2006年11月17日

1章−2 硬直性 シェイム

続けます。


「硬直性」

問題を抱えた家庭にはたいがい存在するという、硬直したルール。うちには特になかったような気もしますが・・・。

<どんなルールが存在していたか、それが今の自分に影響しているか>

・父が家にいるときは、父の意向が家庭の動向を決める指標だった。

機嫌のいいときの父は、気さくで、にこにことしていて、子供のゲームを一緒に(自分の方が夢中で)するような人で、子供の立場でいるうちは、緊張感はなかった。ただ、何か父が不満に思うことができると、「お母さんはどこ行った?」などと言い出し、欲求が満たされないと、とたんに大声で母を怒鳴りつけた。不満の原因が直接は私や兄のしたことであっても、全ては母にぶつけられた。

父が「出かけよう」と言えば、みんながそれに従ってすぐに用意をして出かけたし、準備が遅ければ突然父が怒鳴りだして中止になり、父だけが出かけてしまう、といったことは日常茶飯事だった。それも、私たち子供の用意が遅かったとしても、全責任は母にかかっていて、父の怒りが向かうのは母だけだった。兄は、自分のしたことで母親が責められるのがいやだったようだけど、結局は父に従うこともできず、逆らいつつも自分をも責めている母に当たるようになって行った。

→ 今、私が夫に対してとっている行動は、母のとっていた行動にとても似ている。夫がいるときは、夫の意向を最優先、私のしたいことがあっても、わざわざ夫がいる時に波風立てて居心地の悪い思いをするよりは、夫がいない時にすればいい・・・という考えで。

子供がいない頃はそうではなかったと思い込んでいたけど、それは自然にしていたことじゃなかった。父と母の暮らしぶりを見ていて、ああだけは絶対になるまい、私は自己主張をしっかりするぞ、と意気込んでのものだった。だから、子供ができて余裕がなくなったら、馴染んでいたやり方、身に付いていたやり方が表に出てきたんだろう。それから、「母」となったことで、より私の中の「母」のモデルである母に近づいてしまったんだろうと思う。

・父がいないとき、ルールを決めるのは母だった。兄が成長するに従って、兄がいるときは兄がルールになった。

私は、父が母に無理難題を言い出さないように父の世話を焼き(ただし家事は底なしになる予感があったのでしなかった)、兄の逆鱗に触れないように物音も立てないよう存在を消して生活し、母がリラックスできるように話し相手になって暮らしていた。

父がいれば父が怒鳴り、兄がいれば兄が怒鳴り、父と兄のいない時にだけ、平穏があった。私まで我侭を言い出して母を困らせることはできず、私はほとんど何も要求しない構成員になっていた。

→いまだに、私は聞き役になると落ち着く。夫と話し合っていても、たいがい途中で夫が自分の自慢話を始めるのだけど、私は特に異存もなく、ただ夫の話を聞いてしまう。私は自分のことを話すことよりも、人の話を聞いているだけの方が楽な人間になってしまったらしい。だからといって、聞き上手じゃない。ただ自分のことを話したいだけの人間に囲まれていただけで、途中で私が相づちを打とうが、私のことを話そうが、相手は意に介さず自分の話をまた続けていたから、会話のスキルなんて全然育たなかった。むしろ、人が話していると、ただただ聞いているだけで、話を向けられると困ってしまうようなところがある。


・・・ちょっと、「硬直性」というテーマからは外れてしまった気がするけど、あえてルールにしてみたら「上のものがいる間は個性を出してはならない」という感じ?私は家庭の中で底辺に存在していたようです。




「シェイム」

悪いことは自分のせいだと思ってしまうような、自己否定感。自分の力ではどうにもならない、という無力感も入るでしょうか。

私は、家庭では、とくに存在を否定されて育った、という意識はありません。ただ、優先順位がとても低かった、という意識はあります。

いじめにあっていたころ、毎日のように辛い目に合って学校から帰ります。家に帰ると、鍵が閉まっていて、仕事場に鍵をもらいに行きます。そこでは母が、子供相手に優しいまなざしで、語りかけながら相手をしています。私は、鍵だけを渡されると、仕事の邪魔だから、と一人で家に帰されました。そして、家に入って鍵をかけると、電気持つけずにソファでうつぶせになって、一人で泣いていました。この、ソファで泣いている私は、私の原風景、とも言えるイメージで、よく記憶の中に出てきます。

私は、はっきりと拒絶も否定もされていなかったけれど、家族に私を否定していたつもりがないことも知っているけれど、それでも私は、幼稚園でも学校でも家庭でも、無力感を感じて育ってきました。私がいくら家族間の関係を調整しようとしても、ほんの少し、父が思ったことが実現しなかっただけで、突然険悪になってしまう。

女というだけで、家業の主力を担う夢をあきらめさせられ、体力も気力もやる気も家業に向いていないように思われた兄が、意欲もないのに無理矢理跡継ぎにされる。

私は女の私を受け入れられなかった。親戚の家に遊びに行っても、子供のなかでは私だけが女で、いつも仲間はずれにされていた。親戚のおじさんおばさんには、ただ一人の女の子、というだけでかわいがられたけど、「女」というだけでかわいがられていることが不満でしょうがなかった。私だから、と思って欲しかった。

私は、自分が無力なのを、全部「女」という性のせいにして、女であることが許せなくなっていった。「女」は無力の象徴だった。母が父に従っているのも、兄に振り回されているのも、母が「女」だからだ。私は女としての生き方はしない、と、いつからか心に誓っていた。無力な「女」を捨てることで、私は自分の力を取り戻そうとした。

それは一見成功し、いじめの現場から脱出したとたんに私は「男」のように振る舞い、生き生きと学生生活を楽しめるようになった。乱暴な言葉遣いをし、部活動に精を出して力をつけ、夜遅くまで家に帰らず(部活動でだけど)、髪はどんどん短くなった。

大人になってもこの意識は変わらず、職場に入っても、女だからというだけで、作業着でなく制服を着なければならないとか、給料が低いとか、就業時間内にやたらと話しかけられたりとか、男性から手助けをされることにまで無性に腹が立ったりした。

やっと女の自分を意識しだしたのは、夫と付き合いだしてから、ひょっとすると子供ができてからかもしれない。「女」の自分に戻ったことで、無力であることまで受け入れてしまったのかもしれない。




今日は、なんだか、思考がテーマから外れまくってしまってうまくまとまりませんでした。まだ22ページです。いったいどれだけかかるでしょう。ちゃんと続くか心配です。(^^;




追記です ーーーーーーーーーーーー


シェイムのところで、自分の中の「女」を捨てたことを書きましたが、このころと、私が泣かなくなった時期が一致していることに気付きました。そして、夫と話し合っている時によく泣いたことも。やっぱり夫といる時には、私の中の、未成熟な「女性」が出てくるんだ、と思いました。

それから、最近わかったことですが、夫はかなり「男」というものに固執しているようです。そういうふうに育てられたんだろうと思います。離婚した父親の代わりになっていたんじゃないかと。

そういう面でも、私たちはよく似ています。私も、「男」社会の価値観にどっぷりはまり、「男」的存在であることを目指していました。違いは、夫は本当に男で、私は偽物だと言うこと。私が「男」なるということは本来の自分を否定するということ。夫は自分の望みが叶うにつれて自己評価をあげて行けるのに対して、私の方はどれだけ望み通りに進んでも、それだけ余計に自分自身を封印していただけのことだったということです。
posted by 蝉ころん at 15:26| Comment(2) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
蝉ころんさんご自身のことも、夫さんのことも
とても深く見つめておられる記事ですね。

もともと蝉ころんさんの日記はそうでしたけれど、
冷静さがさらに加わっている気がします。

私もある時期から泣かなくなった自分に気づきましたが、なんでだろ?わかりません。
子どもの手前、母として強くなったのか・・と単純に考えてましたけど、もっと別の何かがあるのかも。

「女性」であることをそれが弱みでもなんでもない、と認められるようになることが、チャイルドの成長ということでしょうか。
Posted by なつ草 at 2006年11月18日 16:11
>夏草さん

冷静に見えます?あいかわらずぼろぼろと涙をこぼしながら書いていて、自分ではよくわからない文章になってるなって思ってるんですが・・・自分ではわからないのかな。やっぱりまだ自己評価低いからかしら。(^^;

夏草さんは泣かなくなってからずっとそのままでやってこられたんですね。別の形(旦那さん相手には、怒り、かしら?)で発散していたから、泣く必要がなかったということかもしれませんね。私は、夫相手のフラストレーションを怒りを出せなくなって、泣くようになりましたし、他の方法で表せないと、どうしようもなくなって涙が出てくる気がします。あくまで、私の場合ですが。

夏腐さんご指摘のように、どうやら私のチャイルドは女性の部分で、そこの成長を促すことでインナーアダルトを育てられるのかもしれないと思いました。

なかなか、一筋縄ではいかなさそうですけど、すこ〜しずつは前進してるのかな。

どんな形でも、自分をこうして振り返る機会が持てたのは、とてもラッキーで幸せなことだと思います。あ、でも、こうやってちょっとしたことに幸せを感じるのも被害者的な特徴の一つといいますね。悪いことじゃないはずなんですけどね〜。状況を受け入れ過ぎってことなのかしら。
Posted by 蝉ころん at 2006年11月19日 15:25
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