

人の気持ちのわかる、優しい人になれるはずだったのに、ずっと辛い目にあってきて、怖い目にあってきて、怖くて怖くて暴れてしまうの。

閉じ込められるのもすごく怖いの。

だから、閉じ込めようとするお母さんのこともすごく怖がっているの。



もう、怖がらなくていいんだよって教えてあげたい。

あなたは優しい、素晴らしい人だねって笑ってあげたい。

この子と一緒に入れることが嬉しいよって言ってあげたい。

お母さんと一緒にいることを安心できるようになってほしい。

だから、もう、閉じ込めるのはやめるね。



お母さん、ときどき恐くなっちゃうかもしれない。

ごめんね。

あなたたちには、とっても怖いかもしれない。

もとのお母さんには戻れないかもしれない。

でも、この子も、お母さんなんだ。

あなたたちには、嫌われても仕方ないと思う。

でも、お母さんは、この子を嫌わないでいたい。大好きでいたい。

そして、あなたたちのことも、大好きでいたい。

この子にも、あなたたちのことを大好きになってもらいたい。

だから、お母さんは、この子を閉じ込めない。

大好きだよって、大丈夫だよって、怖くなくなるまで、ずっと優しく、抱きしめて、ぎゅって抱きしめていてあげたい。

お母さんを乗っ取られても、それでも、大丈夫だよって言ってあげたいの。

この子がまた笑えるようになるまで、見守ってあげたいんだ。
posted by 蝉ころん at 10:58| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

イライラも私

今日はなかなかイライラが収まらない。

というか、イライラを収めたくない感じが強くて掘り起こしにかかれないまま一日が過ぎてしまった。



発端は昨日、私が行きたいところに子供たちと一緒にでかけたことだと思う。

私自身はそれなりには楽しめたし、子供たちも楽しんではいたけど、フルパワーで遊びすぎて帰り際から2人ともぐずり通しだった。

今日は2人とも疲れが残ったせいもあってか学校に行かず。

さらに、2人が学校に行くための、私の準備が全部パアになったこと。

たぶん私の疲れもあるんだろうけど、いろいろと合わさって、もう何が原因やら、全てが原因なのやら、発作みたいに昔の情景が浮かんでは泣き、また違う状況が浮かんでは泣き。

まともに掘る気にもなれず、この気分から逃げたいと思うまま、現実逃避に浸り続けて1日。

現実逃避から現実に戻っては、イライラがぶりかえし、また逃避して落ち着いては、現実に戻るの繰り返し。

逃避してる間中、自分でも逃げてる自覚を感じつつ、それでも逃避から抜けられなかった。

しまいには、着替えもせずにゲームしてるのぞむを見てキレてしまうしもう最悪。



で、なんというか、私は今こんな状況なハラッサーであるということ。

まだ、私は良い子であろうとしているところがある。

ハラッサーな自分から大急ぎで正常な人間になろうとしているって気付いた。

それは結局、大急ぎで今までと違う仮面をかぶろうとしているだけ。

ちがうんだ。

私はハラッサーなんだ。

そういう性質を持った私を認めること。

私の中にそういう衝動があることを、大切にすること。

ハラッサー気質を持った私をまるまる、私自身が愛すること。



私はハラッサーでいい。

ハラスメント行為はいけないけど、私の中にあるハラッサー気質そのものは悪じゃない。

私はハラッサーな私との付き合い方を身につけていくってこと。

イライラしてイライラして逃げたくなる私を見捨てないってこと。

ハラッサー気質だってころんちゃんなんだ。

このことを忘れかけてた。
posted by 蝉ころん at 20:30| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

ややこしい怒り

ひかるが約束をやぶった。

そして、それをうやむやにしようとしている。

私の様子をびくびくと伺いながら、普通にふるまえる隙を狙っている。

自分がしたことを認めないまま、私の機嫌が戻るのを待ち、なかったことにしようとしている。

私は、約束を破られたことより、なかったことにしようとしている態度にものすごくムカついている。

それはつまり、私が約束を破られた事実をなかったことにされること。

私が傷ついたことをなかったことにされること。

そして、びくびくしているくらい自覚があるくせに、まるで何事もなかったように気楽な声を出されたり話しかけてこられたりするともう、ムカつきを通り越してイライラMAXになる。

まっすぐ無言で目を見据えてやりたくなる。

のぞむに話しかけられても、「お母さんはひかるのせいで今機嫌が悪いの」とか言いそうになる。

とにかくイライラしてるときに言いたくなることとかしたくなることはハラスメントなのは分かってるから抑える。

でも無言が精一杯。

無言だって十分プレッシャーになるのは重々わかっている。

早くイライラを整理しなければと離れてこれを書いている。たぶんこうして離れることさえも子供は傷つく。でも今はこれがベターな道。ベストを欲張らずにベターを進もう。



書き始めるまで、直接ひかるに対する怒りしか見えなかったけど、数行書いてるうちに糸口が見えた。

私が嫌だったことをうやむやにされること。

事実を隠蔽されること。

それがとっても腹が立つことなんだ。

まるで私が傷ついていることがなかったことみたいに、私が嘘を言っているみたいに。

私が感じていることの方がおかしいみたいに。私の方が悪いみたいに。

そっちが、約束破ったんでしょ?

なんでなかったことにして、私の気持ちを放り出しておいて、その上にまた私と普通でいられると思うわけ?普通にしてやらないといけないわけ?

私だって、私を傷つけるような人とは付き合いたくないんだよ!

私の心を踏みつけにするような人間は嫌いなんだよ!



ああそうだ、これは私が子供時代にずっとさせられてきたことだ。

反省もしてない相手を、むしろこんなことくらいでとか思ってる相手を、私は無理矢理許させられた。

許してやらないといけないって押し付けられた。



今の状況は確かに似ている。

ひかるは、まだ、そういうことで謝らないといけないということに耐えられない。

自分がいけないことをしたということを、受け止められない。

そういう風になったのは、私がそうさせたからで、今はまだ、回復途中。

私は、怒りが先にきているし、このことについてどうひかると話すのがいいのか、迷っている。

迷っているうちに、うやむやにしようとされている状況を感じて、スイッチが入ったんだ。



似ているけど違うから。

ひかるは、あの、昔の、ふてぶてしい奴らとは違うし、私は、許せなんて強要しない。

うやむやにされたくなかったらテーブルに載せていい。

許せなかったら、許せるようになるまで許さなくていい。

たとえそれがひかるでも、許せないものは許さなくていい。

ただ、それと生活は別のものだっていうこと。

許せないことがあっても、私はひかると話ができる。

ひかるは、私を傷つけたくてしたんじゃないし、過去私に怒られたことが原因で認めるのが怖くなってしまったから認められないだけ。

昔とは状況は違うからね。

また私の感覚を否定されるって怯えなくても大丈夫。

私は私が傷ついた事実を持っていていいし、否定しなくていい。

なにも怖くない。



子供がらみで怒るイライラも、実は眠ってるのは大人向けの怒りがほとんどみたい。

そういえば、子供相手だけなら、私は負けないだけの怒りをそのときにしっかり表現していたのかもしれない。泣きながらでも、わめきながらでも、正当な相手に表現していたかもしれない。もっととことんまで、泣き尽くせていたかもしれない。

私は子供の頃から、直接いじめてきた子供たちよりも、そのいじめを過小評価していじめをないものと見なしたり、私に忘れることを強要する大人に対して、怒りを強く持っていたんだ。

大人たちは、それだけのことを私に押し付けてきておいて私の話はまるで聞かなかった。

「さっさと許せよしつこいな」「いつまで泣いてんだようるさいな」「早く黙れよ予定が狂う」

そんな対応だったよ。親も、教師も。

でも。

私が体験したことは、ちゃんとあった。

私が傷ついたできごとは、しっかりあった。

私は確かに、傷ついていた。

誰がなんと言おうと、その時私は傷ついていた。

そして、傷ついたっていう、その感覚を、無理矢理取り上げられたことに対して、猛烈に怒りを感じてた。

それを訴えると私の方が問題児扱いになった。

それがまたさらに納得がいかなかった。

私が何を訴えても、大人は結局、自分たちのやるべきことをスムーズに進めることしか眼中になかったんだ。

私をとことんまで否定するようなことをしていることも、まったく自覚がなかったに違いない。

でも、私はそうして一回の出来事で元にあった出来事よりも何倍も傷ついた。



私はうやむやにされたくない。

うやむやにされるのを見過ごしにさせられたくない。ああややこしい、くそう話を複雑にしやがって。どうりでなかなか掘れないはずだよ。

ただ事実を認めて、それを謝って欲しい。

元は、それだけだったんだ。
posted by 蝉ころん at 21:38| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月21日

順調に進んでないとき

地雷をもう一つみつけた。

何かやってるとき、それが何であっても、私が何かやってるとき、順調に進んでるときは大丈夫。でも、うまくいってないとき、そばに誰かが寄ってくるとアウトらしい。

これ、自分が被害者側のときは、上手くいっていないことを八つ当たりされていると思っていたんだけど、私の場合はそうじゃなかった。

1人だったら、別にストレスとも思わないくらいの小さなことでも、誰か知ってる人物がそばに出現すると、ざわざわしてくる。

上手くいっていない現状を知られることが、地雷。

終わったことだったら大丈夫だったりする。

とにかく、今現在順調に進んでないとき。どんなに小さなことでもアウトらしい。

順調じゃなくなった時点で焦り始めていて、周りにいる人の動きに過敏になってくる。

失敗をすることが怖いんじゃなくて、失敗しそうな状態を悟られることを恐れてる。



なんであっても、私が取り組んでいることは他の誰かの方が上手かった頃、私は出来ないことを馬鹿にされたし、呆れられたし、そして、取り組んでいることを取り上げられた。

終わってしまえば、いくら途中で失敗しそうになったことがあっても、何回もやり直しをしていたとしても、結果的にできていれば、何もマイナス評価はなかった。

上手くいっていない途中経過を知られることは、最終的に到達できるはずの成功への道を断たれることを意味した。

以前、横取りって表現したこと。

横取りは、同じ立場の人間に取られることな気がするけど、この感じは横取りじゃなくて、取り上げられるって感じ。

取り上げられ経験が元になって、横取りへの怒り・悲しみも増幅されてたかもしれない。

とにかく、上手く進んでいないことを知られると、私が達成したいことへ到達するチャンスを取り上げられる。

そして取り上げられたチャンスに、次は二度と来なかった。



何度も、何度も、どんな小さなことでも、私は巡ってきたチャンスを取り上げられた。

母は、私のことを、知らないうちに何でも出来るようになっている子だったと言っていたが、当たり前だ。

知られないようにでしか、できるようになれなかったんだから。

出来ないところを見られたら、出来るようになれないようにされるんだから。



失敗したり、上手く行かないとき。

私が挑戦し続けたくても、横から手を出されて終了させられた。

私は何度でも立ち向かいたかった。

本当は立ち向かうことを応援して欲しかった。

できれば「上手くできないよ」って弱音だって吐きたかった。

弱音はギブアップのサインと捉えられてしまうから、言えなかった。

できるなら、弱音を吐いても励ましてもらいたかった。

そしてもう一度立ち向かいたかった。



「できないくせに手を出すな」って言われるのが嫌だった。

ひどい。

誰だって最初はできないじゃないか。

まして子供ができないのなんて当たり前じゃないか。

兄貴ができるからって、なんでもかんでも兄貴の手柄にして私は出来ない子のままでいさせようとして。

チャンスも与えてもらえないで、出来るようになるわけがないじゃないか。

私だってやれば出来るもん。

私だって出来るようになるもん。

お兄ちゃんだけが偉いんじゃないもん。

私だって偉くなれるもん。




兄貴には家に取って価値のある仕事を回し、偉い子として育て、私には雑用、誰でも出来ること、誰がやってもいい仕事を回してあくまで価値のない子として育てられた。そう感じていた。

私は、みんなに隠れて、価値のある方の仕事を身につけて、兄を出し抜こうと必死だった。

出し抜いて、いつの間にか兄より出来る人物になって、親が、私に価値ある仕事をさせなければ仕方がないと思うようにさせたかった。

私なりの反乱だった。

でもそんな日は来なかった。

私はどれだけ技術を上げようと思っても、必要なことはまず兄に教えられるし、私がそれを盗み見て必死で独学している間も、兄はどんどん新しいことを教わっていた。

いつまでたっても追いつけないし、親は私には一切教えないし、私にさせるつもりが全くなかった。

そして結局、父に「女にはできない」と断言されて、引導を渡された。

この父が私を認めることはない。私がいくら努力しても日の目を見ることはないんだって。




この人たちは、私の望みなんてほんとに見てなかったんだ。

ただ、私が邪魔をしてきて面倒だとしか思ってなかったんだ。

私はいつも、何をしても、家庭のメンバーの中で、私だけが、いつも出来ない子で、必ずそれで兄に奪われて、馬鹿にされて、邪魔にされて、悲しくて、悔しくて、それでも食い下がったら母に怒られた。

私はただ、みんなと同じことを出来るようになりたかった。

そしてただのお荷物じゃなくて、みんなと同じ、役に立つ、重要なメンバーとして、そこにいられるようになりたかった。

チャンスを奪われることは、はしごをはずされることだった。

はしごを上ることを望まれていなかったから、はしごを上っていることを知られるのが怖かった。

のぼっている途中で外されるのを恐れて、こそこそと上って何もしてないふりをしていた。

私はただ成長したかっただけなのに!



成長を止められてたんだよ。

私は成長させてもらえなかった。

だから隠れて成長しようとした。

何も変わってない顔をしながら隠れて必死に変化してた。

変化してる途中を見られたら、また戻されるから。

私は進みたかったから。

そうか。

私頑張ってたんだ。

隠れて成長するのって大変だった。

誰もいないときに、どきどきしながらしてた。

何回も、はしごをかけ間違えたり、踏み外したりしながら、焦って焦って上っていた。



悪いことでもなんでもないのに。

でも実家では、私だけは悪いことと同じようなものだった。

取り上げられるのは咎められるのと同じことだった。

私は、何かを達成しようとすることを悪いことのように感じていた。

達成してしまえば良いことに変わるのに、達成できるかどうかわからない状態は悪だった。




この前、誰かが言ったって言葉をテレビで言ってた。

ものごとには、成功か、成功しつつある状態か、その2つしかない。

ていう感じの言葉。

失敗も、成功のための段階に過ぎないって。

そういうことなんだよね。

子供の頃に欲しかったな。その言葉。




もう、取り上げる人はいないよ。

ひかるも、のぞむも、取り上げたりしないよ。

自分でもしたがりはするし、知ってることは口も出してくるから、取り上げられるように感じるんだよね。

でも道を譲ってあげるかどうかは、私自身で決めていいんだよ。嫌だったら、譲ってあげなくてもいいの。

「上手くいかないよー」って弱音吐いてもいいんだよ。

「悔しいよ」って言っていいんだよ。

「見てよ」って見せてもいいんだよ。

誰も笑わないし、怒らないし、取り上げられないよ。

怖くないよ。

達成への道を、隠れずに進んでいいんだよ。
posted by 蝉ころん at 22:03| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月19日

イベント中止

今日は、ひかるの気分で予定がつぶれた。

そのときはそのまま受け入れたけど、あとからジワジワとイライラが湧いてきた。

そうか、こういう、遅れてくるイライラもあるんだ。

とりあえず今日は原因が分かってるので掘ることができる。

モラ的に表現すると、

「せっかく遊びに連れて行ってやろうと計画してやったのに、乗り気だったくせに、気分が変わったってどういうこと?もう二度とこんな計画してやらない!」

になる。



でもこれは、八つ当たり。

もちろん、予定が狂って不快に感じる部分はある。でも、二度とやらないとか極端にはいかないでいいレベル。

イライラで出てきてるのは、親にキャンセルされた経験だ。

原因は父の気まぐれ。

そして、気まぐれで予定を変えてしまう父をあくまでかばう母。

「仕方ないでしょ、お父さんが行けないんだから」

今考えたら、仕方ないことなんて何もない。

父は、子供との約束より自分の遊びを優先して、好きなだけ遊んできたあげく、疲れて起きれなかっただけだ。

母は、父のモラ発動が怖くて私ら子供に我慢をさせていた。

約束を平気で破る父をかばって、私ら兄弟を黙らせた。

父に直接怒りを向けることも許されなかったし、母は仕方ないでしょうと言うだけだった。

向けどころのない怒りを持て余してしつこく食い下がっていると、いつまでもうるさい、わがまま言うな、諦めが悪いと怒られた。

大人になれば、権力をもてば、約束を破ってもいいのか?

そして釈明もせず代わりの人間を矢面に立たせて自分は平気でいられるのか?

そんな父のどこに尊重する部分があるのか?

そんな父を無理矢理尊重させようとする母の言うことをどこまで聞いてやらなければいけないのか?



私の思いは、ただ本当にイベントを楽しみにしていて、早く行きたい、それだけだった。

行けないことが悲しい、なんとかして行けないのか?そんなことだった。

父も母もそんなことは気にしていなかった。

父はただ面倒になって嫌になって計画を放り出しただけ。

母はまた父に面倒を起こされたと、子供はうるさいし父の耳に入るとまた爆発するとヒヤヒヤしていて、とにかく子供を黙らせたいだけ。

そのくせ子供とのイベントをつぶしたとあとで父を責めて、結局自分で父を爆発させる。

そして私ら兄弟は父の爆発の原因を作ったことに罪悪感をもつ・・・。

そんなルーチンになっていた。



私はただ行きたかっただけだ。

それが、父への怒りや母への怒りに歪んでいった。

ストレートに「行きたい、行きたい」としつこかろうがうるさかろうが言い続けたかった。

自分で諦めがつくまで諦めさせられたくなかった。

行けなくなった上に、諦めさせられ、黙らせられ、父の爆発を招いた罪をかぶせられた。

なんでそんなことになるのか。

私たちは、約束を破られた側なのに。

なんで私たちの方が怒られるのか。

なんで母は父をかばうのか。

なんで私たちは父を尊敬させられるのか。

約束を破って誤りもしない人のことを。

全く納得がいかない。

あんたたちがいつも言ってることと全然ちがうじゃないか!



謝れ!

悪かったって言え!

ごめんなさいって言え!

悪いのは私らじゃない、あんたたちの方が悪いんじゃないか!

養ってもらってたらなんでもかんでも受け入れなきゃならないのか?

私らに家を脱出する自由なんかないのに!

稼ぐことだって禁じられているのに!

どうしようもなくしておいて、それでも無理矢理言うことを聞かされるのか?

嫌なことを嫌だということもできないのか?

私らは、あんたらの何なんだ!

喜ばしたいくせに悲しませたことは悪いと思わないのか?

ぬか喜びさせておいて、本当の喜びは与えたくないとでも言うのか?



私はだんだん楽しみを楽しみと思わなくなっていった。

どうせまたつぶれるんだし期待しない。

今喜んでも後からどうせ爆発するし喜ばない。

嬉しくもないから悲しくもない。

大きくなるうち、私はどんどん親を見下すようになっていった。

どうせクソ親父のことだ、何が起きるか分からない。アテにするだけバカバカしい。

なのになぜこの母親はいつまでもこのクソ親父と行動しようとするんだ?バカか?



どろどろと、どろどろとしてる。

ヘドロみたいになってる。

ただ、楽しみにしていた、ただ、嫌だった。

悲しみにさえ行き着けなかった感情。



お父さんはそこにいるのに。

病気でもなく、ただ寝てるだけなのに。

お父さんから誘ってきたことなのに。

なんで行けないの?

お母さんだけとでも行けないことじゃないのに。

なんで行けないの?

お父さん一人置いていけないのはなぜ?

お父さんは大人なのに、なんで一人で家にいたら駄目なの?

なんでそんなことで行けなくなるの?

お父さんは、なんで行けなくなったの?

昨日お仕事終わってから出かけていって、なんで今お出かけ前に寝てるの?



ねーなんで?

なんで答えられないの?

なんで私らが聞いちゃいけないの?

なんで私らに知る権利がないの?

じゃあなんで私らにバレるようにそんなことするの?



私らってさ、ニンゲンじゃないよね。この家で。

いつまでたっても、ニンゲンじゃないよね。







私は、親にやり返したい。

同じくらいだけ、いや、それ以上、親を傷つけ返したい。

私をいじめた奴らに仕返ししたいとか、見返したいとか、思ってたと同じものを、親に対しても持っている。

私は親を傷つけたい。

ざまあみろと言いたい。

声の限り、言葉の限り、罵りたい。

モラれた分だけ、モラ返したい。




なんか、よく耐えたね。

モラ返さずに、よく何事も起こさずに、耐えきって脱出したね。

自分の衝動を抑えるのってすごくエネルギーいったよね。

よく頑張ったよね。

嫌いなのは嫌いでいいんだよ。

嫌なことは嫌でいいんだよ。

もう、充分、あの人たちには親孝行したよ。

あれだけ言いなりになってあげればもう充分だよ。

もう付き合ってあげなくてもいいからね。



親になってみて、わかるじゃん。

子供に親孝行を期待するなんて、変だ。

大人なんだから、自分の力で生きればいい。

自分のことを理解して自分で生きればいい。

大人なんだから。

放っておいて自分の行きたいところへ行けばいいんだ。

posted by 蝉ころん at 13:07| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

原因不明が続く

今ちょっと逃げている。

明らかに何かが溜まってきていて、やり場がなくて、でも直視したくなくて、とっかかりもつかめなくて、なんとなく逃げている。

子供といても、突然気分が入れ替わっていたりする。

今日はヤバい、みたいな日もあって、子供に当たることを抑えるようにはするけど、喋ると弾けるから無言になったりする。



見事なサイレントモラ。

わかってるんだよ。やっぱり。

ぶつけちゃいけないことをわかっててサイレントになってんだよ。

でもぶつけないでいてやってんだよくらいな感じでバランスをとってる。



ここからリカバリーできるようになるといいんだけど。

取っ掛かりのない怒りは掘ることもできず逃がすこともできず困る。

もしここで、怒りを出そうと無理に言葉をひねり出したら、きっと怒りを出すための怒りになってしまう。

イライラしてるのに声をかけてこられるのが嫌だとか、気分が悪いのに笑ってるのが腹が立つとか。

よくある、どうしようもないモラ発言になってしまう。

これじゃあ、ただの八つ当たり。怒りを表現したつもりでも何も掘れてこないし、何も解放できない。

そうじゃなくて、もっと、元の怒り、元の悲しみの要因と似た要素への怒りが、あるはずなんだけどな〜。

そっちをほどきたいし、たぶん、今のこの逃げてる感じ、しつこく逃げてる感じからすると、結構でっかいのが埋まってる気が、するんだけどな〜。

まだ、怖いんだろうか。

まだ、出せないんだろうか。



よっぽど深く埋めちゃったんだな。

そんなに怖かったんだな。

怒りは恐怖の現れ。

恐怖から転じた怒りは鼠を猫に噛みつかせるほどの爆発的なエネルギーをもってるんだもの。

そのときと似た状況で、恐怖を感じずに行動するための力が発動するだけのことが昔あったんだよ。

なにが原因か分からないけど、それくらいすごく怖かったんだよ。

そこだけでも、受け止められるかな。

・・・・あのイライラのさなかに。

今度があったら、やってみれるかチャレンジしよう。

思い出せるようならやってみよう。

だってまだきっと怖がってる。
posted by 蝉ころん at 17:29| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

仲間に入れて

ひかるのゲームに付き合っていると、やたらと私のやり方をマネされる。

私はそれがとてもうっとうしく感じるんだけど、これは拒絶しない方がいいことなんだろうと思って、なるべくさせるようにしていた。

ひかるは、私と同じようにしたいんだ。

私は、ひかるの遊んでいることに付き合っているつもりだったけど、ひかるにとっては、少し意味合いが違うらしい。

ひかるは、共有できる場面で、私の仲間になりたいんだ。



私は、コミュニティの中で人と同じことをするのを許されていなかったから、人とかぶらない、独自のやり方を探してなんとか自分の立ち位置を確保してきたけど・・・。

コミュニティに入っていくとき、マネから始めるのは当然のことじゃないか。

それが子供と親との関係で自然なことなんじゃないのか。




私は、実家では、必要のない人間だった。

存在する意味のない人間だった。

私はただ邪魔な存在だった。

私が何かをしたいと思うこと、父や母、兄のすることを自分も上手にできるようになりたいと思うこと。

そのために一緒にさせてほしいと思うことは、ただ、彼らにとって邪魔をすることでしかなかった。

私は、ただ、一緒に、家族の一員としてやっていきたかっただけだった。

私は、実家のコミュニティから分離されていた。

いや、もともと実家はコミュニティなんかじゃなかった。

父はやるべき仕事が終わればさっさと家を出て遊びに行くし、母は家事をしている間は子供が周りにいるのを好まず、何も子供に見せずにやってしまう。

私と兄はお互いにお互いの子守りをしていたようなものだった。

うちはコミュニティなんてものじゃなかった。バラバラだったんだ。

私は母の仲間になりたかったけど、母には子供を仲間にする精神的な余裕なんてもともとなかった。

逆に母の方が私たちに認めてもらいたがっていたくらいで。



私はひかるたちの仲間に入れてもらいたがってるんじゃないか?と感じたことがある。

すぐに逆なんだなあって思って。

私がひかるたちを仲間に入れてあげるのにって。

私は私のままでここにいて、私が、私を営んでいるところに、ひかるを、のぞむを、入れてあげるんだ。

私は個人だけど、子供たちにとっては家庭というコミュニティでもあって。

私といることそのものが、子供たちにとっての社会経験の土台になるんだ。



私が社会のスタンダードじゃなくてもよくて。

ただ受け入れられて経験を分けてもらえること。

家庭の営みに参加すること。

メンバーとして存在すること。

そんな経験が大切で。

私が欲しかったのも、そういうことだった。

私は、完璧にできないならと排除されていたけれど。

私のレベルで、私のままで、メンバーとして存在する経験がまず必要だった。



ひかるが、私のマネをすること。

そんなことも、やっぱりきっと大切なこと。

私もやっぱり、お母さんの隣でぴったりくっついて同じことをしたかったんだ。

それはきっと大切なことだったんだ。
posted by 蝉ころん at 16:27| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

泣かなくなったころ

前記事に関連して、思い出したこと。

そういえば、私は自分から辛いことを人に話したりはしていなかった。

いつも、誰かが声をかけてきて、それで、聞かれたからってことで話していた。

私が選んだ相手じゃなかった。

私から話しにいったんじゃなかった。

誰かに悲しんでいることに気付いて欲しかったんだ。



そんなやり方は、親との関係で身に付いたもの。

それまでにすでに自分から話しにいくなんてことは駄目なんだって理解してた。

でも泣いてたらたまにはやさしくされることがあったから、本気で泣いていながら、半分期待混じりに泣くようになってた。

そうなると親にも嘘泣きに見えるようになる。

私は本気で泣いてるのに誰も来ないってことに対しても悲しく思ってた。



声をかけたら邪魔にされるのに。

泣かないと来てくれないのに。

もう泣いても来てくれない。

私はやっぱりいらない子なんだ。



そしてどんどん悲しみが膨らんでどんどん泣いて、泣き続けて、余計に鬱陶しがられて、もっともっと孤独を感じた。

私は馬鹿にされたくなかったし見下されたくなかったしお荷物になりたくもなかった。

とにかく対等の立場で人間でいられるようになりたかった。

泣くことで人から蔑まれるなら、泣くことを封じなければと思ったんだ。

泣いたら鬱陶しがられる。

泣いちゃ駄目。

そう思ったら余計悲しくなって涙が出た。




やっと涙が出なくなったのは高学年の頃だったかな。

そのころにはもう怒りが表に出ていた。

怒りで悲しみを封じることを身につけてた。

悲しみを封じて怒りを選んだのは私。

それも私自身のためだった。

頑張ってた。

頑張ってたね。

偉かったよ。

自分を大切にすることから離れていってしまったけど。やっぱり頑張ってたんだよ。

もう悲しくていいんだよ。泣いていいんだよ。

泣いて嫌われるなんて気にしなくていいんだよ。
posted by 蝉ころん at 23:47| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみを打ち明けること

今日はちょっと凹むことがあった。

しょーもないことなので内容は書かないけど、かなりショックだった。

ひかるも見ていて、私がショックを受けているのをわかってたみたいだったから、「お母さん凹んでるから今あんまり相手できないよ」って言ったらそっとしておいてくれた。

ハラッサー的には、八つ当たりする場面だ。

実際、ひかるに打ち明ける直前まで、イライラが出てきて危なかった。

でも、ひかるに言ったら、悲しい気持ちがどっと出てきて、さめざめ泣けてきた。

本当にしょーもないことだったから少し情けなかったけど、でも今は泣きたいんだから、悲しいんだから悲しんだらいいんだと思って泣いた。

しばらくしたら、気が軽くなって、沈んでいたのが浮上してきた。

悲しい分だけ悲しめたんだなあって思えた。



それで、今までのことを思い出した。

私は辛いことがあってもほとんど人に話をしないけど、ずっとそうじゃなかったって。

辛い経験を話しても、ただ聞いてくれる人は周りにいなかった。

話しても、悲しみを出せるどころか、解決策を渡されたり、いつまでもぐじぐじ言うなって叱咤されたり、ひたすら心配されたりした。

大丈夫というまで、それは続いた。

私は、もう大丈夫、というふりをするようになった。

大丈夫にならなくては、と思った。

だんだん人に話さずに、最初から自分で大丈夫なふりをするようになった。

そのうち自分が悲しみたいことも気が付かないようになっていった。

悲しみの代わりに、怒りを感じるようになっていった。

悲しみを封じ込めなければいけない辛さを、悲しみの原因を作った出来事、出来事を引き起こした人物への怒りとして肩代わりさせていた。



「元気出して」なんて言葉さえ私を縛った。

うるさい!

凹んでるって言ってんだろ!

そんな急に元気になるか!

なんで悲しませてくれない?なんで泣かせてくれない?

なんであんたに話しただけで元気になれなきゃいけないんだ!

元気じゃないんだ!

凹んでるんだって言ってんだろ!



私が話をした相手は、私が凹んでいるのがうっとうしい人だったり、私を元気にすることで満足したい人だったり、私が凹んだままでいるのを放っておくことに罪悪感を感じている人だったり、した。

そんな人にばかり話をして、私は結局、何も癒えないまま傷だらけのままで自力で無理矢理立ち上がってた。

それでもっと傷を増やしていた。

だからもう傷を増やさないように、最初から自力で立ち上がることを選んだ。

でも傷を癒すことはできなくなった。

傷の上からゲンコツで殴って痛みを感じないようにするような、そんなことばかりしていた。

そんな小さい私。




頑張ったよ。

辛かったね。

もういいよ。

凹みたいだけ凹んで、泣きたいだけ泣いていいんだよ。

無理して平気なふりなんてしなくていいんだよ。

悲しかったね。

辛かったね。

もう泣いていいんだよ。
posted by 蝉ころん at 22:00| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

自慢され役

私は常に兄の下にいた。

私が興味を持つものは、常に兄が持ち込んだものだった。

当然、兄は常に先にしたことがあったし、必ず目の前で私より上手にできることを自慢してみせた。

だんだん私が上達しても、常に私の位置を確認して、私に抜かれない位置をキープするべく先に進んでまた自慢する。

私は常に同じ土俵にいることを求められながら、常にその兄のすごさを理解できる、自慢する相手としてだけ求められていて、私が兄を超えることは許されていなかった。

自慢ばかりされないためには、私が私の力で上達することを味わうためには、兄にバレないように密かに練習するなりするしかなかった。

それでも、私が兄を抜いてしまうと、兄は私の自慢を見てはくれなかったし、兄は土俵に上がらなくなった。

私が求められていたものは常に兄の優越を満たす相手として存在することだった。

「こんなのできないだろう」「俺なんかこんなのできるぞ」

そんなことを言われる度に、悔しくて、悔しくて、頑張った。

頑張っても、頑張っても、私に「そんなのできるだ」「すごい」なんて言ってくれる相手はいなかった。

「よく頑張ったね」なんて誰も言ってくれるわけがなかった。

だんだん、空しいって感覚を持つようになっていった。



母との関係でも、これは同じだった。

私は母を超えてはいけなかった。

母は私を褒めなかった。

私の至らない点ばかりを指摘した。

私にとっての嬉しいことは何一つ得られなかった。

私がどれだけ興味を失っていても、その土俵に立足され続けた。



自分で発見もできず、自分で考えることもできず、自分の楽しいようにもできず、自分が主導権を握ることはできず、何を楽しむこともできず、評価もなく。

それでもそこにいなければいけなかった。

母が、実験を握ったままで、母が、満たされるために。



私は満たされてはいけなかった。

満たされることのできる世界へ逃げることも許されていなかった。

頑張らなければならず、頑張ってもいけない。

ずっと届かないとわかっていながら鼻先にぶら下げられた人参を追いかけ続けさせられている馬のような。

止まるとムチが入る。走っても届かない。

そんな閉塞感とか、無駄骨とか、そんな経験ばかりをたくさんたくさんしていた。

私の無気力の根っこの一つ。



これも境界線だ。

コミュニティに入れるか入れないかの境界線に存在している感覚と似ている。

ライバルにはなれない。

でも常に本気で向かえる相手でいなくてはならない。



嫌いだ。

嫌いだ。

そんな役割ばかりを押し付けて、私という存在を踏みにじり続けた奴ら。

私の心はいらないんだもの。

私の心がどれだけ傷ついたって見えてない、自分たちだけ満たされれば気が済んで、私の存在なんか消してしまえるんだもの。



利用される立場じゃない私でいたかった。

でも。

私には、求められている立場しか、存在できる場所を見つけることができなかった。

そしてだんだん、求められている立場を降りはじめて、ひとりになった。

私には誰もいなかった。

もうそれでよかった。



私がしてきた努力は、ただ誰かの道具になるための努力でしかなかったんだ。

そして努力の先に喜びがないことを学習してしまったんだ。

頑張ることは失うことだって。




あれはもう過去のこと。

過去のことなんだね。



私は私であること。

それだけでいいね。

私の行動に影響される人のことは、気にしないでいいね。

影響を与えることを気にして自分の行動を抑えなくていいね。

私が動きたいように。

私が楽しいように。

それでよかったんだったね。
posted by 蝉ころん at 19:49| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

頼まれたとき

ひとにものを頼むときは自分のできることをやってからにしなさい。

そんなふうに言われていた。

そして、自分でできるとこまで自分でやろうとしていると、やりきった感がでてきて、もういいやって思えたりして、諦めがついちゃう。

そしたら結局頼まないで終わっちゃうわけだ。

自分でやりきることの達成感も、やりきった到達感もあるから、頼る必要ってない。

自分でするってことが私にとってはいいことでもあった。



それとは別に、頼まれることは、嫌いじゃなかった。

やってあげて、喜ばれたらそれは嬉しいし。

でも、嫌なのは、頼まれて引き受けたのに、待たされること。

相手の不備でこちらが手伝うことが進められないこと。

ちゃんと準備してから頼めよ。って思う。

そして、怒りがわく。



これはやっぱりころんちゃんだ。

なにも整ってないのに、やれと言われ、やろうとするとまだ手を出すなと言われた子供時代。

じゃあなんでやらせるんだよ。

偉そうに怒りながらこれくらいもしてくれないとか言ってたくせに。



母は、自分がして欲しいと思うこと意外は全く手を出させない人だった。

母も、自分でするのがいいこと、自分で全部掌握していたい人だったから、自分が決めた以外のことで人に手を出されることを極端に嫌い、突然怒った。

ちょっとやり方が母の思っていたやり方と違うだけで怒った。

これって、子供が親にすることだよ。



頼んだんなら、して欲しいなら、私のしかたでさせて欲しかった。

いちいち口出さないで欲しかった。

つまんないこだわりで手を止めさせないで欲しかった。

人に頼む前に自分のできることをしろって押し付けてるくせに準備くらいもしないのか!って怒りもあった。

私が分からなくて聞いたらいちいち馬鹿にしないで教えて欲しかった。

もっと具体的にしてほしいことを伝えて欲しかった。

頼んでおいて、うまくやりとげられないようにされている感じがすごく嫌だった。



そういうことだった。

今までに時々感じた、頼まれごとが順調に進まないときのイライラのねっこ。

何か仕組まれているような、失敗させられるような、途中で手を引かされるような・・・。

そんな人間不信。

状況ででてくるこまかい人間不信がいっぱいある。
posted by 蝉ころん at 22:24| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

空に放す

年末くらいに頭にのぼって、泣けて泣けて、でもすごく納得がいって、すっきりしたことがある。



前々から、私のお母さんはいないんだ、とは自分に言い聞かせてた。

でも、いまひとつ納得がいかなかった。

それが納得がいった。

「私のお母さんは、死んだんだ」

私の中で、すとんと落ちた。

私の中では、私のお母さんは、もう死んだんだ。

たぶん、産まれてすぐに私のお母さんは死んだんだ。



不謹慎かもしれないけど、私はこれで納得がいった。

私のお母さんは、死んでしまった。

でも、私のお母さんは、いたんだ。

たぶん、母の中に、私のお母さんはいたのかもしれない。

でも、今は、もうお母さんは空にいる。

そんなふうに感じた。



私の求める「お母さん」と、母は、完全に別人になった。

私の「お母さん」は、ちゃんと、いた。

いなくなってしまったことが悲しくて、泣いて泣いて。

そして、本当にいたんだってことが嬉しくて、泣いて。

何日かこのことを思っては泣いて、このことは私の中で真実になった。

私は、私の求める「お母さん」を埋葬した。

このことで、少し、私って存在が固まった感じがした。



私は母に遠慮してた。

母以外に「お母さん」を求めていることに罪悪感を感じてたんだ。

そして「お母さん」を求めている事実をないことにしていた。

母は、「お母さん」じゃなくて。

ただの1人の人間でしかなくて。

嫌味の多いちっちゃなおばあちゃんでしかなくて。

母が必死で私たちに言い聞かせていたように母を理想化させていたかったけど、やっぱりそんなスーパーウーマンじゃなくて。

私たちを産んだたった1人の母親。

なんかさ。

そんだけでよかったんじゃん。

欲張って、「完璧なお母さん」なんて目指さなくてよかったんじゃん。

馬鹿だね。



私が求めてた「お母さん」って、ひょっとしたら母のなりたかった理想の「お母さん」なのかな。

母がいるように見せかけていた「お母さん」を、母の中に見いだせなくて、見失ってしまった気がして探しまわっていただけなのかもしれない。

私も目指してたもんね。完璧なお母さん。

母から引き継いでしまってたんだ。

虚像だったんだな。

なんか、もういいや。

なんか1個、軽くなったな。
posted by 蝉ころん at 18:40| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冬休みが終わる

パソコンを買い替えてからというもの、キーボードが慣れなくていまいち表現に追いつかない。

道具ってのは使っていることを意識しないようになってはじめて自己表現に使えるようになるんだなあと思う。

特にこのブログでは、そのときの感情をそのまま文章に乗せるようにしているので、表現したいことがダイレクトに書けるかどうかの差がすごく大きいんだな。パソコン買ってからいくつか記事を書きかけたけど、キーボードに違和感を感じてるうちに感情の根っこがすり抜けてしまって、掘り起こす手がかりを見失ったことが何回かあった。

最近やっとちょっと新しいキーボードも手に馴染んで来た感じがする。

パソコンはツールとしてはあんまりころころと仕様を変えすぎないで欲しいなあ。

おもちゃとしては新しい方が面白みがあっていいんだけどね。

作り手の難しいところだね。



さてそんなこんなで私が新しいパソコンとどうにかうまくやっていこうとしているうちに子供部屋はすっかり子供たちの場所となって、まだベッドも暖房も入っていないにもかかわらず、二人して部屋にこもっていることが多くなった。

年末年始は実家に行ってきた。

実家は相変わらずだけど、特に影響も受けなかった。行く度に、いろいろと見えることはあるけど、もうそんなこともそれほど重い意味は持たなくなってきたみたい。

子供たちは、サンタさんからのプレゼントと、おじいちゃんおばあちゃんに買ってもらったおもちゃでずーっと遊んでる。



そんな感じで、そろそろ冬休みが終わる。

そう、恒例の宿題追い込みが始まる。

私の関心は、もう宿題がどうとかじゃなくって、私の状態。

もちろんそれは宿題の成り行きに関係してるわけだけど。

どんな状況でどんな状態に変化してるか?今スイッチは入ってるか?何かストレス感じてることはないか?

ちょっとアンテナ張りながら過ごしてみたいと思ってる。

宿題なんて別に持ってかなくてもどうってことないし。本人がまあそれなりに叱られたりはするだろうけど。それは本人も重々わかってるわけだし。

私はそんなことに拘りすぎた。そんなことがとても重いことだっていう刷り込みに縛られてた。

それより今はね。

お母さんがいつの間にか変身してて無意識に悪影響与えることの方がよっぽど人格変えちゃうってわかったからね。

私は私の面倒を見る。



今年も、無理せず自分を取り戻してく。

焦らないこと。我慢しないこと。表現すること。伝えること。

どんとこいころんちゃん。

posted by 蝉ころん at 16:43| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月21日

部屋を片付けると

昔から、部屋を片付けると友達を呼びたくなる。

「やっと片付けたから遊びにきて」

これが、昨日、またやってきた。

「片付けたよ」というと「じゃあ遊びに行けるね」と言われて「来て来て」となるんだけど、その裏にある心理に気づいた。

私は、褒めて欲しいだけだった。

いつも、遊びに来てもらっても、あまり楽しんでもらえてないっぽいことを気にしつつ、結局人疲れしてしまう私。

会いたい、うちでのんびり喋りたい、一緒にだらだらテレビでも見よう・・・そんな目的がなにもなかった。

ただ、褒めてくれそうな人に片付いた部屋を見て片付けたことを褒めて欲しいだけだった。

そしてやっぱり、それは親に褒めて欲しい気持ちが、根っこに潜んでるんだ。



私は、片付けをしても、その後に散らかしたときに倍嫌味を言われるのが嫌で、親には片付けたことを言わなかった。

それでも親は部屋にはくるし、片付けたことはバレてしまい、やる気をなくした。

そしてまた部屋は散らかり、嫌味を言われる。

私がきれいな部屋にいたい、その気持ちだけで片付けていたわけじゃなかった。

時間が遅くなって焦ったり、途中を見られて血の気が引いたり、あまりの物の多さに嫌になったり、しがらみで捨てられなくて結局元に戻したり・・・全然変わってない。

褒められたいのに、褒めて欲しい人に知られたら最終的に嫌味を言われることに怯える。

褒められたいから、褒めてもらえる片付け直後の状態だけが目的になって、結局続かない。

そんなパターンができあがってた。



最近のモチベーションは、子供部屋を作ってしまって、明け渡すこと。そして、心置きなく自分の部屋を好きなようにすること。

そのために子供部屋にする部屋を空にしたのに、それでも人を呼んで褒めて欲しいんだなあ。

子供部屋は子供のもので、私が自慢するためのものじゃないよね。

一度、この目的は放棄した方がいい。

誰も人が来なくていい。

私自身が、まず今の状態をただ楽しんだらいい。



そして人と会いたくなったとき、ちゃんとその気持ちを知ろう。

私は誰に会いたいだろうか。

何を話したいだろうか。

そのために家に来てもらうのがよければ、それから呼んだらいいよね。

頑張って片付けたことを自慢したいのも、それもいい。

でも、いつでもきれいな部屋に片付けている私、なんて、やっぱり無理してる。私を縛ってる。

もう散らかった部屋のままでも人を呼べるよ。

散らかってたって、それはそれでいいじゃない。

散らかってたって、それはそれで私っぽい。

たぶん、片付いてても私っぽい。

私が疲れない、気持ちいい部屋で過ごせているなら、誰が褒めてくれなくてもそれはきっと私らしい。
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2010年12月09日

子供嫌いからみえたこと

部屋が片付いているようになったら、ひかるとのぞむが友達を呼びたいと言い出した。

子供部屋ができてからね、と保留している。

そうか。

私が、散らかっててほしかったのかもしれない。

部外者に立ち入って欲しくない。

わたしの場所。私の家に。

散らかった状態をキープすることで、言い訳を作っていた。

散らかってるから、入れたくないって。



子供部屋を作りたかったのは本当。

でもそれは、子供たちに居場所を与えて居間から追い出したかったんであって、子供たちが友達と遊べる場所を提供するためじゃない。

私は自分だけの場所が欲しくて、まだそれにしがみついていて。

自分の子供さえもテリトリーから追い出したいというのに他人の子供をテリトリーに入れるような余裕なんてない。



私の「子供」観は、たぶん歪んでいる。

子供は、大人の思惑に関わらず好きなように家の中を興味本位で見たがるし、勢いで動くから油断できない。

そして、遠慮なくストレートにものを言って、うちの惨状を言いふらす。

これは実際に子供の頃付き合いのあった子供たちによってできた「子供」観なんだけど、こういうことがまたいじめにつながったりしてるから、不信感が大きい。

偏った相手としか付き合いがなかったからよけいに偏った子供像ができてしまったんだろうけど。

私にとって、他人の子供というものは、私を侵略する存在に思える。

私は、子供っていう存在を恐れている。

私の方が、子供より自信がない。

子供に対して、こんなんでいいんだよって思えてない。

やっぱり、まだ思えてない。



他人の子供にどう見られようと、私という存在には影響はないんだろう。

でも私はまだ傷ついてしまう。

子供の何気ないストレートな物言いに、どうしようもなく傷ついてしまう。

それを自分のテリトリーでされてしまうなんて耐えられない。



ああ、それはまさに私の親のことじゃないか。

部屋と言って与えた私のテリトリーのはずの場所へずけずけと入り込んで、思ったままに私を傷つけて去っていく、親そのものじゃないか。

私の部屋をのぞいては散らかっていると溜め息をついていた母は、今ゴミ溜めのような部屋で何も捨てさせない。

あれだけやめてと言ってもたばこを吸い続けた父は、私が一人暮らしを始めたときに部屋へ呼んだら、たばこを吸わせないことに怒り、二度と来てやらないと言い捨てていった。

そんな両親を、付き合いのあった子供たちに映していただけだったんだろうか。



私はなんて、私の周りを鏡で埋め尽くしていたんだろう。

そこまでして周りを憎まなければいけないほど親を憎んでいたんだろうか。

そこまで私は親のことで頭がいっぱいだったんだろうか。

本当は私は親のことを考えたかったんだろうか。

憎みたいだけ憎んで、嫌いたいだけ嫌って、嘆きたいだけ嘆きたかったんだろうか。

それなのに、私が、思考が、親のことを閉め出したから、全部周りに映して八つ当たりしていただけだったんだろうか。





私は、たぶん、もう親からは守られているよね。

自分を守ることはできるようになっているよね。

それなら、もう、なにも怖がらなくていいんだよね。

子供は言いたいことを言うけど、私が傷つくことはないんだよね。

私はもう、あの頃の私じゃないから。

あの頃の私にとっては、他人の子供って存在は世界そのものだったけど、今の私にとっては、小さな存在だよね。

怖かったんだ。

世界そのものを乗っ取られるような。

私そのものを否定されるような。

あの頃の私はそんな恐怖をもっていたんだ。

大丈夫。

私は私でいい。

大丈夫。

怖くないからね。
posted by 蝉ころん at 18:10| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月03日

隠したい・見せたい

部屋を片付けだしたらパソコンが壊れかけて、片付けをしながらどうしようと考えて。

新しいマシンを手に入れたら、前のが型が古すぎてディスプレイにつなげなくて。

また片付けをしつつどうしようか考えて。

ディスプレイも別のを手に入れて、セットアップなんかしていたら、結構楽しいことに気がついた。

壊れかけたパソコンはお気に入りなんだけど元夫との因縁もあるマシンだった。

今度のは、完全に私が選んで私が買って私の自由にできる初めてのマシンだ。

わくわくするし、嬉しい。




私はこういう手あかのついていない自分だけのもの、ってのにすごくこだわりがある。

そうでなければ自分の意見が通らないと感じてるからなんだな、と思う。




さらに探ると、誰にも知らせずに隠しておきたい気持ちがある。

知られると、使われてしまい、使われると、自分がしたかったことをされてしまったり、傷をつけられたり、けなされたり、気に入られたり、返してくれなかったりする。

そして私のお気に入りが汚される。

そういうことをとても怖がっている。



さらにその奥に、実は見せびらかしたい、自慢したい気持ちもとても強く持っている。

見てほしい。

私が嬉しいことを。

私が好きなように、やりたいようにすることをとても喜んでいることを、ただ見守ってほしい。

これすごいの。これ面白いの。楽しいの。

ただそう言いたい。

そうなんだね、よかったね。って見ててほしい。

うん。だから、見せびらかしたいんじゃなくて、伝えたかったんだ。

ただ私が嬉しいこと。

ただそれをわかって欲しかったんだ。

だから、同列の子供相手じゃ無理だった。



私が伝えたいときにそばにいる相手は、兄であり、クラスメイトだった。

そんな相手に伝えようとするとどうなるか。

面白そう、やらせて。えーやだまだ返さないもーん。

なにこれ、つまんない。こんなのが面白いの。変なのー。

そうなる。子供だもんね。この反応に罪はない。

でも私にとってそれは侵略だったし、攻撃だった。

だから伝えることを封じた。



上の立場で、私が面白がっているのをただニコニコと見てくれる人に伝えたかったんだね。

そしたら私は喜んでまたウキウキと取り組んだだろう。

全てをオープンにしたままで何も不安を持たなかっただろう。



私は要求をする相手を見つけることができないままで、大人になってもまだ周りの人間に親の役割を求めている。

子供たちにも、触らせたくない気持ちと見せたい気持ちを持っている。

お母さんすごーいって言って欲しかったりする。

そのくせ、放っておいて欲しかったりする。

そんなのを、子供に求めたくなる私がいる。

すごいでしょ、ほら、見ててね、ほら、いいでしょう。

そんなことを言いたかった、言えなかった。

そういう気持ちがくすぶってる。

言いたかったなあ。

言いたかったんだよね。

すごいねえって、言って欲しかったんだよねえ。



ただにこにこと見守っている。

大きく咲いたひまわり。

お日様の方を向いているようでいて、頭を垂れて足下を見守っている。

明るい足下で戯れる子供たちを見守っている。

求めているのは、そんなイメージ。






で、前のパソコン。

データを移動しようと電源をつけたら、前回聞いた不穏な音は全くなくて、すごく順調に立ち上がってくれた。

まだしばらく元気に使えそう。

完全に壊れる前に伝えてくれたんだろうか。

辛い時期を乗り越えるのに力を貸してくれたマシン。

ありがとね。

もうしばらく、よろしく。

posted by 蝉ころん at 18:52| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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