2007年04月06日

夫の役割・子供の役割

前回、私は子供と支配被支配の関係にしてしまっている、と書きました。

私が加害者側に立つ時、その衝動は子供のころの恨みが原動力になっている実感があります。子供に対する時、「私だってこうだったんだから子供だってこれでいいんだ」のような考えが浮かびます。「なんで子供だけこんなことが許されるんだ、私はダメだったのに!」という怒り、恨み。

私が子供に向けている恨みの対象は、親や、私が育った社会だと思います。私は、自分がされて嫌だったこと、辛かったことを、それで当然と思い込むことで何事もなく過ごしてきたので、それを当然のこととして子供に連鎖させてしまう思考パターンを持っているようです。

親への怒りは、子供に向けずに、親に向けるべきものです。でも私はまだできません。私はずっと、親の親代わりになっていたから、親を傷つけたくないんです。それで、今度は子供に私の親代わりをさせようとしてしまっています。

やはり、この恨みは、親に返すなり、消化させるなりして、チャイルドを癒していきたいです。



そしてもう一つ、私は、親以上に、学校でのいじめ問題に深いしこりを持っています。

このことについての恨みを一手にぶつけているのが、夫だと思うのです。

対等であるはずのクラスメイトから支配された。対等であるはずの夫から支配された。

仲間であるはずのクラスメイトから裏切られた。仲間であるはずの夫に裏切られた。

平等に回ってくるはずの権利をクラスメイトに、夫に奪われた。

仲良しだと思っていたクラスメイトから、夫から、無視された。

私は、夫から逃げてしまえばいいはずでした。こんなことするやつ嫌い。それでいいはずでした。

私は、夫に、昔受けたいじめ行為をされ、その夫と仲良くなることで、失った学校生活を取り戻そうとしたし、それがかなわないとなると、今度は、過去のいじめの分まで夫を恨んでいる気がするのです。



私の中に、自分がされたことを相手にもやり返してやりたいという復讐心が存在しています。私をいじめたあのクラスメイトたちを、今でもまだ、許せていません。今でも、いじめ返してやりたいという思いがくすぶっています。

当時、私と一緒にいじめられていた子がある日突然いじめる側に回ったとき、なんて情けない行動だ、私は絶対にいじめる側には回るまい、と思いました。あの時から、私は、自分の復讐心を見てはいけない汚いものとして封印したのかもしれません。でもその気持ちは確かに存在していて、報復する対象を探しているのです。

私はあの子たちを無理矢理許したことにしてきたけれど、そのことがかえって関係のない人を対象にして恨みを晴らそうという衝動になってしまっています。

私は、私をいじめた子たちをいじめ返したいという欲求を持っています。そのいじめの背景に何があろうと、私がいじめられて苦しんだ事実は変わらないし、同じ思いを味わわせたい、そしてその罪を償わせたい。そんな気持ちを認めようと思います。恨んでいいし、許さなくていい。償ってもらっていないものを許さなくていい。受けた痛みは、ちゃんとその相手に向けたままで、持っていようと思います。



私が受け入れた親からの行為は、子供に受け入れさせようと連鎖させています。連鎖させてくれない夫への恨みも生まれてきました。

私が受けたいじめ行為は、いじめられない、いじめない子になって欲しいという、子供への縛りになっています。夫へは、実際に夫がした行為以上の罪をかぶせて恨みを晴らそうとしています。

私にとっては、夫が私を癒せる人物でないならば、いっそ悪い人間でいてもらう必要があったんです。外に向けて発散できない恨みをぶつける相手として。私には、恨む対象が必要なんです。そのためには、夫に私が恨めるようなことをしてもらう必要があったんです。

そして夫が私にしているモラ行為も、同じようなことです。自分の中の抱えきれない負の感情をぶつける相手として私が選択されたんです。

一度ターゲットになったら、えくぼもあばたにしか見えません。どんな行為でも、屁理屈をこねれば不当なものとして断罪できるんです。不当なものを断罪することは、当然のこととして正当化できます。相手のためとして自分をごまかしてしまえば、どこまででもエスカレートできます。

そういう心の中の動きが私にあることを、意識してみています。私が逃げ回っていた自分自身の心です。
posted by 蝉ころん at 11:03| Comment(11) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もいじめた相手を私も殺したいって思ったことあります。それはまだ現在進行形。ふとした拍子に心の奥底に沈めた感情が浮かび上がってくるのです。(現実社会では殺したいと思うだけなら殺人罪にならないけれど、宗教的には思うだけでも罪人?)
心の傷は見えないけれど、もし身体に置き換えたら、どんな傷が浮き上がってくるんだろうとも思ったことあります。
きっといじめた人は罰を受けることもなく、いじめたことさえ忘れて平穏に生きています。いじめられた側は現在進行形で苦しんでいても、いじめた側にとっては過去のことでしかないという時間のずれがあります。

受けた傷を許せなくて、それを攻撃力とエネルギー変換していないと生きていけないという意味では、私もモラと同じ穴のむじななのかもしれません。

ふたりの私が私の中で争っています・・・
Posted by wingseed at 2007年04月06日 22:29
蝉ころんさん、こんばんは。
うーん・・・記事の内容、重いです。

>「なんで子供だけこんなことが許されるんだ、私はダメだったのに!」という怒り、恨み

主張や要求を堂々とする私に対して夫が持っている恨みも同じものだと思われますが、このときの「恨み」「怒り」は誰に向けたものだろう?と考えて、夫の行動からほどけてきました。

以前夫が私にモラハラをするのは、親への恨み(自覚できてなくても)があって、その腹いせ、八つ当たりか、としか思ってませんでしたが、モラの知識を得て、そのうえで観察したり過去の事を洗いなおしてみると、こう思うようになりました。

こりゃ、自分への恨みだ。(これも勿論無自覚のようですが)

正当な主張も、要求も、怒りも、全部呑み込んでフタしてしまった自分、それを憎んでいるようです。というか、それを認めるのが怖いようです。するべきことをできなかった不甲斐ない(可哀想な)自分が露わになるところにものすごく過敏反応します。自己嫌悪(自己憐憫)を追い払おうとします。その結果モラハラとなるようです。

八つ当たりにみえて、実はそうでないこの心理をちょうど記事にしようと考えていたところだったので、反応してしまいました。

ウチモラと一緒にするわけではないです。ごめんね。ただ、ちょっと参考にならないかな、と感じたのでした。
Posted by なつ草 at 2007年04月07日 22:23
重いテーマですね。
わたしにはこんなに自分を真摯に見つめることは出来そうもありません。
わたしも、小学校の頃にいろいろなことがありましたが、やっぱり忘れられないです。そして相手はわたしの存在すら忘れているでしょうね。

夫はどちらかと言えばいじめる側だったのだろうと思いますが、本人は全く自覚は無いようです。と言うより、自分の言動が他人に不快に思われたり、嫌味に聞こえたり、とても威圧的に感じられたりすることに気付かないように見えます。

以前に「僕が腹を立てるとすぐ周りにわかってしまうみたいなんだけど、なんでかなぁ。」と無邪気に言うので呆れたことがあります。
「そりゃ、それだけ怖い顔したら誰だってわかると思うよ。」と教えたらびっくりしてました(笑)
それ以来わかってはいるようですが、抑制する気はさらさら無いようです。つまり『ありのままでいて何が悪い!』という態度です。これが彼の本質だと今は思っています。
まわりにどんな影響があろうと、自分は自分。自分以外のために自分を抑えるなんてまっぴら。(ただし、自分に損になリそうなときは別なようです。)
Posted by 小麦 at 2007年04月10日 09:00
う〜ん、今の自分の在り様は子ども時代の自分の経験(マイナスの)がすごく反映されていると私もこの頃思います。
だから、身につまされる話です。
でも、私はここまで自分自身を分析できないなぁ〜。
無意識に過去のことで苦しめられてはいるけれど、実体のない影響、そのことでモラ夫に攻撃される謂れはないと思いたいです。
例えば、「夫婦がうまくいっていない」という時、必ず「あなたにも悪いところはあるんじゃないの」といわれると思います。
すると、相手のことを一通りあげつらうとそうさせてしまうのはどうしてか、と考え、その背景を考え、しまいには、自分にも原因があるからと結論付け苦しみの堂々巡りになっていくのだと。

でも、蝉ころんさんのように自分を振り返り顧みることで脱出できる糸口を見出せるのかも知れないとも思ったり。
やっぱり、苦しいですよね。

小麦さんが言っておられるように確かにモラ夫には、相手の身になって考えてみるという思考がそもそも備わっていない。相手を思いやるということがどういうことか理解するという能力が欠けている。と思えてなりません。
Posted by おのう at 2007年04月10日 11:21
お返事遅れていてごめんなさい。

一度書いたんですが、ちょっと長々書き過ぎたようで弾かれてしまったのに気付かず、消してしまいました。(>_<)

また書き直しますので、お待ちください〜。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月11日 11:26
>wingseedさん

殺したいと思うまでは、いいんじゃないでしょうか?自然に沸いてくる感情ですし。計画を立てるところまでいくとまずいんでしょうけど。(^^; 殺したいと思うほどまで追いつめられている自分を、認めて労ってあげましょうよ。

いじめた人間は、石ころを蹴っ飛ばした程度の感覚で、普通に日常を送っているんですよね。そういう事実の重さの違いに怒りを感じます。怒りのエネルギーってすごいですね。私もこれまで、ずっとこの力を使って生きてきたと思います。私たちにとって、怒りは生き延びるために必要だったんですね。今それが必要ないなら、それを関係のないひとに向けないですむようになれたらいいんですが。

私の中にも2人の私がいます。ずっと対立していましたが、もうそろそろ和解して仲直りしてもらいたいです。母親役の私が、話を聞いて癒してあげられたらいいんですが。

wingseedさんの2人にも、仲直りできる日が来ることを祈っています。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月11日 12:42
>なつ草さん

重い記事でごめんなさいね。(^^; 自分の事実を受け入れられるようになったと思ったので、記事にしました。

私は今、モラハラ加害者であることを認めています。

自分に向けた恨みだという指摘、大当たりです。

私はいじめをうけていた自分を、不甲斐ない自分として封印したかったんですよね。過去の自分として。夫と一緒です。自分は封印したい、でも相手には罪を償わせたい。だから事実を封印することもできなかったので、中途半端でした。だからほどけてきたのかな。

なつ草さんや他の方のブログ記事を読んだり、自分で記事を書いているうちに、そこに書かれている、他の方が口を揃えて「理解できない」というハラッサーの心理が、私にはとてもよく理解できて、「これは私のことだ」という事実から逃げられなくなりました。

私は、社会人として完璧に責任を果たせば、自由に生きられると信じていたんです。だから、完璧な自分にならなければいけなかった。それなのに、弱みをつついてくる夫が許せなかったし、新たな弱みをつくりだす子供たちが許せなかったんです。

私がモラハラの被害者になったのも、私は自分の加害者的な振る舞いを自覚したくなかったから、同じことをしている夫の行動にも目をつぶってしまったんです。

モラハラを自覚するに至ったのも、子供のためはたしかにありますが、虐待母と見られるのが嫌、という気持ちの方が大きいんです。自己保身の考え方で、発想は変わっていません。社会の目をものすごく気にしています。

ヒントをもらって、たくさんのことに気付きました。ありがとうございます。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月11日 12:57
>小麦さん

真摯、なんでしょうか。自分では、一応、認めることができたことを、よかったと思っています。こんな私だけど、それでいいと。(虐待は良くないですが、もちろん)

夫もいじめる側だったろうと推測しています。本人は絶対そんなことはないと思ってるでしょうが、私の存在が、夫の絶対は絶対じゃないことを証明してますし。

小麦さんところも顔つきとか恐くなるんですね。夫もです。周囲や私からいくら言っても「俺はこんな顔だから」と言って改善しようとはしません。避ける方が悪いと言って人のせいにしています。自分を低く評価する人間はどうでもいい、って切り捨てているのもあると思います。

私にもこんなところがあるかもしれません。以前仕事をしていたころ、「近付き難い」と言われたことがあります。壁を作って、攻撃的になっていたんです。弱さの現れですね・・・。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月11日 13:04
>おのうさん

私は虐待母のレッテルから逃れたいんですよね。だから、子供たちが子供うちに、自分の行動を改めたいんです。その分急いでしまって、荒療治的になってしまっているかもしれません。でもモラハラって、これくらいしないと直らないと思います。

「夫婦がうまくいってない」、「あなたにも悪いところがある」でどうにかなる問題じゃないんですよね。モラハラの関係って。加害者側になにかにぶつけたい怒りがあって、その対象に選ばれてしまったら、被害者側はもう何をしようが、長所だって悪いところにされて責められてしまいますから。

本当に悪いなら、離れればいいだけのことなんです。加害者側も。いじめていじめていたぶってまで一緒にいる必要はないんです。被害者が悪いと言うなら。離れたくないなら、自分が変わればいい。被害者が一緒にいたいと心から思うような自分になる努力をすればいい。それが子供たちに対しての今の私です。

相手の身になって考えること、ですが、私、対等か、私の責任の及ばない相手に対してなら、わりと共感能力あるな、と自負しているんですけど、子供に対しては、この実力が発揮されないんです。子供の気持ちより、自分の保身が優先されている場合が多々あります。こんなとき、子供の気持ちは全く見えていません。いっぱいいっぱいになっています。

夫も、自分を評価してくれる相手に対してはそこまでするか、というほど気持ち、立場を思いやりますが、私や子供たちに対しては、相手の身になるなんて発想もないようです。自分の評価を左右する存在だからだと思います。いいお父さんでいなければならないんでしょう。私が「いいお母さん像」に縛られているように。

私は虐待母になりたくないです。これが保身だとしても、結果として子供のためにもなるなら、そういう取り組み方がスタートでもいいじゃないか?と自分を認めてみています。

自分が苦しくないように、楽に進めるようにと考えてます。こんな感じで、どうでしょうね。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月11日 13:26
殺したいが昂じて拷問に興味を持つようになったほどです。かなりきわどいところまできていました。
Posted by wingseed at 2007年04月11日 17:50
>wingseedさん

そうですか・・・それもまた、わかる気がします。私は、自分の方へ向けていた時期が長かったです。

お互いに、きわどい時期を通り過ぎることができて、こうして出会えたことが嬉しいです。

この先にも険しい場面はあるでしょうけど、乗り越えられることを信じたいですね。
Posted by 蝉ころん at 2007年04月12日 15:46
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