2007年02月01日

仲間入り欲求と仲間はずれ不安のもたらしたもの

まだまだ「仲間」というものにこだわっています。(^^;

私のかなりの行動原理がここから出たものらしいので。


・数人人が集まると、自然にキーマンを探している

 この人に嫌われたらいられないという不安がある。
 この人に気に入られれば安泰という安心を得るため。

・能力を認めてもらえないことに不満を感じる

 認めてもらえない=追い出される、という不安。
 認めてもらう=仲間でいていい、という許可になってしまっている。

・能力を認めてもらうために必要以上に自己主張してしまう

 主張しているのに見てもらえないことで不安がエスカレートする傾向がある。
 主張が過剰になってしまうと、和を乱す存在になって、結局いづらくなる。

・1人でいる人を見過ごせない

 自分だけが仲間に入れればそれで良い、という嫌われる行動をとりたくないだけ。
 仲間に引き入れた相手に自分の立場を奪われたりして、不快に思ったりする。

・人を嫌えない

 その場にいたいがために、嫌なことをされていても相手を嫌えず、理解しようとしてしまう。
 理解してしまうと嫌えない、離れられない、の悪循環。

・自分を出せない

 ある程度メンバーとして認められると、守りに入ってしまい、自分が出せなくなる。
 まわりの話題に無理についていこうとして、知ったかぶりをすることがある。

・私を排除しようとする人間を嗅ぎ分けてしまう

 相手がさりげなく私を外そうとしていることを感じ取って敵対心をもつ。
 その人のまわりにいる人たちまで信じられなくなる。

・キーマンのいない集団に不安を感じる

 自分の立ち位置がわからなくなる。
 集団に入れていない感じがする。

・自分のしたいことがわからない

 仲間に入るためにしていることであって、したいから仲間になったんじゃない。
 得意なこと、好きなこと、は、ある。でも、本当にしたいことは?わからない。
 これは、今の課題。




今のところ思いつく問題点は、こんなところでしょうか。

どれも、意識して、「不安を感じなくてもいい」と認識できるようになれば、解決していけそう。夫から評価されるのが嫌なのも、「夫がキーマン」と無意識に認識している自分がいるからだと思います。「キーマン依存症」かしら。



それでどうも、私は「キーマンの腹心」を狙っている人物に目をつけられやすいらしいというのも、最近やっとわかったこと。私とはちょっと違う理由が働いているようですけど、キーマンに気に入られたい人はたいがい他にもいて、そういう人には私が邪魔になるようです。まあそうでしょうねえ。同じところを狙ってるようなもんですから。私は別に「腹心」にこだわってるわけじゃないけど、そう見えるでしょう。

他の人と離している時にさりげなく間に割り込んでくるとか、輪になって話している時に、微妙に形を崩して私だけ外れるようにするとか、こちらが話している最中に他のことをしだして無視するとかいう嫌がらせを、今でもされることがあります。

あまりにも自然にするので周りの人からはまったくわからないんですよね〜。故意だと気付いてからはうまいことやるな〜と感心するくらい。これもモラハラの一形態ですね。

私はこういう人に嫌われていて、嫌いなものだから排除されようとしてるんだなと。

私は、集団に属することが大切で、でも嫌いな人と一緒にいるのは不快。だったら、嫌いな人を嫌いでないことにするために相手を理解しようと努力する。そういう方法をとります。

でも、私に嫌がらせをする人たちは、同じように集団に属することが大切なようだけど、嫌いな人と一緒にいるのが不快だから、集団から出してしまう方法をとっているわけですね。それも、「邪魔だから出て行って」と言うわけにいかないことはわかっているから、相手を居心地悪くして自分から出て行くように仕向けるという・・・。あ〜ヤダこういうの。

私はこういう人たちが嫌いです。嫌いでいいんだと思う。で、こういう人は、集団に必ず1人くらいはいます。

だから、たいがい私は目の敵にされて、はじっこで集団にしがみついているのか、出て行くのかという選択を迫られちゃうわけです。

私は集団が大事なんだろうか。それとも集団の活動が大事なんだろうか。

集団が大事なら、自己主張せずになんとなくそこにいれば、たぶん目をつけられることもないでしょう。なんとなく集団にいればそれでいいじゃない。でも・・・これは私は嫌。

じゃあ、集団の活動が大事なんだったら、もっと自分を出して目をつけてくるような人に負けないくらいになればいいんじゃないかしら。むしろとりまきにしてあげるわよ、くらいの勢いで。それか、出て行って自分だけで活動すればいい。

別にキーマンにランク付けしてもらわなくていいじゃん。私は私で、それだけでいいんじゃないの?

それにはやっぱり、自分のやりたいことと、そのことへの情熱、みたいなものがあるかどうか。なのかなあ。

まだそこまでは・・・ちょっとハードル高いなあ。(^^;
posted by 蝉ころん at 11:28| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
蝉ころんさん、これって私のこと言ってる!?
って思った。自分自身も感じてはいたけどそうじゃない、そうじゃない、と見ないようにしてフタをしていたようなことをみごとに文章に表せるとは・・・。
>他の人と離している時にさりげなく間に割り込んでくるとか、輪になって話している時に、微妙に形を崩して私だけ外れるようにするとか、こちらが話している最中に他のことをしだして無視するとかいう嫌がらせを、今でもされることがあります。
あります、あります。
私はリ−ダータイプでは決してない、なりたくてもそういう素質は備わっていないのですねー。
でも、ひとりでいる勇気も強さもないから、どこかに自分の置場をもとめてしまうのでしょうか。淋しいから。
Posted by おのう at 2007年02月01日 13:21
>おのうさん

わ、おのうさんも同じような感覚をお持ちなんですか?

同じような嫌がらせも経験ありなんですね。彼らもきっと何かしがみつくものが必要なんだろうとは思うんですけど、やっぱりああいった行為はいただけないですよね。

私もリーダータイプではないです。無理にやらされて頑張ってみても、誰もついてきませんし。(^^; リーダーは素質がいりますねえ。

 >ひとりでいる勇気も強さもないから、どこかに
 >自分の置場をもとめてしまうのでしょうか。淋しいから。

きっと、そうなんでしょうね。強さって、勇気って、帰れる場所があるから、自分がいていい場所があるから身に付くものなんでしょうね。出て行っても、また帰って来れる。失敗しても、戻れる。そんな場所があるから、どんどん進んでも不安にならないでいられるような気がします。

子供を育てていて、「あ、この子たちの帰る場所は、家じゃなくてお母さんのいるところなんだな、私がこの子たちの家なんだな」って思ったことがあります。どんな自分でもお母さんは受け入れてくれるって知っているから、お母さんは助けてくれるって信じているから、冒険できる。

私はそんな場所を求めているんじゃないかって思います。私が私の存在を預けられる場所。それは、「空間」じゃなくて、「仲間」のことなんだと思う。

1人で暮らしていようが、どんな場所にいようが、そこでは受け入れられるという、信頼関係です。

本当なら、夫とそんな関係を築きたかった。でも、夫の信頼は私より母親の方に向いてましたし、そんな夫を私も信頼できなくなりました。この場所は私を不安にさせるだけ。

しっかり根を張れる場所がほしいですね。
Posted by 蝉ころん at 2007年02月01日 15:22
>他の人と離している時にさりげなく間に割り込んでくるとか、輪になって話している時に、微妙に形を崩して私だけ外れるようにするとか、こちらが話している最中に他のことをしだして無視するとかいう嫌がらせ

ここだけ見たら、この嫌がらせの人、とても自分に不安を抱えているような人に見えますね。
自分が仲間外れになるんじゃないかと。で、それならただ入って来るだけでいいのに、誰かを仲間はずれにしないと安心できない。たしかに、モラハラ行為の「投影」ですね。(投影って身代わりのことですよね)蝉ころんさんその対象にされやすいってこと?

でも、そんなふうに相手がみえると、怒りとか、悲しみにやられなくていいです。不快はあっても。

私は、じつはそんな経験がありません。
たいてい、どこにいてもはじめから仲間扱いされてないな、という感じに馴れてしまっています。自分が仲間になろうとする意識が希薄なんでしょう、たぶん。

といって、ひとりが好き、というのでもなく、仲間としての「濃さ」のレベルが人と違うんだと思う。

以前、パート仲間の数人グループが一緒に遊びにいこう、という話になったのですが、新しく入ったばかりの人がいて、勿論誘うんだと思って私が声かけたの。
そしたら、キーマン?って立場の人が「あのひとは別にいいじゃない、誘わなくって」

これが「仲間意識」の違いなんですね。
あ、だから、そんな、「仲間意識」のずれた私も、時々外されるようになりました。

>別にキーマンにランク付けしてもらわなくていいじゃん。私は私で、それだけでいいんじゃないの?

それですよね〜。
仲間って私は同じ目的で集まっている人、ととらえてるから、「友達じゃないけど仲間」ってのもアリじゃないの?と思うのです。

一つの目的なりを同じくすることで濃くなる仲間はいいんだけど、それがない集団って、濃くなることと排他が紙一重、になるでしょ?

友達は、同じ目的も何もなくても友達。

できたら蝉ころんさんとも仲間じゃなく友達になれたらいいな、と勝手に思ってます。(^_^;)

だって、モラハラ被害仲間意識が「濃く」なるって・・どうよ、と思うから。

なんだか記事の内容とずれた書き込みでしたけど・・





Posted by なつ草 at 2007年02月02日 13:31
>なつ草さん

私、学生のころは、なつ草さんの集団でのスタンスと似てました。

かなりはじっこにかろうじて存在してる感じで、別にいつ外されてもいいし、中心人物たちの「濃い」仲間に入れなくてもどうでもよかったです。

むしろ、そういう排他要素の強い「濃い」集団が嫌いでした。どうせ外されるから、という「仲間はずれ不安」の裏返しもあったんでしょうけど、ただのけ者を作るために集まっているような空気が居心地悪いんですよね。

学校集団とか、仕事仲間とかって、選んで仲間になったわけじゃない「離れられない」集団でしょう?だから余計こういうスタンスになりやすいとこありません?

今は、こんな「濃い」集団は避けてます。雰囲気の良さそうな集団を厳選して近づきます。そういうところは、キーマンがいい人なので、基本的に居心地がいいです。「嫌がらせ」タイプの人がいるのはもう仕方がないですね。

でも今はわりと深くまで入り込もうとするので(入りやすい分、外される不安が強いのかも?)、嫌がらせを受けるようになっちゃったんです。ほどよい関わり方ができるようになりたいです。(^^;

モラハラ被害者仲間、というとちょっと嫌かもですね確かに。じゃ、モラハラ回復仲間ってのはどうでしょう?心のリハビリ仲間。なんか前向きな感じ出ませんか?

私もなつ草さんとお友達になりたいです。おこがましい気もしますけど、なつ草さんがそういってくれるの嬉しいです。ありがとう〜。(*^^*)
Posted by 蝉ころん at 2007年02月02日 15:18
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