2007年01月30日

母と父の関係

私が子供の頃から、家の中では口論が絶えませんでした。

父が何か母に無理を言う。母が理を説く。父がへりくつを言う。母が諭す。

全て、大声で交わされる。私はこれが嫌でした。

なんでお母さんはお父さんを焚き付けるんだろう。素直に聞いていればお父さんも機嫌よくしていてくれるのに。(この時点で既にモラハラにつかまりやすい思考形態になっていた)

ときどき、私は仲裁役を買って出て、父母双方に、お互いの立場を説明したりしていました。大人気取りで。私はこんなに家を平穏に保とうとしているのに、みんな自己主張ばかりして、勝手なことばかりして!と怒りさえ持っていました。



最近、夫が、モラが、子供だということに気付いて、もう一度子供時代をふりかえってみたら、母と父の関係が、ただ口論ばかりしていたわけでないことに気が付きました。

母は、父を子供として扱っていました。それはもう、かなり小さいころから一貫して、です。

どうやら母は、父が子供であることを理解した上で、覚悟の上で結婚したらしい、ということがやっとわかったんです。母は、生きるために、父の妻として生活することを受け入れたのでした。

母はずっと父にものの道理を噛んで含めるように説明していたし、何度同じことを繰り返されても、諦めず何度でも同じことを教えていました。

母は、父を育てていました。

幸運なことに、父は母親を亡くしていて、帰るべきところがありませんでした。それに、自分より弱いものに暴力は振るわない、というプライドも持っていました。だから暴力的な問題も起こらなかったし、父の依存対象は母しかいませんでした。

母は、家の中で1人だけ、大人として、家庭をまわしていたのでした。

母の生家は大家族でしたから、いろんな年代の男性女性がたくさんの中で育って、自然と知っていたのかもしれません。心が子供のままで大人になってしまうにとがいることを。

父と母の関係は、そういうものでした。父は母を妻だと思っていたけれど、母は父を子供として見ていて、それで、両親の関係としては、うまくいっていたらしいのです。私が夫を大人として見ていたから生じた葛藤、苦しみは、母にはほとんどないようでした。もともと理解して、対処していたから、想定済みのことだったんでしょう。



問題は、そこが子供の生育環境だったことでした。

母は、自分は一貫して父を子供として扱っていたにもかかわらず、私たち子供には、父を大人として、威厳のある父親として見せようとしていました。

私たち兄弟は、母も、父も、大人として認識するよう育てられました。母は女性代表、父は男性代表ということになります。母のように男性を扱う人を大人の女性と思い、父のように女性を扱う人を大人の男性と刷り込まれてしまった面があると思います。

母は、「心が子供な大人」のことは、私たちに警告することはありませんでした。自分が教えられずに身に付けたものは、教えるべきことだとも気付かないものなんでしょう。昔は本当に常識だったことなのかもしれないし。

でも、私は、「心が子供な大人」を「大人」の代表として認識してしまいました。

「父のような人とは暮らさない」と固く誓っていた私が、夫のような人と暮らすことになったのは、父の表面的な行動に捕われて、もっと深く問題にするべき、「子供の心」のことを理解していなかったからでしょう。父のようにはっきりした自分勝手をする人だけを避けて、そのくせ、父のような心を持っている人に警戒心を持てなかった。警戒すべき性質と認識していなかったからでしょう。

私は、母の行動も父の行動も、その表面しか見ていませんでした。私は母が頑固だからいつまでたっても同じことで父と口論をするんだと思っていました。譲ってあげれば済むことなのにって。でも、母は父を子供として見ているからこそ同じことを粘り強く教えていただけだったんです。身に付くまで、諦めずに。

それから、私は父のことを、働いていて疲れているんだから、多少は我侭を言うものだ、それくらいは許されることなんだ。でも私たちにとばっちりが来るのはなんとかして欲しいな、くらいに思っていました。でも父は子供だったから我侭ばかりで母に偉そうにしていただけでした。自分が新しく知った知識を、他に誰も知らないかのように吹聴するのも幼児的でした。

母の、父に対する対処は間違っていなかったんだと思います。父の行動もかなり沈静化したし、今は母と父なりに仲良く落ち着いた生活をしています。

母は、とっても頑張ったんだなあ・・・。母だけ、意志の強い大人として、選べなかった人生を、母なりの工夫で乗り切って生きてきたんだなあ。私は、母のことを恨んだりもしたし、母のような人生は送りたくないとは思っているけど、でも、母のことはやっぱり大好きで、誇りにも思っています。

父のことは・・・まあ、憎めないヤツです。子供だし。離れているから言えることですが。(^^;

きっと夫のことも、憎めないんだろうな。死んでくれと思ったりすることはあっても、憎んだりはできない。そんな気がしてます。

それで、私はどうするんだろうなあ・・・と、ぼんやり。
posted by 蝉ころん at 11:08| Comment(4) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この記事は色んな角度から、私にも似たことがいえる、と興味深く読ませてもらいました。

父が少し幼児っぽいところがあるのも似てますし、お母さんとお父さんの関係は私と夫の関係にも似てます。娘はもしかしたら蝉ころんさんの子供時代のような気持ちでいたのか・・なんて想像もしました。

でも私は蝉ころんさんのお母さんのようには、割り切って大人として夫を育てる、というような度量はなかったということですね。


>父のようにはっきりした自分勝手をする人だけを避けて、そのくせ、父のような心を持っている人に警戒心を持てなかった。

ここも私の気持ちそのまんまでした。
でも、蝉ころんさんは
自分のことや周りへの観察能力をこれだけ身につけてられるというのはすごいです。

>きっと夫のことも、憎めないんだろうな。死んでくれと思ったりすることはあっても、憎んだりはできない。そんな気がしてます。

これ、昨日たまたま私も思ってました。
怒りと憎しみは全然ちがうな、怒っていても憎んだことはなかったな、なんて。

蝉ころんさん、元来のんびりやさんだったんですね。
お会いしたこともないのに言うのもなんですけれど、
以前の記事と最近の記事を読む限りにおいては、タッチが変わっているような気がします。柔らかく、明るい感じに。

本来の自分にもどりたいなあ、と私も思います。
背伸びしたり、とりたてて頑張ったりしなくても
以前の自分、それだけで十分私には明るさも元気もあるのに、と。

>それで、私はどうするんだろうなあ・・・と、ぼんやり。

もうこの際あわてる必要ないから、のんびり考えましょう。笑

Posted by なつ草 at 2007年01月30日 16:17
>なつ草さん

ええ、なんだか私ね、なつ草さんには「仲間意識」を感じてるんですけど、それとは別に、母のように慕ってる面があるんですよ。負担になるかな?って言い出しにくかったんですけど。

そして、なつ草さんの娘さんのことも、なんとなく私の若い頃と共通点がありそうだなあって・・・勝手に感じてるだけですが。(^^;

きっと今のうちの状態も同じような感じになっているんだろうと思います。やっぱり子供には影響を与えてるんでしょうね。


 >蝉ころんさんは自分のことや周りへの観察能力を
  これだけ身につけてられるというのはすごいです。

お褒めいただき、ありがとうございます。(*^^*
これも、小学生時代に、あまりにも周りから外されるために、自分を疑ってみたり、周りを疑ってみたりして、自分を正当化したり、相手の行動の動機を探ることで悪意を感じないようにするために、身に付けたものだと思います。

私は人を嫌いたくないらしいです。だからいろいろ理屈をこねて、自分を納得させようとしてるのかもしれません。夫のことを憎めないのも、このあたりの心理のようです。極論、死んでくれれば嫌わないで済む・・・これってものすごいエゴですよね。

この心理は私の優等生の種みたい。あまりにも自然に回路が働くから、コントロールされていることに自分でもまだ納得がいってません。

なつ草さんの、旦那さんを手放せない心理にも、同じように自然に動いてしまう回路がねっこにあったりしませんか?

やっぱり答はこちらの心の中にあるってことでしょうか。



それにしても、自分自身ののんびり具合にかなり面食らってます。ここんとこ、のんびりゆっくり、のキーワードがいらないんですよ。どっちかというとのんびりしすぎちゃって。洗脳が効きすぎたかしら。(^^;
Posted by 蝉ころん at 2007年01月31日 10:33
>母のように慕ってる面があるんですよ

照れてれ・・(〃_ _)σ あの、出来たら年の離れた姉、くらいに・・笑

でも、むしろ、私の方が、デリケートな感覚を分かってもらえる数少ない友、として頼りにしてるとこ、あります。年若い方に甘えちゃいけないって、自重してるんですけど。

>私は人を嫌いたくないらしいです

それは当然。
「嫌う」というマイナスの感情をしょいこむのは辛いことですもん。

>死んでくれれば嫌わないで済む・・・

そう言われてみて、そうそう、私も夫にいっそ死んでくれたら、と思ったときの内心はそれでした。、
こんな感情、世間の人に分かってもらえるかな?

ふつー、死んだらいい=憎しみ ですからね。

ここまで感情が反転するほど、私たちは追い込まれたってことか・・と改めて慄然とします。

>なつ草さんの、旦那さんを手放せない心理にも、同じように自然に動いてしまう回路がねっこにあったりしませんか

夫に問えば必ず「一緒に暮らしたい」なんですよ。
判で押したように。

別にほだされることも期待することもないし
以前はともかく、今の私、自分が夫を手放せないのか、ということにかなり疑問感じてきてます。

この半年、「夫を手放す」トレーニングばっかり毎日してたようなもので、その成果かな。何に対しても執着がなくなってきて、いてもいなくなってもどっちでもいいよ、みたいな。
面倒くさ〜い感じ。

あ、稼ぐ能力、だけは手放したくない。(^_^;)



Posted by なつ草 at 2007年01月31日 17:07
>なつ草さん

う〜ん、じゃあ年の近い継母、とかではどうでしょう?余計イヤかしら。(^^;

「母」なんですよね。「姉」じゃないんです、なんとなく・・・。なんでだろう?私自身に姉がいないからでしょうか。

 >デリケートな感覚を分かってもらえる数少ない友、
 >として頼りにしてるとこ、あります。

こんなふうに言ってくださるからかもしれません。私は母のそういう存在でしたから。父の素行に振り回される実態を理解しているのは私だけでしたから・・・。

あ、そうか、これ、本来は母親に対してする態度じゃないんですよね。友達とか、兄弟とか、どちらかというと対等な立場での関係なんですね。母親に対して、そういう立場でいたってことが、変だったんだ。なるほど。


 >>私は人を嫌いたくないらしいです
 >それは当然。
 >「嫌う」というマイナスの感情をしょいこむのは
 >辛いことですもん。

「嫌う」というのは辛いことですよね。なるべく持ちたくないですよね。

人を嫌いになって、その嫌いという感情が辛いのは、自然な心の動きだと思うんです。それは嫌なことをする人から離れるためのはずです。ある程度距離があれば、嫌なことをされない程度の距離があれば、嫌わなくてもすむんだから。

でも、嫌いな人がそばにいるのが嫌だから、その人を嫌いでないことにする・・・というのが、私のとっている方法だってこと、それが問題なんですよ。本末転倒して、本当は嫌いな人なのに好きでいようとして、本当は嫌なことをされているのに、嫌なことをされていないと思い込もうとしている。それで離れない。

自分で苦しい場所に身を置いて、苦しんでいるんです。

最初は、どうしても逃げられない状況だったから、こういう術を身に付けたんだし、それはそれで偉かった。でも今はそのやり方にこだわる必要はなくなってるんだから、もう嫌ってもいいんじゃないのかな?と思うんです。

今のなつ草さんの感じだと、やっぱり別居が一番よさそうですよね〜。でも旦那さんは一緒がいいんですよね。出て行けと言われれば出て行く、別れろと言われれば別れる、という、どうにでもなる関係のままで一緒にいられるというのは、辛いですね。結局なつ草さんに丸投げだもの。

せめてしっかり稼いでもらわないとねっ!
Posted by 蝉ころん at 2007年02月01日 10:32
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