2010年06月18日

ルールの中の私

私は産まれた時からルールの中にいた。

欲求ありきではなく、ルールありきで生かされてきた。

あまりにもいつもそばにルールがあったから、それが当たり前のことになっていて気付かなかったけど、私はいつもルールの中にいた。

自分が不真面目でいい加減な人間だと自覚していたのに、他人から見ると真面目できちんとした人に見えるというのが不思議で仕方がなかった。

でも、ルールの中で生きていることがわかって、納得がいった。

真面目に見えて当然だ。

私はルールからはみ出ずに生きていたから。

自分にだけダメージがくるような悪さはするけれど、他人に迷惑がかかるようなことはほぼしていない。

私はただ、許された範囲の中で、ちょっとできた隙間の中で勝手なことをしているつもりになっていただけ。

したいことをしていたつもりもあったけど、したいことじゃなかった。

ただ、私にも許されているはずの権利を使いたかっただけ。

大量のしなければいけないこと、してはいけないことに囲まれて、ぎゅうぎゅうになっていた生活の中で、他の人間がしていることを羨んで、私だって、していいはず!って、主張したかっただけ。

してもいいこと、しなくてもいいこと、が欲しかっただけ。

私の欲求は、深く深く、埋まっている。

大量の決まり事の中に、埋もれている。



子供たちが、何か主張するたび、イライラするのはなぜなのか。ほんのほんの、些細なことでカーッと血が上るのはなぜなのか。

そんな疑問もあったけど。

私の中にはそんな細かいことにも、全部ルールがあったんだ。

生活全てが、ルールだった。

私の周りの誰にも見えていないルールが、私にはあった。

みんな、そんなことになるなんて知らなかったんだ。

でも、私は、言葉をかけられるたび、縛られていった。

なにげない、本当に何気ない言葉に縛られていった。

縛られないことが、ありえないことだった。

私の境界線は、ルールで作り上げていた。

私の気持ちからできたものじゃなかった。

ルールに従うことが生きることだった。

だから、縛られずに生きているのが許せなかった。




他の人が自由に動き回れる面の中で、私は網のような線の上を歩いていた。

他の人から見たら、そこにそんな線は見えない。

でも私にとっては、決してはみ出てはいけない線。

みんなと同じ場所にいるようで、同じように動いているようで、私は限られた場所しか通ってはいなかった。

その線さえ、少しずつ、減っていった。



私が、取り込んだルール。

ルールを取り込むものとして、生きてきたけど。

本当に、いつから身に付いたのかわからないくらい昔からそうやって生きてきたけど。



破壊する。

これは、本当に、いらない。

人を思いやることと、ルールに仕立て上げて自分を縛ることは違う。




しばらく、めちゃくちゃになるかもしれない。

いやきっとなる。

でも壊す。叩き潰す。

二度と使いたくない。

いや、使っちゃうだろうけど。

でももういやだ。

私が一時ばらばらのむちゃくちゃのとんでもない人間になったとしても。

もうこんなのはいやだ。

私は生きたいよ。

私でいたいよ。

生きたいんだよ。

posted by 蝉ころん at 19:57| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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