2007年11月07日

働く動機

今日も更新します。時間のあるうちに通勤中に考えていたことを、書き留めておきたいので・・・。



今、私はは生活のために職を探しています。

でも、私はもともと働くことを目標に思って生きてきました。元夫との生活で専業主婦をしているときも、出来ることなら、隙あらば外に出て働きたいと思っていました。

今まで、私が働きたいのは実家から逃れて私1人で生きるために必要だからだと、そんなふうに思っていましたが、働いてみて、そこで得た感覚から、そうではなかったらしいことに気付いてきました。



私は、1人でいると本当に何もしない、だらけた人間です。でも、いざ外に出て人と関わると、全く別人のように動くことができます。自分でもびっくりするほどに。昔は、この、私が動けるときと動けないときの区別がはっきりしていなかったので、「私はいざとなったら動けるんだ」な〜んて考えていましたが、実はそんなことはありませんでした。

離婚に際して、元夫が家を出てからのだらけっぷりといったらそれはもうすごいものです。離婚のためにしなければいけないことのもろもろが、全く手につかない。最初はうつがあるから、と思っていましたが、そうでもない。いざとなっても動けないことがはっきりしました。(^^;

どうも、私は自分のためのことには手がつかないようなのです。

外に出て、働いているとき、誰かの役に立つことをしているときは、ものすごく身体が動きます。

これ、「人のためになることがしたい」とか「人の役に立つことが好き」なんてものじゃありません。私は、「自分の仕事っぷりを見てもらうのが好き」なんです。それで話のネタになったり、褒められたりするのが嬉しいんです。

ようは、「私を見て欲しい」

それだけ。(注目されたくてアイドルを夢見る小学生みたいな・・・)

家の中で、1人で、子供しか住んでいない(または仕事ぶりでなく惨状しか目に入らない元夫がいる)家を管理しても、誰も見てくれないし、褒めてもくれない。話題にさえ上らない。私がしたことは、私がそこに存在したことは、まるで意味のないことのように、もともとなかったことのように、ただ通り過ぎていくのです。それは実家でも同じでした。私はそれが嫌だし、怖いんです。

私は、私が存在している意味が欲しい。私がいることを認識して欲しい。

私の働く意味は、そんなところにあるようです。

今回辞めた職場では、そういう経験ができました。特に無理をして限界以上の力を出さなくても、仲間に認めてもらえた感触がありました。

外に出れば、私の働きを認めてくれる人がいる。私を役に立つ人間と思ってくれる人がいる。私は役に立ちたいんでなく、役に立つと思われたい、役に立つと言って欲しいだけなんです。



若い頃働いていたところで、私が教育係となって新人の面倒を見ていたときにこんなことがありました。その相手が壁にぶつかっていて、「アドバイスもできるけど、自分の力で乗り越えられそうだからあえて言わないでおこう」と思っていたことを、その後他の誰かが教えていて、「教えてもらったんです」と報告された時、すごい怒りが沸きました。

その時は、「自力で乗り越えられた方が本人のためなのに」という怒りのつもりでいましたが、ほんのささいなことなのに、怒りは尋常ではありませんでした。

「私だって教えることができた」はずで、「私が受けるはずだった賛辞」を他人が受けていたことが許せなかったんです。また、その相手が自力で出来たことを一緒に喜びたかったのにそれを潰されてしまったという面もあります。私の存在意義を奪われたことへの怒りだったんだと思います。こんな怒りをぶつけられる方はたまったもんじゃないですね。いや、さすがに当時もぶつけてませんけど。(^^;



自分の動機と欲求がわかったから、これから働くことで少しずつ満たしていけたらいいなと思います。子供たちは私の存在を認めてくれる存在ではあるけれど、私の成したことを破壊する存在でもあるし、それに子供への依存は極力なくしたい。私自身が子供たちの存在を認める存在になりたい。そのために私にはやっぱり外での仕事が必要です。欲求を満たすことのできる職場を選ぶことが大事ですね。生活もかかってますが、やっぱり幸せにもなりたいですから!

そして欲求が満たされていったら、本当に私がしたいことも見えてくるかなあ・・・なんて期待もしています。(^_^)
posted by 蝉ころん at 14:35| Comment(6) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当に最近特に思うんですが、
誰でも自分のこと、自分の成果を認めて欲しいって思うことって当たり前ですよね。
家族のために当たり前にやらなきゃならないことだって、やっぱり「お母さんがいるから安心できるよ。」って、それだけで嬉しい^^V
何も行ってもらえなくってさえ疲れを感じると言うのにモラときたら、
何をやっても「そのくらい当たり前。」、疲れたら「根性無し。」、出来なかったら馬鹿呼ばわり、気に入らなければ無視・・・。
やる気なくなるの当たり前です。
口先だけのお褒めの言葉は時折いただきますが、「それ以上に俺様への感謝を忘れるな。」が見え隠れします。
な〜んて、今日は過激に書いてみました。
ちょっと疲れてるのでお許しを^^;
Posted by 小麦 at 2007年11月07日 16:59
>小麦さん

こんばんは。

ええもう、一言一句同意です。(^^

どうあっても通常のプラスの反応を向けないのがモラですね。プラスを出すときは、それ以上のマイナスがもれなくついてくる。自分を過剰に認めさせるために、ちょっとだけ相手を認めてやるってスタンスですもん、やってられませんよね。そのちょっとだけさえ、もともとはモラ夫の手柄とかいう理屈がでてきますし・・・ホント呆れます。

子供は本当にナチュラルだから、マイナスもぶつけてくるけどプラスもたくさん向けてくれるんですよね。力をもらうこと一杯あります。ありがたいですね〜。

小麦さんはぜんぜん過激じゃないですよ。もっとキツ目に書いてもいいくらいです!遠慮しないでどんどん書いて下さいね〜。(^^
Posted by 蝉ころん at 2007年11月07日 19:33
お久しぶりです。
「自分の存在を社会に問う」ことや「自分の存在はこの世に許されるのか」を確認する手段が働くということだったように思います。大学時代の就職活動から働くことの意味をそう考えていました。
育った家庭もモラ、褒められた記憶もないし、結婚して育った家庭から逃げ出しても行き着く先はモラだった。「表ではいいねいいねとみんな言っていても裏では舌を出してバカにしているんだ」とモラ母に言われ続けたから、お世辞を含め褒めることが嘘っぽく感じて自分はまだうまくできません。疑似体験であれ褒められることの嬉しさを知ったのが就職した後というのもある意味なぁ・・・と苦笑。
「精神的に苦しくても可能な限り働きなさい。社会と関わりを持ちなさい。家だけの世界になってはいけない」と医者には言われています。
Posted by wingseed at 2007年11月07日 21:17
>wingseedさん

こんばんは〜。お久しぶりです!(^^

 >「自分の存在を社会に問う」

う〜ん深い。さすがwingseedさんという感じがします。私はどちらかというといじめられっこの自分からの変身願望みたいな感じだったかも。(^^; 捨てたかったんですよね・・・それまでの自分を。我ながらひでェなあと思います。自分に恨まれても仕方ないですね。

認められることで違う自分になったことを確認している意味もあったかも。相手してもらえないととたんに不安になるのは昔の悪夢がよみがえるからなのかな。ああ、これも新たな気付きです。

褒められ慣れないって感じ分かります。いや、これくらいで褒められることじゃないだろとか思っちゃう。でも、褒められるのって嬉しいんですよね。表面だけのことでも嬉しくっていいんでしょうね。真に受けてなくても、喜んでもいいんですきっと。どんどん喜んじゃってエネルギーに変えていきましょ。生きるエネルギーをくれなかった人に喜ぶなって禁止されてたって、そんなの無視無視!

私も働くことに賛成です。ていうか私も働きたい!私も職を探すので、一緒に働きましょうね!
Posted by 蝉ころん at 2007年11月09日 22:07
おひさしぶりです^^
本当に自分の存在価値って、やっぱり「自分以外からの必要性」であるんですよね。
あいさつ、あるじゃないですか?
「おはよう」っていうでしょ?あれ、なんでかな〜って考えた事あるんですが、あいさつって「私はここに居ます」って意思表示だと思ってるんです。
生きる事は自分がこの世の中での「存在」を感じる事だと思うんですよ。
それを誰であれ、たとえ神様と証する人でも、私を支配する事はできなんですよね。
外に出て初めて判る事、仕事を辞めて初めてその職場の事が判るんですよね。そうやって、人生をすりあわせ、無理無く我慢を強要せずに、歩んで行くんですよね^^
まだまだ時間はありますよ^^だから焦るかもしれないけれど、抑えつつ、頑張りすぎずに前に進んで来かる様に頑張りましょう^^
Posted by るんた at 2007年11月12日 02:08
>るんたさん

おはようございます。お久しぶり。(^^

挨拶って、1人じゃ成り立たないですもんね。2人以上いて、お互いに相手の存在を認め合うのが挨拶なんですもんね。

私は中学時代にかなり長いこと無視という形でのいじめを受けてきたから、挨拶も長いこと苦手でした。「自分はここにいる」と言って無視される度に、存在が薄くなっていく感じがするんですね。これ以上減らせないとなったら守りに入るしかないんです。だから自分から声が出せなくなる。元夫といた時もそんな感じになってましたよ。

逆に存在を認められると自分がしっかりしてきますね。濃くなって重くなって安定してくる感じ。人と関わることって大切なんだなあと思います。

そうですね〜まだ時間はある!不思議なほど焦りがないんで、ひょっとしたら無意識に焦りを押さえつけてるかもしれないな〜と思ってるところですが、でも焦っても仕方ないんで、じっくり行きます。るんたさんもなかなか大変そうですが無理なく適度に頑張って下さいね。(^o^)o
Posted by 蝉ころん at 2007年11月12日 10:07
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