2010年11月19日

ひかるの悪夢

ムカムカをうまく消化できなかった日の夜、ひかるは夢を見たらしい。

お母さんがぷんぷん怒って何かをしている夢だったらしい。

それでそのあとの会話。

「そっか、お母さん昨日おこりんぼだったからそんな夢みたのかもね」

「そうね」

「やっぱりおこりんぼになってるって思ってた?」

「まあね」

「そうだよね。ごめんね」

バレバレでぶつけてたってことで。まだまだだなあ。

ひかるは、私が怒ってるときは警戒してこんな話はしてこない。

しっかり私の機嫌をみて話してくる。

すっかり察知能力が身に付いてしまったことに、罪悪感を感じたりもする。だけどこれは、私の問題としてずっと私が持ち続けるもの。

それはそうとして、ひかるからこんな話が出来るのは、きっといいこと。

私も自分がおこりんぼになってたことを認めているのも、たぶんいいこと。

最終的にはこんな話がなくてすむようになるのがいいんだけど、まだまだそこまでは辿り着けないから、良くなってること、上向いていることをちゃんと確認しておこう。



そしてひかるの夢のことを考える。

ひかるは幼稚園の頃、夜中にときどき、突然泣き叫んで怖がりだすことがあった。

よくわからないことを叫んでいる中で、必ず、「お母さんがいい!」と言った。

大丈夫って声をかけても、揺さぶって起こしても、抱きしめても、なかなか泣き止まず、そのまままた眠ってしまう。

1年に2・3回のことだったので、そんなこともあるのかなと、あまり気にしていなかった。



小学生くらいになっても同じような夢を見ていたようで、起こすと「あそこにいる、怖い」なんて言うようになった。

幻覚みたいなものが見えていたらしい。

それは、私に重なっていることもあり、別の場所にいることもあった。

抱きしめたりしても、触ろうとすると抵抗することもあった。

相変わらず、「お母さんがいい!」と叫ぶ。

何ヶ月に1回かの頻度で繰り返すうちに、さすがに気付いた。

私が夜に爆発したときに見ているらしいこと。

たぶん、ひかるが見ているバケモノは私だってこと。

お母さんがバケモノに変身してしまったことに、ショックで泣き叫んでいること。

とにかく夜には怒りを抑えるようにして、だんだんおさまった。



本当はバケモノが私だって気付いたとき、私はすごく悲しかったんだ。

あの私は、バケモノなんだって。

ひかるにとっては、お母さんじゃなくてバケモノなんだって。

今はわかる。

これは、私の中の、怒りもわかってほしい、受け止めて欲しいっていう、ころんちゃんの感情。

ひかるに向けたらいけないことだけは、そのときもわかったから、自分の中に納めてた。



だからお母さんが怒ってたって言われたときは、ちょっと嬉しかった。

ひかるの夢の中で、怒っている私はちゃんと私の姿をしていたんだなって。

私の怒りのレベルが落ちたのと、ひかるが成長して私の中にそういう部分があるって言うことを理解しだしたのと、両方なんだろうと思う。

最近は、夢を見て笑っていることも多いひかる。

あのころの悪夢はもう数年見ていない。

寝相もけっこう悪くなった。

のびのび寝られる環境を与えることが出来ていなかったなって思う。

いつか、ひかるの夢の中のオコリンボ母さんもいなくなればいいな。

オコリンボは私の中だけで暴れさせられるようになったらいいんだから。



いろんな形で、私に気付きをくれる子供たち。

いつまでも鏡させてないで、私が先を行けるように。

お母さんばっかり見てないで、自分たちのことを見つめられるように。

そんなふうに思う。

posted by 蝉ころん at 16:43| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

目を逸らすもあり

ただいまひかるが現実逃避中。

そしてそれに付き合わされ気味。

それがとてもイライラする。うざい。

これは私がひかるの問題に影響されているからイライラするんだってことで。

今はそれどころじゃないはずでしょう?

とか

そんなんじゃなくって本当に気にかかってることがあるんだろ?

とか

そんなことが頭をぐるぐるしててひかるの話もろくすっぽ聞いちゃいない。

ひかる自身もそんなに聞いてもらいたくて話してるわけじゃない。

ただ目を逸らしていたいだけ。

目を逸らすための道具が欲しいだけ。

それそれ。

道具だ。

道具にされてる感じ。

人間じゃない。私じゃない。道具。



今はそんな場合じゃないはずなんでしょう?

目を逸らしていたいだけなんでしょう?

それで私を目を逸らす道具につかって、それで、結局は・・・・

私のせい?

知るかよ!

そんな切羽詰まってるなんて私知るわけないじゃん!

私を巻き込むなよ!

あんたの問題でしょう!

あんたが見たくないと思うのは、あんたの問題でしょう?

そんなことまで責任を押し付けないで!

私をいいように利用しないで!

「だってころんが・・・」

って言われる度に「ええええええ????」て思ってた。

私のせいじゃないよ。

逃げたきゃ自分の責任で逃げな。

巻き込むために私を産むな。

言い訳のために私を作るな。

そんなことのための命ならいらなかった。

私はいらなかった。



私は、私をいらなかった。

ああ、またここに繋がった。

ここ最近、ずっと、掘るべきか迷っている引っかかり。

でもまだ時期じゃないと思っているから・・・。



今日はひかるとのこと。

ひかるは逃げたいってことにも自覚なく逃げている。

それに私は付き合いたくない。

私と話したいわけじゃなく、ただ時間を流したいだけの脈絡のない話を延々と聞かされるのが辛い。

ひかるの母親として、ひかるの心に傷をつけた人間として、それに付き合わないのはどうなんだ?と考えている。

私が傷をつけたから、ひかるはこういう行動をする子になったのに、その結果を引き受けないのはどうなんだ?って。

これが、私の辛さの原因か。

また自分を縛ってる。

これはひかるの問題だった。

ひかるは自分の問題と向き合う権利がある。逃げる権利もある。

私は、ただ私が引き延ばしに付き合うのが嫌だってこと。

私は道具にされたくないってこと。



私とひかるの関係が加害者と被害者だってことも忘れちゃいけないけど、縛られないこと。

それより先に人間と人間ってことが大切。

何度でも確認しながら進もう。

posted by 蝉ころん at 10:25| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

夏休みが終わった

夏休みをひたすらグータラ過ごしたひかる。

休み明けからそこそこ宿題も登校も順調に見える。

完璧主義を受け継いでるひかるのことだから、夏休みで取り戻したエネルギーで無理をしてるんだろうな。

でも本人ががんばりたい気持ち、ちゃんとしたい気持ちを持ってるわけだから、勝手にブレーキをかけようとしない。追い立てもしない。

ただ、本人が必要としているものを渡すことができたらいいな。

と、思うのだけど。



まーなかなか上手くいかない。私の気持ちの方が。

とにかく予想外のアクシデントが立て続けに出てくる。

私からしたら、ありえない、なぜ?の連発。

見守る、じゃなくて、見守らされてる。

そんな感覚になる。

ぐにゃぐにゃに曲がった平均台を目隠しで歩いている人に方向を指示させられてるみたいな。

勝手に1人でやってろバカーーーーーーー!!

いちいちこっちに頼ってくるなら目隠しなんかすんじゃねーーー!!

なんて言葉を、閉じこもって声に出す。

やっぱり親に向ける言葉だなってすぐに気付く。

気付くことができるようになってきても、気付いたらひかるへの気持ちは楽になるようになってきても、それでも衝動はいくらでも沸いてくる。

衝動に飲まれているときの怒りは相変わらずで、本を破いたりして発散して、ころんちゃんを探す。

ころんちゃんを出して落ち着くと、ひかるへの気持ちがほどけてくる。




ひかるはまだ頼りたいんだよ。

できるようになってしまったら、できることなのに頼っちゃいけないって感じてるから、自分で目隠しをつけてしまった。

頼りたい気持ちをかなえるために、目隠しに気付くこともできなくなってる。

いつかひかるも自分で気付いて外すのかな。

それを背負わせたのは私でも、ひかるが自分でいらないと思うまでは誰にも外すことはできないもの。

ひかるを信じて任せる。

毎回、それを確認する。

修行のような日々。

でもたぶん自分を解放し続けてる日々。




それから、この夏に起こったこと。

最近、ひかるがなかなか寝付けなさそうなとき、頭をなでたりトントンしたりすることがある。そうするとあっというまに寝ちゃう。

それが私にはすごい驚きなんだ。

私はずっと親とは別で寝ていたし、小さい頃は兄が隣に寝ていて、兄が乗っかってきたり蹴飛ばしてきたりで寝付けなかった思い出しかない。

それでかどうかわからないけど、自分以外の人間に触れられたり、ひどいときには気配を感じただけで、目が覚めたり寝付けなくなったりするくらい敏感になった。たぶんすごく眠りが浅いと思う。

だから、夜にはできるかぎり静かにして気配を消さなければいけないと思っていた。

そんな感じだったから、ひかるが私の気配で安心して寝ちゃうってことが、私にとってはすごい衝撃だったし、ひかるにとっての私という存在の影響力をすごく感じた。

お母さんってそんなにすごいんだ。

私もたぶんそうなんだ。そうだったんだ。

それを感じた時、撫でてたひかるの頭がとっても小さく感じて、幼稚園に通ってたときくらいの、小さな子に思えて、それでまた、やっぱりそれくらいのチャイルドを抱えてるんだなって思った。

それで、かわいいな、大好きだな、って思って。

ひかるにそう素直に感じられていた頃の感覚が戻った気がした。

それがまた嬉しかった。

今年の夏のひかるとのできごと。

posted by 蝉ころん at 21:26| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

感情をごまかす表情

ひかるは以前、火がついたように泣いたと思ったら、泣き止んだとたんに笑い出すクセがあった。

泣くことを否定されていると身に付く、自分をごまかす方法。

否定されることを恐れて、泣くより強い表現で覆い隠す。

笑うことで、泣きたくなる感情を押さえ込んでいる。

だから、笑い方も妙に明るくて不自然。




私も子供の頃はそんな時期があった。

繰り返すうちに、そのうち泣く前から笑うようになっていくんだ。

そして悲しいってことさえも忘れていく。

最後には悲しい時でも笑っている人間が出来上がるんだろうな。




感情を否定されるのはとても辛いね。

感情は私の源なのにね。

ねじ曲げて、素直に表現できないって苦しいね。

まっすぐに表していけばいい。

私そのものを出していけばいい。

ごまかさなくても大丈夫。




最近、ひかるは泣き続けるようになってきた。

泣き止んだ後は、ぼーっと放心している。

泣き尽くせてるといいんだけど。

ひかるも少しずつ変わっている。

解き放って、進みたい方へ進んでいったらいい。

変わりたい方へ変わっていったらいい。

私はそれをしっかり見守ろう。

見守るのが辛い時は、自分を掘り起こそう。

押しつけはもうたくさんだね。
posted by 蝉ころん at 16:34| Comment(4) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

待つ・・・

上の子がどうにも宿題をやらない。

気になって仕方がない。

なぜ?

時間はあるのに。
やったら終わるのに。

出しても手をつけない。

なぜ?

少しずつでも、やったら減っていくのに。
減らしていけば必ず終わるのに。



ネックは私なんだな。とは、感じる。

私が押し付けてるんだろうな。

何かを。

何を?

「宿題ができない子」の役割?
私が見つけたやり方で克服すること?

ああ、また、勝手に答を作って解決しようとしている。

自然に見えてきたものが答。
居心地が悪いからって、無理矢理、答を捏造しちゃダメ。

沸き上がってくるまで待つ・・・。



上の子にも。

「やりたいのに、できない」

そう言っているのに。

できないの?
本当はやりたくないんじゃないの?
できないならもうやめちゃえばいいじゃない!

詰め寄ってる。無理矢理、答にしちゃおうとしてる。

別にやらなくてもいいんだよ、なんて言っても、許可になってない。命令になってる。

違うんだ。

子供自身から今言葉になって出てきたこと。それだけ、受け止める。

言葉になるのを、態度になるのを、待つんだ。



待つのが辛い。

待つって、難しいんだ。

なんとかして終わらせてしまいたくなる。

そんな状態を見ていたくない。

見ていられない。

私も待って欲しかったんだ。

模範解答じゃない、心からの答が出るまで。

気持ちを言葉にできるまで。

焦らないで気持ちを感じさせて欲しかったんだ。

気持ちを感じたかったんだ。



いつのまにか焦っちゃってた。

私のことも、子供のことも、急がないで、待つんだ。

大丈夫。

焦らなくていい。

ゆっくり待とう。

しっかり感じられるように。

心が動けるように。
posted by 蝉ころん at 21:44| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

横取りされたりとか

上の子に影響が出てきたなーと思う。

今までとちょっと違う形で現れてきた。

下の子が、私に対してイタズラしたり、わかってて困らせたり、そういうことをしていて、私が下の子に対して気持ちを伝えようとしていると、上の子が割り込んでくる。

そして、私の言いそうなことを、代弁する。説得してやめさせようとする。やめるまで一方的に説明し続ける。

ん〜〜〜。

私と下の子との問題なんだけどな。入ってきちゃうんだよな。

入ってこずにいられないんだよね。

上の子のときは、それを私がしてたもんね。

とにかくやめさせてた。

有無を言わさず「悪いこと」に仕立て上げて、やめないのは悪い子ってことにして。

罪悪感植え付けまくってた。

これって実家でのやり方だったな。



今は、私は嫌、って伝えて、やめる、という選択肢を選ぶかどうかは子供に任せるようにしているんだけど、それはまだ上の子にはうまく理解できてない。

まだ上の子には残ってるから。私がしてきたことの記憶が。

だいたい、私もまだ新しい方法が上手にできてないしね。

私が変化していったら、上の子も少しずつ変わっていけるかな。変わらないことも、ありえるんだよな。

それもまた、受け止める。



こういうことがおこったとき、ちょっと前までの私なら、すぐに割り込んでくることをやめさせようとした。

でもそれも違うのかなって最近は思う。

それをすると上の子は否定されることになるから。

過去にしたことが、いろんな形で表に出てくる。

その場ですぐに答えが出せないことも多くてなかなか一筋縄ではいかないけど、ちょっとずつは前進してるかな。

難しいけど。

母ちゃん負けないよ。前に進むよ。



なんか、「かあちゃん」になっちゃった。
posted by 蝉ころん at 23:19| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

最近の子供たちとの関わり

子供たちのケンカが増えてきました。

いろいろなことが影響して、今の状態があるんだろうなと思います。

下の子は卒園で、一番仲良しの友達とお別れになるのがとても辛いようで、かなりナイーブになっています。全身で寂しさを感じているんだろうな。保育園からも帰りたがらず、困ることもあるくらい。

そんな感じで、少しのことで傷つきやすく、上の子がそんなことはおかまいなしにキツいことを言うとすぐ着火しちゃいます。

上の子は上の子で、最近交友関係が広がって、友達と沢山遊んでいます。今までは下の子と遊ぶことで満たしていたものを、友達と遊ぶことで満足するようになったので、下のこと遊ぶ必要がなくなってきています。

逆に下の子は今、友達と離れる寂しさからか、家でも誰かとつながっていたい気持ちが強くなっているみたい。

関係が今までのものから変化しているんですね。



私は子供の頃、兄弟ゲンカは悪いこと、として育てられてきたけど、こんなふうに状況や関係が変化することで、ぶつかることが出てきたり、関わり方を変える必要があったり、そういうことなんですね。

今は、ついつい介入しそうになる自分を抑えて、こちらに話を向けて来たときに、その相手に対して寄り添うだけ、という立場で見守るようにしています。

どちらの味方というわけでもなく、相手を非難せず、ただ話を聞いて気持ちに寄り添う・・・

なかなか難しいけど。

解決は当人同士に任せるようにしてみています。
posted by 蝉ころん at 21:53| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

クリスマスで考えた

クリスマスですね。

うちでも子供たちはサンタさんにプレゼントを貰いました。(^^)

そこで上の子、しっかりサンタさんにお願いしていたものをもらったにもかかわらず、

「これじゃないのがよかったのに・・・」

あーーーきた。んなこったろうと思った。こういうときに素直に喜ばないんです。

私もついつい「それじゃサンタさんも残念だろうね」なーーんて言ってしまいましたが。

ふっとね、私もこんなふうに素直に喜べない子だったなと。それで「素直じゃない」とか「あげた甲斐がない」とか言われ続けてきたなと。

これ、「あげている側の論理」なんですよね。「喜ばそうと思ったのに喜んでくれないなんてつまんない」という。これが極端になると「人がくれてやっているのに喜ばないとは何事だ」までいくこともあると思います。

なんのためのプレゼントなのか?ということですね。

「私が喜ばせたい」ためなのか、「子供が喜ぶ」ためなのか。目的が入れ替わっちゃってます。「子供が喜ぶ」ためのものをあげておいて子供が喜ばないからってその責任を子供に押し付けちゃあまずいですよね。「私が喜ばせたい」ために子供が無理に喜んでもしょうがないわけです。

・・・この感じ、モラでしょ?



それから、こういうとき一番残念なのはもらったものを喜べない子供本人なんですよね。子供だって喜びたいに違いないもの。それなのに、ものを見たとたんにそれまでのワクワクがサーッと消えて、つまんないものに変身しちゃう。

プレゼントって、開けるまでは可能性が無限にあるんですもんね。それなのに開けたらたった一つのものになっちゃって、それまでにあった他のあれやこれやそれやの欲しいものはもういっぺんに消えちゃうんです。

「こんなのもらった!」っていう喜びより先に「あれもこれももらえなかった」が見えちゃったら、がっかりですよね。

子供にはそういう時期があるのかもなあ、と思いました。

ただでさえがっかりしているときに、それを見てさらに残念がられたり下手したら怒られたり・・・そんなんなら別にいらなかったって、思いますよね。私もずっとそうだったのに。私自身が満たされたいもんだから、子供のプラスの反応が欲しくて仕方ないんですね。

がっかりしている気持ちも、子供の大切な気持ち。それでいいんでしょう。まだまだ喜んでもらえなかった今の私の気持ちが鎮まるわけではないけど、がっかりしていたあの頃の私の気持ちも、思い出してみようと思います。



そしてこのあと上の子も、結局もらったものはやっぱり欲しかったものではあるので、しばらくしたら楽しそうに遊んでいました。下の子は頼んでいたものとは違ったのに最初から喜んでいました。
posted by 蝉ころん at 22:35| Comment(6) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

立ち位置

子供たちが喧嘩をして、泣き出して、どちらかが私のところへ状況を伝えてくる。

私はこのとき、共感して、一緒になって悲しんだり腹が立ったり(喧嘩が始まった時点でそりゃそんなことしたら怒るだろ!とかすでに一緒になって腹が立っている)することが多い。

でもこれって、もう1人を悪者にしてしまっている。

逆の立場から見ると、相手が怒るようなことをするにはそれなりのわけがあって、それはそれで理解できる。

で、お互いの気持ちを理解すると、私はどっちの味方にもなろうとして、どっちの味方にもなれずになんとかして収めようとしてしまって、結局私自身の怒りに火がついたりして泥沼化・・・というのが毎度のパターン。



これって、以前書いた「悩む権利」とも繋がるけど、入り込み過ぎてるんだなあ、と思うようになってきた。

共感とか感情移入とか、そこまではまあ、感情を理解できるからいいとしても、そこで感じている感情をまるまる私が引き受けて私の問題にしてしまっている。それで、私自身ならこう解決する、という「答」を渡そうとして、受け入れてもらえないと。

子供たちが「答」を受け入れられないことは仕方がない。

じゃあ私は違った対応を考えないと私自身がうまく感情を収められないわけで。



ちょっと違った視点からのアプローチ。子供たちは私に感情移入を望んでいるだろうか?

私は子供たちの話を聞いている時、ほぼなりきって感情を顔に出していることが多い。悲しい顔とか悔しい顔とかになっていると思う。

これって、子供は嬉しいだろうか?

感情を理解してくれるのはきっといいだろう。でも、お母さんまで一緒になって悲しがられたいか?

そんなことないんじゃない?

そっかー、悲しかったんだね。でも大丈夫だよ。って笑っててくれる方が嬉しくない?

悲しい時にお母さんが悲しい顔をする、って、「悲しいと感じたらお母さんが悲しむ」→「悲しいと思っちゃいけない」のメッセージになっちゃうんじゃない?私が本当に目指している「悲しい時は悲しくていいんだよ」になってないんじゃない?

と、そんなふうに。

まして、怒ってる時にお母さんが怒ってる、って、ねえ。私が怒ったらお母さんが怒り出す→怒っちゃいけない、ってなっちゃう。

私が目指してるのと違うじゃん。



お母さんの表情を見ている子供にとって、笑顔はOKのサイン。怒り、悲しみはNGのサイン。

やっぱ笑顔が大事なんだな〜。



そのためには、悲しみや怒りに共感したら、一歩引いた立ち位置で、笑顔で、ってできるといいんだけど。

仲裁者にならず、裁判官にならず、ただそれぞれの感情にOKを出す。それができたらいいんだけど。

結局それはどうやったらいいんだろうなあ。という状態。(^^;



とりあえず今日思ったことでした。
posted by 蝉ころん at 23:38| Comment(2) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月29日

悩む権利

なんだかすっかり週一更新になってますが。(^^;

最近子供と関わっていて思うことです。

すぐ答を渡してしまうなあって。

もっと悩んでいいんじゃないか。もっと挫折していいんじゃないか。最初はそのくらいに思ってました。

でも今は、もっと悩む権利がある。もっと挫折してのたうち回る権利がある。もっと苦しむ権利がある。

そんなふうに思うんです。

悩んで苦しんで挫折して、それでようやく自分なりの答を見つける。そういうことを、させてやれてるかなって。子供たちの答を見つける権利を妨げてないかって。

親になっちゃうと、ついつい苦しませたくない、って気持ちが先に立って、簡単に答を渡してしまうけど、そうするのは本当に子供のためになってるのかな?と思います。

もちろん場面にも、問題にもよりますが。

私自身、こうして夫との関係をずっと振り返って悩み続けてきて、いろんな人にヒントを貰いながら答を見つけてきて、結局は誰かが言っていたことと同じ結論だったってことばかりですが。

だからって、じゃあ最初からその人の話を受け入れてればよかったか、っていうとそうではない、やっぱり自分なりの道程を通って得た答だからこそ、心から納得もできたんだと思ってます。

答だけもらっても、ダメなんですよね。納得いかないんです。

それを、子供相手だとポンポンやってしまいます。こうやったら早いんだから、つべこべ言ってないでさっさとしてー!ってのが本音ですが。(^^;

でもやっぱり子供たちも納得いってないんですよね。そのうち自分で同じ答に辿り着いて、初めて知ったかのように報告してくることもありますし。全く身に付いてなかったんだってのがわかります。

自分で頑張って得たことって、人にもらったことよりインパクトがあるようですね。



そうして考えてみると、今の社会って、社会に出るまでほとんどの場面で答が用意されていることばかり。

学校だって、授業で考えて身につけなくても教科書を見れば答が出てるし、電化製品には取扱説明書とともに細かい注意書き。おもちゃにだって説明書が付いてますね。そして危ないところは全部子供が危険を感じるより前からとっくに立ち入り禁止だし。遊びに行くにも、そうそう1人で小さい子供を外に出せるような社会じゃなくなってきましたから、親が付いていくでしょう?そうするとやっぱり親は口うるさくしちゃいますから。

水泳の授業で、水に慣れる体験よりも先に泳ぎ方という答を教わるような感じ。

大人が余裕がないんですよね。

これだけは出来るようにさせなければいけない。
いついつまでに終わらせなければいけない。
ここでケガされるわけにはいかない。
悲しい思いをさせてはいけない。

先を考え過ぎるんでしょうか。ここでこうなったらこうなってしまう、って、見えちゃうから手を出さずにいられなくなっちゃうんですね。

でも、そこで選んだ結果を体験するっていうのも権利の一つなんじゃあないのかって気がするんです。苦しくても、悲しくても、怒りが沸いても、それを体験するのはとても貴重なことなんだって。

私は母が変に気をきかせたおかげでおばあちゃんのお葬式に出られなかったんですが、それはかなりショックなものでした。区切りがつけられない、悲しむこともできない、やり場のない感じ。

そういう、なにかモヤモヤしたものをたくさん残させてしまってる気がします。

もっと余裕のある大人になりたいなあ。先が見えているんだから、その予測をうまくつかって自分の対応を考えておくとか、そういうふうに使えないかしら。

後ろには私って母親が控えてるんだよ。いくらでも悩んで考えてていいんだよ。どうしようもなくなったら頼ってきたらいいよ。ちゃんとお母さんはここにいるよ。

そういう姿勢で見守れたらいいなあ・・・。

難しいことではありますが。

一歩引いて全体を見ながら、本当に子供が答を求めているのか?って、せめてそのことは考えられたらいいんじゃないかな、と思うのです。

余裕のある時に少しずつですね。
posted by 蝉ころん at 00:46| Comment(5) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

PTAで思ったこと

子供のPTAの役員に当たっていて、いろいろと用事があって集まったりすることがあります。

その仕事に対しての愚痴がすごく多くて話が進まないのが困りもの。やっちゃえば終わるのに〜せめて作業しながらにして〜説明を先にして〜って感じです。

話を聞いていると、責任を感じなくていいところまで責任を感じて、「なんでこんなことまで責任を負わなきゃいけないの?」って怒ってるんです。

担当外のことはそんなに気に病まなくていいんじゃないって思うんだけど、いや、そんなことないどうせまたクレームが来るし・・・って。

で、私もちょっと進歩したかな、と。責任範囲が見えるようになってるなって。

私も同じようなクレーム受けてたらしいんですよ。実際直接話したんですけどね。私が聞いててクレームと思わなかったんですよ。ただ困ってる現状を訴えてるだけ、とか、どういう経緯でこうなったか知りたいだけ、とか。

これが責められてるように聞こえちゃうんだな〜と。

それって、モラに遭ってるときの状態に似てる。そして、それを相手に叩き返そうとする様はモラにも似てる。私も2年前だったらそんなふうに感じてたかもしれないです。それで、罪悪感を受け止めきれないと、権限を振りかざして相手にぶつけちゃう。

これって辛いよね。どっちも。文句言ってるわけじゃないのに、文句と思われるのも辛いし、きちんと仕事してるのに、まだ何か言われる!って隅から隅まで非がないようにやり遂げて、それでもなにか不意をつかれやしないかと身構えてるのも辛い。

なんとかならないかなっと思っても、この人たちの抱えてるものは家庭にあるようなのでどうしようもないんですよね。流されない程度に愚痴を聞くくらいしようがないかって感じです。



この状態、私が子供といる時の感じにも似てるな〜とふと思いました。

子供がただ感情を出しているだけのことを、責められたように感じてないか?
子供ができないことをできることと決めつけて、子供を追いつめてないか?
子供に任せればいいことを、勝手に責任を感じて重く受け止め過ぎていないか?

だいぶ大人同士の関係での境界線ははっきり引けるようになってきたけど、子供との境界線はまだまだだな〜とちょっと反省しました。まだぶつけたくなる何かが私の中に潜んでますね。生活が落ち着いたらまた探ってみます。

それに子供って成長するから、境界線も流動的なんですよね。きっと大人同士より上級テクが必要なんだわ〜。

がんばろっと。
posted by 蝉ころん at 13:33| Comment(8) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

喧嘩の仲裁

子供同士で喧嘩をしていると、仲裁に入ることがあります。

普段は、なるべく子供たちが自分から私に要求してこないうちは介入しないようにしていて、求めに応じて話を聞き、どうしたらいいかを一緒に考える、と言う形を目標にしています。(なかなかうまくは行きませんが(^^;;)

たいがい下の子が先に離脱してくるんですけど、話を聞くと、上の子が悪そうに聞こえます。それで、上の子に話を聞くと、下の子が悪いように言います。どっちも本当なんですよね。ただ、自分に都合の悪い事実は隠していたりしますけど。

心掛けたいなあ、と思っているのは、解釈・解決策を押し付けないこと。難しいですけど・・・。こちらからは提案のつもりでも、言い方によっては押し付けになってしまいます。特に、言うことを聞かせる形で子育てをした上の子は、こういう押し付けに敏感に反応してきます。そうなると、頑になってしまって話がこじれるんです。

下の子は、自分のどうしたいか、という気持ちを素直に出せるので、受け入れられない提案にはきっぱりとNOが言えるので、少しくらい言い方が悪くても大丈夫なんですが・・・。

なるべく、喧嘩の元になった感情を引き出して、2人ともそれぞれにその気持ちを認めてあげたいなあと思います。中立でなくて、どっちともの味方。同時にって本当に難しいですが。行動はどっちも悪かった、でも、選んだ行動が間違っていただけで、その動機の感情は間違ってない、って、認めてあげるのが目標です。



ここまでは、私が1人で子供といる時の話。

夫が家にいて、関わっている状態で喧嘩が始まると、私も巻き込まれてしまいます。

喧嘩が始まってというか、喧嘩になりそうな時点で介入してしまうんです。たいがい、下の子が先に機嫌を悪くするので、ひどくならないうちに・・・と先走って上の子の行動を規制しようとしてしまいます。上の子の気持ちも汲まずに。「もう嫌みたいだからやめときな」って。それで上の子が機嫌を損ねて、ふてくされちゃう。

これって、下の子のご機嫌取りになってますね。その場の雰囲気を悪くしないために、下の子を優先させて、上の子を犠牲にしている、そんな図式になっていると思いました。さらに言うと、雰囲気を保とうとするのは、夫がややこしくなられたら私が嫌だから。子供に楽しませてやりたいから、といいつつ、夫の機嫌を損ねないために子供の気持ちを無視しているわけです。考えたら、下の子の気持ちもちゃんと確かめてませんし・・・。

たしかに夫が機嫌悪くなったら子供も楽しくなくなるんですけどね。まだそこまでいってないうちに勝手に止めちゃうのもよくないなあって思いました。信号が赤になりそうだからって急ブレーキかけて玉付き事故、みたいな感じかも。

焦らない、急がない。いつまでたってもこのキーワードが必要な私ですね。(^^;
posted by 蝉ころん at 15:09| Comment(2) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

怒ることって?

上の子が担任の先生のことを「悪いことをすると怖いくらい怒る先生らしい」と聞いてきた。

夫がそれを聞いて、怒ってくれる人は、○○のことを考えてくれている人だよ、悪いことをする人になって欲しくないから怒るんだよ、怒ってくれない人よりずっと○○のことを考えてくれているんだよ、と言っていました。

夫は、先生のことを言っている形で、自分が子供に理不尽に怒ることを正当化しています。お前のことを思ってのことなんだから、受け入れて怒られろ、ということです。私も以前はこんな正当化をしていました。そしてこのことに対して疑問も持たず、怒ることで行動を変えさせて子供を育てていました。

最近いろいろ子供との接し方、自分のチャイルドのことについて学んできて、実際に子供たちと接している上で、少しずつ考え方が変わってきました。今は私は、怒るのは、「今、すぐ、直ちに」相手の言動を変えさせたい時にとる強硬手段だと思っています。

これは、怒っている方に余裕がない状態なんだと思います。相手のことより、自分が、今相手を変化させられないことに焦っての行動です。

相手の将来のことを考えるから怒ることがある、ということですが、確かによくあることだと思います。

でも、本当に子供の将来のためにそこで怒る必要があるか?というと、そうでもないことも多いようなんです。子供の安全が脅かされているときなど(道を飛び出したら車にひかれるとか)では、確かに怒ってでも行動を変えさせなければいけない状況です。でも、他の多くの場面では、今、すぐ、直ちに、行動が変えられないからといって、将来までその行動を引きずるわけじゃありません。きちんと話をして情報を伝え続けたり、諦めずに粘り強く促していれば、そのうちだんだんと身に付くことが多いようです。しかも、強迫観念なしに自分で選び取った結果として身に付きますから、とても自然です。

なるべく怒らないで子育てをするほうが、よさそうに思うんです。親だって、別に怒りたくて怒っているわけじゃないので、「怒らせないで」なんて発想になってしまいます。でも怒っているのは、やっぱり大人の側の都合だと思います。



じゃあなぜ、「今、すぐ、直ちに」行動を変えさせたいのかというと、いくつか理由があると思います。

まず、大人自身が同じように行動を変えさせられて育った場合、それでなければならないと信じ込んでいる場合があると思います。他のやり方で身に付くことを経験で知らないから、失敗することを怖れて出来ないんです。しかも、「今、すぐ、直ちに」子供をしつけられなければならないという強迫観念もあるでしょう。

この場合には、子供のことを想う気持ちが確かに原動力となっています。でも、怒ってしまうのは、やっぱり大人自身が子供の成長する力に自信を持てていないからということになる気がします。放っておいては身に付かないから、強制的に身についたことにさせるというやり方の気がしています。

それから、親が行動を変えて欲しいから、というのがあると思います。子供はやめたくないことでも、親が迷惑だからやめてほしいとき。あとで面倒が降り掛かるからとか、体調が悪いからとか、とにかく、自分に取って不都合だから、行動を変えてもらいたいときです。

これは、相手が子供だと言っても、相手には相手の都合があるし、意図もあるし、説得してお願いして、行動を変えてもらう、というスタンスであたった方がいいことのようです。無理に行動を変えさせられないことで、自分の行動にしがみつかず、相手のことを考える余裕ができるようなのです。

それに、ただ言ったことを聞いて欲しいから、というときもあります。言っただけで聞いて欲しいから。わかって欲しいから。受け入れてもらえなかったことに大人自身が堪えられないから、怒ってでも言うことを聞かせようとする場面です。

これでは、大人の言うことを聞かないから怒る、という、理不尽な怒り方になってしまいます。これは明らかに親の感情の押しつけだと思います。大人の言うことにだって間違いはあるんだから、自分で判断して言うことを聞かない選択が出来るのは立派なことだとも思えます。



夫のしていることは、こんないろんなパターンがある、「大人が子供を怒ること」について、全て子供のためを思ってのことだから受け入れとけばいいんだ、として子供に背負わせることです。これでは、怒る人は全ていい人になってしまいます。そんなことはないですよね。先生だって間違えることはあるし、子供に悪い影響を与える人もいますし。人によって、全く正反対の行動で怒ることもあり得ます。



実は夫のこの言葉には裏があって、ここ最近、私があまり子供たちを怒らず、大声を出さず、気持ちを聞いて諭すように接していることをかなり意識しています。暗に、お母さんはお前のことを考えていないんだぞ、と含ませているのです。ここでなければ誰も信じてくれませんが。こんなこと。(この、「私にしかわからない」ところをうまくつくのがモラハラのやり口ですね。裏の意図通りの効果を上げつつ、表面上は子供のことを考えているいいお父さんにしか見えない、指摘されてもそう言い逃れ出来る・・・。こちらは動きがとれない、と)

夫自身は、上の子が自分の主張を引かないことが増えてきて、手を焼いているので、怒ることが増えてきています。自分が怒ることを正当化した上で、私が怒らないことの評価を下げる・・・。実にうまいじゃないですか。

夫は言うことを聞かせたいようで、以前、夫がヒートアップしだした時に私が子供を庇ったら、「こいつは親の言うことを聞かなかったんだぞ!」と口にしました。「親の言うこと」、と隠れ蓑を着せて、その実は「俺の言うこと」です。これが本音です。夫にとって、子供というのは親の言うことをなんでも従順に聞くものなんでしょう。夫はそのように育ってますから。

私自身は怒ることが、自分の余裕のなさの現れ、押しつけだと自覚できるようになってから、少し気持ち変わりました。怒ることはまだブレーキが利きませんが、余裕のない状態にならない工夫に気持ちが向くようになってきたんです。子供の問題だとして子供に押し付けていたころは、私はあまり努力をしていなかったけど、私の問題と自覚したら、工夫に意識が向けられるようになったんです。

それに最近は、夫が怒っているのを見ると、前と違った感覚が出てきました。やだなあ、一緒にいたくないなあ。というのは前と同じですが、もっと気持ちが離れていると言うか。巻き込まれたくない、と思うようになりました。ああ、またいっぱいいっぱいになってる、放っとこう。って感じです。夫も、怒ることで問題を相手に押し付けてますから、自分では努力はしません。怒らせないようにしろ、です。

子供が巻き込まれている場合にはそういうわけにもいきませんが、一緒に巻き込まれて戦ってしまうより、子供が逃げ込める場所として、巻き込まれていない自分を確保するのが大切かもしれないと思うようになってます。

ときどき、横から夫が怒っている内容を奪い取って、夫を差し置いて子供の話しを聞いたりすることもあります。それで、私と子供だけで話を収めてしまったりすると、夫はそれ以上怒るわけにもいかず、怒りの矛先が私に向くんですよね。現実には、夫が必要以上に子供を傷つけてしまうことを避けられたわけですけど、夫にとったら面目を潰された形です。こういうのが冒頭の発言の要因なわけです。

でも直接言っても夫にはわかってもらえませんしね。一緒に暮らしているうちはこのくらいは仕方ないです。
posted by 蝉ころん at 12:35| Comment(8) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

褒めることは共感すること

すっかり間があいてしまいました。新しいカテゴリです。

このところ、夫との間で深刻な問題が起きていない分、子供との関係でうまくいかないことや、私が心残りのまま成長してしまった問題が出てくるようになりました。それで、わだかまっているものを出しつつ子供との関わり方を考えてみたいと思っています。



どうも子供を褒めるのが下手です。

あるとき、「せっかく人が褒めてるのに、この子は素直じゃないな」なんて思って、ハッとしました。

私もそういう子供だったんです。今もそういうところあります。自分ではすごいことができたと思ってないから、そこを褒められても嬉しくないんです。逆に、なんだこんな程度でいいのか、そんなら本気でやることないや、なんて、やる気をなくしたりしてしまいます。

なんでこうなっちゃうんでしょう。私の子供のころだって、褒められたい気持ちがなかったわけじゃなくて、むしろ、うまく出来た、いいことをした、なんて時には、きっと褒めてもらえると内心ドキドキしていたものです。でも、そういう時は、褒めてもらえるどころか軽くあしらわれるか、逆にアラを探されて気まずい思いをすることの方が多かった気がします。

かみ合っていないというか、私が納得してないところ、ただ大人が認めたい褒めたいから褒められてる。私が褒めて欲しかったことは全く認めてもらえなかった。

私自身がそうして育ったためか、子供に対してもそういうことをしてしまっています。

満足してない時に褒められると、「本当は満足していない」という気持ちを否定されているように感じるのかもしれません。「これだけ出来たんだから満足しとけ」みたいな。

子供を見ていないで褒めようとするから、こちらの気持ちの押し付けになってしまうんでしょうか。子供を見ていれば、感じていれば、どれだけ喜んでいるかは伝わってきます。そういう時こそ一緒になって喜んで、褒めてあげればいい、それだけでいいのかもしれません。

子供のウキウキに乗ってあげること、共感することが、褒めることへの道なのかなと、そう思いました。

考えてみれば、赤ちゃんのころは積み木が積めただけでお祭りのように喜んでもらえるのに、大きくなるに従って、大人の都合のいいことでしか褒めてもらえなくなっていきますね。遊んでいて褒められることなんてほとんどなくて、褒められるとすれば他の子供よりすごいことが出来たときくらい・・・。これじゃあ、自分なりに頑張っただけのことで満足してはいけないって教えているようなものですね。

子供の「やったあ」という気持ちを感じてあげられるようにしたいです。



それから、あまり褒められることのなかった子供の私、最近、子供たちに嫉妬メラメラのようで、子供たちに八つ当たりしちゃうので、子供たちを褒める以上に子供の自分も褒めてあげようと思いました。

私にもいっぱい「やったあ」があったはず。今の私なら、あのころの「やったあ」のすごさがわかるんだから、いっぱい褒めてあげたいです。
posted by 蝉ころん at 12:31| Comment(4) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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