2010年11月10日

ちょっと弱音吐く

親の世代が羨ましい。

自分の葛藤を下の世代にぶつけてよかった人たち。

子供を道具として使ってよかった人たち。

あれは間違いなんだと思ってやってきたけど。

羨ましいと思っている私も存在する。

私だって、誰かにぶつけてせいせいしていいならぶつけたい。

そして無意識にそれをやってきてたわけだし。

でも。

それはいけないことだと理解してしまった。

自分がしていると気付いてしまった。

悪い自分になるのは嫌だ。

自分を嫌いになるのも嫌だ。

それで逃げ場はなくなった。



逃げ場がほしくなってる。

疲れた。

変なの。

仕事もしてないひきこもりなのに。

疲れただって。

変なのー。




心の工事は大変だ。

頭の中に手を突っ込んで、間違って繋がった回路をプチップチッて繋ぎ直せたらいいのになー。

せめて全行程のどこらへんまで進んでるのか見えたらいいのになー。

なんて。

こんなこと書いといて、たぶん明日には復活してんだろうな。

posted by 蝉ころん at 10:15| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月29日

私の地盤

夜、子供たちが寝付いたばかりの布団の中で、じわじわと怒りが出てきた。

前回辞めた会社での人間関係で抑えていた怒り。

全く責任を持たない上層部。

上層部同士で互いに相手をかばい合いつつ、不都合なことは全て下層へ、下層へ、責任を押し付けて、手柄だけを分け合う。

自分たちの評価を外部にもらうためにあることないこと、口ばっかり達者な奴ら。

部下は部下で、全員がなにがしかの気持ち悪さを感じながら、自分を叱咤激励して、自分の至らぬところを向上すべく、ひたすらその日の業務をこなすしかできることがない。

ハラッサーの上層部と被害者集団の下層部で回っているように見せかけているだけのような会社だった。

そうだな、私はこれを後回しにした。

あそこで感じた怒りも妬みも悔しさも辛さも屈辱も、まずは横に置いておいて、過去の私の掘り起こしに専念する覚悟をしたんだった。

昨晩感じた怒りは、破壊し続けたいような衝動は全くなくて、怒りの感情を言葉で表現してみたらあっけなく落ち着いて拍子抜けしたくらいのものだった。

過去から繋がって出てきた怒りではなくて、ただそのときに感じていた分の正当な怒りだって、そんなふうに感じた。



だいぶ視線が現在に戻ってきた。

過去の思いが出てきたら、またそのときに対応できるだろう。

そんな自分に対する信頼がある。

元夫の被害者だった頃、かろうじて私に残っていた私自身に対する信頼は、人間の体の機能に対する信頼でしかなかったけど、今は、自分自身に対する信頼としてここにある。

まだ、弱い、脆い信頼だから、早急に現実にこぎ出すことはできないけど、この信頼を取り戻せたことが、単純に嬉しい。



それから、私自身を大好きだと思う気持ち。

あんなに不自然さを感じていた、「大好き」「愛情」なんていう言葉も、それなりに、今の私なりにしっくりくるところまできた。

愛情を母親に頼らなくても、私自身で私自身に注ぐことができるようになってきた。

のぞむにも、ひかるにも、「大好き」を向けることができるようになってきた。

無理しないで分けてあげられる量はまだまだ少ないけれど、確かに、ある。

今は、この、できたての柔らかい地盤を、しっかりした頼りがいのあるものに育てて行きたい。

ここまできた道のりのように、急がないで、ゆっくり。

今は少し、このほやほやのほこほこの土の感触を味わってから。

まだまだ、ゆっくり、進む。

posted by 蝉ころん at 09:19| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

受けるのか、受けないのか

ひかるからのコントロールを、受けるのがいいのかどうなのか、以前は迷いがあった。

それが私がした虐待の作用で、ひかるなりの表現だというなら、私は私のしたことの償いとして受けるべきじゃないのかと思った。

ひかるには私にぶつける権利があるんじゃないのかと。

でも今朝、ひかるの行為を、コントロールだ、と気付いたとき、同時に、私はこれを受けない、と決めた。

受けたらいけないことだと思った。

受けることで罪悪感を軽減するのは私の自己満足でしかないと思った。



あのとき、なぜそう思ったのか。

コントロールは、責任から完全に逃げようとする行為だ。

自分の希望に自分で責任を持たずに、他人が勝手にしたことにして責任を丸投げして逃げることだ。

そしてそのまま、自分の本当の欲求に気付かないまま、他人に背負わせて生きる道を進んでしまう。

だから、これを受けたらいけないんだって、わかったんだ。

受けることは、ひかるから責任を奪うことだ。




たとえそれが私のしでかした行為の影響だとしても、自分の責任は自分でしか背負えないことを、ひかるが学び直すために。

ひかるは、コントロールはコミュニケーションじゃないこと、希望を伝えるためには他の方法があることを知らないといけない。

まだまだ辛い道を進んで行かなければいけないことを思う。

私はただ見守るしか出来ないけど、ひかるは、その道をきっと乗り越えて行ける。

私はただ、目を背けずに見守る。

辛い道を進むひかるを、見守り続ける。

手も口も出さず、ただ、見守る。




私が受けるべきは、怒り。

虐待行為に対する怒りとして表現されたものなら、どれだけ長く続こうとも、受け続ける。

その怒りを表現して、私にぶつけることは、ひかるにとって大切な事だから。

私に向けるべき怒りを正当に表現することも、ひかるがひかるの感情に責任を持つことと繋がっていると思うから。

ひかるがひかるを受け入れるために大切な事だから。



ひかるはきっと、進んでいける。

posted by 蝉ころん at 20:42| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ひかるとの関係

私とひかるの関係は、今もまだ加害者と被害者という面が残っていると感じる。

私が加害者を残している限り、ひかるは被害者に戻るし、私の加害性が抜けたとしても、ひかるの私に対する恐怖心が簡単に抜けるはずもない。

ひかるの恐怖は、すでにもう隠されてしまっていて、歪んだ形でしか出てこない。



のぞむを見ていると、感情表現がとてもストレートで、とてもわかりやすい。

嫌なときは嫌なんだとわかるし、嬉しいときは嬉しさを体いっぱい表現しているし、怒っているときは言葉でも態度でも怒っていると伝えている。

自分自身に迷いを持っていないように思う。

のぞむとは、対等にケンカも出来る。謝り合って仲直りも出来る。

対等に人間同士として関わっている感覚がある。




ひかるは、とてもわかりにくい。

嫌なときに笑っていたりするし、嬉しいことでもすぐには反応しない。

それだけのことをしてきたんだなと思う。

そして、私のこと、相手のことを、伺っている雰囲気がある。

私が怒るか、笑うか、その瞬間を見ている。

私が笑っていれば笑う。怒っていれば引っ込む。



そして今日、ひかるは私に仕掛けてきた。

学校に行く、その時、突然床に転がる。

ドタドタと暴れて音を出す。

ああ、これは、私をコントロールしようとしていることなんだ、と思った。

「私が困ってるんだから、察して、助けにきて」という意味。

今までは、これに乗っていて、それが結局良くなかったんだな。

そのうち、泣き出す。

「こんなに泣いてるのに、助けにきてくれないなんて酷い」という意味。

関係が長いと、泣き方でわかる。

悲しくて泣いてるのか、辛くて泣いてるのか、責めて泣いてるのか。

ひかるは寝っ転がって、起きれなくて暴れていた、ということにしたい状態。

なんで来てくれないんだ、なんで助けてくれないんだ、このままじゃ学校に遅れるのに、なんで私を起こしてくれないんだ。お母さんのせいだ!



ひかるは、取引をしていたんだ。

学校に行くこと。

宿題をすること。

片付けをすること。

そんなことを、放棄することで、私と取引をしていた。

困るでしょう、私が学校に行かないと。

だから構って。私が学校に行けるように、問題を解決して。

嫌でしょう、片付けてくれないと。

だからなんとかして。私が片付けられないことをなんとかして。

お母さんのせいだよ?

うん。そう思ってたんだよね、私。

すっかり見抜かれてたんだよね。

自分が利用されてること、ひかるはずっとわかってて、嫌だったんだよね。

それで、立場を逆に利用して、私を動かすことを覚えてしまったね。




お母さんは、もう、察して動くことは、やめるね。

助けを求められたら、助けてあげることは出来る。

頼まれたら、手を貸すことは出来る。

でも、もう、勝手に答を探して、渡すことはやめるね。

ひかるの解決する力を、取り上げることは、もう、やめるね。

今までずっと、ごめんね。



これからが厳しい。

きっとひかるにとってはとっても辛いことになる。

ひかるはコントロールをコミュニケーションと誤解して学んでしまっているから。

私だって、ブレないでいられる自信なんかない。

特に生理前とか・・・冷静に問題を切り分けられる自信なんてない。



でも、踏み出すね。

加害者と被害者の関係から、抜け出すために。

私はひかるを手放す。

ひかるが私をコントロールしようとするのを受け入れない。

コミュニケーションで伝え合う関係に向かうために。



助けてって言っていいんだよ。

恐かったら恐いって言っていいんだよ。

嫌だったら嫌って言って、いいんだよ。

人を頼っていいんだよ。

そんな大切な事を、ずっと封じ込めさせてしまった。

ずっとずっと、恐いお母さんで、本当にごめん。



ひかる。大好きだよ。

posted by 蝉ころん at 11:45| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

犠牲にした心

泣きじゃくる子供を怒鳴りつけていたとき。睨みつけていたとき。

私の目に映っていたのは誰なんだろう。

ぶつけた怒りは本来は母へのものだった。

大声で泣いて怒りを拒絶する子供は母なんだろうか。私なんだろうか。

それともやっぱり、見えていなかったのか。



ただ泣き声としか認識していなかったのか。

泣き叫んで拒絶される母親。そんな酷いことをした母親。

そんな、外から見た私の姿だけを見ていたんだったか。

あの瞬間、私の目の中には誰もいなかった。

怒りをぶつけた私も、恐怖に怯える子供も、いなかった。

ただ、私の世間体だけがあった。

あるべき姿から外れた私の外面だけがあった。



私は、子供をキチンと躾けられる母親という「あの子」を目指して子供に強制した挙げ句に、虐待をする母親という、あってはならない「ダメな子」に転落した。

どちらをとるかを天秤にかけて、虐待をしない母親という「あの子」を選択した。

あの時点では、私の思考パターンは変わっていなかった。

それでも、あの一歩があったから、私はここにいる。

あの日選択した「あの子」を目指して、「あの子」はいらないんだって気付くところまできた。



今は、ひかるが私に怒りを出せるようになることを願う。

心に力が付いて、被害者のひかるから抜け出すために、怒りのパワーをもって加害者の私を捨て去ることを願う。

怒りはきっとそのために使うもの。

私はその怒りを正しく受け止めたい。

あの頃の、ひかるの恐怖と悲しみと絶望を、きちんと受け止めたい。

どうか、ひかるが、怒りを無関係の人に向けずに、正しく私に向けることが出来ますように。

そして、怒りから解放されることが出来ますように。

posted by 蝉ころん at 11:07| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

いろんな私

自分を振り返ってみて、自分の心の動きに気をつけて感じるようになって、人格といっていいのかわからないけど、何かが切り替わっているのがわかる。

状況によって出てくる、恐怖にさらされた時のための自分。ひたすら固まって状況が変わるのを耐え忍んで待つ、ただそれだけのための私が用意されている。

そして、緊迫した状況が過ぎ去ると、すぐに元の私に切り替わることができる。

意図してなっているわけでなく、頭の回路が自動的にそうしている。

切り替わった瞬間なんてものは全然気が付かない。

記憶も、感覚もつながっているのに、全く別の私になっている。

無意識に違和感なく切り替わっている。



その場しのぎに見える口約束も、その時の私は本気で約束している。

ただ、次の瞬間には、そんな約束をする気もなかった私がいる。

約束をしたときの気持ちも、恐怖を感じる用の私とともに、切り替えられて忘れている。

約束した記憶だけは存在するものの、約束は約束としての意味を持たずに、ただ恐怖の引き金として感じているから、約束自体を無意識に遠ざけてしまう。

そして、刻限が近づくと、約束とともに恐怖が沸き上がってくる。

恐怖に怯える私に切り替わると、目の前の恐怖しか見えなくなり、なにもできない。

そして約束を守らない私が出来上がる。



怒りに翻弄されているときの私も同じような感じ。

一瞬で頭が怒り一色に染まって、衝動のまま発散したくなる。

でも収まってしまえば、その時の怒りのレベルは理解できない。

言ったこと、したことは覚えていて、謝ったり、反省したりはするものの、その思いは怒っているときの私には引き継がれない。

反省はなかったことになってしまう。

怒りを出してはいけないって思いが、切り離した私。



辛くて悲しくて動けない私。

感覚がなくなったように真っ白な私。

見えているけど見えていない、聞こえているけど聞こえていない。そこにいるけどそこにいない。

誰も来ない、背の高い雑草の中でうずくまって1人で何も感じない時間をただ過ごすための私。

ただただ現実から逃げるための私。

そんな私もある。



学生の頃、多重人格に関する本を読んでいた時期がある。

当時はそんな症状があるんだな、大変だな、くらいにしか感じていなかったけど、最近、私はそれに近いんじゃないかと思った。

記憶が繋がってるか繋がってないかの違いで、人格が入れ替わってる機能(ってのもおかしいのかな)としては同じような脳の働きなのかもしれないと思った。

私の場合は、きっかけの出来事が生活に支障をきたすほどの経験ではなかったから、記憶まで分断する必要がなくて、感情だけが分離されたのかなって。

そんな自分をなにげなく感じていたから、多重人格に興味をもったのかな。



今は繋がれる自分がだいぶ増えた。

コントロールはまだ難しいけど。

どの私もちゃんと私だった。

私が、自分で切り離して、封じ込めていった私。

ごめんね。

こんなに長いことかかって。

長い間、放っておいて。



悪い私なんていない。

捨てていい私なんていない。

全部私。

大切な私。

感じちゃいけない思いなんてない。

posted by 蝉ころん at 18:59| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月24日

こんな私

電話がなる。

玄関のチャイムがなる。

知り合いとすれ違う。

私の苦手なこと。

本当の私でいるときに割り込んでくるからだ。

とっさに仮面をかぶってその場を乗り切る。

すごく疲れる。

携帯電話も嫌い。

子供と一緒にいる時間も苦手だった。

私を一番出したらいけないときだから。

そして私が一番出てきやすい相手だから。



1人でいるのが好き。

知り合いのいない場所が好き。

家じゃなく、外出先が好き。

没頭してても誰も来ない、誰かと関わるときでも仮面をかぶらなくていい場所が好き。

それはただ、自分自身でいたかっただけ。

したいことなんかなにもない、ただ自分でいたかっただけ。

没頭するのも、仮面を忘れていい時間が作れるから。

ただただ忘れていたかっただけ。

仮面を付けなきゃいけない場面も、本当の自分自身のことも。

突然違う人になれたらいいのに。

違う世界で全く違う人間に生まれ変われたらいいのに。

妄想癖は本気だったんだよ。

妄想の中の人間として生きたかった。

そっちの世界へ行きたかった。

本当の私を受け入れない世界も、世界に受け入れられない自分も、消してしまいたかった。

この世界と繋がっていたくなかったんだよ。



ぐうたらで片付けもしたくなくて洗濯もしたくなくて子供の世話も苦手で着替えもおっくうで料理もしたくなくて出不精で身だしなみも面倒くさい。

怒るし泣くし妬むし恨むし八つ当たりするし怒鳴るしキレるし行儀悪いし可愛くないし面白くないし虫歯もたくさんあるしおならもするし男みたいだし太ってきたし白髪もはえてきた。

他にもいろいろ。いっぱいいっぱい。

そんな私だけど。

そんな私が私だよ。

こんな私でも、やっぱり私は、私がいい。

私がいいと思う。

この私で生きて行きたいと思う。

posted by 蝉ころん at 15:51| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今の自分から

いい人になりたかった。

私を好きになって欲しかった。

好かれる人になりたかった。

本当の私は人に好かれる私じゃなかったから、好かれる人の仮面をかぶろうとした。

いっぺんに変身してしまいたかった。

仮面の私はニセモノの私。

でも、頑張って一所懸命仮面をかぶっている私は、本当の私。

いい人になりたい私は本当の私。



今その人でないとダメだと思ったから、その瞬間に好かれないとと思ったから、本当の私を見せるわけにはいかなかった。

最初に仮面をかぶってしまったら、かぶり続けるしかなかった。

本当の私は嫌われる私だから。



仮面の私からは成長できないんだね。

私は本当の私でないと成長できないんだね。

ハリボテの私はもう捨てるんだね。

私は私がなれる私にしかなれない。

いい人でなくても。

人に好かれる私でなくても。

それは本当の私。

取り替え続ける仮面でなくて、成長し続ける私。

凹んだり嫉妬したり怒ったり泣いたりしながら進んでいく私。

posted by 蝉ころん at 12:41| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

書けてないけど

ここのところ、ひかると話しながら家を出るようにしていて、そのまま外出してくるのでパソコンに向かう時間があまり取れないでいる。

夜には時間が取れるけど、そのときには書くこともなく、放置状態が続いている。

といって、書いておきたいことが全くないかと言えばそうでもなく、朝はやっぱり家を出られる時間がはっきりしないことなんかがストレスになっていて、状況によってはころんちゃんも出てくるんだけど、ちょうど書けそうな盛り上がりが来た頃には外にいる。

そのまま外出して家に帰ってくると、朝に感じた気持ちはすっかり忘れている。

相変わらず私の記憶は蒸発が早い・・・いや、きっかけがあれば思い出せるってのは、やっぱり隠しちゃうのが早いんだな。

これも、小さい頃に獲得した生きる知恵ってこと。

書けてはいないけど、そのときそのときで、たとえ外出中でもころんちゃんが出てきたタイミングで掬い上げてしまっているから、たぶん大丈夫。

書いている時よりは掬える深さは浅くなっちゃうけど、そこはそれ。またきっと書けるタイミングはある。



そんなこんなで毎日外には出るようになって、体は日に日に元気になっているのを感じる。

体が動くようになると、心のエネルギーが減っていても勢いで無理しちゃったり、「毎日はできないこと」を始めてしまったりして失敗することがあるから注意してる。

とにかく今は自分のプラスを貯めること。

マイナスは捨てること。

バツを消して、マルを増やしていくこと。

焦らないでゆっくりゆっくり浮上していくこと。


posted by 蝉ころん at 20:11| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

続くもあり、変化するもあり

ひかるの学校生活は相変わらず不安定。

私は何かあるたびに学校や担任の対応についてモヤモヤしてしまう。

モヤモヤするときは自分を疑え。自分の中の常識を疑え。

私はずっと学校に対して不満や要求を持ち続けてきた。

学校に縛られていたのは私。



私はずっと、ひかるが「普通に」学校に通えるようになることを目指していた。

私が変われば子供も変わる。

そんなことを信じて、ひかるが変わることを目指していた。

自分を見ているつもりで、ひかるを動かそうとしていた。



そうじゃないね。

ひかるが変わるかどうかは、ひかる自身が選ぶこと。

私ができることは、私が変わることだけ。

ひかるのことは、ひかるの意思に任せるだけ。



私は、毎日なにごともなく学校に行けるようになって欲しかった。

今のひかるを見ずに、未来のひかるに望みを託していた。

今までだってずっとひかるは頑張ってきた。

それを認めずに、先ばかり見ていた。

目標に至る道筋に乗っていることしか認めてなかった。

今日はこうできてた。よかった。

今日はまた逆戻りだった。まあそんなときもある。

そんなふうに自分を納得させてた。

逆戻りってことは、認めてないよね。

ひかるはただ、今を頑張ってる。

それをただ見守るだけ。



先のことはわからない。

全く馴染めなくなって学校に行かなくなるのかもしれない。

あっさり克服して何事もなかったように通うようになるのかもしれない。

どちらにしてもひかるは頑張って生きている。

私は私にできるサポートをするだけ。

ひかるが自分で選んだ道を、サポートできるように変わる。それだけ。



私はただ、ブレない私自身でいられるように、自分であることを強化する。

倒れない、折れない、しなやかな太い幹になる。
posted by 蝉ころん at 16:36| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

悪くないんだ

今日は疲れもあって、子供と気持ちがずれまくってる感じがしてた。

で、ちょっと、スムーズにいかないときに立て続けにのぞむとひかるが同じような困ることをしてきて。

で、二人とも謝らない。

カチンとくる。

モヤモヤしたから1人になって探ってみた。



私は嫌だったんだ。

困ることを、手間取ることをされて嫌だったんだ。

それでも謝ってくれなかった。

なんで?

嫌なことしたのに。

あっちが悪いのに。



ここだ。

子供たちが悪いのか?

私は嫌だった。

それだけしか、そこにはなかったんだ。

悪いとか、ないんだ。

私が嫌だったってことを、子供たちが受け入れてくれるのかどうかだけ。

私は伝え方を間違った。

責めてしまった。

そして、子供たちは受け入れないことを選んだ。

そりゃそうだ。

悪くないのに責任なんて押し付けられたくないよ。



悪いなんてないんだ。

そこには気持ちがあるだけなんだ。

嫌だったってこと。

嫌だったってことをわかって欲しかったこと。

私がそういう気持ちになったことに対して子供たちには責任はない。

子供たちは、そのままでいいんだ。

そういうことなんだ。



わかってもらえなくて私が寂しかっただけなんだ。

押し付けちゃったね。

寂しさは自分で持とう。

posted by 蝉ころん at 21:21| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月05日

あげすぎてた

私は他人にパワーを使いすぎてるんだな。

自分に使うはずのパワーまで人にあげちゃってるんだな。

ずっと親にパワーを使ってた。

今は子供に向けてるのが多い。

お母さんなんだから、って。

これくらいはできなきゃって。



自分を基準にして線を引かないと。

それは私にしかわからない境界。

実は簡単なんだ。

だってイライラするもん。

イライラしちゃうほど頑張っちゃうのは、境界を越えてる証拠なんだ。

あげすぎたら返して欲しくなっちゃうんだな。

わけてあげられる分だけで対応できれば、イライラもでてこない。



私は返してもらうことを期待してたんだな。

褒められるとか、喜ばれるとか、笑顔とか。

それを取り込もうとしてた。

返ってこない前提でどこまで分けられる?

私のエネルギーの使い道は自分で決めていくんだよ。
posted by 蝉ころん at 21:00| Comment(4) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

自分のためにパワーを使う

このところ、「自分だけのため」をさぼりがち。

何かのついでに自分のものも。
家事の前に自分にもフォローを。
もう子供が帰ってくるからその前に滑り込みで。

そんな感じで、自分がおまけ状態だったかも。

他のことが動くから、自分のこともどさくさで実現してる感じ。

一見自分で動いているときでも、自分のためのことのきっかけは受け身なんだ。



私はこれだとあんまり嬉しくない。エネルギーにならない。

私が、私だけのために、面倒くさいのを押し切って実現するのがだいじ。

面倒くさいを打ち破るんだよ。

簡単じゃないけど。

その時は本当に面倒くさいが心と体を占めてるから、大変。かなりパワーがいる。

でも打ち破るんだよ。



私が動くことで、私の思いが実現することを実感することが大事。

心と体が体験して記憶することが大事。

心の回路には、バーチャルよりもリアルが有効。

何回も何回も繰り返して記憶を塗り替えてくんだ。
posted by 蝉ころん at 23:51| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

受け身人生を終える

思いを実現すること。

そのために色々なことが存在するんじゃないかと思った。

技術も、思想も、理論も、道具も、学問も、自分の手足も。

思いを表現するため、実現するための手段。

私はどれだけ自分の思いを実現してきたのか。

私の思いはなんだったのか。



突き詰めるほどに、私には自分から動いた記憶がない。

最近意識して自分から動いていることを除けば、与えられたものばかりだった。

自分で食べたいものを主張するでもなく、着たい服を選ぶでもなく、行きたいところに行くでもなく。

ただ、出された物を食べる。買ってこられた物を着る。勧められた服を買う。行かなきゃいけないから行く・・・。

いかに受け身が多いかと思う。

学校の勉強なんか全部受け身だし。

「やれ」と言われたから仕方なく、という形式を受け入れていた。

自分から決めようと思う時でも、誘われなかったからとかいう理由で諦めたりした。

正当化された理由がなければ動けなかった。(ごく最近までそうだった)



以前から気になっていたこと。

事実ではあるようだけど、記憶・感情と繋がっていないからこれを書くのはどうなのか?ってずっと書かずにいたこと。

でもひっかかっているのは事実だから、書いてみようか。

母から聞いた、私が産まれた病院でのこと。





その当時、その病院では産まれた赤ん坊はすぐに新生児室に入ったらしい。

病院での生活は、授乳時刻がきっちり決まっていて、時間になると連れてこられて授乳をして、また連れて行かれるというスタイルだったらしい。

授乳以外の世話は全てスタッフ任せ。

退院したときには私は既に泣かない子だったと言う。

そして、起こさなければずっと寝てる子だったと言う。

起きても泣かず、誰も気付かないくらい静かな子だったと。



本当か?

私だって、最初は泣いたんじゃないのか?

声の限り泣き叫んでいたんじゃないのか?

私が助けが欲しいタイミングで、私の気持ちで声を上げていたんじゃないのか?

それでも時間にならなければお腹は満たされない。母親には会えない。

私はこのときに既に自分から発信することを諦めてたんじゃないのか。

そう思えて仕方がないんだ。

だんだん学習したように思えて仕方ない。

ちょっときもち悪くてもそのうちには誰かがやってくれるみたいだしまあいいか。

次はいつくれるかわからないから飲んどくか。

目が覚めようが、お腹が空こうが、くれないタイミングではくれないんだから、言うだけムダ・・・・そんなら疲れるだけだし静かにしとこう。



喋るのも遅かった、動き回るのも遅かったという私。

私の面倒くさがりはこのときからもう獲得してたものに思えるんだ。

私から発信してもどうせ何も実現しないし。

言わなくてもいつのまにか誰かが勝手にやってくれてるし。

やんなくてもいいじゃん。



私に喋らせるために話しかけ始めたんだって。

私に立たせるために捕まらせたんだって。

好きなことだって、与えられてみたら面白かった、だけ。

自分から積極的に好きだからやりたい!ってなかった。

こうしたい!ってなかった。



人生のスタートはこんなかんじ。

たぶんきっとそんなかんじ。

やっと自分から動く人生をスタートしたんだなあ。

働きかけを待たない。

自分起点で動く。

そのスタートが、あのまっしろな空間なのかな。

どこに向かって歩くのかも、どんなペースで歩くのかも、留まっておくのかも、私次第。

全部私の中にある。
posted by 蝉ころん at 11:26| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

変わってる!

昨日、今の自分の不安定な感じを、離婚当初と似ていると書いたけど、そのイメージが、真っ白い空間を歩いている・・・って、そうとう違ってるって気付いた。

離婚当初、あのころは、切り立った崖の上の一本道のイメージだった。

ちょっと足を置く場所を間違えれば道は崩れ、踏み外せば奈落の底ってイメージだった。

なにもない、先が見通せない、は変わってないけど、今のイメージは、平らだ!



どこまでも続く平らな場所。

光のあふれる場所。

不安はあるけど、恐怖はなくなってる。

安心はないけど、安全はある、みたいな。



いつのまにか、こんなところまで歩いていたんだな。

ひかるものぞむも一緒にいるんだな。

一歩は小さくても、ペースは遅くても、進んでる。

進めてるね。
posted by 蝉ころん at 17:08| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

ひとりで歩く

命綱を手放す覚悟。

これも、覚えのある感覚だった。

元夫と離婚することが決定したころ、私はとても恐かった。

不安で不安で、なにかにすがりつきたいような感覚に襲われてた。

まあ、それでモラハラ環境の職場にすがりついてしまったわけだけど・・・



あのときと似てる感覚。

でも、今度の方が力づよい。

イメージは、なにもない明るい白い空間を、ひかるとのぞむと手をつないで、ただまっすぐに歩いていく感じ。

私は前後にも左右にも、支えがない感覚にとまどっている。

でも私は知っている。

私が支えがなくてもちゃんと歩けることを。

歩けるようになることを。

離婚当時と違って、自分のことを信じることができるようになっている。

私はひとりで歩く。



子供たちとは、手をつないでいる。

子供たちも、手をつないでいても自分で歩いている。

しっかり歩ける自信がついたら、自分から手を離していくんだろう。

私はそれを応援するだけ。

子供たちが私を心配しないでいいように、私はただ自分の足でしっかり歩くだけ。

明るいまっしろな空間を歩くだけ。



そんなイメージが今頭の中にある。

posted by 蝉ころん at 22:34| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

ちょこっとした変化

相変わらず少しずつ元夫のものを捨てていっている。

家のことで、これだけ継続して計画を実行してるって、実は初めてのこと。

今までは一気に片付けてしまわないと2回目は永遠にやる気が起こらなかった。

今も少し片付けては収納を閉めるたび、これでまたしばらくやらないかもしれない、なんて思ってしまうんだけど、不思議とまたやる気になっている。

他にも、離婚以来手がついていなかった場所をちょこちょこいじったり、いらない食器の処分とか、プチ模様替えなんかも思いついたらやっている。

洗濯なんかも、常に洗濯ものが溜まっているのは変わってないんだけど、大物を洗ってみたりとか。



やってやるぞ!なんていう意気込みは特にない。

なんとなく気が向いているだけ。

いろんなことが、「私のこと」になってきている。

今までは、「家のこと」だった。

しなくちゃいけない家のこと、私しかする人がいないからしなくちゃ。だった。

それが、あー、これやろ。て感じになって。

やろ。と思わなければ、やらない。

ちょっとしたことでもすんごい重たい用事に感じてたのが、だんだん軽くなってきている。



今日はこれだけでいいやー、っても思えるようになってきた。

またやりたくなったらその時にしたらいいやって。

その時がこなくても別にいいじゃんって。

したくて始めたことと、自分の限界との折り合い。

前はこれができなかったな。

始めたんだから終わらせないと!って必死。

今はすごいテキトーで中途半端だけど、なんとなく進む。

じわじわ進む。



そんな感じで。

義務じゃなくて、私がしたいように動いてるだけになってきてる面が増えてきた。

表からは今までとそう変わってみえないような、小さな変化。

いいじゃんいいじゃん。

変化していくのって楽しいんだな。

ルール決めて、考える余地がないようにしてパターン化して生活を回せるようになりたいと思ってたけど、私は実は変化が好きだったんだな。

規則正しくなくていいじゃん。

決めなくていいじゃん。

固定化を目指すんじゃなくて、変わっていける生活がいいな。



おお。

これは感じたことのないわたし。

新しいわたしだ。

うん。

まだ小さな小さな思いだけど、急がずに焦らずに感じていこう。

うん。
posted by 蝉ころん at 21:25| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

残りの問題

最近はずいぶんと落ち着いた記事を書けるようになって、ここを読んでくれている方にも私がかなり落ち着いたんじゃないかと思われているかなあ・・・と思いつつ書いています。

実際、元夫から受けたモラハラの影響は、かなり抜けてきたかなとは思っています。自信もだいぶ回復したし、状況判断もそれなりにできるようになって、遅々としながらも日常を回せるようになりました。

元夫と関わることには凄まじい抵抗を感じますが、それはもう、当然のこととして気にしていません。ハラッサーと分かっている人間、しかも今もなお私をターゲットにしていることが分かっている人間と関わるのに抵抗があるのは自然なことだから。

そういうわけで、結婚生活で受けた影響はもうあまり気にしていませんが・・・。



やっぱり出てきたな、というのが子供との関係。私の「加害者」側面が顔を出してきたと思います。

まず私が私自身を解放して、しっかり自分に許しを与えてやらないと、子供に対する縛りを解くことができないらしい・・・と感じています。成育過程で自分で自分を縛ってきたから、「子供の私」を納得させるために子供たちまで縛っている。

でも今はまだ、私を解放する時期じゃないとも思っています。まだ生活が安定していない。職が安定していない。今、それなりに社会人としての私が安定しているうちに生活を落ち着けて、基盤が出来てから。それからじっくり向き合いたいなと思っています。今ほじくると一遍に今の状況に対する不安とかまで出てきそうだから。

子供との関係はだましだましでちょっと棚上げ。忘れないようにはしたいです。
posted by 蝉ころん at 10:22| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

母という巣

ちょっと復活です。やっぱりここに吐き出すとぐっと調子が上がってきます。聞いてくれてありがとう!(^o^)

実は就職活動以外にも不調の理由があって、それが「汗が出ないこと」!

こう書くとモラハラの影響の自律神経異常か?みたいに思われるかもしれませんが、これは確信してます。モラの影響ではありません。

ただの運動不足・・・(^^;;

ここのところ、かなりひきこもりな生活をしていたので、運動しない人の体、に変化していたんでしょうね。去年まではシャツが塩ふくくらい(汚い話でスミマセン(^^;;)汗かいてた私が、この暑さにもかかわらず全然汗が出なくて、この前はちょっと熱中症寸前みたいになってしまいました。涼しいところで10分もいたら治まりましたけどね。軽くてよかった。

それでこれはまずいってことで、なるべく自転車に乗らずに歩いたりしていたら、昨日から、しっかり汗が出る体に戻りました!やったー!

いや〜汗かくって気持ちいいですね!暑いけど、暑くない!汗かいてないと風も暑く感じますけど、同じ温度でも汗かくだけで風が気持ちいいです。

いや〜体質改善大成功で嬉しいです。これで一つこの夏のゆううつの種が減りました。(^_^)v

では本編です。



====================

昨日、下の子の保育園で離婚の話を打ち明け、園長先生とお話をしてきました。

入園前の申請時にも夫婦仲がうまくいっていない話を聞いてもらっていたので、どうなったかなと気にしていたと言って、ずいぶん長いこと話を聞いてもらいました。

話を終えて、とても安心感を持っている自分に気が付きました。ぐいぐい引っ張っていくタイプの方ですが、人の気持ちを受け止めるのがとても上手で、保育士さんたちに身内のように慕われているのがとてもよくわかりました。

この人も、私の「お母さん」だ・・・。そんなふうに思いました。



子供を育てていて感じていたんですが、子供って「家」に安心感を持つんじゃないんですね。「母(に代表させてもらいますが(^^;)」に対して信頼と安心を持っていて、「母」がいるところであれば、それがどこであっても巣になるんですよね。逆に言えば、いくら「家」でも、「母」がいないならそこは安心できる巣ではない・・・そんなように思いました。

成長するにつれて、ここにいれば「母」が絶対いてくれる・・・そんな信頼から「家」を巣として認識するようになり、「母」に求めるものを変わって提供してくれる保育園も巣になり、地域、学校、社会・・・とテリトリーを広げていくんだな、と思います。

基本にはまず「母」があって、その信頼が裏切られることはないという安心感、自信から、外に対しても安心、自信を揺るがせずに出て行ける。そして、「母」たる信頼を自分の中に内包することができたとき、「母」そのものがいなくても、自立して行きていけるようになる・・・そういうことなんだなと思いました。



私はずっと、「家」とか、「自分の椅子」とか、物、場所にものすごい執着を持っていました。幼児期にはこういう執着はよくあることですが、私はこのレベルからなかなか抜け出せませんでした。

やっぱり私には「母」が、巣がなかったんだな、と最近思います。だからずっと巣となる、侵されない場所を求めて、「自分の」物や家、そういう形ある物にこだわってきた気がします。

子供たちを見ていると、そういう「物」に対しての執着がそんなに強くなくて、それが不思議だったんです。私が今でもこんなにこだわっている自分の席。でも子供たちはどの席に座るか、よりも誰の隣に座るか、が重要みたい。

私が築くことのできなかった家族に対しての信頼、安心感を、この子たちはもうすでに持っているんだ。

嬉しくもあり、羨ましくもある気付きでした。この子たちはきっと大丈夫だ。私がただ普通にそれなりに生活できれば、この子たちはきっと大丈夫だ・・・。



私の方にも実は変化が出てきています。

「母」というキーワードに気付いて以来、自分の中に「母」を作り上げよう、自分が自分の「母」になろう、と思ってきましたけど、気が付けば、私の周りには「母」がいます。いえ、私の周りにいる「母」たる存在に気が付くようになったと言った方がいいでしょうか。

それは前述の保育園の園長先生であったり、カウンセラーさんであったり、近所の世話役おばさんであったり、お姉さん的な近所のお母さん仲間であったり。そしてこのブログを見てくれて、支えてくれている人たちも。

特別に私1人だけに目をかけてくれる人ではなくてもよかったんです。とにかくこの人は受け止めてくれる。いつでも頼っても迷惑なんて思わないで聞いてくれる。実際に頼るかどうか、話すかどうかじゃなく、もし本当にそうしたら、絶対に私を傷つけず、見守ってくれる。助けてくれる。そういう信頼を持てる相手が、私にとっての「母」でした。

私にはこんなにたくさんの「母」がいて、気が付けば私の安心できる「巣」ができてきていました。そして、ちゃんとこうして一から居場所を作り上げることのできた自分自身に対しても、不安定ながらも、信頼の芽が育ってきています。

頭の中に少しずつ、声が出来上がってきています。「大丈夫よ!」「すごいじゃない」「頑張って〜」「無理しないでね」「それはひどいよね」って・・・みんな違う声、違う顔。全部バラバラだけど、これが私の「母」の声。私自身が「母」でなくてもよかったです。

信頼できる人に声を分けてもらって、だんだんに「母」ができてきています。

そしてその信頼できる人を選ぶのは、自分。自分で選んでよかったんです。

生まれた場所が安心できない巣なら、飛び出して自分で巣を作り上げていい。

「人を選り好みしちゃいけない」「誰とでも仲良くしなきゃいけない」そんな、子供の頃の呪縛にまだ捕われていた、夫と出会った頃の私・・・。頑張った。偉かった。でももういいんだ。これからは、選り好みして居心地のいい巣をつくりあげていったらいいんだ!

今日は前向き記事が書けました〜。嬉しいな。(^^
posted by 蝉ころん at 09:53| Comment(3) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

熟してきた?

最近、カウンセラー系の方のブログなどを読んでいると、「前を向いて、離れることを目指しましょう」みたいなメッセージが心に残り、「なんだか私に向けて書いてくれているみたいだなあ」という気持ちになります。

私に向けて、なんてことは、まあ普通に考えてあり得ないですけど、広義には私(のような人)に向けても書かれているんだろうと思います。

でも、今までもずっと、繰り返し、これらの方たちは、こういったメッセージを発信し続けてらっしゃいますし、最近になって「私に書いてくれてるみたい」と思うのは、私の方に準備ができてきたからなんだろうと思うんです。

今までも、巷に溢れている情報に、なぜかその時心に残ったおかげで気が付いた、ということが度々ありました。タイミングよくその言葉に出会えた幸運を思ったりしました。

確かに幸運もあったかもしれません。でも、そのタイミングだからこそ、私はそのキーワードに反応することができたんだと思います。

今回も、たぶんそうなんだと思います。

「離れなきゃいけないから」
「離れるのがベストだから」

そんな気持ちじゃなくなってきています。私が「離れたいから」、離れたい。離れたいからそのための方策を練る。そんな段階にさしかかってきた気がします。

だから、それを後押ししてくれるようなメッセージに心が留まるんだろうと思うんです。



いじめに真っ向から立ち向かうのも正攻法だけど、かなわないと知ったら、逃げるのだって正攻法。

今は、調停、裁判のことを(漠然とですが)考えています。

調停、裁判になる可能性があると言うことは、社会的なジャッジが入ると言うこと。それは、私にとって諸刃の剣です。

親権のことです。

夫は、世間的に見たらこれといった欠点のない父親で、むしろ私の方が母親として不利な点が多々あります。これは、悲観的でなく、冷静に判断して世間的にはそう見られてもしかたないだろうということです。

だからこそ、このあたりをどういうふうに進めていくべきか・・・。駆け引きや戦略が必要になってくるだろうなあと思っています。戦うことになってしまうのは不本意だけど、そうなってしまうことが目に見えている限り、本気で準備しようと思います。相手は手強いし、油断は禁物。

もちろん、自分の精神状態と相談しながら、ですけどね。
posted by 蝉ころん at 15:42| Comment(2) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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