それで、考え方の同じような、夫を選んだ。微妙にズレている部分はあるけれど、そのうちきっと同じようになっていく、と思って。
そうじゃなかった。
考え方なんて違っていてもわかりあえることを、私は知らなかった。
問題は意見が合うことじゃなくて、お互いの違う意見を受け入れ合うことができるかどうかだった。
私は受け入れられる経験が少なかったから、話が合ったことを受け入れられたことだと勘違いしてしまった。
何かが違う気はしていたけれど、何が違うのかわからなかった。
ここでコメントをもらったり、カウンセリングに行ったりして、共感と言うことを考えるようになって、わかってきた。
私が欲しかったのは、共感という名前のもの。私が掴んでしまったのは、ただの同感。
同じ経験をしたことがある、それだけの人だった。
確かに、同じ経験をした人にはわかり合える人が多いけど、同じ経験を持っていて、同じような考え方を身に付けている分、考え方が違う面を理解しようとする気持ちがあるかないか、そんなところがわかりにくいのかもしれない。
夫は私を分析しているのも確か。でもそれは、私を理解して受け入れるためでなく、間違った部分を更生するため。もっというなら、支配するのに利用できる部分を探るため。
夫は常に同感が欲しいのだ。私が、夫と全く同じ考え方になって、全く同じ心の働きをして、夫が思ったように行動する人間になって欲しいのだ。
それは間違っても共感ではない。
私が欲しいのは共感だった。
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今回、思っているままを書き出したので文調が「ですます」になっていません。書いちゃってから気付きました。まあいっか。(^^;
でもどう表現していいかわからないです。
昨日から3回位、コメント書いては消し書いては消ししています。
だから気持ちだけ、書きます。
わたしの夫も、わたしの中の自分が理解できないものを消したがっています。
もうひとつ。
わたしを自分が欲しかった義母の姿に近づけたがっています。
それをひしひしと感じています。
最近の記事、コメント書きにくいですよね。ほんとごめんなさい。(^^;
自分でもなかなかまとまらなくて書いてはボツ、書いてはボツにしながら記事立てしてます。こんなことばっかり考えてるんですよ。ややこしくて暗い人です。私。えへ。
夫たちもね、たぶん本当に必要なのは共感なんですよ。でも共感されることを受け入れられないから同感を求めるんですよね。
経験が同じでない人にはこの気持ちはわからない、って、自分から壁を作ってるから。お前とは違うんだっていう変なプライドです。私にもあります。
理想の母親像を押し付けられている面はすごくありますよね。自分のことをなんでも受け入れてくれる存在になってくれって感じ。母親がそうあってくれれば、こんな問題は起きなかったんだろうなあって思います。