2011年01月23日

自慢され役

私は常に兄の下にいた。

私が興味を持つものは、常に兄が持ち込んだものだった。

当然、兄は常に先にしたことがあったし、必ず目の前で私より上手にできることを自慢してみせた。

だんだん私が上達しても、常に私の位置を確認して、私に抜かれない位置をキープするべく先に進んでまた自慢する。

私は常に同じ土俵にいることを求められながら、常にその兄のすごさを理解できる、自慢する相手としてだけ求められていて、私が兄を超えることは許されていなかった。

自慢ばかりされないためには、私が私の力で上達することを味わうためには、兄にバレないように密かに練習するなりするしかなかった。

それでも、私が兄を抜いてしまうと、兄は私の自慢を見てはくれなかったし、兄は土俵に上がらなくなった。

私が求められていたものは常に兄の優越を満たす相手として存在することだった。

「こんなのできないだろう」「俺なんかこんなのできるぞ」

そんなことを言われる度に、悔しくて、悔しくて、頑張った。

頑張っても、頑張っても、私に「そんなのできるだ」「すごい」なんて言ってくれる相手はいなかった。

「よく頑張ったね」なんて誰も言ってくれるわけがなかった。

だんだん、空しいって感覚を持つようになっていった。



母との関係でも、これは同じだった。

私は母を超えてはいけなかった。

母は私を褒めなかった。

私の至らない点ばかりを指摘した。

私にとっての嬉しいことは何一つ得られなかった。

私がどれだけ興味を失っていても、その土俵に立足され続けた。



自分で発見もできず、自分で考えることもできず、自分の楽しいようにもできず、自分が主導権を握ることはできず、何を楽しむこともできず、評価もなく。

それでもそこにいなければいけなかった。

母が、実験を握ったままで、母が、満たされるために。



私は満たされてはいけなかった。

満たされることのできる世界へ逃げることも許されていなかった。

頑張らなければならず、頑張ってもいけない。

ずっと届かないとわかっていながら鼻先にぶら下げられた人参を追いかけ続けさせられている馬のような。

止まるとムチが入る。走っても届かない。

そんな閉塞感とか、無駄骨とか、そんな経験ばかりをたくさんたくさんしていた。

私の無気力の根っこの一つ。



これも境界線だ。

コミュニティに入れるか入れないかの境界線に存在している感覚と似ている。

ライバルにはなれない。

でも常に本気で向かえる相手でいなくてはならない。



嫌いだ。

嫌いだ。

そんな役割ばかりを押し付けて、私という存在を踏みにじり続けた奴ら。

私の心はいらないんだもの。

私の心がどれだけ傷ついたって見えてない、自分たちだけ満たされれば気が済んで、私の存在なんか消してしまえるんだもの。



利用される立場じゃない私でいたかった。

でも。

私には、求められている立場しか、存在できる場所を見つけることができなかった。

そしてだんだん、求められている立場を降りはじめて、ひとりになった。

私には誰もいなかった。

もうそれでよかった。



私がしてきた努力は、ただ誰かの道具になるための努力でしかなかったんだ。

そして努力の先に喜びがないことを学習してしまったんだ。

頑張ることは失うことだって。




あれはもう過去のこと。

過去のことなんだね。



私は私であること。

それだけでいいね。

私の行動に影響される人のことは、気にしないでいいね。

影響を与えることを気にして自分の行動を抑えなくていいね。

私が動きたいように。

私が楽しいように。

それでよかったんだったね。
posted by 蝉ころん at 19:49| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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