2010年06月04日

受け身人生を終える

思いを実現すること。

そのために色々なことが存在するんじゃないかと思った。

技術も、思想も、理論も、道具も、学問も、自分の手足も。

思いを表現するため、実現するための手段。

私はどれだけ自分の思いを実現してきたのか。

私の思いはなんだったのか。



突き詰めるほどに、私には自分から動いた記憶がない。

最近意識して自分から動いていることを除けば、与えられたものばかりだった。

自分で食べたいものを主張するでもなく、着たい服を選ぶでもなく、行きたいところに行くでもなく。

ただ、出された物を食べる。買ってこられた物を着る。勧められた服を買う。行かなきゃいけないから行く・・・。

いかに受け身が多いかと思う。

学校の勉強なんか全部受け身だし。

「やれ」と言われたから仕方なく、という形式を受け入れていた。

自分から決めようと思う時でも、誘われなかったからとかいう理由で諦めたりした。

正当化された理由がなければ動けなかった。(ごく最近までそうだった)



以前から気になっていたこと。

事実ではあるようだけど、記憶・感情と繋がっていないからこれを書くのはどうなのか?ってずっと書かずにいたこと。

でもひっかかっているのは事実だから、書いてみようか。

母から聞いた、私が産まれた病院でのこと。





その当時、その病院では産まれた赤ん坊はすぐに新生児室に入ったらしい。

病院での生活は、授乳時刻がきっちり決まっていて、時間になると連れてこられて授乳をして、また連れて行かれるというスタイルだったらしい。

授乳以外の世話は全てスタッフ任せ。

退院したときには私は既に泣かない子だったと言う。

そして、起こさなければずっと寝てる子だったと言う。

起きても泣かず、誰も気付かないくらい静かな子だったと。



本当か?

私だって、最初は泣いたんじゃないのか?

声の限り泣き叫んでいたんじゃないのか?

私が助けが欲しいタイミングで、私の気持ちで声を上げていたんじゃないのか?

それでも時間にならなければお腹は満たされない。母親には会えない。

私はこのときに既に自分から発信することを諦めてたんじゃないのか。

そう思えて仕方がないんだ。

だんだん学習したように思えて仕方ない。

ちょっときもち悪くてもそのうちには誰かがやってくれるみたいだしまあいいか。

次はいつくれるかわからないから飲んどくか。

目が覚めようが、お腹が空こうが、くれないタイミングではくれないんだから、言うだけムダ・・・・そんなら疲れるだけだし静かにしとこう。



喋るのも遅かった、動き回るのも遅かったという私。

私の面倒くさがりはこのときからもう獲得してたものに思えるんだ。

私から発信してもどうせ何も実現しないし。

言わなくてもいつのまにか誰かが勝手にやってくれてるし。

やんなくてもいいじゃん。



私に喋らせるために話しかけ始めたんだって。

私に立たせるために捕まらせたんだって。

好きなことだって、与えられてみたら面白かった、だけ。

自分から積極的に好きだからやりたい!ってなかった。

こうしたい!ってなかった。



人生のスタートはこんなかんじ。

たぶんきっとそんなかんじ。

やっと自分から動く人生をスタートしたんだなあ。

働きかけを待たない。

自分起点で動く。

そのスタートが、あのまっしろな空間なのかな。

どこに向かって歩くのかも、どんなペースで歩くのかも、留まっておくのかも、私次第。

全部私の中にある。
posted by 蝉ころん at 11:26| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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