2006年12月09日

今読んでいる本

ワークをさぼってこんな本を読んでます。

「心からのごめんなさいへ ー一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦ー」

これは一人の母として、子育ての参考になるかも、という気持ちもあって選びました。自分の過去や最近のニュースを思うと、いつ子供が犯罪者になっても不思議はないと思うので・・・。

犯罪を起こす少年達は、やはり問題のある家庭で育った子達が多いようです。そして、発達的に障害を持っている可能性のある子達も。

でも、宇治少年院では、自分育てや、カウンセリングの手法は、時間のかかるもので、最後までサポートできるのでない限り安易に手を出してはいけないと、少年院のようなすぐに出院してしまうところには向かない手法だとして、別のアプローチをされています。

過去に焦点を当てて癒すのではなく、未来に焦点を当てて、今この時点から育てることを実践されている・・・そんなふうに捉えました。

行動療法的なアプローチということです。できないことをできるまで徹底してやる。なぜできないかを考えて、個々に合わせて取り組む。成功体験を積むことで、自信をつけていく。そして教官からの励ましと受容・・・。

厳しい規律と規則正しい生活の中、子供たちは、確実に変わっていっていました。自発的に学習に取り組み、目標を持ち、ルールを決めて生活する。普通に学校に行っている子供たちよりよほど前向きです。こんなところなら入りたい!って思ってしまったくらいです。



子供を育てるとき、大切なのは母性と父性だと言いますね。このときの母性父性は象徴的なもので、女であること、男であることは関係ないという話です。体や心を守り育むのが母性、外から家庭を守り、社会を体現するのが父性だと、私は理解しています。

この宇治少年院での取り組みは、父性を象徴しているように思いました。厳しい規律で、仲間から脅かされることを防ぎ安全を保障する。教官が手本を示し、首尾一貫した指導をすることで、社会規範を示す。そして少年達は、私語を禁止された中で自分のことをじっくり考える時間を得る。少年達は、自分たちができないと思っていたことができるようになるにつれて、自信をつけていきます。

カウンセリングは、どちらかというと母性からのアプローチなのかな。育ち損ねた心をほぐして、絡んだ感情を解きほぐしていって、もとの素直な感情を引き出して、もう一度自分を受容することができるようにする・・・。否定している自分を解き放ってやる。

向き不向きがあるし、状況によって使い分けるべきことのように思いますが、どちらも、やはり自己評価を高めることに鍵があるんだな、と思いました。



それから、少年達の言葉に出てくるもので、私の心に残ったのは、未来、将来への夢でした。一瞬先のことさえ考えられず衝動的に行動していた少年達が、この本で語っていた全ての少年が、未来の自分像を語っていました。

これも回復のバロメーターだなって思いました。

私は、まだ未来の自分を見ることができていません。少年たちに追いつかなくっちゃ。
posted by 蝉ころん at 20:17| Comment(3) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは〜(^^)

私もワーク怠けてます。問題のありそうな時期にさしかかると、やっぱり足がのろくなるようです。

でも、色んな本読まれて偉いなとおもいます。私は拾い読みとか斜め読みの癖がついてしまっていけません。

この前もコンビニで加藤諦三さんの本を立ち読みしてのですが、どうもモラにひきつけて読んでしまうんですね。

ひどく傷ついて自分を抑えに抑えてきた子ども・・ウチ夫?

「そんな子が大人になるまで生き延びてきた事だけでも奇跡」そんなふうに書かれていて、それだけでも労って賞賛すべきことだと・・・。

確かに被害者としては、夫に、あんた、よう生き抜いたね、と思ってたけど。

大人になってからは人を傷つけることを糧にして生き抜いた部分もあるんではないの?・・ここ、問題にして探ってほしいわ。と思ってしまうのでした。

蝉ころんさんの読んだ少年たち、未来はモラにならなくてすむでしょうか。

ほっておけば子どものまま縮んで固まってしまいそうになっている脳を叱咤激励して成長させる療法かな。

大人にはもう効かないね。

私も未来像が描けてません。
でも、「ひとり」であることは確かですね。
Posted by なつ草 at 2006年12月10日 15:07
発達障害の息子への対応に悩んでばかりの私にはとても興味深い本です。
早速取り寄せてみます。

「モラ父とは違う人間に育てる」って思いばかりが強すぎて、息子の人格を否定してしまってる事に後で気付く事も多いです。

息子はとても自己評価が低く、どう高めて行こうかと思案していました。

息子と一緒に、将来の夢を語れる様に、私も頑張ろうと思いました。
Posted by ミー at 2006年12月11日 09:32
>なつ草さん

こんにちは。

ワークは時間がとれないかも、と思うと手がつけられないのでつい遠ざかってます。本当は時間なんて気にしないで進めればいいんでしょうけどね。完璧主義ですね。(^^;

なつ草さんの旦那さんはお母さんがあまりにも強烈だから、子供時代の影響が気にかかってしまうのはわかる気がします。この本にも出てくるんですが、ときどき、自分の子供を殺されても加害者の成長過程を思って加害者を憎めない方がいらっしゃいますよね。

そこまで極端な話じゃないけど、人ってそういう情を持ってるものなんでしょう。それでいいんですよね。

私はたいがい何を読んでも、私と夫、どちらのことも考えてしまいます。夫のことだ、と思うと同時に、いやまて、私もそんなところあるだろう?とか、そうそう私そう、と思ったら今度は、夫のあの行動もそういうことなのかも?と考えたり。

まだ夫のことを理解したいのか、ただ不可解なことを知りたいというだけの欲求なのか、どちらともつきませんけど。


この本に出てくる、宇治少年院の少年達は、自分の加害行為を認めて反省できるようになっていきます。そして、相手に対して申し訳ないことをしたと言う思いを持てるまでになっているようです。それまでは、相手の気持ちを理解しろと言われても、自分の気持ちもわからない、という状態のようです。

モラは、自分の罪を認めませんし、他人の気持ちを考えられませんから、この少年達はモラへの道を回避できたんじゃないかな・・・って思いたいです。

みんな、回復の過程に未来に目を向けるようになるようなんです。絶望しかなかった世界に、未来という希望が見えてくるんです。絶望に動かされている加害者は希望によって変わることができるのかも。

モラは、絶望なんてしてませんよね。していたとしても、そんなことには自分では気付いてないでしょう。だから、希望のために、未来のために変わろうなんて発想は出てこないのかもしれません。

偉そうなこと言って、私もまだ未来は見えません。日の当たる明るいダイニングで、子供たちと笑っている・・・そんなイメージだけが浮かぶようになってきました。でもそこに夫がいるのか?この家ではないのか?まだ、先はぼんやりしています。




>ミーさん

こんにちは。

発達障害という言葉の使い方が不適切だったかもしれません。ただ、この本では、「ADHDの疑いのある少年」「LDの疑いのある少年」というような表現で、知能はそれなりなのに学ぶ力が弱い、学習能力が阻害されているような子供たちのことに触れられています。

なにか参考になるといいですが、特にそれ専門の本というわけでないので、肩すかしだったらごめんなさい。

私も、「こうはなってほしくない」なんて感情で子供を縛ってしまうことが多々あります。選ぶのは子供なんだって、すぐに忘れてしまって、見えない未来への不安に翻弄されています。

暗闇の中では先は見えないんですよね。明かりもないのに闇雲に未来を見ようとするんじゃなくて、まずは明かりを、自分に取って道しるべとなるものを手にしたいですね。
Posted by 蝉ころん at 2006年12月11日 15:19
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