2006年10月28日

インナーチャイルド

夏草さんのブログでも取り上げられているインナーチャイルド。私の感じているインナーチャイルドについて書いてみたいと思います。



私がカウンセリングを通して親との関係を振り返り出した春頃、自分の中のインナーチャイルドを探してみようとした時期がありました。

このとき、呼びかけても探しても、どこにも見当たりませんでした。むしろ、私自身が、まるまる子供であるように感じていました。

私自身がまるまる子供なら、どうして子供の私を癒したらいいんだろう?と思った私は、考えた末、私の外側に「親」を想像し、共感してもらうという作業をしてみました。夜、布団で丸まって、自分を抱きしめながら、私自身に対して呼びかける「声」を想像しました。

これだけでも、かなり慰めになりました。ゆっくりと涙を流して、包まれながら眠ることができました。


そのうち、私の中に「大人」を見つけました。

どうやら、本来の「子供の私」を守る盾となれるはずの「大人の私」は、私の中に隠されてしまっていたようでした。「大人の私」が、夫に対抗して傷つき、使いもにならなくなる前に、「子供の私」が、宝物を守るように中に引っ込めてしまったかのようでした。

「大人の私」は、「子供の私」に守られていました。それほどに「大人の私」は弱いもののようでした。

今、「大人の私」を取り戻してみると、その弱さを実感しています。自分の弱さを知らないまま夫に立ち向かってボロボロになっても戦っていた以前の私。弱いことを自覚しないために、もう盾にもなれずに「子供の私」さえ傷だらけになっていたのに、それでも戦いをやめることができませんでした。

「子供の私」が前に出たことで、かろうじて、自分の弱さに気付くことができました。そして、完全に失う前に、「大人の私」を取り戻すこともできました。



そして先日、私の中にインナーチャイルドらしい姿を見つけることができたのです。その子供は、大きく手足を振り回しながら、「私だって、私だって!」と叫んでいました。


私はずっと、「順番待ち」をしている。そんな感覚があります。

家庭でも、幼稚園でも、学校でも、社会に出てからも。ずっと、いい子にして、並んで待ってる。待てない子には、先を譲ってあげる。順番抜かしされても文句も言わない。だから、私にも順番をまわして。ずっとずっと待ってるから、私にも順番をまわして。

順番を抜かされても、「この子が先よ」と言ってくれる第三者はいませんでした。「順番抜かしするな」と冤罪を着せられても、「この子はずっと並んでいたよ」と証明してくれる声はありませんでした。それでも、辛抱強く待っていました。

そして、ずっと順番を待っているうちに、私の番にならないうちに、時間切れになってしまう。時間切れ、時間切れ、時間切れ。時間切れの連続のうちに、いつの間にか私は大人になっていました。

「もう大きいんだから」「もう帰る時間」「もう寝る時間」「「早くしないから終わっちゃった」「もうおしまい」

そんな言葉ばかりを聞いて育ってきた気がします。

そして、そんな言葉ばかりを子供にぶつけている気もします。



ここに何度も書いている「焦らないで」という言葉。私はずっと焦って焦って育ってきました。早くしないとまた順番が回ってこない。早くしてくれないとまた時間が終わってしまう。

私を縛っているのは「時間」なんでしょうか。

ものすごい焦りと突然のあきらめが私の中にはあります。のんびりゆっくり、というのが本来の自分であるような気はしてきています。でも、時間制限を意識したとたん、焦りの渦が私を巻き込むのです。そして、間に合わない、となったときのあきらめの早さ。これは、潔さとは違う、と思ってはいました。

焦らなくていい。誰にももう順番は抜かさせない。だから、暴れないでも、いいんだよ。落ち着いて、何がしたいのか、考えてみようか。こんな声が、私の本当に欲しかった声なんでしょうか。



「大人の私」を守る「子供の私」が、私の母を、父から守ろうと頑張っていた頃の自分と重なります。

私は母になりたい。

「子供の私」も、私の子供たちも、見守ってやれる、手助けしてやれる、後押ししてやれる、私が欲しかった母になりたいです。
posted by 蝉ころん at 15:45| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても興味深く読ませてもらいました。

>「大人の私」は、「子供の私」に守られていました。それほどに「大人の私」は弱いもののようでした

大人を守って子供が前に出てきていた・・・。
これ、こうとも考えられませんか?大人の部分が弱いからなのでなく、「子供」が無理矢理モラに引っぱり出されていた。モラは常に「子供」を出せと要求する・・・。不幸な自分を映す鏡として。(無自覚に、ですが)

蝉ころんさんのインナーチャイルドは読んでいて
あまりに健気で、涙が出そうになりました。

「自分ももちろん欲しいけれど、いつもいつも人に譲ってあげて、最後列でじっと待っている子」「母を守る子」

ダンナさんが蝉ころんさんに要求する「子供」と蝉ころんさん自身のインナーチャイルドとは重なりますか?



ウチのサイレントモラはどうやら「口答えひとつしない服従する子供」を求めていたらしいのですが、私は「主張し抵抗する子供」だった。それで戦わされていた。それでも、モラにとっては、どんな子供でも冷静な「大人」よりはいいんですよ。

相手が自分の気に入るチャイルドになるまで戦ってくると思います。でも、そうなるのはこちらが完全に破滅するときですよね。

私はモラハラを知らないとき、
夫の要求は、何をしても自分を黙って許す甘い母を求めている、マザコンお子ちゃまだと思っていたのですが、どうやらそうではなく、「口答えひとつしない服従する子供」を求めていた、で、すらすらとほどけるものがあるのです。

夫は甘えて来ないし、抱きとめてもらいたがってもいない。ただ上から見下ろしながら、私が何ごとにも泣き寝入りし黙ることを望んでいると感じてました。
そしてそれこそが夫の己の姿。


いずれにせよ、可哀想な「子供」を引きずり出すことからはじめますからね、モラは。
Posted by なつ草 at 2006年10月28日 17:30
>夏草さん
おはようございます。(^^

夫が私に求めていたものは、「理想の母」つまり夫の母そのものでした。

だから、かなりできあがっている「大人の私」の個性が邪魔だったんです。それで、「大人の私」をつぶしにかかったんです。そして一から「理想の母」に仕立て直そうとしていた。私はそのための素材に過ぎなかったんですよ。だから、「子供」を引き出したかったんではないと思います。ただ「大人の私」をひっぺがしたかっただけです。

夫は心の底から甘えたいんです。大絶賛されたいんです。他の誰よりもお前が一番すごいよと言って欲しい。

甘えられている感じは以前からわかっていました。そのくせ、私を育てようとするような、上に立っているような態度はなんなのか?とずっと不思議でした。

夫は、母に対して甘えようとしているのに、母になりきらない私にせっせと母になれ、母になれ、とはっぱをかけていたんです。

私は夫の中の「理想の母」と戦ってたんです。そこに「私」を置いてくれと。でも夫にとって私は素材に過ぎないわけだから、理想に置き換えることは無理なんです。もとから夫の中では位が低すぎてとうていそんな地位は与えられないんですね。もうどうでもいいですけど。(--;
Posted by 蝉ころん at 2006年10月30日 08:45
そうでしたか・・。勘違い、ごめんなさいね。

>そのくせ、私を育てようとするような、上に立っているような態度はなんなのか?とずっと不思議でした。

ふうむ、思春期の男の子が、母に生意気をいうような感じかしらね。その時期のトラウマでしょうか。

もう決断されたのなら、ほんと、どうでもいいですね。前進あるのみ、ですね。

応援してます。
Posted by なつ草 at 2006年10月30日 16:28
>夏草さん

いえいえ、やっぱり同じようなモラでも微妙な違いがあるんですね。一筋縄ではいきませんね。

私を育てようとしていたのは、夫にも、私に母に取って代わる女性になって欲しいという気持ちもあるにはあったんでしょうね。

ただ、それは、精神的なものでなく、具体的な姑という目標があってのこと。少しでも逸脱は許されません。そのくせ姑のいやな部分は改善されている、という、スーパー姑になることを期待されていたんです。そしてそのスーパー姑は同時に姑にも気に入られる「嫁」を完璧にやってのけなければいけないんです。

そりゃ無理ですって。

応援ありがとうございます。前進前進!ですね。
Posted by 蝉ころん at 2006年10月31日 09:18
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