昨日は、同じイベントでのできごとで、メンバーが抜けることになって、その影響を受けていました。私の問題じゃないのに影響を受けてしまうところに、まだまだ分離できてないんだなあ・・・なんて思ったりして。
そのメンバー、つい2・3ヶ月前に、私が別のやめたメンバーの代わりに担っていた役割を委任したばかりだったので、また後任がなくなる・・・、そういう面でもショックでした。やめるというはっきりした宣言もなく、ただ私だけに打ち明け話的に話すだけでやめられてしまって、どうしたらいいんだろう?と困りました。近所の方なので、あとにしこりを残したくないという思いもあります。
今日になって、ちょっと吹っ切れた感じです。他のメンバーには私が聞いたそのままを話せばそれでいいかー、と。私1人で背負うことないし。
やめる人にとっては役割なんてもう何の意味もないことなんですよね。やっている人たちのための役なんだから、恩恵を受けるメンバーの中でどうにかするべき問題ってことで、いいんですね。会社組織とかだとそういうわけにはいきませんけど、ただの趣味の集まりだしね。
ということですこし気が楽になりました。
それで、前回書いた、私がへたった事件(大げさですが)でもう一つ気付いたことを書いておきます。
役割を降りて休憩にまわったあと、ぽつぽつと心配して声をかけてくれる方々がいました。その時はあまり深く考えなかったんですけど、なんだか不快な人がいるんです。
後で考えたら、私の状態に関して「こうこうこうでこうなったんでしょ、そうそうよくあるの、しっかり休んでなさいよ」のように決めつけていく人でした。私の状態は、私が一番わかってるんですが・・・なんで私に聞かないで勝手にその対処法まで指示していくんだろう・・・。こういう人にはいくら心配してくれていても、なんとなく、私を見てない、置いていかれているような不安を感じました。
逆にかなり強い口調でも、どうしてこうなったのかをこちらが状態を説明するとちゃんと聞いて理解してくれて、私の判断を尊重してくれる人には、頼もしい安心感を持ちました。
素人判断で勝手にしてはいけないこともあるから、経験が豊富な人の言うことが正解だったって場面もあるから、一概に本人の判断が正しいとは言えないんですが・・・。
こういうときこそ、話を聞いてくれるかそうでないかで、印象も変わるんだなあ・・・と思いました。問題を見ているのか、人を見ているのか・・・ということなのかな。
人のこといいつつ、私もよくやってる気がします。(^^;