2010年11月13日

描くこと

子供の頃から、絵を褒められると嬉しい気持ちと、苛立ちがあった。

私は自分の作品を上手いとはあまり思っていなかった。

ただ、表現したかったことを描き出せたか、そうでないか。

そこが納得いくかどうかだった。

だから、納得がいっていない絵を褒められても嬉しくなかったし、納得いった絵を褒められても、なにかのズレを感じていた。



一時期、美術系の進路をぼんやりと希望していたことがある。

でも美術系に進むにはすごい勉強がいるんだと聞いて、なんだかやる気がなくなってやめたんだった。

そんなに簡単にやめる気になったんだから、私はそっち系のことがそんなに好きなわけじゃないんだと思って、距離を取るようになった。

頭でっかちな決め付けで、自分の心には聞かなかった。



私にとって、絵ってなんだったんだろう。

別に上手くないしとか。

完成させるのめんどくさいしとか。

決まった時間で終わらないしとか。

私はきっと才能がない。そんなに努力する気もない。成功するはずもない。

だから、やってる価値もない。意味もない。

そんなふうに思ってたけど。



小さい頃。

私にだってあったはず。

歪んだ丸の中に、点をふたつ、線をひとつ引いて、お母さんの顔を描いたことが。

絵ってそういうこと。

「私はお母さんが大好きなの」

私にとって、絵ってそういうもの。

言葉で表現するのが上手くない私が、私の気持ちを表現するためのもの。



技術なんかいらない。

評価なんかいらない。

点数も賞状もいらない。

具材なんてなんでもいい。

ただ、私の心を表現できたかどうか。

私の思いが乗っているかどうか。

今だって、丸に点々とカーブを描くだけで、涙がこぼれることもある。



ああ、やっとわかった。

中学のとき、友達を描いた肖像画に修正を加えられたときの怒り。

それをまた先生の独断で展覧会に出されて、絵は戻ってこず、入賞の賞状になって帰ってきたときの怒り。

私にとって、ただ、絵が自分の手で完成すること、それを友達にあげたいと思っていたこと。それが大切だった。

私の、「私は、あなたのこと大好きなんだ」の気持ち。

あそこまで気持ちを載せられた絵は、あのときが初めてだった。

ラブレターかよ。ラブソングかよってほどに。

それを、ただの、量産された賞状と交換されてしまったこと。

私の伝えたい想いを載せた世界でたった一枚の絵は、たぶんもうどこかに捨て去られている。

そんなふうに私の思いを扱われたことが許せなかった。



先生もきっとわかってたんだ。

私が想いを載せて描いていたこと。

だから、他の人にはどんどん手を入れるところを、私の絵にはほとんどアドバイスだけだったし、手を入れられたところも、本当にちょっとだった。私が慎重になり過ぎて表現しきれていないものを、こうしたら表現できるのにって、教えずにいられないみたいな感じだった。でもそれで印象が大きく変わってしまったから、私は素直に受け入れられなかったんだ。

そして、それくらい想いを載せていたからこそ、選んでくれたのかもしれない。

すれ違っちゃったけど、わかってくれていたんだってことが、わかれてよかった。

あの出来事は、そういうことだったんだな。

これでやっと、あの出来事を思い出として片付けられる気がする。




ただ、私のそのときを表現したいだけ。

それが私が絵を描くこと。

それが私にとってかなり大切な事だったんだってわかった。

やっぱり好きなことだったんだってわかった。

それが嬉しい。

嬉しい。

posted by 蝉ころん at 11:11| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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