2010年10月25日

いろんな私

自分を振り返ってみて、自分の心の動きに気をつけて感じるようになって、人格といっていいのかわからないけど、何かが切り替わっているのがわかる。

状況によって出てくる、恐怖にさらされた時のための自分。ひたすら固まって状況が変わるのを耐え忍んで待つ、ただそれだけのための私が用意されている。

そして、緊迫した状況が過ぎ去ると、すぐに元の私に切り替わることができる。

意図してなっているわけでなく、頭の回路が自動的にそうしている。

切り替わった瞬間なんてものは全然気が付かない。

記憶も、感覚もつながっているのに、全く別の私になっている。

無意識に違和感なく切り替わっている。



その場しのぎに見える口約束も、その時の私は本気で約束している。

ただ、次の瞬間には、そんな約束をする気もなかった私がいる。

約束をしたときの気持ちも、恐怖を感じる用の私とともに、切り替えられて忘れている。

約束した記憶だけは存在するものの、約束は約束としての意味を持たずに、ただ恐怖の引き金として感じているから、約束自体を無意識に遠ざけてしまう。

そして、刻限が近づくと、約束とともに恐怖が沸き上がってくる。

恐怖に怯える私に切り替わると、目の前の恐怖しか見えなくなり、なにもできない。

そして約束を守らない私が出来上がる。



怒りに翻弄されているときの私も同じような感じ。

一瞬で頭が怒り一色に染まって、衝動のまま発散したくなる。

でも収まってしまえば、その時の怒りのレベルは理解できない。

言ったこと、したことは覚えていて、謝ったり、反省したりはするものの、その思いは怒っているときの私には引き継がれない。

反省はなかったことになってしまう。

怒りを出してはいけないって思いが、切り離した私。



辛くて悲しくて動けない私。

感覚がなくなったように真っ白な私。

見えているけど見えていない、聞こえているけど聞こえていない。そこにいるけどそこにいない。

誰も来ない、背の高い雑草の中でうずくまって1人で何も感じない時間をただ過ごすための私。

ただただ現実から逃げるための私。

そんな私もある。



学生の頃、多重人格に関する本を読んでいた時期がある。

当時はそんな症状があるんだな、大変だな、くらいにしか感じていなかったけど、最近、私はそれに近いんじゃないかと思った。

記憶が繋がってるか繋がってないかの違いで、人格が入れ替わってる機能(ってのもおかしいのかな)としては同じような脳の働きなのかもしれないと思った。

私の場合は、きっかけの出来事が生活に支障をきたすほどの経験ではなかったから、記憶まで分断する必要がなくて、感情だけが分離されたのかなって。

そんな自分をなにげなく感じていたから、多重人格に興味をもったのかな。



今は繋がれる自分がだいぶ増えた。

コントロールはまだ難しいけど。

どの私もちゃんと私だった。

私が、自分で切り離して、封じ込めていった私。

ごめんね。

こんなに長いことかかって。

長い間、放っておいて。



悪い私なんていない。

捨てていい私なんていない。

全部私。

大切な私。

感じちゃいけない思いなんてない。

posted by 蝉ころん at 18:59| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。