2011年03月08日

このままの私でいいや

イライラは地雷を踏まれている状態。

足が離れると、怒りになって爆発する。

イライラの時点なら、実は分解解除できる。

私の感じている怒りは、不快に感じる出来事そのものじゃなくて、その出来事から引き起こされるであろう不利益、つまり他人の不快から起こる怒りを乗せられること、に対して発生している。

予期不安ならぬ予期怒り。

不安を通り越して怒りへ突き抜けてしまっている。

この道がどれだけよく使い込まれた道なのかと思くらいスムーズに通り抜けてしまう。

予期だから、実はまだ怒りの直接的な引き金になる後乗せの怒りは被ってない。



書くことだ。

出すことだ。

頭の中でぐるぐるとイライラを持ち続けていても、同じ道を繰り返すだけ。余計に増幅されていくだけ。

私が今までブログでやってきたこと。

書くことでどれだけ自分が見つめられるか。

そして、どれだけひどい状態の自分でも、ブログに書いて公開するということで、公に見せてもいい、恥ずかしくない自分なんだって私自身が認めたという証拠として、私自身がどれだけ嬉しいことか。

私は私を誇らしく思っている。

そしてそれを書いてくれることを嬉しいと思う。

私の中は分裂している。

感情ごとの、年代ごとの、いろんな私が、記憶を共有しながら生きている。

それならそれでいいじゃないか。

私は、私のためにこれを書くことができる。

これを読んでいる私に伝えるために書くことができる。

視覚は共有しているらしい。

こんなことを書いてるだけで嬉しくて泣けてくる。

私はこんなことを伝えてほしかったんだ。

そうだ。褒めてほしかったなら、ここでどんどん褒めていいんだ。

イタくたっていいじゃないか。

どうせもう私はイタいんだ。

今更イタくない人間のふりなんかしなくたっていいじゃないか。

私はそんなイタい私のことだって大好きだ。




スイッチ入ったら書こう。

感じてるままに、書こう。

腹が立ったなら腹が立ったって書こう。

嫌な予感がするって書こう。

嫌いなら嫌いって書こう。

子供たちを嫌いだって思ったらそれも書こう。

どっかいっちゃえって思っちゃったらそれも書いていい。

バカーー!ってここで叫んじゃえばいい。

私はそれを読んだらいい。

それで一緒に怒ったり泣いたり笑ったりしたらいい。

私の中のたくさんの私と一緒に、共有したらいい。

それで最後に私に大好きって言ったらいい。

その先は、その後のことは、そのときの私が決めることなんだね。
posted by 蝉ころん at 12:57| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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