2010年09月29日

ブレーキをかけてくるもの

いろいろと掘り返すことができるようになって、なんてものを子供たちに向けていたんだろうと思う。

ずっと無意識に、でもなにか違和感は感じつつ、抑えたり、正当化したり、ゆがめたりしながらこんな感情と付き合ってきたけど、掘り返して、見えるようになってみると、じぶんがそれをちゃんと感じていたということも見えてくる。

書きながら、すごくぼーっとしてきている。

書きたくないんだな、と思う。

都合が悪いこと。

書かれたらもう引けない。

ごまかしておきたいって思いがどこかにある。

怒りに満ちた自分に戻れる道を残しておきたいって思い。

でも書いた方がいいことを知ってる。

書くことで、整理することで、見えてくるものがある。

自分の中に、覚悟が据わる。

もう戻らないんだって、もうそのやり方は捨てるんだって、私は怒りの道を進むのを諦めるんだって。




子供たちの行動に対して感じるものも、だいぶ変化してきた。

いきなりブチッとキレていたのから、モヤモヤ、イライラを経て、怒り、悔しさ、悲しみ、欲求なんかの、気持ちまで辿り着けるようになってきた。

掘り返すほどに、感情を封じているものが少しずつはがれていってる。

正体が見えてゾッとする。

私は子供にこんなものを感じていたんだ。

それでも、毎回、脇道にそれそうになる。

自分が邪魔をしてくる。



自分の感じた物を掘り下げようとすると、
「またすぐそうやって自分のことに走る。ちゃんと子供と向き合わなきゃ」
なんて声がする。

関連した経験を探っているとそれらしい答を渡してくる。感情が反応しないから違うとわかるけど。

感情を見つけたら、
「そっか、今子供たちもそんな気持ちなんだな。今まさに。子供が先じゃない?」

自分に向けられていた感情の正体に気付いたら
「それと同じことを今自分もしてるじゃない。自分のしてること棚に上げて人を責めてるんだ」

感情を向けるべき相手に向けて表現していたら
「相手だって自分のしてることわからなくて相手なりの最善だって信じてしてしてくれてたのに」

そんなふうに、自分を掘り下げることから遠ざかろうとしてしまう。

これだけ進んだと思っても、まだ聞こえる。




でも踏ん張って進む。

もう私は知ってる。

そんな声が、私をずっと埋め込んできたこと。

自分の気持ちから目を逸らさせて、自分を粗末に扱う結果に導いたこと。

本当に相手を思いやっての言葉じゃない、私のことをそういう風に見られるよ、っていう、脅し。

非難されることに怯えているころんちゃんの声。

もうそんなの怖がらなくていい。

どのみちそんな声に従ってたっていい方向には進まないことはもうわかってるね。




相手が辛く思うなら、相手が私から離れるかどうかは相手が選ぶこと。

子供たちの気持ちは子供たちのもの。

私と子供たちは同じじゃない。

子供たちの気持ちは子供たちが表現するまで待つ、だけ。




私にできることは、私を取り戻すこと。

自分を掘り起こすこと。

本来向けない相手へ不当な感情を向けないために、正当な相手へ返していくこと。

埋まっているのは、私の気持ち。

なにも怖くなんかない。

怖がらないで進んでいっていい。






まだ、なにかある。

もっと探らないといけないなにかがあるのを感じる。

なにか、最後の引導を渡すキーワードがある気がする。

でも今はここまでしか繋がらないみたい。

今はひどくぼんやりと鈍くて、言葉が出てこない。

また次の機会にしよう。

焦らないで、諦めなかったら、きっとまた進める。


posted by 蝉ころん at 14:58| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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