2007年04月11日

怒ることって?

上の子が担任の先生のことを「悪いことをすると怖いくらい怒る先生らしい」と聞いてきた。

夫がそれを聞いて、怒ってくれる人は、○○のことを考えてくれている人だよ、悪いことをする人になって欲しくないから怒るんだよ、怒ってくれない人よりずっと○○のことを考えてくれているんだよ、と言っていました。

夫は、先生のことを言っている形で、自分が子供に理不尽に怒ることを正当化しています。お前のことを思ってのことなんだから、受け入れて怒られろ、ということです。私も以前はこんな正当化をしていました。そしてこのことに対して疑問も持たず、怒ることで行動を変えさせて子供を育てていました。

最近いろいろ子供との接し方、自分のチャイルドのことについて学んできて、実際に子供たちと接している上で、少しずつ考え方が変わってきました。今は私は、怒るのは、「今、すぐ、直ちに」相手の言動を変えさせたい時にとる強硬手段だと思っています。

これは、怒っている方に余裕がない状態なんだと思います。相手のことより、自分が、今相手を変化させられないことに焦っての行動です。

相手の将来のことを考えるから怒ることがある、ということですが、確かによくあることだと思います。

でも、本当に子供の将来のためにそこで怒る必要があるか?というと、そうでもないことも多いようなんです。子供の安全が脅かされているときなど(道を飛び出したら車にひかれるとか)では、確かに怒ってでも行動を変えさせなければいけない状況です。でも、他の多くの場面では、今、すぐ、直ちに、行動が変えられないからといって、将来までその行動を引きずるわけじゃありません。きちんと話をして情報を伝え続けたり、諦めずに粘り強く促していれば、そのうちだんだんと身に付くことが多いようです。しかも、強迫観念なしに自分で選び取った結果として身に付きますから、とても自然です。

なるべく怒らないで子育てをするほうが、よさそうに思うんです。親だって、別に怒りたくて怒っているわけじゃないので、「怒らせないで」なんて発想になってしまいます。でも怒っているのは、やっぱり大人の側の都合だと思います。



じゃあなぜ、「今、すぐ、直ちに」行動を変えさせたいのかというと、いくつか理由があると思います。

まず、大人自身が同じように行動を変えさせられて育った場合、それでなければならないと信じ込んでいる場合があると思います。他のやり方で身に付くことを経験で知らないから、失敗することを怖れて出来ないんです。しかも、「今、すぐ、直ちに」子供をしつけられなければならないという強迫観念もあるでしょう。

この場合には、子供のことを想う気持ちが確かに原動力となっています。でも、怒ってしまうのは、やっぱり大人自身が子供の成長する力に自信を持てていないからということになる気がします。放っておいては身に付かないから、強制的に身についたことにさせるというやり方の気がしています。

それから、親が行動を変えて欲しいから、というのがあると思います。子供はやめたくないことでも、親が迷惑だからやめてほしいとき。あとで面倒が降り掛かるからとか、体調が悪いからとか、とにかく、自分に取って不都合だから、行動を変えてもらいたいときです。

これは、相手が子供だと言っても、相手には相手の都合があるし、意図もあるし、説得してお願いして、行動を変えてもらう、というスタンスであたった方がいいことのようです。無理に行動を変えさせられないことで、自分の行動にしがみつかず、相手のことを考える余裕ができるようなのです。

それに、ただ言ったことを聞いて欲しいから、というときもあります。言っただけで聞いて欲しいから。わかって欲しいから。受け入れてもらえなかったことに大人自身が堪えられないから、怒ってでも言うことを聞かせようとする場面です。

これでは、大人の言うことを聞かないから怒る、という、理不尽な怒り方になってしまいます。これは明らかに親の感情の押しつけだと思います。大人の言うことにだって間違いはあるんだから、自分で判断して言うことを聞かない選択が出来るのは立派なことだとも思えます。



夫のしていることは、こんないろんなパターンがある、「大人が子供を怒ること」について、全て子供のためを思ってのことだから受け入れとけばいいんだ、として子供に背負わせることです。これでは、怒る人は全ていい人になってしまいます。そんなことはないですよね。先生だって間違えることはあるし、子供に悪い影響を与える人もいますし。人によって、全く正反対の行動で怒ることもあり得ます。



実は夫のこの言葉には裏があって、ここ最近、私があまり子供たちを怒らず、大声を出さず、気持ちを聞いて諭すように接していることをかなり意識しています。暗に、お母さんはお前のことを考えていないんだぞ、と含ませているのです。ここでなければ誰も信じてくれませんが。こんなこと。(この、「私にしかわからない」ところをうまくつくのがモラハラのやり口ですね。裏の意図通りの効果を上げつつ、表面上は子供のことを考えているいいお父さんにしか見えない、指摘されてもそう言い逃れ出来る・・・。こちらは動きがとれない、と)

夫自身は、上の子が自分の主張を引かないことが増えてきて、手を焼いているので、怒ることが増えてきています。自分が怒ることを正当化した上で、私が怒らないことの評価を下げる・・・。実にうまいじゃないですか。

夫は言うことを聞かせたいようで、以前、夫がヒートアップしだした時に私が子供を庇ったら、「こいつは親の言うことを聞かなかったんだぞ!」と口にしました。「親の言うこと」、と隠れ蓑を着せて、その実は「俺の言うこと」です。これが本音です。夫にとって、子供というのは親の言うことをなんでも従順に聞くものなんでしょう。夫はそのように育ってますから。

私自身は怒ることが、自分の余裕のなさの現れ、押しつけだと自覚できるようになってから、少し気持ち変わりました。怒ることはまだブレーキが利きませんが、余裕のない状態にならない工夫に気持ちが向くようになってきたんです。子供の問題だとして子供に押し付けていたころは、私はあまり努力をしていなかったけど、私の問題と自覚したら、工夫に意識が向けられるようになったんです。

それに最近は、夫が怒っているのを見ると、前と違った感覚が出てきました。やだなあ、一緒にいたくないなあ。というのは前と同じですが、もっと気持ちが離れていると言うか。巻き込まれたくない、と思うようになりました。ああ、またいっぱいいっぱいになってる、放っとこう。って感じです。夫も、怒ることで問題を相手に押し付けてますから、自分では努力はしません。怒らせないようにしろ、です。

子供が巻き込まれている場合にはそういうわけにもいきませんが、一緒に巻き込まれて戦ってしまうより、子供が逃げ込める場所として、巻き込まれていない自分を確保するのが大切かもしれないと思うようになってます。

ときどき、横から夫が怒っている内容を奪い取って、夫を差し置いて子供の話しを聞いたりすることもあります。それで、私と子供だけで話を収めてしまったりすると、夫はそれ以上怒るわけにもいかず、怒りの矛先が私に向くんですよね。現実には、夫が必要以上に子供を傷つけてしまうことを避けられたわけですけど、夫にとったら面目を潰された形です。こういうのが冒頭の発言の要因なわけです。

でも直接言っても夫にはわかってもらえませんしね。一緒に暮らしているうちはこのくらいは仕方ないです。
posted by 蝉ころん at 12:35| Comment(8) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
母親の口癖は「親だから真剣にお前を怒るんだ。何回言っても理解できない聞かないバカであってもな。他人様は表面ではニコニコして「そうね。そうね」って言っていても、裏で後ろ指差してお前を嘲笑っているんだ。私が怒ってやっていることに感謝しろ!」でした。
だから「攻撃性を感じる言葉」には反撃するけれど、「私のことを思っているようなニュアンスの言葉を言う人」は無条件でいい人という変な刷り込みが入ってしまい、取り返しのつかない傷を負ったこともあります・・・

そして母親から見たら私に対しては声を荒げて怒鳴ることのない父親が許せなかったようです。「私が悪いことをした」から怒鳴るのが正当という免罪符を正面きって掲げて、「なんで一緒になって怒鳴って殴って叱らないんだ」と父親へ同時に攻撃していましたね・・・

父親に言わせると「ふたりして怒鳴ったところでwingにいい影響なんてない」というのがありました。後で穏やかに何がいけなかったのかというのを諭すように話すというのが父親のスタンス。

諭すように話すというのはすごく根気要ります。私は母親と同じスタイルを踏襲してしまい、社会人時代は「おまえはアルバイトに直接注意するな。注意や指導じゃなくてそれに名を借りた個人攻撃にしか思われない。一生懸命になっているのかもしれないけれど、それは相手に通じない」とまで言われていました・・・負の連鎖再び・・・?
Posted by wingseed at 2007年04月11日 13:08
>wingseedさん

諭して行動が変わるまで待つのはものすごく時間がかかりますね。また記事にしようと思っているんですが、自然に行動に現れるほどまで身に付くためには、それだけの時間がかかって当然のことなんだと、最近やっと理解しました。

wingseedさん、小さいころから「一度言われたらその場ですぐ理解する」のが当然として育てられませんでした?私はそうでした。夫に至っては、周りを見てしてはいけないことを学んでおいて、いざ自分の時には一度も失敗してはならぬ、というくらいの雰囲気の中で育ったらしいです。

失敗を許されない環境で育つと、自分の責任範囲の人間が失敗することも許せなくなるようですね。私も子供が変なことをしていると、その場で直さないと、間違ったままで身に付いてしまう、という恐怖で怒りだしてしまいます。でも本当は、少しずつ身につけるのでいいんですよね。それを見守るのは確かに根気がいるし、身に付かないんじゃないか?という不安に押しつぶされそうになりますけど・・・。

その不安を、相手のせいにして押し付けたら、「お前のために怒っているんだ」ということになるんだと思います。これは嫌なセリフですよね。実際に言われていた時はあんなに嫌だったし、不当だとも思っていたのに、自分が使うようになってしまっていたなんて、気付いた時はショックでした。

私も負の連鎖、させてます。でも、気付いた時からでも遅くないはずです。変えないより変えようとする方がマシなはずです。少しずつでも変わっています。

虐待をする人間が、虐待をしない人間に変わるのには、身に付いた癖をもういちど、違う癖で身に付け直す時間がいると思います。自分のことも、もう一度、時間をかけて身に付くまで待ってあげたらいいんじゃないんでしょうか?私は私に時間をかけてみようと思っています。

私は私を見捨てません。wingseedさんも、ゆっくりでいいから、wingseedさんを見守ってあげてくださいね。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月11日 13:44
「一度言われたらその場ですぐ理解する」これ当然として育ちましたよ。同じ失敗をすると「何回言っても理解できない」という冒頭の発言。
現在モラとなった妹は「wingがどんくさいから、私は楽させてもらった」とまで言い放ちます。

私は私を見捨てない根気が続くかどうかわかりません。自分が許せなくなったら最後は何かを壊すしかないのかもしれません。
Posted by wingseed at 2007年04月11日 17:48
「怒る」と「叱る」は違いますよね。

私はこの二つをごっちゃにして育ててしまいました。

夫は子供を一度も「叱った」ことがありません。
大声も出しません。お説教もしません。
つまり、躾をしたことがありません。
いわば放任、私任せでした。(むしろ結果的にはよかったか・・)

けれど一度か二度「怒った」ことはありました。
赤ん坊のときですよ。一才の子のほっぺたを平手打ちしました。なにか言うことをきかなかった、と言ってです。
Posted by なつ草 at 2007年04月11日 22:23
なつ草さんのおっしゃるように「怒る」と「叱る」は違いますよね。でもその境界が、わたしには未だにわかりません。
夫はいつもわたしを「叱って」いるつもりですが、わたしはいつも「怒られている」としか思えないし(笑)

子供を育てていく途上には、「躾」と「虐待」の境界とか、「愛情」と「自己満足的な可愛がり」の境目とか、難しい問題がたくさんあります。
同じ行為が違う結果を生むことも・・・、いいえ、同じ行為は同じ結果を決して生まない・・・などとも思ってしまいます。

失敗して悩み、反省し、でもそんな自分を許容する・・・それしかないように思います。

夫を見ていると「自分を許容出来なければ、他者を許容出来ない」というのはあると思いますよ。
Posted by 小麦 at 2007年04月12日 10:19
>wingseedさん

一度言われてすぐ身に付くはずないんですよね。それを待てない大人たちの苛立ちをぶつけられていただけだったんです。何度も失敗してよかったんですよね。

周りで見ている後続は、見ているだけで失敗しないことを学べますから、失敗しないですね。夫は完全にそのパターンです。自分が失敗をしないから、失敗する人間を見下すんです。でも、失敗を怖れているのは、私たち以上だと思います。なんせ経験してませんから。

今は、自分を許せないことも、認めていいじゃないかしら。許すことが怖いという気持ちがあってもおかしくないと思います。焦らずにゆっくりで。それでいいと思いますよ。



>なつ草さん

 >「怒る」と「叱る」は違いますよね。

これ、よく言いますけど、区別って難しいですね。

実際の罪の程度より重く扱ったり、子供が必要以上に傷ついたりするようなやり方をしてしまったりして、子供が既に負っている「悪かった」という意識を深めてしまうような場合は、「叱る」範囲から出てしまっているのかな、と思っています。

旦那さんの、赤ん坊に対する仕打ちは、赤ん坊の要求がわからない自分に対しての苛立ちからじゃないでしょうか・・・。

親自身の不満をぶつけられる子供はかわいそうですね。



>小麦さん

子供を育てる時の判断基準って本当に難しいですね。どっちに行き過ぎても子供のためにならないと言う話もありますし。とにかく、自分はこれでそれなりに育ったからこのやり方でいい、というわけにはいかないことだけははっきりと自覚しています。

モラハラの「叱る」は、ただの「押しつけ」ですね。だから、私が子供にしていることも、かなりの面で「押しつけ」なんだと思うんです。

「褒める」も、「叱る」も、あらかじめある理想像へ向けて、そこに当てはまる行為にOKを出し、当てはまらない行為にNGを出しているだけなんじゃないのか?つまりはどっちも理想像の押しつけに過ぎないんじゃないのか?という疑問を持ちつつあります。

 >失敗して悩み、反省し、でもそんな自分を許容する・・・それしかないように思います。

今私が自分にしようとしていることそのものです。これも、子供という存在に対しての自分と考えると、どこまで許容していいものか・・・と悩んだりもしましたけど、子供自身の育つ力を信じて、まずは自分を認めることにしました。

子育ての先輩としての言葉、ひとつひとつがありがたいです。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月12日 16:24
余計なことかもしれませんが、
このblogを拝見する限り、蝉ころんさんは充分自分を冷静に観察し、正しい判断をしていらっしゃると思いますよ。
特に自分の失敗や弱点を見つめることは、誰にとっても逃げたいことだと思います。それを頑張っているだけだってすごいことです(^O^)
それをさらに分析し、反省し、修正しようとしているご自分を誇りに思って下さい。
少なくともわたしはとても尊敬しています。応援しています。

そして疲れたら休んでください。
子供って親が思うより強いし、生命力ありますよ。
Posted by 小麦 at 2007年04月12日 16:54
>小麦さん

ありがとうございます。(^^

今までは、欠点を見つけても、「あ〜やだやだこんな自分」って自己嫌悪に陥るだけで、最後には「いじめたやつらのせいだ」「親のせいだ」って、そこで終わらせてしまっていたんですよ。逃げてました。

でも子供がいて、私が自己嫌悪に浸っている間にも成長していて、どんどんまた私のように育っていくのを目の当たりにしていたら、逃げているわけにもいかなくなって。自分は、いくら逃げてもいつでも一緒にいるんだから逃げ切れるわけないですね。

尊敬なんてもったいないです。将来ぶつかるであろう、子供からの反逆を怖れてのことでもあるんです。

でも本当にありがとうございます。小麦さんも、他のここに書き込んでくださる方も、みなさん、パートナーにモラを自覚して欲しいと願ってきた方たちばかりだから、きっと認めてくれると思って書くことができました。

ここまでこられた自分と子供を信じて、ゆっくりゆっくりを意識していこうと思います。つい焦っちゃうので・・・(^^;
Posted by 蝉ころん at 2007年04月13日 08:56
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