2006年11月22日

足踏み その2

wingseedさんにコメントを書いていて気付いたことがありました。

私は、私の存在感の無さアイデンティティにして生きていたのかもしれないです。

夫と結婚して、退職するまでしばらく家事は半々でやっていました。それは、家事そのものの負担を半々にすることだけが目的だったんではなく、「私がいなくなっても夫が困らない」ということを目的に、夫に家事を教え込んでいた面がありました。

子供を産んでからも、夫にはなるべく育児に関わらせていました。いくら嫌がろうがウンチのおむつ替えをさせ、ほぼ完全母乳だったにもかかわらず、ときどきミルクを夫にあげさせたり、お風呂に入れさせたり、食事の世話もさせたり。

おかげで、夫は家事も普通にできるし、子供の世話も余裕でこなします。

私は夫の世話をしないという形で、夫を育てるという形で、夫の世話をしていたのかもしれません。その点で私は母のような振る舞いをしていたかもしれません。

そして、上の子も、そんな風に育てていたように思います。私がいなくても大丈夫なように、近所の人達にも馴染ませ、夫にも懐かせようと、私との関係より、他の人との関係を重視して育てていた気がします。

生活面でもそうでした。なるべく自分で色々なことができるように、1人でも生きていけるように、そんなふうに育てていました。

私は私の存在を消すべく生活していました。私がいなくても生活がまわるように、誰も困らないように。

このとき、まだ私の中の「死んだらいい」という選択肢は有効だったんじゃないかと思いました。「死ねるように」生活するということが、いつのまにか私の生き方になっていたんじゃないでしょうか。



それが変わったのは、上の子のトイレへの異常な執着を目の当たりにして、このままではいけない、と自覚した日からでした。

子供の気持ちを見ようとするようになったし、家事を後回しにするようになったし、自分の楽しみも捨てないでいようとするようになった。遅くまで帰ってこない夫をアテにもしなくなった。

私はやっと生きようとしだしたんじゃないか。

家事を後回しにするということは、次のタイミングに自分がいることをアテにしていることです。私が突然いなくなったら困ることを作っていることなんです。私は明日もここにいる。そんな、普通なら気にもしないことを、やっと自覚して生きだしたような気がします。

私が私の存在を残すようになった。存在を自分で認めるようになった。そんな変化が、あのとき、私に起きていたように思えてきました。私が自分の存在を消そうとしていることを、子供が教えてくれたんだ、と思えてきました。




それからこれは、夏草さんのブログともかぶりますが、私が自分の存在を認めだしたこの時期は、夫の在宅時間が極端に減った時期とも重なります。

夫の呪縛が溶け出したころなのか・・・?そんな気もしてきました。
posted by 蝉ころん at 21:53| Comment(4) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
旦那さんお留守なんですか?うらやましいです。

将来の為に自立できる様に躾けるのは「最大の親の愛」ですよ。
厳しくするより甘やかす方が絶対に楽ですもの。
中々出来ない事です。

蝉ころんさんはそれを実践してて、でも、幼い子供相手には少し厳しすぎたと反省が入ったのかも。

夫の呪縛から逃れた最大の要因は
「子供への愛と執着心」でしょうか?

自分自身より大切なものを作ってしまった責任を取る為に頑張って生きるのですね。

ところで、明日出来る事は絶対に今日やらない私は蝉ころんさんを尊敬します。
Posted by ミー at 2006年11月23日 08:20
>ミーさん

おはようございます。そうなんですよ、いないんです。帰ってこないとわかってたら夜更かしするんだったわ。(^^

躾はたしかに、厳しすぎたようなんです。子供ってどんどん吸収しちゃうし、一人目で比較対象もいなかったから、どんどん「できてあたりまえ」になっちゃって、子供自身も、変なプライドを持ってしまって、できない自分にイライラするようになってしまったみたいです。

今は、できないことも認められるように・・・と思っているんですが、なかなか、うまくいきません。

私が自分を大切にしていないから、子供も自分を大切だと思えない部分もあるかもしれないと思います。やっぱり母はお手本なんですね。子供のために、を考えたら、夫の存在はどうでもよくなりました。確かに。

でも、子供のために、いい夫婦でありたい、とも思ったんですよね。演技でなく、本当にいい夫婦でありたいって。だから本音もぶつけたし、無理もしないように、と思ったけど、夫にはな〜んにも通じませんでした。



いえいえ、私は、「今日できないことは諦める」だったんですよ。完全に手を引いちゃう。それを、明日やってもいいかな、になった感じです。

どうしてもやらなきゃいけないことはその日に終わらせてたものが、次の日次の日にまわされるようになっていって、それからどんどん家事がヒサンになっていったわけです。精神的には楽なんですけどね、夫にさえ見つからなければ。(^^;
Posted by 蝉ころん at 2006年11月23日 08:44
蝉ころんさん、はじめまして。かな?
なつ草さんのブログで拝見してて、覗かせてもらってました。
なつ草さんも蝉ころんさんも、すごくきちんと文章に書けてうらやましいです。やっぱり、わたしは文才ないんだなと思います。

で、本題なんですけど、わたしもそうです。夫と子どもが自立できるようにしてきたように思います。プラス、夫がよい父親でよい夫であるように仕向けていたように思います。
だから、夫は自分のことをよくできたダンナと思ってるし、わたしもそう思ってきました。
ところが、なんだかちがう。
ちがうのはどうしてだろう。
わたしが悪いんだ、だって夫は素晴らしい人なんだから。
みたいなところをグルグル回っていたように思います。

って、そんなことをいきなり思いついたのは、結婚10年目のつい3ヶ月前でした。(¨;)
蝉ころんさんは、かなり前に気付いたんですか?
Posted by みみずく at 2006年11月23日 13:43
>みみずくさん

こんにちは。確か、はじめましてだったと思います。私も夏草さんのブログで何回かお名前を拝見しているので、初めてという気がしませんが。(^^;;

私も文章は下手なんですよ〜。わりとマシにかけた分だけ記事にしてます。何が言いたいんだ?って文章になっちゃって、ボツになってるのも多いんです。最近はなんでもいいから書いてますけど。短くても長くても、書けたところまでで完成にしちゃってます。個人のブログだし、そんなもんでもいいや!って。開き直りも大事ですね。

本題の方ですが・・・そうなんですよね、自立するように自立するようにって。なにかの強迫観念みたいに、いつ自分がどうなるかわからない、ってのを私はベースにしていました。そしたら仕事仕事で夫の方が先に育児から脱落して、私が一人でやっていくことになって、私がどうにかなるわけに行かなくなったんです。

それ以前のやりかたの異常性に気付くことなく育児方針の方向転換をしていたので、自分がいなくなることを前提にしていたと気付いたのはほんとにこの記事を書いたときです。

自分でしてることって、気付くのが難しいんだと思います。それが自分にとっては自然なことだからしてるんですもんね。私も結婚11年目ですけど、今からでも遅くないと信じてます。
Posted by 蝉ころん at 2006年11月24日 16:03
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