2006年11月03日

わき上がる罪悪感

私は夫を裏切ろうとしている。

いつか突然、家を出る。夫の愛する子供たちを連れて。

子供はもらうと脅されて、私にとってはやむを得ない行動なんだと理解してはいるけれど、やはり感情はあとから沸いてきた。

私はどうも、現実への認識にとても時間がかかるようだ。話し合いで衝撃を受けると、わけが分からなくなって感情的になってしまうのに、3日くらい経つと、その時の相手の気持ち、状況などがじんわりと理解できてきて、相手の身になって辛くなってくる。ここが私の弱いところだ。「相手も辛かったんだし」と思ってしまう。相手は私についてそんなこと微塵も考えていないのに。むしろ、「あいつはこんなに悪いのに」なんて思われているのを知っている。私はそんなお人好しだったのか?

せめて、その場で理解できたらまだ利用のしようもあるのに。



少しずつ準備を進めている。心の中では、「ごめんね」「ごめんね」と思いながら。夫に対して、子供に対して。

前々回の話し合いで、私が「鬱なんじゃないか」という話になったときの夫の顔が目に浮かぶ。謎が解けたような、心底ほっとしたような、一遍に警戒心がとけたような顔だった。私を抱きすくめて泣き止ませようとしたのは、自分が抱きしめられたかったからだったんじゃないのか。夫も苦しんでいたんじゃないのか。

夫も私を怖いと言っていた。私に批判されるのが怖くて何もできなかったと。私も同じだった。私も子供に心を開くまでは、夫と同じような人生観をもって生きてきた。本当に良く似た二人。私は夫に自分を重ねているんだろう。だから夫を捨てることにこんなにも罪悪感を感じるんだろう。私を捨てるようなものだから。

でも、私に似ているという人のためだけに私を捨てることはできない。子供たちを捨てることはできない。たとえそれが夫の自己防衛の盾だとしても、子供を奪うと言っている人に心は許せない。包丁の先をこちらに向けている人に抱きついてはいけないのだ。



もう決心は揺らがない。

でも、「ごめんね」と思うことくらいは自分に許してやろうと思う。私は彼を嫌いにはなれないんだから。
posted by 蝉ころん at 08:56| Comment(2) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
蝉ころんさん。

苦しいですね。
今回の記事を拝見して私もとても苦しくなりました。

私も夫への罪悪感で苦しんでいました。
私は夫の苦しみを認める事で少し楽になりました。

マザコンでは無い、これが夫との再構築に一番肝心な事だったのだとこの記事を読み終えて理解しました。



あなたの夫は多分ママンの事が何よりも、もしかすると夫自身よりも大切な人だと思っているのでは?

誰に裏切られようと、ママンさえいれば彼は幸せを感じる事が出来るのです。

例えそれがその様に躾けられそう育った結果だとしても。


心の中心にママンを置いたまま、妻子を従えて幸せになれるなんて裸の王様よりも性質が悪い考えです。

彼の世界は今後はママン中心に回っていきます。

蝉ころんさんが罪悪感を持つ事は一切ありません。


捨てるのではないのです。
一番大好きなママンの元に帰るのです。

彼は彼なりに幸せになると思いますよ。

Posted by ミー at 2006年11月06日 11:55
>ミーさん

ありがとうございます。(^^

そうなんですよね。夫は姑のことが一番大切で、その姑を喜ばせるために生きているんです。私と付き合い出したのも、結婚したのも、子供を欲しがったのも、全て姑が望むことだから。「彼女がいる」「結婚している」「子供がいる」という肩書きが欲しかっただけなんですよね。家を買ったのもそう。以前はまったく不動産に興味がなかったのに、突然でしたもん。

全てのことで、私の意志が伝わってない、夫の視線が私を素通りしているような感じがあったのは、姑のマボロシを見ていたからなんでしょうね。

私を母と思っているのなら、もしかすると生活できたかもしれない。辛くても何でも二人で道を探って行けたかもしれない。

でも夫が姑のほうを見ているなら、私とは生活できないんですよね。無駄な努力をしたなあ・・・。

彼には姑と幸せになってもらいたいです。生活のメドが立ったら、のしつけてお返ししようと思います。
Posted by 蝉ころん at 2006年11月06日 14:11
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