2010年05月29日

家庭に求めていたもの

土日、子供が家にいて、いろいろと要求してこられたり、ただくっついてこられたりすることを、うっとおしいと感じる。

関わってこられなくても、子供が家にいると所在ない感じがする。

少し深く掘ってみる。

侵入されている感じ。

いつ攻めてこられるかわからないピリピリしてる感じ。

もっと落ち着きたい。

安らぎたい。

ただ私が私のままでいることを、させてほしい。

そんな感覚がでてきた。



ただ私のままでいられる安心感が欲しかった。

これって、生家に求めるものじゃないか。

私は子供たちに対して、親として受け止めるんじゃなくて、やっぱり、親の役割を求めていたんだなあ。

そして、やっぱり私は生家で親の役割を求められていたんだなあ。

安心なんてなかったんだよ。

自分の部屋があったって、安心なんてできなかったんだよ。

部屋が欲しかったんじゃない。

場所が欲しかったんじゃない。

安心が欲しかった。

そうだったんだよね。



心から安らぎたい。

芯からリラックスしたい。

解放したい。

解放していい。

リラックスしていい。

怖がらなくていい。



でもまだ、根っこから信頼できてない。

何にっていうと、やっぱり自分になんだな。

どうせひかるやのぞむを優先するくせに。

侵入させるくせに。

「親」であることを優先するくせに。



っあ〜〜〜〜〜〜。

難しい!

いや、そうだ、そう、わかる。

ひかるを優先してない。のぞむを優先してない。

「親」であるならこうすべき、が来てる。

ひかるとのぞむを大事にしたい、じゃないんだ。

「親」の自分を捨てられてないだけ。

「親」としての理想の姿のために自分を犠牲にしてるだけ。

「子供」が存在するだけで無意識に「親」の仮面をかぶってしまってる。

だからリラックスできないし、だから苦しい。

「親」である必要はないんだ。

ころん、ひかる、のぞむ、個人個人の関係。

あ〜〜〜〜〜〜。

わかる。

でもなんっかわかんない。

もちょっと時間を。

もう少し熟成させて。

なんかでも、とっかかったぞ。
posted by 蝉ころん at 13:50| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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