2007年03月02日

議論好きは私

虫食い枯葉さんのブログで、旦那さんに惹かれている部分がある、満たされている面もある、という話(ずれて捉えていたらすみません)があったので、私にも似たような面があると思い、考えました。



以前にも、夫といると子供にかえって本気で遊べるから、ということを書いたことがあります。

今回考えていて、もう一つ、私が夫といて楽しかったことに、議論があるということに気付きました。

私の実家では、日常的に家業のことについて議論をしていて、私はそれに入ることができなかったので、議論に加わること=構成員として認められること、のような認識があったかもしれません。

でも、実家での議論はと言えば、話し合いと言えるようなものではなく、ただ各々が自分の考えを声高に主張するだけの、意見の押し付け合いでしかありませんでした。母はできるだけ穏便にまとめようとはしていましたが、それでもやはり、父の偏った考えは受け入れるわけにいかず、どうしても議論になってしまうのでした。

自然、私がしたかった議論はそういうものでした。

社会に出てみると、話し合いにも会話にも、こういった議論は出てきません。それが当たり前です。私はその会話の在り方に合わせつつも、本当の会話をしていないような物足りなさを感じてもいました。自分の考えを目一杯主張してみたい、言いたいことを言いたいだけ言ってみたい。そんな感情があったのだと思います。

それが出来たのが、夫でした。

モラハラ加害者の特徴として、議論好き、があるといいます。相手との意見の擦り合わせをしたいわけでなく、子供の屁理屈の延長のようなもので自分の考えが正しいことを相手に納得させるため、という議論だろうと思います。

私は、ときどき夫との間で発生する、この実家での議論と同じような性格の議論が大好きでした。夫が自分の考えを言う、私はそれを聞き、それなりに考えを受け止めた上で、また私からも考えを言う。私は結論なんて出なくてよかった。ただ意見をぶつけ合うのが楽しかったんです。本音と本音で話が出来る、これができるからこそ家族なんだと思っていました。

そのときは、話し合ってそれぞれの考え方がわかれば、お互いの理解にもつながると思っていましたが、そんなことは付け足しの理由に過ぎなかったんです。私はただ議論できることが嬉しかった。それがやっとわかりました。



夫の方にもそういう面があったように思います。

夫の実家でも、ちょくちょく何か言い合い(端から見ると言い合いにしか見えないものですね)をしていましたし、以前はたいてい言いくるめられるのは夫だったようです。そして、いつか上の兄弟を言い負かしたいと思いつつ成長したようです。

夫もまた、対等に理屈を張れる私との議論に熱中していました。私は夫を納得させたいわけでなく、ただ議論が続くのが楽しかったし、言い負かしたい欲求の強い夫は、持論を変えようとしない私を屈服させようとするので、なかなか議論は終わらず、いつも時間切れで終了、といった感じでした。私は議論が出来たこと、それだけで満足できましたが、夫の方は言い負かせない不満が少しずつ溜まっていたのかもしれません。

夫は議論が好きなのではなく、言い負かして勝つために議論という手段をとっているだけ。本当の議論好きは私の方でした。

そしてこれが、私たち夫婦の唯一といっていい精神的なコミュニケーションで、パワーバランスを保つ意味でも夫婦の存続に大きな影響を与えていたものだったような気がしています。

子供が産まれて、子供の相手をしつつ論理展開をすることに無理が出てきたので、私は議論に乗ることがなくなりました。そして、議論に乗らなくなった私に「勝った」と認識した夫は私を支配しだし、私にとっては議論の出来ない状態で夫と過ごす意味がますますなくなりました。このあたりの話は以前にも書いたので余談として。



今、私は、こういう議論、相手に自分の意見を押し付けるための議論は、正当な話し合いでないことを知りました。でも、頭に染み付いているパターンがなかなか抜けないようで、無自覚に人を議論に巻き込んでしまうことがあります。

こういうときは、攻撃的です。言い負かし合い、というゲームに入り込んでいるからです。私の中では、ゲームのルールに則っての攻撃的なプレー、というようなものなんですが、ゲームの外でやってしまっては直接攻撃と受け止められるのは当たり前です。

柔道のルールは試合の上では公平ですが、普通の生活の中で人につかみかかってはいけないのです。

私はこの癖を持て余しています。なるべく表現を考えて、同じことでも柔らかく受け取られるようにしようとか、普通に意見を伝える程度に留めるように心掛けていますが、勢いのある時は攻撃性が前面に出てしまいます。

ここでこうして長々と自分の考えを書き連ねているのも、この議論好きの傾向からきているもののように思います。ただひたすら、私の考えが伝わることだけのために。しつこくしつこく書いてしまうのは、自分の気持ちを書き留めたいだけじゃない、「私の意見をわからせたい、このことについて意見を戦わせたい」という欲求から来ている気がしてなりません。

このブログではそういう面も現状の自分として出してしまえ、と思っているので、意図して書いているときもありますが、今週は、よそ様のブログのコメント欄でやってしまいました。(なつ草さん、本当しつこいですがごめんなさいm(_ _;)m)

まだまだ未熟な私を再認識しました。この未熟な私を認めつつ、少しでも前に進めるか、と思っています。議論への欲求をどう消化していったらいいのか、悩んでいます。
posted by 蝉ころん at 21:07| Comment(7) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もどっちかというと議論好きな部類なのかもしれません。理論が破綻していると言われていますが^^;
「理屈っぽい」と言われ続けた就職活動、親から「脳みそ足りないことを口にして可愛げのない子」と嫌味言われたこととか思い出しちゃった。

私のインナーチャイルドはかなり手ごわいです。
理性で本能を抑えようとする私と本能のままに動きたい私。ふたりの私を抱えながらここまできちゃったと気づいたから・・・
Posted by wingseed at 2007年03月02日 22:47
私は議論好き、とはいえないと思いますが
以前友人が
「夫と議論していてついつい夜更けまでお互い熱く語ってしまった」なんて聞いて、羨ましいというか、不思議な感じがしたものです。

>モラハラ加害者の特徴として、議論好き、があるといいます

そうなんですか〜
ウチはほら、議論どころか、会話のキャッチボールも出来ない質だから・・。

なんにせよ、蝉ころんさんは、少なくともそういう点においては夫さんと精神面の接点があった、ということですよね。(目的はずれていても)

ウチ・・何かあったかな〜?


>自分の気持ちを書き留めたいだけじゃない、「私の意見をわからせたい、このことについて意見を戦わせたい」という欲求から来ている気がしてなりません。

この欲求は、人として自然なものではないですか?

私なんかもやってますよ、きっと。
よそ様のとこでもね。

だから、わたしんとこは気にする必要全然ないです。むしろ歓迎。議論に進むには力不足かもしれませんけど。




Posted by なつ草 at 2007年03月03日 20:03
遅くなってすみません。(^^;


>wingseedさん

議論好きって、わかってほしい欲求の強さの現れなのかしら。普通に伝えても受け止めてもらえず、理屈で言いくるめられた経験が重なるとこういうふうになるのかなって。言葉が足りないからわかってもらえないんだ、もっとキチンと表現しなきゃ・・・って、努力した証なのかも。それが変にしっかりしたい自分、堅苦しい自分につながってる気がします。wingseedさんも、そんな感じありませんか?

私にも、要求の強い奔放な子供と、その子供を理屈で押さえ込んでいる優等生の私がいます。優等生の私は、過去の辛い状況を乗り切るために活躍してくれたけど、今はもうそんなことして自分を縛らなくてもいいんですよね。

理性が本能を手助けする関係に近づけていけたら・・・それが理想かな。難しいかもしれないけど、ふたりの私も私だから、どちらも大切にしたいですね。



>なつ草さん

いつまでもひきずっちゃっててごめんなさいね。(^^;

>>モラハラ加害者の特徴として、議論好き、があるといいます

これは「言い負かして優位を確認するため」のようですね。なつ草さんの旦那さんは、言葉で勝つ欲求はなさそうですよね。逆ですもんね。手応えのない受け答えをすることで翻弄して優位を示す・・・という感じ?どちらにしても、誠意ある対応じゃないですね。

虫食い枯葉さんのブログで書かれていたことと、なつ草さんのブログでの出来事が、ぱっとつながって、ああ、これが私が夫といて発散していた部分、逆に無視されていて辛かったことの原因だったんだ〜って、思いました。無視されていて議論は出来ませんから。

今回、他にも自分自身の問題が出てきたんで、ちょっと凹んでしまって、1人で騒いでしまいました。

私もまたお邪魔してコメント書かせてもらいますね。議論じゃなく、話し合いに。(^^
Posted by 蝉ころん at 2007年03月06日 15:29
お久しぶりです。最近やっとモラハラ関係の記事復活です。

>私にも、要求の強い奔放な子供と、その子供を理屈で押さえ込んでいる優等生の私がいます。優等生の私は、過去の辛い状況を乗り切るために活躍してくれたけど、今はもうそんなことして自分を縛らなくてもいいんですよね。
理性が本能を手助けする関係に近づけていけたら・・・それが理想かな。難しいかもしれないけど、ふたりの私も私だから、どちらも大切にしたいですね。

私の場合は本能中心になると反社会的行動をためらいなくやってしまうので、理性の私は未だに気が抜けません・・・
Posted by wingseed at 2007年03月19日 11:32
>wingseedさん
お久しぶりです。

ちょうど私が更新意欲がわいた時にコメント頂いて、なんだか不思議な嬉しさ。(^^

本能wingseedさんの反社会行動を理性で抑えていないといけないわけですね。理性のwingseedさんも疲れがたまりますね・・・。せめてためらうようになってくれれば、理性で受け止めようもありそうですけど・・・なかなか難しいですね。

私の本能側は、最近、子供たちをターゲットにしてしまうので手こずっています。理性側への恨みを子供に向けてしまうんです。お前の言う通りに将来を夢見て我慢してきたのに、なぜ子供たちが先に私の夢を叶えてるんだと・・・。今は大声を出す程度で収まっていますけど、いつエスカレートするかと思うと怖いです。

やっぱり私は子供を持つべきじゃなかった、という後悔とも戦っています。産まれてきた子供たちに失礼だとはわかっているんですが、なかなか消えない気持ちです。
Posted by 蝉ころん at 2007年03月19日 13:00
私自身が母親から「子供は母親の命を削って産んでる」と散々言われて育ったので、子供は母親の可能性を狭めるファクターと思ってしまうのです。
私が子供を産んだとき、子供が自分の思い通りに育たなかったら殺してしまいそうになるかも・・・(そういうことも反社会的行為の一部ですし・・・)今ですら理性を感情で抑えるのいっぱいいっぱいなのに、これ以上のキャパシティはないように思えてしまうのです。
蝉ころんさんがそういうふうに思う気持ちが痛いほどわかるから、衝動を抑えながら生活しているのが想像できてつらくなります。
Posted by wingseed at 2007年03月19日 14:25
>wingseedさん

子供産むのが命がけなのは、確かにそうだと思います。人生で2度目の命の危機を感じましたから。(^^; でもね、これは親側の事情であって、子供に押し付けるものではないですよね。そこまでして産んだのはこっちの勝手なんです。そして、そうまでしてでも産んでよかった、産まれてきてくれてありがとう、という気持ちも、確かにあるんです。

産まなければよかった、という気持ちは、育ちきれてない部分から出てきています。自分がこんなに人生に不満を抱えていて、満たされていないことを諦めようともしていないのに、子供を満たさなきゃいけないってことが、うまく消化できないんです。

wingseedさんの気持ちまで刺激しちゃってごめんなさいね。でも共感してくれてありがとう。これでもだいぶ衝動はちいさくなったんですよ。でもまだまだ埋もれている感情があるようで、急に暴れだすのでびっくりします・・・。
Posted by 蝉ころん at 2007年03月19日 16:45
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