2006年10月15日

夫と過ごした意味って・・・?

私が夫と付き合い始めたきっかけは、サークル活動だったと以前書きました。

そこで、まるでお見合いのように付き合いが始まり、サークルの状態からそう簡単に別れることができなかったとも書きました。

書いていながら、なんとなく、付き合いの理由を他人に押し付けているような、自分で別れなかった言い訳を外にぶつけているような違和感がありました。これは真実でもあるけれど、これだけではない・・・。だいたいこの当時の私は男1人ふれないほどやわな精神状態じゃなかった。やっぱり私自身に、夫と付き合うことでメリットがあったから、付き合いを続けていたんではないかという思いが消えませんでした。

この答をやっと見つけました。

私が夫との関係で得ていたもの。それは、私自身が子供にかえれるというものでした。

何回もここで書かせてもらっている通り、夫は子供の精神のまま育った人のように思います。私が夫に惹かれていたのは、まさにこの「子供」の部分でした。

私は、子供時代にとても未練がありました。ずっと子供らしくすることに憧れていたけれど、他の子に先を譲って、順番待ちをしているうちに、私の番が回ってくる前に時間切れで大人になってしまったような感覚を持っています。

私は、子供時代をやりなおせる場所をずっと求めていました。そして、夫はそれを持っていた。

だから、夫に惹かれたんです。

夫と一緒にいると、子供のようにはしゃぐことができた。子供のように大人の世界を批判することができた。子供になって、子供の遊びを本気で遊ぶことができた。たとえ、夫の好きなことだけしか出来なくても、ただ子供の世界を味わえる、それだけで私には充分だったんです。

ただ、これは私にとっては、あくまでも「大人が、子供の世界を楽しむ」という、お互いに了承した遊びの世界のつもりでした。私自身は、自分が大人であることを理解していたし、大人としての線引きはしっかりしていたつもりでした。

ときどき感じた違和感は、夫は本気で子供だったこと、私だけが大人だったことに由来すると思います。

私はよく、夫が迷いなく私に我侭をするのに、私は夫に気を使いつつお願いごとをしていることに不公平を感じていました。「いいなあ、気兼ねなく好き勝手出来るって」と、一種羨ましくもありました。

そしてこの関係は、結婚し、子供を産むにつれて、さらに変わっていきました。

夫は、私に「母であること」を無意識に押し付けていました。家事は当然「母」がするものでした。分担すると言っても、約束で取り決めた分以上はほぼしなかったし、するとしても、本来「母」がするものを「子供」であるはずの俺がなぜしなければいけないんだというような態度でした。

子供が出来ても、夫はどうみても長男にしかみえず、子供に対して「責任」というものをほとんど意識せずに過ごしているようでした。「母」は私がいるから、それでよかったんでしょう。

私だけが、どうしても大人にならなくてはいけなくなったのです。

私が夫に求めていた「子供にかえれる時間」は、なくなりました。

そして、子供の私がどんどん行き場を失って、暴れ出した・・・そんなふうに思いました。

夫との関係がどんどんおかしくなっていく中で、どんどん子供の頃の記憶がよみがえりました。私の心は子供時代に逆行していました。子供の頃に感じていたものとよく似たものを感じているからではないか、とカウンセラーさんはおっしゃっていましたが、ピンときていませんでした。

私は、子供の私を満足させられないまま、大人にならなければいけないことに納得できなかったんです。そのことをやっと理解できました。



付き合っていた頃、確かに私のニーズは満たされていたんです。私が夫を必要としていた時期が、実際にあった。だから、私が夫を選んだのはそのときの必然でした。だから私は、自分を責めなくてもいい。自分のために必要な道だったんだから。

ただ誤算は、夫が、わかって子供の振る舞いをしている大人だったのではなく、自分は大人になったと思いこんでいる子供だった、ということ。それだけのこと。

そして今、私は、子供にかえることをあまり必要としなくなっていることにも気が付きました。

夫と暮らして、それなりに子供の世界も味わいました。自分たちの子供とも暮らして、大人の目線も手に入れました。

そして、このブログやカウンセリングで、受け止めてもらっていることが、私の心を安定させているんじゃないかと思うんです。本当に私に必要だったのは、子供が親にしてもらうように、話を聞いてもらうことだったんじゃないか、気持ちを受け止めてもらうことだったんじゃないかって。

遊びたいという気持ちも受け止めてもらってなかった子供時代を振り返って、なぜこんなことをしているのかと思ったこともありました。でも、やっぱり必要だったことでした。

私は子供時代にとても未練があって、もう一度やり直してみたいと思うこともあるけれど、そう思うことこそが、私がもう子供じゃないことの証なんじゃないでしょうか?やっと私も子供時代を卒業できるのかもしれない。そう感じます。



あらためて、ずっとこのブログを読んでくださっている方々にお礼がいいたいです。本当に、ありがとう。
posted by 蝉ころん at 16:47| Comment(7) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブログやカウンセリングで見つけられることって多いですよね。夫と過ごしている意味がわかり、ちょっとふんぎりがついたみたいですね。
オメデト(*^ー^*)∠※Pan!!。・:*:・
いい方向に進んでいけるように☆

私はまだまだあがき続けていくことになりそうです。
親からモラシャワーを浴び続けてきた私はずっとメタメッセージに振り回されて生きてきました。顔色を伺ったり親の裏の思考まで考えて・・・というのが日常になってしまっていました。私が自分で決めようとすると嫌味を言い、私が決めたことが失敗したら「それみたことか」と攻撃されることが続いていくうちに、自分の思考だと思ったことですら他人の願望を含んでいるものになってしまっているのでは?と疑心暗鬼になっていったのです。それこそ自分の思考だと思えるのは破壊願望だけでは?って。
「こうしなさい」とグイグイ引っ張りつつ私の弱いところを指摘する人間に引かれていくのがあるんだろうなぁ・・・医者に指摘されたことです。
Posted by wingseed at 2006年10月15日 17:05
>wingseedさん

ありがとう〜。だんだん気持ちにも整理がついてきてる気がします。まだ夫がそばにいると動悸がしたり、冷静になりきれない部分はありますけど、体にしみついている反応はそう簡単に抜けませんよね。のんびりいきます。(^^

親がモラだとそれだけ長い期間影響を受けているわけだから、なかなか抜け出せないことだろうと思います。私の場合は放置されていた分、評価されないかわりに蔑まれもしなかったので、その点自分の評価を下げる必要もなく、助かったと思っています。逆に兄は支配されまくっていたのでかなり影響がでていて痛々しいです・・・。

ぐいぐい引っ張っていく人についていく、という習慣は集団生活の弊害もあるんじゃないかなあ?みんなが自己主張してたら決まらない、決まらないより決まる方がいい、声の大きい人に従っとく・・・って、小学校時代から慣れ親しんだパターンです。

そういう私も、自分の思考パターンについてはかなり自信をなくしました。世間や母に操られているんじゃないかと思い出すと、どこからが自分の考えなんだ?って・・・。ときどき自分に質問しています。「どう思う?」って。自分を責めるんじゃなくて、子供に聞いてみるように。

子供だって、知らない人にはなかなか心を開いてくれないけど、信用してくれるようになれば少しずつ自分の気持ちを話してくれます。自分にも打ち解けるための時間をあげてみたらどうでしょう。ずっと身を固くして縮こまってたんですもん、そう簡単には本心が出せなくても仕方ないですよ。自分の心はいつも一緒にいるんだから、急ぐことないですよね。焦らずゆっくり、がとにかく今の私のキーワードなんです。(^^
Posted by 蝉ころん at 2006年10月16日 08:59
「子供の自分」
これも私には考えさせられるものがありました。
また記事に書きたいと思ってます。

蝉ころんさんはご自分のことをしっかりと見つめることのできる方だなと感心しています。

私は夫のことを観察して分析できても、自分のことを見極めることが希薄だったように思います。
Posted by なつ草 at 2006年10月16日 23:02
>夏草さん

お返事遅れてごめんなさい。(^^;
下の記事にコメントがうまく入れられなくて四苦八苦したあげく・・・諦めました〜。ごめんなさいm(_ _;)m
いやいや、自分の力で何ともならないことはさっさと諦めないと時間の無駄ですよね。モラとの関係とか!

私は自虐的な傾向が強いのかもしれません。特になにか壁に当たると猛烈に自分を責める時期があります。そして、責めるだけ責めて責め尽くしてから、その自分を乗り越えるためにまた浮上してくるっていう繰り返しをしていたかも。これもブログにつけることで気付いたんですよね。

私は、小さいころから他人への影響力がほとんどないと思っていたので、人を変えることは出来ないということを自覚していたようです。それで、自分を振り返る、自分を変えるという行為には慣れているのかもしれません。

人を解析するより、全部自分で持ってるわけですから、簡単なんですよね。ただ、心の痛みはあるので辛い作業になりますけど・・・。そのへんは自虐的な性格が幸いして取り組みやすくなっているのかも?(^^;;
Posted by 蝉ころん at 2006年10月19日 09:50
>下の記事にコメントがうまく入れられなくて四苦八苦したあげく・・・諦めました〜。

・・・と書いておきながら、もう一度だけ挑戦してみたら出来ました〜。やったー(^o^)

ということで下のコメントもみてくださいね。(^^
Posted by 蝉ころん at 2006年10月19日 10:00
はじめてお邪魔していきなりですが、蝉ころんさんとこ、うちの元夫とよく似てる…
暴言や無視はなかったけど、子供を通じて私を支配しようとしたところ…私の「大きな子供」だったところ

子供のいなかった頃は躾しようと「洗濯物は洗濯機に入れて」「私が仕事であなたが家にいるなら、ご飯を支度して」って言えてたのに。

いつの間にか、一番大きな子供になっていた。子供が宿題しないのも、ちゃんと支度ができないのも私のせい。習い事の送り迎えも保育園の送り迎えも、旦那ルールを作って、結局私がする。

スイミングでもなんでも、子供のすることを見守ってやったことなどありませんでした。
父親としての関心なんてなかったのです。

「おふくろが理想の女性」…別れ際に、はっきり言いました。あたしゃ、あんたのおふくろさんじゃないわよ、一緒に子育てしてよ!子供だからできなかったのね。

最近は自分ひとりで育てただけでなく、やつのDNAも入ってないのではないかと思ってます。
Posted by しし座 at 2006年10月28日 16:51
>しし座さん
はじめまして。コメントありがとうございます。(^^
似たような体験をお持ちだったんですね。

>「おふくろが理想の女性」
夫もそうです。
先日、はっきり言われました。「おかんとお前ならおかんをとる」と。きっと「おかん」は涙を流して喜ぶでしょう。そういう母子です。
夫は、私を「理想の女」に仕立てたかったんでしょうね。それで、私の自我が邪魔なんでしょうね。

残念なことに夫は子煩悩で、子供が恋人なんです。まっさらなところから「理想の女」に育て上げることができるからじゃないかと思います。そして、娘に嫌われないためにおしゃれまで始めました。いや違う。「かっこいい」と思われたいために。

でもここまで育てたのは私。そこは自信を持って言えます。夫は金を稼いできただけ。子供に遊んでもらっていただけ。

本当にDNAが入っていなければいいのに・・・と心底思います。
Posted by 蝉ころん at 2006年10月30日 08:32
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