2010年11月03日

後始末の人生

部屋がとことん散らかっている。

食事あとの食器が次の食事前まで積みっぱなし。

決して私の好きな状態じゃない。

片付けというものに気が乗らない。

逃げている。

そんなことを感じながら、昨日の深夜に目が覚めて、見つけたこと。



私は自分の人生を、両親のしたことの後片付けだと感じていた。

いつから芽生えた気持ちなのかわからないけど、あった。

私はあんたたちの後始末のために生きてるんじゃない!!

散らかされた部屋も、洗われるのを待っている食器も、いつも山積みになっている洗濯物も。

全て、私の人生と同じ。

彼らの欲求の結果として作り出された命。

そんなふうに捉えている自分がいた。

そしてそれを封印した私。

人の子として思ってはならない感情として封印した私。



私に会いたかったからだって、信じたかった。

私のことを好きなんだって信じたかった。

でも私には全くそうは感じられなかった。

子供が好きだから子供が欲しかったんじゃなく、子供が必要だから子供を作ったんだとしか思えなかった。

絶望しても絶望しても、忘れ去って信じた。

信じるために、確かめることを諦めた。



私は、ただの結果。

作られてしまった以上、生きねばならない人生。

そこにいなければならない命。

あの両親の子供に産まれた者としての後始末の人生。

そんなふうに自分を捉えていた私がいた。

そんな結果でしかない自分が嫌いだった。

ひねくれもののひねくれた者の見方として、表に出さずに封じ込めた私の人生観。



そう感じていたんだもの。

そう感じるくらい辛かったんだもの。

そう思ったっていいじゃない。

愛されてるなんて感じられなかったんだもの。

嫌いな物をプレゼントされても喜べない。

押しつけを愛情と言われても満たされない。

それでいいんだ。

私はそう感じた。

信じたいことと現実に感じたことは全く反対のことだった。

それをちゃんと感じていた。

それはそれで、いいんだ。



でもね。

私の人生は、後始末なんかじゃない。

生まれたそのときから、私の命は私のもの。

誰のためでもなく、私のために生きよう。

私にとっての私を生きよう。

私のことは、私自身で愛していったらいい。

もう私は、私の命を嫌いじゃないよ。大好きになったよ。

あの人たちは放っておいたらいい。

後始末は自分たちでしてもらおう。

二人とももう大人なんだからね。

posted by 蝉ころん at 11:29| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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