2010年10月23日

自分の現実を認める

工場などの自己管理には、「人間はミスをする」前提で対策をするのが重要だって言う。

加害者性をもっている私も同じだって思った。

「私は人を傷つける衝動を持っている」

親のようにはなるものか、と思って生きてきたけど、そうはいかない現実を認められてないだけだった。

私は親のようになるように育ったんだ。

それを認めていくってこと。



私には、自分でも気付かないうちに封じ込めてしまった怒りがある。悔しさがある。妬みがある。

爆発的に表現されるのを待っている感情たちがある。

そして、取り込んでしまった表現方法がある。

コミュニケーションのつもりで身につけた間違ったやり方がたくさんある。

怒鳴る。

睨む。

見下す。

憶測で決めつける。

思い通りに動かそうとする。



無意識なほど出てくる。

リラックスするほど出てくる。

被害者だった頃、よく言われていた「加害者は、被害者相手に出す加害性を他人には出さないんだから、理解してやっている」という評価があるけど、それはやっぱりなんか違うんだ。

よそ行きの服を寝るまで着る事がないように、プライベートでは外用のキャラクターを脱ぐ。

プライベートでもよそ行きのキャラクターではいられない。

それをしようとして、爆発が大きくなる。

本当の自分が暴動する。

加害者は、もともと加害性を持っている。

加害性をもともと持っているのが私であること。

プライベートでも加害性を持たないキャラクターを演じ続けることはできないんだ。

私のプライベートの中に人を入れるということは、加害の的をつくるということ。



本当の私を消し去ることはできない。

本当の私自身が悪いわけでもない。

加害性のある衝動も、悪いわけではない。

間違った対象に向けていることに気付くこと。

コミュニケーション方法を学ぶこと。

衝動の表現方法を身につけること。

そうやって改善し続けいくこと。

これはきっと育つってこと。



きっと本当は産まれたときから始まっているコミュニケーションの学習が、うまくできてなかった。

足し算やかけ算を知らないまま、因数分解を丸暗記で解いているようなもの。

数字の意味も知らないまま、形だけ答を出したふりをしているようなもの。

足し算からやり直しても大丈夫。

頭脳は理解出来るところまで成長してる。

遅すぎるなんてない。

きっとちゃんと身につけられる。

私は育つって決めた。

posted by 蝉ころん at 09:49| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

我慢

頑張ることの前に私が背負ってきたことが我慢することだった。

こちらもいつ身に付いたのかわからないけど、先に身に付いた我慢することの発展が「頑張ること」≒「嫌だという気持ちを我慢し続けること」になったかもしれない。

我慢して、我慢して、本当は嫌なことをひたすら頑張ること。

我慢するために何かに没頭した。

本当はしたい何かから意識を逸らすため。

本当の欲求に気付かないように気を散らし続けた。




私はお母さんと遊びたかったし、お父さんの膝にのっかっていたかった。

でも言っちゃいけない。思っちゃいけない。

我が儘だから。

我慢しなきゃいけない。

いろいろしてみたいこともあった。

私がしたいことはなんでもしたら怒られた。

私のしたいことは悪いこと。

しちゃいけない。

1人でいたくない。

それも我が儘だから我慢する。

1人でいることを忘れるためになんでもいいから飛びついた。

本当にしたいことを考えないように没頭した。

やっていいことだけした。

ひたすら没頭しているうちに、1人で平気な子、という評価がついた。

ますます1人の時間が増えた。

1人で過ごしている限り怒られることもない。

1人は嫌だったけど、1人は楽だってことにも気付いた。

感情の起伏を起こさずにフラットなまま時間をやり過ごすことができる。

褒められることもなく、私を感じることもない1人の時間。

プラスもない、マイナスもない、私がいるのかどうかもわからない時間を過ごした。

私は1人でいるのが基本になった。



我慢して1人でいることが自然にできるようになってから、頑張って集団に存在する課題がやってきた。

そんな感じ。





仕事を辞めてからの私は、好きなことをしようと思いつつ、結局は仕事として成り立つようなことの中で好きそうなことを物色したり、好きそうなこと見つけては仕事として成立させる方法を考えたり、今から始めてそれなりの時間で仕事として身につけられそうなことかを気にしたり、やり続けられそうな好きそうなことを探したり。

好きなことをしようとしているつもりで、先々は仕事にしなければとか、やり続けてものにしなければとか、そんなことばっかりが頭にのぼって、頑張ろう、頑張ろうとしていた。

それで全然好きなものなんて見つからなかった。見つかるわけがなかった。

焦らなくていいっていいつつ、優等生は必死でケツ叩いてた。




頑張るのも外す。

我慢するのも外す。

がんばらない。

がまんしない。

むりしない。

posted by 蝉ころん at 18:58| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

モラってる時

私がモラ行為をしているとき、感じているのはなにかの後ろめたさ。

あんたたちのせいで!お前さえちゃんとしてれば!

自分の価値観の中で許されないことが発生したとき、自分の中の絶対のものに対して言い訳をしているだけ。

この人が悪いんです。私はちゃんとしようとしていた。私のせいじゃないんです。

ダメだっていったんです。やめろっていったんです。でも聞かなかったから私にはどうしようもなかったんです。

私は悪くない。

だから私をここから落さないで。

突き落として去らないで。

見限らないで。

私はちゃんとしてたんです。




私が怖れているのは私の中の私の裁定。

無意識に取り込んでしまったいろんな価値基準に沿って判断される。




私じゃない。

悪いのは私じゃない。

もうあそこへ落ちるのはイヤだ!

またあんな目に遭うのはイヤだ!




それなのに!

あんたたちはなんてことをしてくれた!

私は何も悪くないのに!!






奈落へ突き落とされるようなことは何もしていなかった。

私は過去に不当に裁かれて心が砕かれるような辛さを味わった。

だから私は二度と失態をすまいと頑張った。

頑張って頑張って、やっとびくびくながらも他の人と対等に交流できるところに到達した。

それでも足元に暗黒を感じていた。

私が何かを起こせばいつでも突き落とされる大穴がぽっかり空いていた。

細心の注意を払ってまっすぐに歩く。

他の人たちと同じ人であるかのように普通の顔をして振る舞う。

恐怖に震えながら、自由に振る舞おうとする私と子供たちの手綱を必死で握りしめているもう1人の私。

私の中のモラはそんな姿。






過去に受けた裁定は不当だった。

当時では負いきれないものをたくさん負わされた。

私にしか見えない恐怖をたくさん背負ってた。

子供たちがのんきに楽しそうに笑っている背後に恐怖を感じていた。

恐怖を感じていたことも封じていた。





ぐちゃぐちゃに絡まった糸は、無理に引っ張らないで易しくほどいていく。

引っかかったらいったん手を止めて、別のところからまたほどいてみる。

ゆるんだり、つまったり、もっと絡まったり。

ときには諦めたくなるようなキツい結び目になったところもあったり。

でも諦めないで、焦らないで、落ち着いて取り組めば、だんだんにほどけていく。

そんな感じでいい。

posted by 蝉ころん at 13:21| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

ルールの中の私

私は産まれた時からルールの中にいた。

欲求ありきではなく、ルールありきで生かされてきた。

あまりにもいつもそばにルールがあったから、それが当たり前のことになっていて気付かなかったけど、私はいつもルールの中にいた。

自分が不真面目でいい加減な人間だと自覚していたのに、他人から見ると真面目できちんとした人に見えるというのが不思議で仕方がなかった。

でも、ルールの中で生きていることがわかって、納得がいった。

真面目に見えて当然だ。

私はルールからはみ出ずに生きていたから。

自分にだけダメージがくるような悪さはするけれど、他人に迷惑がかかるようなことはほぼしていない。

私はただ、許された範囲の中で、ちょっとできた隙間の中で勝手なことをしているつもりになっていただけ。

したいことをしていたつもりもあったけど、したいことじゃなかった。

ただ、私にも許されているはずの権利を使いたかっただけ。

大量のしなければいけないこと、してはいけないことに囲まれて、ぎゅうぎゅうになっていた生活の中で、他の人間がしていることを羨んで、私だって、していいはず!って、主張したかっただけ。

してもいいこと、しなくてもいいこと、が欲しかっただけ。

私の欲求は、深く深く、埋まっている。

大量の決まり事の中に、埋もれている。



子供たちが、何か主張するたび、イライラするのはなぜなのか。ほんのほんの、些細なことでカーッと血が上るのはなぜなのか。

そんな疑問もあったけど。

私の中にはそんな細かいことにも、全部ルールがあったんだ。

生活全てが、ルールだった。

私の周りの誰にも見えていないルールが、私にはあった。

みんな、そんなことになるなんて知らなかったんだ。

でも、私は、言葉をかけられるたび、縛られていった。

なにげない、本当に何気ない言葉に縛られていった。

縛られないことが、ありえないことだった。

私の境界線は、ルールで作り上げていた。

私の気持ちからできたものじゃなかった。

ルールに従うことが生きることだった。

だから、縛られずに生きているのが許せなかった。




他の人が自由に動き回れる面の中で、私は網のような線の上を歩いていた。

他の人から見たら、そこにそんな線は見えない。

でも私にとっては、決してはみ出てはいけない線。

みんなと同じ場所にいるようで、同じように動いているようで、私は限られた場所しか通ってはいなかった。

その線さえ、少しずつ、減っていった。



私が、取り込んだルール。

ルールを取り込むものとして、生きてきたけど。

本当に、いつから身に付いたのかわからないくらい昔からそうやって生きてきたけど。



破壊する。

これは、本当に、いらない。

人を思いやることと、ルールに仕立て上げて自分を縛ることは違う。




しばらく、めちゃくちゃになるかもしれない。

いやきっとなる。

でも壊す。叩き潰す。

二度と使いたくない。

いや、使っちゃうだろうけど。

でももういやだ。

私が一時ばらばらのむちゃくちゃのとんでもない人間になったとしても。

もうこんなのはいやだ。

私は生きたいよ。

私でいたいよ。

生きたいんだよ。

posted by 蝉ころん at 19:57| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

チャイルドに試されていた

ころんちゃんの声が聞こえるようになり始めた頃、当時の私にしてはハードルの高い要求が多かった。

試されていると感じた。



本当に聞く気があるのか?叶える気があるのか?
こんなことできるか?面倒だぞ。恥ずかしいぞ。お金かかるぞ。太るぞ。

それでも、本当にやる?



やらないと信じてもらえないのは知っていた。

だって、やり方が子供の頃の私と同じだから。

私が親を試していた時と同じだったから。

ぎりぎり、許容限度を超える要求を突きつけて、それが叶えられないようなら本物じゃないって。

何回か要望を聞いていくうちに、ころんちゃんの厳しい要求は収まっていった。

現実的には満足できたらしかった。



次は、ブログ。

かなり激しい感情がでてきても、そのままを書くこと。

ただ私が受け止めるだけでなく、その感情を、世に公表してもいいものと認めた証明。

書くことで、ころんちゃんの存在を公にすることで、私が存在を認めたことを納得してもらえた。

その上で、ブログをそういう目的で使っていることは書いてはいけなかった。

「私はいろいろときついことを書いていますが、これを書かないと進めないからしかたないんです。本当の私はこんなこと考えてないんです」

っていう、言い訳になってしまうから。

私ところんちゃんは別物ですって言っているのと同じ。

それは、ころんちゃんを本当には受け入れていない証明になってしまう。

だから、ただそのまま、浮かんだままを綴り続けた。

言い訳をしたくなっても、なにか違うって感じた。

この感情は、ころんちゃんは私。私をそのまま出すんだって。




でも今日、親を断ち切る覚悟を書いて、もう試しはいらないんだとわかった。

あとは本番だけなんだってわかった。

不思議だけど、わかった。




逃げないで向かうよ。

恐いけど向かうよ。

きっと大丈夫。
posted by 蝉ころん at 21:47| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親を断ち切る覚悟

ここのところ親に関わる思いが続けざまに出てきた。

自分では、もうとっくに親は切っているつもりでいたから、あれ〜?と思っていた。

さっき見えた。

私はまだ命綱を握っている。

最後には親に認めて欲しいと思っている。

それがわかった。

親を切ったつもりでいても、同じように生家に対して絶縁宣言を叩き付けた人たちのブログを見て、安心を求めていた。

絶縁したあとに、関係が修復されていることを求めた。

「大丈夫、修復できるんだから」

そんな声を期待して。

やっぱり手放していなかった。

繋がっていたかった。




「覚悟」って言葉が出てきた。

記憶にある言葉。

ああ、あれだ、子供とはなれる覚悟をした時だ。

子供たちは、私から離れても生きていける。

立派に成長していける。

それを認めたとき。

子供たちが元夫と暮らすことになって、私は二度と会えないこともありうることを受け入れたとき。

私は子供たちと会えなくなることを受け入れた。

私がいなくても、それでも子供たちは大丈夫なんだと、子供たちを心の中で手放した。



共依存体質は私。

私から手放す覚悟を決めない限り、共依存は続く。

今度は親から私が離れるんだ。

二度と会えなくなる可能性は、ある。

それでも。

親を受け止める役を降りる宣言をしないかぎり、彼らはずっと私を道具として扱い続ける。

私は道具にはならない。

それは、親たちから見た子のあるべき姿をいっさい受け入れないと言うこと。

実の親から勘当された経験のある父。

絶縁になる可能性は高い。



私の生家の内部は共依存の関係だった。

離れても、続いている。

彼らが自分たちのしていることに気付かない以上、私が子供であることを放棄したら、関係は壊れる。




私は親を失うんだろう。

子供たちから祖父母を奪う結果になるかもしれない。

子供たちに恨まれる結果になるかもしれない。

親からは当然、恨まれるんだろう。




それでも私はその道を進むんだ。

それでも私は子供たちを育てるし、子供たちは育つだろう。

親たちは、私がいなくても今まで通り親たちの人生を進むだろう。

そう、私は親たちには必要ない。

親たちも私には必要ない。

覚悟を決めるんだ。

私は親を断ち切る。

私はその道を進んでいける。

ひとりでも進んでいける。
posted by 蝉ころん at 21:25| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当はどうなんだ

子供時代、私ら兄弟はなんでも自分たちでするようにしつけられてきたと思う。

自分のことは自分でするようにされていた。



それが、いざ、自立が見えてきたころから変わってきた。

違うメッセージが見え出した。

私は自活することを目指していたから、バイトを経験したかった。

それは父に阻まれた。

親の臑をかじっている分際で、自分で自由に使える金を増やそうなど許せないと。

そして母は私に家事をさせよう、させようとしだした。女だから。

兄には絶対にさせない。男だから。

私は、母が資格がないから資格保持者の父と一緒でなければ仕事もできないこと、家事を担当していることで、資格を取る時間もないことを聞かされていた。

私は家事が嫌いだ。

特に、家の仕事としての家事が嫌いだ。

家事では、暮らせない。

誰か稼いでくれる人がいなければ、家事を身につけたって生きてはいけない。

その家事を押し付けてこられるのがとても不快だった。



こいつら、みんなして私を使いもにならなくしようとしている。

私を、誰かに寄生しないと生きていけない人間に仕立て上げようとしている。

私を、母の代わりに家に縛り付けて道具にしようとしている。



私は家事が嫌い。

でも、好き嫌いの前に、私は家事を見下している。

そんなこと、やってられるか、と、思っている。

時間だけ食って金にもならないこと。
他になんにもできないやつがすること。
仕事のできないやつがすること。

そんなふうに、思っている。

封じていたんだ。

そんなことを思っているなんて!

でも思っているんだ。




封じていたから、見えなかった。

家事をする人=母を、見下しているんだ。

家事を理由に、逃げてる。

中学生にもなれば、見える。

別にそんなことに拘らなくていいじゃんってことに拘って時間を使う母。

そして時間を使うだけ使って、時間がないからと言い訳をする母。



やんなきゃいいだろ!

みんなもうほっといたらできるだろ!

やらせればいいだろ!

兄貴にだって、親父にだってやらせればいいだろ!

しょーもないことに拘って誰にもやらせないのは、お前だろ!!

家を言い訳にしてんじゃねーよ!

私に丸投げしようとしてんじゃねーよ!

みんな自分のこと自分ですればいいだけだろ!

ふざけんなよ!

やりたいことあるならやれよ!

私らのせいにすんなよ!!!

やりたくないなら、やらないのを家事のせいにしてんじゃねえよ!



あんたが自分で選んでんだよ。

何もできない状態を。



そんな母を見下してた。

思い通りになんかなってやるかと思ってた。

勝手に破滅してろ。

私はそんな道はいかない。




私は、ただ母を否定していただけだ。

いろんなこと、好き嫌い、したいこと、したくないこと・・・

否定するために、同じことには手を出さないようにしてしまう癖。

全否定しないと恐いから。

同化してしまいそうで。

やるからには、抜きさるまでしようとする。

影響を受けない位置まで。

こんな好き嫌い。

きっと本当の気持ちじゃない。

と、思った。
posted by 蝉ころん at 19:38| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月30日

絡まってくる感じ

また実家の母から電話があった。

私には電話はしてこないでと言ってあるけど、子供たちへの連絡は拒否しないと言ったら、毎週毎週かかってくる。

うちの家庭に入りこもうとしている。

子供たちを道具にしようとしている。



・・・キモチワルイ・・・



それでも子供が拒否しない限り関係については口出しはしないから、子供がいる時の電話は受ける。

今日は私に対して向こうからの親切(という名の押しつけ)の申し出があって、断った。

それでまた、細かいことを思い出す。

昔は断っても断ってもなんだかんだと理由をつけたり、お得感を主張されたりして、受け入れていたな。

自分を飲み込んで、受け入れて、その挙げ句、感謝が少ないことに文句を言われたり、お返しを強制されたり。

面倒くさい人だ。

どんどんと面倒になった。

関わるのが面倒で、さっさと受け入れるようになった。

踏み込ませるようになった。

まだ出来上がってもいない私に、ずかずかと踏み込んできて好き勝手して去っていく家族。

欲しい助けはまったくないのに、私が自分で世界へ踏み出そうと行動を起こすと、反応してくる。

私の動きに逐一反応してくる。

うざっ!

うざい、うざすぎる。

なんでも面倒になって家でやる気が起きない原因の一端はコレだな。

それから、行動の痕跡を消したくなる衝動も。

ワタシハナニモシテイマセンヨー

ナニモアナタノホシイモノハアリマセンヨー

ワタシハツマラナイニンゲンデスヨー




そのころは見えてなかった。

受け入れたくない気持ちになる自分が屈折してるんだと思ってた。

素直に受け入れられるのがいい子、いい人なんだと。

道具にされてただけだ。

思うように動きたいなら自分で動け。

私はあんたらじゃない。

あんたらの道具にはならない。

外に自分を求めるな。

あんたらは、あんたらの中にしかいない。

外を見てないで自分をちゃんと見つめてろ!

邪魔だ!
posted by 蝉ころん at 11:05| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月29日

イメトレ?

今日は、子供と遊んでいて、子供にのびのびさせるために自分を過剰に押さえていることがはっきり見えた。

あー、これかー、と思いながらそのまま子供と遊んでいたら、なぜか親に「いつまでもあんたはどーたらこーたら」みたいなことを言われているイメージがわいてきた。

実家のイメージ。

そこで、かっちーんときて、脳内で言いたいことをぶちまけてた。

うるせーよ!

あんたらがさんざん縛ってきたんだろーが!

兄貴も、私も、自分らの描いた通りに進ませようとして、がんじがらめじゃねーか!

それで動かないってこっちを非難すんのかよ!

気に入らないなら殴ればいいだろ?

子供の頃から、ずっとそんなのが恐くて、それでずっとなにも言えずに押さえ続けてたんだ。

もうこっちはそんなのどうでもいいんだよ!

今更そんなの恐くねーよ!

殴られたって痛かねーよ!

勘当でも何でもすればいいだろ!

縛り付けてんじゃねーよ!

いつまでも利用しようとしてんじゃねーよ!!

私の人生は私の思うように生きる!

てめーらが何を考えてようとそんなのは関係ねーー!!



がーーーっと出た。

イメージ内には子供もいたけど、それでも出し切った。

どんな影響があるか知らない、でも親に歯向かってもいいって見せるんだって感じてた。

歯向かいたくなる時が来たら私にも歯向かってきたらいいんだからな!って。

子供と遊びながら。涙もでてた。

出し切った後も、我に返ろうとする自分とまだ感覚を手放したくない自分とがいた。



なにか少しずつ、動いてるんだな。頭の中で。

決別しようとしてるんかな。

今度実家行ったら、何か動くんかな。

それはころんちゃんが決めること。

動きたかったら、感情が動く。

それを表現する。

覚悟を決めておけってことなのかも。



脳内でも、体が震えた。

なんだか達成感。

よくやった。わたし。
posted by 蝉ころん at 18:25| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家庭に求めていたもの

土日、子供が家にいて、いろいろと要求してこられたり、ただくっついてこられたりすることを、うっとおしいと感じる。

関わってこられなくても、子供が家にいると所在ない感じがする。

少し深く掘ってみる。

侵入されている感じ。

いつ攻めてこられるかわからないピリピリしてる感じ。

もっと落ち着きたい。

安らぎたい。

ただ私が私のままでいることを、させてほしい。

そんな感覚がでてきた。



ただ私のままでいられる安心感が欲しかった。

これって、生家に求めるものじゃないか。

私は子供たちに対して、親として受け止めるんじゃなくて、やっぱり、親の役割を求めていたんだなあ。

そして、やっぱり私は生家で親の役割を求められていたんだなあ。

安心なんてなかったんだよ。

自分の部屋があったって、安心なんてできなかったんだよ。

部屋が欲しかったんじゃない。

場所が欲しかったんじゃない。

安心が欲しかった。

そうだったんだよね。



心から安らぎたい。

芯からリラックスしたい。

解放したい。

解放していい。

リラックスしていい。

怖がらなくていい。



でもまだ、根っこから信頼できてない。

何にっていうと、やっぱり自分になんだな。

どうせひかるやのぞむを優先するくせに。

侵入させるくせに。

「親」であることを優先するくせに。



っあ〜〜〜〜〜〜。

難しい!

いや、そうだ、そう、わかる。

ひかるを優先してない。のぞむを優先してない。

「親」であるならこうすべき、が来てる。

ひかるとのぞむを大事にしたい、じゃないんだ。

「親」の自分を捨てられてないだけ。

「親」としての理想の姿のために自分を犠牲にしてるだけ。

「子供」が存在するだけで無意識に「親」の仮面をかぶってしまってる。

だからリラックスできないし、だから苦しい。

「親」である必要はないんだ。

ころん、ひかる、のぞむ、個人個人の関係。

あ〜〜〜〜〜〜。

わかる。

でもなんっかわかんない。

もちょっと時間を。

もう少し熟成させて。

なんかでも、とっかかったぞ。
posted by 蝉ころん at 13:50| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

超えたかった

バク転できるようになりたい、ってのがなぜか1ヶ月ほど頭にあって。

アラフォーでねえ・・・

まったくそんな素地のない状態からねえ・・・

さすがに体に悪いんじゃないの・・・

なんてぶつぶつと浮かんできてはいた。

たぶん、なんかスクールに行ったりすれば、きっと受け入れられるんだろう。

おばちゃんだからって邪険にされたり嘲笑されたりなんてことはないんだろう。

でもなんとなく、ハードルの存在を感じたまま。



ふと、昔はこんなことができる環境はなかったんだよなー、と思って、そしたら母の声が浮かんできた。

「いいねえ、今はいろんなことができて。お母さんの頃にはそんなことはできなかったからねえ」

そうそう。そう言われてたもんだ。

言われるたびに変な罪悪感を感じたっけ。

私も子供に言いたくなることがある。

その時の心理は、私が、やりたいことを我慢しなきゃいけなくて、ひたすら我慢してきたことででてくる嫉妬だった。

子供がしていることがしたいわけじゃないんだ。たまたま同じことな場合もあるけど。

やりたいことをやりたいと言えることが納得いかないだけ。



母も、したいことをきっとずっと我慢し続けていたんだろう。

私が意識し出した頃には、なにもしたいことも出てこない、欲しいものもない、ただただ我慢をしていることに気付くことのできない人だった。

いつ頃からか、私も自分から我慢をするようになった。

母だって我慢してたんだから。

誰々だって、こういう辛さを乗り越えたんだから。

だから、私だってできるはず。

我慢してみせる。

そして

そして・・・・・

超えてみせる。



超えたかった。

見下したかった。

あなたたちがさんざん自慢してきた、昔の我慢なんて、どうってことのないことだと。

ほら、簡単に乗り越えられた。

いつまでも過去の苦しみを振りかざして、バカじゃないの?

私はもうあんたたちを超えたから。

だから、もう、言うことなんか聞かないから。

そう、宣言してみせるって。

だから、戦時中を通り超えてきた父がうざかった。

俺なんかどうのこうの〜

今の奴はどうのこうの〜

うるさいよ。

そんな苦しみ、経験できるわけがないじゃん。

今の時代にそんな状況になれるわけないじゃん。

こちらが超えられない経験を盾に取るなんて、そんなのきたない。

でもとにかく、耐えて耐えて、くぐり抜けてやるって思っていた。

超えたかった。

声の主をちっぽけな存在に落としたかった。



そうすることで、声の影響から逃れたかったんだ。

そうして、呪縛を解きたかったんだ。

呪縛を解くための行動だったのに、呪縛をよけいに絡ませることになってしまった。

声の主の価値観の上で争っていただけだった。



やっぱり頑張ってたんだね。

自分のために。

解き放たれようとして頑張ってたんだよね。

すごいよ。

でもさ、もういいよ。

解放は私ができるんだ。

その頑張りは、向ける方向を変えよう。



したいことはしたくていい。

納得いかない我慢はしなくていい。

実行するのか、実行しないことを選ぶのかだ。

我慢なんかしなくていいんだ。



動いていいよ。

表現していいよ。

ころんちゃん、あなたはあなたのままであっていい。

わたしはわたしのままであっていいんだよ。
posted by 蝉ころん at 12:04| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

終わらなくていい

最近、よく思うのは、振り返りは終わることはないんだなっていうこと。

振り返りを始めたばかりの頃は、私の中に大きい何かがどーんと居座っていて、つっかえてて、とにかくそれを外すことができれば世界が全く変わるんだ、なんていうイメージを漠然と思い描いていた。

そうすれば、解放されて未来だけをみて進めるんだと思っていた。

でも、湧き出てくるのは、小さな小さな感情の芯に、雪だるまみたいにいろんなものがくっついて大きくふくらんでしまったものばかり。

実は実体は小さい小さいものだった。

大きなかたまりがどこかにあるはず、と探してみたけれど、出てくるような気配もなく、見つかりもせず。

相変わらず小さな思いを救い出す日々が続く。



だんだん、こういうことかも、と思う。

そういうことなんだ。

私の中に埋もれた思いはたくさんたくさんあって、前に進むのを塞ぐ思いだけが浮き出てくる。

私は、それが出てきたときにそれを感じ取って、救い出していけばいい。

埋もれた思いは、きっかけがあれば浮き出てくる。

平穏に過ぎている時間の中でも、突然堰が切れて湧き出てくる。

これはずっとこれからも続くことなんだね。




問題は、それに対処できるかどうか。

いつでも、思いが出てきたら、感じて救い出す。

どうしたらいいかはもう知っている。

でも、まだうまくできないときもある。

封じられた思いは、最初は小さな思いだったけど、大きくなってしまっているから、救い出すのは結構大変。

日常に押し流されて思いを感じられないことが続いたら、また逆戻り。

ころんちゃんの信用を失ってしまう。

日常の中でも、思いを感じて救い出していける自信が、大切なんだな。

そしてその自信がしっかりとできてきたら、過去を恐れずに今を歩けるのかもしれない。

そうだね。

私が恐れているのは、未来じゃなくって、過去なんだな。

未来に起こるはずの過去の出来事を恐れているみたいな。




ケリはつかない。

つけなくていい。

私とはずっと一緒なんだからね。
posted by 蝉ころん at 09:40| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月27日

いろんな自分

片付け続行中。

子供の問題も続行中。

片付けも、学校関係のことも、淡々と、それなりに関われるようになってきたけれど、マイナスの感情がないわけじゃない。



捨てても捨ててもまだまだ残る元夫のもの。

なんで私がこんなことをしてやらなければいけないんだ?

勝手に溜め込んでおいて、捨てていきやがって!

ふざけんな!

次から次から降り掛かる学校関係の問題も。

飲み込んでも飲み込んでも問題が増えていく。

しかも、1人が問題発生するともう片方にも伝染するから×2になるし。

いいかげんにしてよ!

私1人でそこまで背負えるかよ!

これ以上問題増やしてくんなー!




ふーーーー。



そうね。

どっちもね。

私の問題じゃないんだ。

元夫の問題、子供たちの問題。

それを、背負ってるから、重い。

もう人の問題を背負いたくないんだよね。

嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!

いい加減にしろ!

いつまでかかるんだ!

これは私への声だ。




やっぱり我慢してたんだな。

我慢して頑張ってたんだな。

頑張ることができるのが嬉しかったのもあったし。

子供がにこにこ笑ってるのも嬉しかったし。

でもちょっと休憩したほうがいいのかもね。

そう。

仕事は行ってないけど、だからって何もしてないわけじゃない。

今の私は今の私で、精一杯日常を生きているから。

頑張ってるから。

疲れもするし、嫌にもなる。

そういうことを封じ込めようとする回路ばっかり強くなってしまったな。




早くいらないものを処分して、すっきりした生活を取り戻したいのもほんとう。

子供たちに、健やかに育って欲しいのもほんとう。

人の問題を片付けるのが嫌なのもほんとう。

子供たちのサポートをするのが辛いのもほんとう。

どれが正しい悪い、これは合っててそれは違うなんてない。

全部全部、ほんとうのわたし。

全部の私で、言いたいこと全部ぶちまけて、それから始めればいい。

どれだけ矛盾があったって、言いたいことは言っていい。

私どうしで話し尽くして、私の選ぶ道を探したらいい。
posted by 蝉ころん at 09:07| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

大切にする

大事なものをしまいこんで大切にしてきた。

壊れるといけないから。

汚れるから。

もう手に入らないから。

もったいないから。

で、気に入っていたはずなのに使わずにただ大切にしてきたものたち。

ただそれがあるだけでなんとなくよかった。

いつか使おう。

いつか、お客さんが来たら。

いつか、上手にできるようになったら。

その、いつか、がこないまま今まで来た。



とっといてるだけで使わない方がもったいない!

ていうのが沸いてきて、大事にしていたものたちの封印を解き始めた。

いろいろと大切なもの、好きなものを使うようになってきて、さらに出てきた。

私もだなって。

私も、もったいない。

なんだろ。

いっぱいいっぱい理屈で包み込んで、ぐるぐるにして、大切に大切に守ってきた。

でも使ってない。私を使ってない。

私の体も、私の時間も、私の気持ちも。

なんか、ぜんぜん私を出してない。

ずっとしまってきたって思った。

それって、本当には私を大切にしてなかったんだな。





子供たちが、大好きなものをなんでもかんでもガンガン使うことにハラハラしていた。

すぐなくなっちゃうのに。

なくしたら悲しいのに。

しかもあまり大切にもしてないかんじだし・・・。

でもそれは私の勘違い。

子供たちは、使うことで大切にしてる。

大切なものとの時間をしっかり味わうことで、大切にしてる。

未来のために今を犠牲にしないで、今の思いを大切にしてる。




私は私の思いを大切にしよう。
posted by 蝉ころん at 12:28| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

感情の起伏の波

今、ちょっと感情の波の振れ幅が小さくてかなりフラットに近い感じ。

わりといい状態でフラットだから、かなりラク。

離婚当時にはフラットな時期でもかなり落ち込んでいた状態だったから、ずいぶんと改善したなーと思う。

さらに以前は、自分の感情に、フラットな時期や振れ幅が大きい時期があるなんてことも知らなかった。

否定していたから。



自分にもPMSがあることに気付いてから、わかってきた。

私が自分の感情の波を否定していたのは、女性であることを受け入れていなかったから。

女性であるまいとしていたために、女性であるが故に起こることの全てを否定していた。

生理に気分が左右されるなんてことを自分に起こしたくなかった。

そんなことは自分は絶対に起こさないと決めていた。

だから、実際には起こっていたとしても、そういう事実からは目を逸らしていたんだろう。

それで常に何かイライラしていて、原因を他に求めていたように思う。

誰それがあんなことをしたから。

こうなるべきなのになっていないから。

そうやって、全力で見ないようにしてたんだと思った。

全てに理由をつけて本当の感情は置き去りにしてた。




受け入れることができたら、いろいろと見えてきた。

フラットな時は、子供といるのは楽だけど、自分の感情と繋がる感覚がすごく弱い。

やらなきゃいけないこともあまり抵抗なく進められる代わりに、気付かないうちに自分に無理をさせてしまいがち。

それがわかってきたから、意識して自分を大事にする。

PMSの時期は、子供のちょっとした言動に過剰に反応してしまうし落ち込みやすいけど、感情は強く感じられる。

確かに大変な時期なんだけど、ころんちゃんと繋がるには最適なんだ。

子供との関わりには気をつけて、自分の気持ちを最優先に閉じこもれる時間をつくる。

そんな風に自分の調子に合わせて過ごすことができるってわかってきた。



やっと、なのかもしれないけど。

自分とうまく付き合っていけるのは嬉しい。

気持ちの乱高下も。体の不調も。ぜんぶ意味があって起こること。

私は女だから私なんだってこと。

そんなこんなを大事にして付き合っていきたいな。
posted by 蝉ころん at 22:57| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

現状

仕事依存、なるな。

と、思った。

今、就職したら、必ずなる。

うん。

子供のストレス、家事のストレス、認めてもらいたい欲求、所属したい欲求。

そんなこんながまだまだ強い強い私。

どれだけ好きなことを仕事にしても、無自覚に認めてもらうための道具にしてしまうだろうと思った。

それで、潰れる。

またふりだしに戻るだけ。

やっとそう自覚した。



まだだ。

やっぱり今はまだ違う。

無意識でそう感じていた感覚はあったけど、やっぱり理屈ではいろいろと突っついてしまって焦ってた。

感じてたことを、やっと理屈も納得したって感じ。

いや、自分がそういう状態だってことを、やっと許せたのか。

まだなんだ。

今の状況は、普通は理解してくれる人はいないだろう。

理屈は、それが怖かった。

でも、気持ちの方は、私が受け入れてくれればそれでいい。

ころんちゃんは、私が納得していれば安心できる。



まだしばらくひきこもり。

とにかくそこがスタートなんだってこと。

それでいいってこと。
posted by 蝉ころん at 21:51| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

もやもや〜

もやもやーとして気持ちが悪いので書き出してみる。



今朝も宿題問題発生。

先生に連絡して、お咎めなしにしてもらうということで無事登校してくれた。

やっぱ登校拒否目前じゃないのかこれって・・・。

でもってやっぱりどう対処したもんだろーと考える。



本人は学校は行きたがってる。

でもいろいろの不備で怒られるのが怖い。

だからなんでも完璧にしたがっている。

特に宿題など、家ですることに不備が多い。

完璧にするためには気にするべきことが多すぎて、なにも手につかない。

学校での緊張と頑張りもあって、家では全く何もする気が出ず、余計に不備が増える。



・・・って状況だなーと思う。

完璧じゃなくていいんだよって、思えるようになるといいんだけど。

とにかく先生には私のスタンスを伝えて理解してもらおうと、連絡だけはしておこうと考えてる。

ひかるも、連絡してあると安心できるならいいだろうし。

そう考えつつ、先生が理解をしてくれないこともありうるんだなーとかぼんやりと思った。

それで逆に、私が理解してもらいたい気持ちがかなり強かったのがわかった。

なんとかして理解させたい、私の思った通りにしてもらうにはどうしたらいいかって考えてた。

気持ちを表現して、して欲しいことを伝えたら、あとはそれを受け入れるかどうかは相手次第。

つまり、先生次第。

そういうことも、ありえるんだなーと。

そうなると、ずっと辛い状況ということもありえるんだなーと。

本当に登校拒否ってのもありうるんだな。

そんなことが起こっても、なにがあっても私はひかるの味方だよ、っていう立場でいられるかどうか。

そしてそれをひかるに信用してもらえるかどうか。

その辺が、やっぱり鍵なんだな。

それも、私にできるのは伝えることと、私自身であることだけ。

信用するかしないかは、ひかる次第。



私は、できることの中で、無理せずサポートするだけ。

ひかるが自分を表現する力があることを信じるだけ。

ひかるとの関係でできることはそれだけ。



あとは、やっぱり私の中にまだまだ残っている学校への拘りを解放していくことだな。

私はどうも家庭で得られなかったものを丸々学校に期待していたみたい。

母の代わりを無意識に求めていたみたい。

だから、かなり大きい存在だったんだ。

縛りも強いし根も深い。

あーこれ、地域社会に対しても、あるなー。

私は「お母さん」を求めてずっとさまよってたんだなー。

そういうことなんだなー。




いろんなものを手放したい。

私を解放したい。

ひかるも、のぞむも、解放したいんだよ。

私は私のままでいいんだよー。
posted by 蝉ころん at 10:00| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

学校に行きたくなかったんだよ

今日も朝からひかるの宿題のことで一悶着。

登校拒否すれすれのところにいるひかる。

でも、私のために頑張って学校に行ってくれている。

私がまだ登校拒否のひかるを受け止められないのをわかってるんだね。




学校に行ってやらなきゃいけないことといじめっこに囲まれていたころ、登校できない子の家に遊びにいくのが好きだった。

病気で外に出られない子だった。

封じ込めていたけど、私はその子が羨ましかったんだ。

私も学校なんか行きたくない!

宿題なんかしたくない!

クラスメイトにいじめられるのももうイヤだ!

学校なんかイヤだ!

行かなきゃいけないから行ってただけ。

それだけ。

だから、行かなくていい子が羨ましかった。

私も行かなくていい子になりたかった。



大けがしたら行かなくていい。

死んじゃったら行かなくていい。

そんなことまで考えてたんだ。

そんなに学校が嫌いだったんだ。

頑張ったね。

頑張って通ったね。

偉かったね。



そう、学校は、きちんとできない子には冷たいけど、学校に来れない子にはやさしいんだ。

それまで学科の出来とか、提出物とかにどれだけうるさくても、登校拒否になったとたん、やさしくなるんだ。

学校行けてるだけですごいこと。

わたしはそんな子だった。

登校拒否すれすれだったのは私だ。

学校行けてるだけでも頑張ってた。



登校拒否、したかったな。

家の環境がよければね。

そこが無理だったんだな。

逃げ場がなくて、辛かったよね。

耐え抜けたけど、逃げられるなら逃げたかったね。

イヤな環境だったよね。





で。

これは、私の問題だね。

ひかるがどう感じているのかは、ひかるのもの。

登校拒否すれすれとか、勝手に決めつけないようにしよう。

危ない危ない。

私の感情は私が受け止める。

ひかるの気持ちは、ひかるから発信されることを受け止めるんだ。

ひかるはひかるのもの。

うん。
posted by 蝉ころん at 09:05| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

そのときそのとき

なりたかった職業。

実家の家業を別にすると、もの作り系が多かった。

服とか、靴とか、帽子とか。

一般サイズから微妙に外れていて、売ってるものだとサイズが合わないことが多かったから。

ないなら自分で作ればいいじゃん!って発想。

これは、なりたい職業ってのとは違うよなあって思ったり。

サイズの合う、気に入ったものが欲しいだけじゃん。サイズがあれば、別になりたくもないじゃん。

そう思うと、職業としてやりたいって思いがしぼんでいったり。

本当にやりたいことってなんなんだ?

とか、ずっとそんなふうに思ってた。



最近も、やりたいこととか考えてて、服作りたかったよなって思って。

でも今更そんなこと始めて、実にならないよ?誰も欲しがらないよ?ものになる前に引退の年だよ?

なんて、一瞬で蓋をしてる!

まて。

そんなことはどうでもいいんだ。

職業として成り立つとか、そこまで考えてどうする。

そんなのどうでもいいんだ。

未来のために今を修行に使おうとするのはいい加減にやめよう。

私が今やりたいなら、それでいいんじゃないの?

やってみちゃえばいいんじゃないの?



飽きてやめちゃったとか、もっとやりたくなったとか。

そんなのは後の結果。

そんな後の結果を勝手に決めて今を犠牲にするのはやめよう。

決めた結果で未来の自分に枷をはめるのはやめよう。

今の自分を楽しんで、そんでいい。

学ぶのも、遊ぶのも、働くのも、自分の思いからだ。

起点はそのとき。

いつでもそのとき。



完璧なものを求めて時間がかかっちゃうのもそのときの私。

時間がかかりすぎて疲れて飽きて面倒くさくなっちゃうのもそのときの私。

それぞれ、それでもいいんじゃない?

本当に欲しいものなら、したいことなら、飽きないはずとか、そんなもので縛ってない?

本当に欲しかったのも私。

飽きちゃうのも私。

それだけのこと。

欲しいものを作りたいためにお金を使ったら、そのときは使いたかったんだからそれでいい。

たくさん時間を使って完璧に進めていたら、そのとき満足できてるんだからそれでいい。

それだけのことをやっていても飽きてしまったら、それはそれ。

あれだけお金使ったのにとか、時間かけたのにとか、ダメなヤツなんて、そんなこと言った人がいたんだね。

もうその価値観は捨てていい!

私の裁量で自分のお金と時間を好きに使っただけのこと。

そのときそのときに満足してやってるんだから、飽きたってOK。

他のことがやりたくなってOK。




やっちゃいな!

やりたいんだったら、やってみちゃいな!

GO!
posted by 蝉ころん at 10:05| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

大好きって

だいぶ子供たちに「大好き」とかをわりと自然に言えるようになってきた。

伝わってるのかな。

それは本人にしかわからないんだろうな。

心がこもっている自信はないから。

自分の「大好き」が本当の大好きなのか。

子供たちにとっての「大好き」になれているのか。

それでも、私にできることは続けることだから諦めはしない。




私は、親からの「大好き」を感じたことはなかった。

好きだと思われてるなんて感じたことはなかった。

産んだ責任で育てられていると感じていた。

親自身がどう思っていたかは知らないけど、私はそう感じていた。

そして、そう感じていることに罪悪感を覚えていた。

自分を育ててくれている親に対して、そんな風に思っているなんて、って。



親の立場に立ってみて、確かに子供にそんな風に思われているなんて悲しいことだと思う。

でもさ。

子供の私は悲しかったんだよ。

自分を産んでくれた、大好きな親が、私のことを大好きだとは感じられないんだもの。

義務でなければ、いなくなっても構わないんじゃないかなって。

私はなぜここにいるんだろう。

親が、産んでしまったから、無事に育てなければいけないから、無事に育たなければいけない。

だから私はここにいなければいけない。

親が責任を果たすために。

そんなふうに感じていた。

そんなことを親に確認はできなかった。

傷つけること、傷つくこと、どっちも怖かった。

ストレートには聞けない、聞いても本当の答は得られない、大好きって思い。

言葉で何と言っても、態度が大好きになるわけでないことを知っていたから。

言葉だけで言って欲しくなかった。

本当に好きでいて欲しかった。

「お母さんは私のことキライなんだ!」

って、言ったことあったな。

「なに言ってんの、そんなわけないでしょ」

って返ってきた。

求めていたのはそんな答えじゃない。

キライだと受け止めてしまうことをされているってことをわかって欲しかった。

私は傷ついていたんだ。

傷つけないで欲しかったんだ。

私のことが何よりも大切だって思ってて欲しかった。

大好きだから傷つけたくないって思ってて欲しかった。

でも傷ついていることはわかってもらえなかったね。

大切だったのは私のカラダ。

成長しているという事実。

私のココロは、見てもらえてなかったね。

ココロは存在していなかった。



私は私のココロを守ったね。

ころんちゃん、頑張ったね。

かさぶたつくって、ココロを守ったんだね。

せいいっぱいで守ったんだね。

まだかさぶたは取れないけど、もうこれ以上は増やさなくていい。

ゆっくり癒そう。

大好きだから。

早く会いたい。
posted by 蝉ころん at 11:33| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。