2010年09月17日

愛情ってもの

私は母を「お母さん」と認識していただろうか。

私は、母を、ただ生活の面倒を見てくれる人として捉えていたんじゃないだろうか。

私は母に親しみを持っていた。大好きだと感じていた。

でも私は誰も大切に思っていなかったんじゃないか。




人を大切に思うこと。

知らなかったんじゃないか。

私は子供を大切にしたいと思った。

でも大切だと思ってなかったんじゃないか。




私が本当に思っていたことは、私が大切にされたいってだけだったんじゃないのか。

私を大切にしてくれる人が欲しい、そんな人に育ってほしい。

そういうことじゃないのか。

母に対して向けていた気持ちを子供に向けているだけじゃないか。

私を大切だと思ってほしい。

愛情を込めて私を見てほしい。

私のお母さんは私を愛する人であってほしい。



人の気持ちは変えられない。

たとえ赤ん坊であっても、愛することのできない母親に愛してもらうことはできなかった。



私の母親を求める欲求はとてもとても大きくて。

愛されるということを諦められなくて。

周りにいる人をひたすら「お母さん」にしようとし続けてたんだ。

母親も、父親も、兄も、同級生も、先生も、後輩も、友達も、元夫も。

子供たちも。




愛情をもらいたくて、愛情に似た行動をとり続けた。

私のは愛情なんかじゃない。そんなもの知らないもの。

愛情として受け止めてくれた人もいたけど、やっぱり私から出たときは愛情じゃなかった。

だって心の奥底では対価を求めていた。「次は私がもらう番」って。

はやく私にくれるようにならないかなって。




母が「お母さん」になれないことは見切りを付けたけどまだやっぱり「お母さん」を作ろうとしていたんだ。

それで人間関係がきちんと築けないんだ。

大人と大人の距離感の関係に満足できないんだ。

「お母さん」を探しちゃダメだ。

「お母さん」はいない。

誰も私の「お母さん」にはなれない。

私はそんな、誰かの絶対的な存在になることはできないんだ。

私にはもう一生、「お母さん」から向けられるような愛情は手に入らないんだ。

どんなに似ているように見えても、違うものなんだ。

これは逃げずに見つめなければいけないこと。

どれだけ時間がかかっても正しく絶望すべきこと。

辛くても受け止めなきゃいけないこと。

posted by 蝉ころん at 19:15| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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