2010年05月31日

親を断ち切る覚悟

ここのところ親に関わる思いが続けざまに出てきた。

自分では、もうとっくに親は切っているつもりでいたから、あれ〜?と思っていた。

さっき見えた。

私はまだ命綱を握っている。

最後には親に認めて欲しいと思っている。

それがわかった。

親を切ったつもりでいても、同じように生家に対して絶縁宣言を叩き付けた人たちのブログを見て、安心を求めていた。

絶縁したあとに、関係が修復されていることを求めた。

「大丈夫、修復できるんだから」

そんな声を期待して。

やっぱり手放していなかった。

繋がっていたかった。




「覚悟」って言葉が出てきた。

記憶にある言葉。

ああ、あれだ、子供とはなれる覚悟をした時だ。

子供たちは、私から離れても生きていける。

立派に成長していける。

それを認めたとき。

子供たちが元夫と暮らすことになって、私は二度と会えないこともありうることを受け入れたとき。

私は子供たちと会えなくなることを受け入れた。

私がいなくても、それでも子供たちは大丈夫なんだと、子供たちを心の中で手放した。



共依存体質は私。

私から手放す覚悟を決めない限り、共依存は続く。

今度は親から私が離れるんだ。

二度と会えなくなる可能性は、ある。

それでも。

親を受け止める役を降りる宣言をしないかぎり、彼らはずっと私を道具として扱い続ける。

私は道具にはならない。

それは、親たちから見た子のあるべき姿をいっさい受け入れないと言うこと。

実の親から勘当された経験のある父。

絶縁になる可能性は高い。



私の生家の内部は共依存の関係だった。

離れても、続いている。

彼らが自分たちのしていることに気付かない以上、私が子供であることを放棄したら、関係は壊れる。




私は親を失うんだろう。

子供たちから祖父母を奪う結果になるかもしれない。

子供たちに恨まれる結果になるかもしれない。

親からは当然、恨まれるんだろう。




それでも私はその道を進むんだ。

それでも私は子供たちを育てるし、子供たちは育つだろう。

親たちは、私がいなくても今まで通り親たちの人生を進むだろう。

そう、私は親たちには必要ない。

親たちも私には必要ない。

覚悟を決めるんだ。

私は親を断ち切る。

私はその道を進んでいける。

ひとりでも進んでいける。
posted by 蝉ころん at 21:25| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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