2007年09月02日

知られる恐怖

これも最近気付いたことですが、私は普段、無意識に気配をなくしています。

存在感がないというのではなく、人目につかないように行動しているということです。存在をなくしたいという意志があるかのように。

これも子供の頃からの癖で、最初は意識していたはずなんですが、いつのまにか習慣になっていて、大人になった今でも気が付くとそうなってしまっています。

先日びっくりしたのは、家で万歩計を付けていた時のこと。

ひと家事を終えて、ふと万歩計を見ると、一桁で止まっています。壊れたかな?と思って歩いてみると、ちゃんとカウントされるんです。でも、歩くことに意識を向けないで動くと、カウントされない・・・。小さいころから、音を立てずに歩くことを意識していたおかげで、上下動の少ない歩き方が身に付いてしまっていたようなんです。

忍者かよ・・・


家庭環境と、小学生時代のいじめ、夫との生活、で、強化された気配を消す習慣は他にもあって、主に音関係なんですが、

・直接話したい相手にしか届かない程度の声で話す

・テレビは聞こえるか聞こえないかギリギリの音量

・話をするとき以外はほぼまったく人の顔を見ない

・ヒールで歩くと音が大きくてはらはらする

・雨の日にツルツルの床をゴム底靴でキュッキュッ鳴るのも嫌

・人のいるところで電話をすると声が小さくなり過ぎる


などなど・・・とにかく、私が今ここにいる、私は今こんなことをしている、私が話していること・・・私が私として行動していることの全てを、他人に知られたくないんです。

知られることにものすごい恐怖を感じてしまうのは、嘲笑される恐怖でしょうか・・・。間違ったことをしていることを知られる恐怖です。間違ったことをしてるわけじゃないはずなんですけど、ずっと、そういう、私が何か行動するとバカにされたり、怒られたり、人格否定されたり・・・という経験を繰り返した結果の習性なんだろうと思います。

私がリラックスできるのは、1人でいる時だけ。いくら仲のいい人と一緒にいても疲れてしまうのは、突然何が原因で嫌われるか、バカにされるかわからない、という経験から来ている恐怖のせいだと思います。

だから、オフィスでの常識とされる、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)が、ものすご〜く苦手です。まず声を発するのにパワーがいるのに、職場って、直属の上司だけじゃなくてまわりの人にも声が聞こえちゃう。それが業務がうまくいってない報告だったりすると、すっかり体が萎縮してしまって、さらに声が出なくなってしまいます。

こういうのって、なに必要ないところでうじうじしてんの?って感じになるんですよね・・・。それがまた恐怖感に輪をかけるんですけど。

言うべきことが決まっていれば、声は出せるんです。「私」じゃなくてもいいなら、存在を主張することができるんです。

これって、私が私であることの責任をとれなくなってるってことなんでしょうねえ。


私は私でいていい。誰にどう思われようと、私でいていい。

そんなに逐一私の行動を見張られているわけじゃない。誰も私の失敗を嘲笑ったりしない。

自分に対する信頼、他人に対する信頼を持てるようになれば、克服できることなのかなあと思ってはいますが。まだ見つけたばかりの習性なんで、長い目でゆっくりとりくんでみたいです。
posted by 蝉ころん at 09:52| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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