2007年01月26日

押し付けてくるもの

また間があいてしまいました。(^^;

以前、ネット上で日記を公開していた時は、更新ができないと変な罪悪感とともに焦りが出てきたものですが、ここではあまりそれがなく、安心して「更新できない状態」のままでいることができています。

これは実は私にとってはすごいことなんです。

その正体は、安心感です。日記を公開していたとき、日記コミュニティみたいなものがあって、そこについていくために、取り残されないために頑張っていました。脱落することをとても怖れていました。二つ前の記事に書いた、「仲間はずれ不安」のためだったようです。

今は、この不安が出てきません。ここも、「モラハラ被害者コミュニティ」のようなものに属しているという意識がなんとなくあるんですが、「置いていかれる」「ついていけない」なんて不安はいっさいありません。むしろ、ここにくれば、書き込めば、誰かが見ていてくれる。書けなくても、私のことを覚えてくれている、という安心感があるんです。

今までの私は、「仲間に入りたい」という欲求のために、でき上がっているコミュニティに加わりたいがために、そのコミュニティの話題を追いかける、という行動をとっていたような気がします。本来は、まずしたいことがあって、それからそのことに関するコミュニティに属していくはずなのが、私は目的と手段が反対だったんです。

でも、このブログでは、私が自分を振り返りたい、夫婦関係を見直したい、という気持ちがまずあって、それからいろんなかたと知り合いました。それがまず今までと違いました。それに、ここでは私は無理をしていません。ただ自分のペースで考えたことを綴っているだけで、それでもコメントをくださる方々がいて、私からのコメントも私が思っている以上に受け止めてくれます。べったりとくっついているわけじゃない、でもじんわりと見守り合っている、そんな安心感を感じます。

私はここで「仲間が欲しい」という欲求をかなり満たされているってことに気付きました。

なんていうか、知り合った縁はちょっとあまり嬉しくない状況が元ではあるし、「仲間」なんて勝手に感じてて悪いなあと思うんですけど、ありがたいなあ・・・って、ほんと、思いました。

改めて、みなさんありがとう。これからもよろしくお願いします。(^^

ってこれは前置きでさらっと書くつもりだったんですけど、思いがけず長くなっちゃいました〜。でも私の記事が長いのは今にはじまったことじゃないんで、気にせず本題いきます。(^^)/

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他の方のブログを拝見していてなんとなく考えたんですが、モラハラって、投影が元になっている場合が多いようだということ。では、夫が私に夫を写している、その時、夫は誰なのか?私が夫なら、夫は、同じ行為を受けた相手、つまり、夫の家族の誰かなんだろうと。

夫は、私に嫌がらせをしている自覚はないです。つまり、夫自身も、自分がされたことが「嫌がること」とは受け止めていないってこと。

むしろ、夫はそれを「愛情」として受け取っていたんじゃないか、と思ったんです。

だからこそ、私がいくら嫌がっても、むしろ、愛情とはこういうものだ、これを愛情と受けとれられないお前は未熟だ、とでも言わんばかりに押し付けてこれるんだと。

夫の中で、家族愛とは上から押し付けられるもので、受け入れるだけのものなんでしょう。

そして、夫が私に写しているのは、押し付けられた家族愛を受け入れることができなかった頃の夫。私が今の夫と同じ人間になれるように、夫に家族愛を押し付けた側の人間になって、私に成長(夫から見たら、です)することを求めているように思います。

そして、それを幸せだと思って欲しいんだろうと。幸せになれるんだよと訴えているように見えます。

それは、夫が幸せであることを証明するため、なんじゃないか。私が夫と違う価値観をもち、夫と違ったことに幸せを感じることは、夫にとっては夫の幸せを否定されること、夫の家族の家族愛を否定されること、につながっているのかもしれないなあ・・・なんて。

私が私であることが、相手が相手であることを否定しているなんて、そんな受け取られ方をしているとしたら。私をまるまる自分と同じに感じる人間しようとするのが愛だと思っている相手。

そんな人と暮らすのは嫌だなあ。と、思いました。
posted by 蝉ころん at 15:44| Comment(8) | 夫を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
それって吐き気がするほど嫌ですね。

うちのモラ夫は母に余り愛されて無かった、と自覚しています。
それを覚えてる時は母に対してあからさまな憎しみをぶつけますが、
普段は忘れてるんですよ。
そうして私が「母を揶揄してる」と感じた瞬間、瞬間湯沸かし器になります。

愛されて無いと自覚しつつ、愛されてたと何処かで思い込んでるのかも。

でもね、モラ達は「自分の気持ち良いこと」しか考えていない様に感じます。
分析すれば分析する程、深みにはまる様な気分です。
Posted by ミー at 2007年01月26日 16:46
蝉ころんさんとまったく同じように夫を見てます。

だから、私への夫の横暴は姑の息子への横暴そっくりになります。ただ親子だから似てるってんなら、誰に対してもそういうキャラになるはずですよね。私に対してだけ。他はまるで逆人格。

でも、それが「愛情」だとは本人も決して言いません。妻の不遇を望んでおいて、いくら何でもそうは言えないことくらい分かってるみたい。
私に押しつけて来るものは「辛いこと」そのものではなく「辛いことを抑圧すること」です。ここ、キーポイント。
でも我慢しろ、ともはっきりいいません。それさえ認めたくないのね。自分も母に我慢した、と認めてないから。

自分も母のイジメ支配をさすがに「愛された」とは言いません。でも「まあふつうあんなもんだろ」とか「大したことない」等という言い方して異常な頑固さで通しきります。そんなときは目がうつろ。

ウチ夫は親から自分の受けたしうちを「否認」というかたちで抑圧して育ち、蝉ころんさんの夫さんは「愛情」と言う言葉で「すり替え」て育ったのではないかしらね。

一見愛情に似て無くもない支配だったんでしょうか。

ウチ夫のは誰がどう見ても「愛された」とは言えないですもんねぇ・・・。

妻がモラハラ受けたとき
ウチなら
「これちょっと辛いかな、でも、大したことない、わたしは平気よ、大丈夫」と心を隠した笑顔を見せたらきっと大満足。

蝉ころんさんちなら
「ああ、これが愛されてるってことね、わかったわ」とでも言えば満足なんだろうか・・・

どちらも、おぇ〜〜〜!!

でも、自分の満足のいく反応を妻からもらえないモラ夫たち。
でも、なぜかそれでもさほど辛がっているようにもみえないんですけど。
妻が夫の無理解に疲れたほどには。

要は、否認やすり替えで自分自身をごまかせたらそれで9割方はオーケーなんでしょう。もしも至近距離にに来る人間(妻や子や恋人)がいるならば、コピーになってもらうぞ、くらいの必要性なんだと思います。

こちらが近づけば必ず自分を映しに来るけど、自分から「鏡」を探してまわる熱意はなさそうに見受けます。
ミーさんおっしゃることとも関連しますが
たしかに「自分のこと」しかないから、自分が映っている鏡には執着するけど、自分が映る距離にない鏡には興味ない。ってことでしょうか。

こんな分析することがムダなのかなぁ・・。

長々とごめんなさい。


きょうの蝉ころんさんの記事のメインは
>そんな人と暮らすのは嫌だなあ。と、思いました。

ここですね。


Posted by なつ草 at 2007年01月27日 13:03
お久しぶりです。
異なる考え方を持つひとりの人間として認めないというより。モラはターゲットである私たちを手に入れたと思った瞬間から、全てを内包しているという意識になるのかなって。だから違う考えを表明することや逃げようとすることは自分に対する反逆とみなして鎮圧し、ターゲットである私たちが死にかけたり病気したりすると、自分が穢れたように感じて冷たく放り投げるのかなぁ・・・
モラは親からの愛がアンバランスだということだけは言えますね。虐待か?溺愛か?その違いはあるけれど。

私自身の過去を書いていて、夫からの言葉の暴力よりも母親からの言葉の暴力のほうが思い出して書くのがつらいです。
Posted by wingseed at 2007年01月28日 12:38
おはようございます。お返事遅くなってごめんなさい。(^^;


>ミーさん

大人としてみると、すっごく嫌な人間ですよね。

でもね、子供と暮らしている今、子供だと思って夫を見ると、「ああ、この段階で止まっているのか」って、同情してしまうんですよ。共感じゃないです。明らかに、見下げている感覚の、同情です。

子供が「自分の気持ちいいこと」だけ考えているのは、まあ自然なことですよね。大人がそうしていいわけでないことに気付かず育ってしまった哀れを思ってしまいます。

この哀れを感じるのって、なんか偉そうで嫌ですね。でも嫌だけど、モラと共存するのに必須の感覚なんじゃないですか?同じレベルの大人と思っちゃいけない、成長する子供とも思っちゃいけない。成長の見込めない、ただのそういうキャラクターとして認識しなければならない。

親身になっても意味がない、突き放してもいけない。ただ哀れみを持ってそばに置いておくという、人肌までもいかない常温の汲み置き水のような温度で、接する。そこまでいければ共存できるのかなあ、と。

そんな関係が嫌だから苦しんでるんですけどねぇ。(^^;



>なつ草さん

誰に対してもそういうキャラ、というのは違うようですよね。なつ草さんのお姑さんも、旦那さんだけをそういう特別なモラ対象としてターゲットにしていたようですし。

そここそが、旦那さんが愛情と受け取った要因になるのでは?と分析してしまいました。(^^; 旦那さんにとっては、旦那さんだけがお姑さんの特別なターゲットとして選ばれたことが、唯一といっていい愛情なんじゃないでしょうか。

だからこそ、愛情を向けているなつ草さんだけに、そういう行為が出るんじゃないですかね。勝手な想像ですけど・・・。私には、なつ草さんの旦那さんも、お姑さんからの行為を愛情と感じているように読めるんですよ。

世間に認められる待遇じゃないだけに、旦那さんも認めないでしょうけど、「愛情を信じたい」気持ちが、「否認」に向かわせてるんでしょうね。

うち夫の母の行為は、世間的にも「愛情」で通るものですから、夫は素直に「愛情」として認識しているんでしょうね。

どちらも別に本人が納得してるだけなら問題ないんだろうと思います。なにを愛情と言おうと、感じようと自由ですし。そこで止まってさえいればね。問題は、他の人相手にも「愛情」と受け取ることを当然として押し付けてくることですよね。

どこかで自分もこれが「愛情」であることを疑っているから、妻にもこれを「愛情」として受け入れさせることで安心したいのかな。

なつ草さん予想の夫の喜ぶ妻の発言、ほんと、おぇ〜〜〜!言えるか!こんなこと!(^^;;

近づかなければモラは発動しない、は確かに!物理的、心理的、ともにですね。だからこそ、私たちにとっては、物理的に近いときには心理的にはなれることが必要、心理的に離れられないなら物理的な距離が必要、ということなんでしょうね。

ほんと、「嫌だなあ。」に尽きます。こんな面倒くさい関係。(^^;



>wingseedさん

こんにちは。(^^

 >異なる考え方を持つひとりの人間として認めないというより。

うん。そうそう。こういう関係になったとたんに、すでに人間と思ってないんですよね。(^^; 自分とつながっている、自分の意志は全て伝わるはずの自分の延長と思ってるみたい。

近未来映画とかの、サイボーグの手足みたいなものでしょうか。普段は思い通りに動くけど、壊れたら取り替えればいいだけの。むしろ、壊れたら「ああっ、取り替えなきゃいけないじゃないか、壊れるなよ!」となじられたり。するような。

夫たちの妻感は本当にそんなようなもののように思います。サイボーグになる前の本物の手足は彼らの母で、機械である妻はその代替品。いくらでも換えの利く存在なんでしょうね〜。

「やっぱり本物の手足の方がよかったじゃないか!」って心の声が聞こえてくるようです。(^^;

親からの仕打ちを思い出すのって辛いですね。私のような、ほとんど何もなかったような過去でも振り返るのは辛かったですもの、wingseedさんが辛いのは当然だと思います。

くれぐれも無理に急がないで、ゆっくり進んでくださいね。ただでさえ負担の多い生活ですから、心が壊れてしまわないように・・・。

イノシシ年も、ゆっくり行きましょ。(^^)
Posted by 蝉ころん at 2007年01月29日 09:31
おはようございます。

う〜ん、うちの夫の場合は・・・
母親からの愛情はたっぷりあるようですよ。外から見た限りでは・・・。

でもすごく一方的なんですよ。
良かれと思ったことをことごとく押し付ける。「自分はこれでうまくいったんだからあんたもそうしなさい。そうしなきゃいけない。違うやり方なんか無い。」っていう感じです。

「これ、やってみたいな・・・。」って思うことがあっても「それよりこっちの方が絶対にいいから! そんな流行遅れな事よりこっちが最先端だから!」なんてことがしょっちゅうあったようです。

すごく頭のいい人なんで、結果はそうかもしれないけど、やっぱり何かが違う。

夫は同じ事をわたしや子ども達にします。
うまく言えないけど、
能力的に無理なことでも「こうしたほうが結果はいいはずだからやれ! やれば出来る! 出来ないのは努力しないからだ!」という理論でガンガンきます。

さらに腹がたつのは、
自分は「やれば出来るけど、今はやらない。今は必要が無い。やる気が出てからやる。それで良い。」で終わらせて平気なこと。

あ、結局夫のぐちになってしまいました。ごめんなさい。

義母はわたし達にはそんなことはありません。他の自分の子どもやその家族にも。
義父(自分の夫)と長男(わたしの夫)にだけです。
それだけ相手に期待するものが大きいってことなんでしょうね。
Posted by 小麦 at 2007年01月29日 10:33
>小麦さん

いやいや、ぐち大歓迎!ですよ。そもそもここ自体がぐちのオンパレードですから!(^^

そうそう、「自分がいいと思ったことを押し付ける」のが愛情、と信じてるんですよね。やっかいなことに、勧めてくることそのものは確かにいいことであることが多いので、錯覚しそうになりますけど。「本人の意思や能力の限界を否定してまで」ってのがポイントですね。

まったく相手を見てない自己満足に過ぎないそんなものを、なぜ受け取らなきゃいけないんだ〜〜〜!!!って叫んでいいくらいのことですよこれはまったく腹立つ。

さらに厄介なのは、周りから見たら「そんなに家族のためになることを考えてくれている人物」に映ることですね。たち悪いわ〜。

相手が限定されるのは、そこにだけ注ぎ込めば欲求が満たされるからってのもあるのかもしれませんね。それだけ強い怨念みたいなものを注がれている気がします。

そんなものを受け取らされていたら、心が辛くなるのは当然です。こんな変な「愛情」は子供にまで連鎖させたくないですね。
Posted by 蝉ころん at 2007年01月29日 12:33
本当にいつも蝉ころんさんはわたしの言いたいことの核心を的確な言葉で表現して下さいますね。感心しきりです。

>さらに厄介なのは、周りから見たら「そんなに家族のためになることを考えてくれている人物」に映ること

本当にこれ、厄介です。
「僕は成果の期待できない相手には、失敗しても、もっと良い方法に気付いていても、言ってやったりしないんだ。」って言われるとぞっとします。
なんで自己満足だって気付かないんでしょうね。
Posted by 小麦 at 2007年01月29日 13:26
>小麦さん

 >「僕は成果の期待できない相手には、失敗しても、
  もっと良い方法に気付いていても、言ってやったりしないんだ。」

うわ〜これあるある!

「見込みがあると思うからこそキツいことも言うんだ」

ってやつ。つまりは「見込みがないと思ったら切るよ?」という意図が隠れてるんですよね〜。期待を裏切ったらどうなるかわかるな?みたいな。そうやってプレッシャーを与えてやりたくないことをやらせるのが愛情だと思ってる。

夫にとっては、見込みのあるものを理想通りに育て上げることが愛情なのかな。夫もそうやって育てられて母親の思い通りに育ったわけだから・・・。

だからといって本人は絶対に裏の意味は認めませんけど。静かに実行に移されるだけで。本人と被害者にしかわからない暗号のようなものですね。

ん〜そういえば今も私は、母親としての私をこのやり方で振り回されてるかなあ。いい母でなければ子供を取り上げるゾ・・・という。あくまで夫の観点から見た「いい母親」像を押し付けられてるかも。

これだって、「子供のため」を装われてしまうと、こっちが悪者なんですよ。本音は「いい家庭を持った自分」という自己満足のためなのに。そんなふうに推測する私の方が性根が悪いことになるんですね。ああ恐ろしい。
Posted by 蝉ころん at 2007年01月30日 10:04
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