2010年03月19日

夫のいない日々

そろそろこれが書けるかな、と思います。

まっち〜さんのモラルハラスメント・ブログで、共同企画されていた、「モラといた日々、モラのいない日々」の参加記事「夫といる日々」の続編です。

元夫からのモラハラの影響は抜けたな、と感じています。

私にとって元夫のいない日々は、自分と向き合う日々となりました。

自分の感情を封印し続けた過去と向き合う日々です。

その中には、元夫から受けたモラハラに対する封印した感情も含まれています。

感情を封印することになった大元は、私の源家族、実家で植え付けられ、身につけざるを得なかった自分の捉え方、反応の仕方にあることが、わかってきました。

相手の言動に対するマイナスの反応を相手に伝えない、不快だと感じても離れない、そもそも、不快という感覚を麻痺させているなど・・・・ハラスメントの世界で生き抜くための無意識の反応の数々。

これらの原因とひとつひとつ向き合い、外していく。

新しく、感情の表現の仕方を学んでいく。感情を閉じ込めるのでなく、感じて、表現することで、ひとつひとつ、解放していく。

何重にも重なった薄い薄い破れやすい膜をはがしていくようなことをしています。

膜のとっかかりが見つからなくて、はがせないときもある。

はがし方を間違えると破れてしまったり。

それでも、じっくり、ゆっくり、はがしていく。

すべてをはがしたあと、何か残るものはあるのか?それはなんなのか?どんな私が現れるのか?

それはまだ見えないけど、そこを目指して、少しずつ進んでいきます。

そんな毎日。



ここに辿り着くために元夫から離れた。

そこに気付くために元夫と日々を過ごした。

元夫のいない今、元夫のいた日々をこんなふうに捉えるようになりました。

元夫に対する怒り、恨みなどは、今更ながらふつふつと沸いてきています。離れたことで感じられるようになった、正当な感情とともに、過剰に反応している、度を超えた感情が含まれています。

この度を超した激しい感情も、私を探る大事な鍵になっています。



たぶん、元夫と離別した直後にこのテーマで記事を書いていれば、もっと意気揚々とした内容になったかもしれません。

モラハラは苦しいものだったし、離婚してよかった。

モラハラで受けた苦しみに対する怒りは、正当なもの。

でも、私自身の人生で背負っている苦しみは、元夫に関係のないもの。私は、それまでを元夫の責任にしてしまおうとしていました。

それこそがモラハラ。私の加害者の側面です。

当時はそんな自分に気付きたくなかった。気付かずに誰かのせいにして生きていたかった。気付くのが怖かった。怖くて怖くて気配を感じながら目を背けていた。

でも、気付いて欲しかった。自分で自分に気付いて欲しかった。もう逃げ回るのは嫌だった。自分で作り上げてしまった恐怖の檻に囲まれて生きるのは嫌だった。

今は、気付けた。やっと向き合えた。

向き合ってみたら、必死で生き抜いてきたころんちゃんがいた。

誰のせいでもない。ただ必死で生きてきただけ。

それだけだったのに。

傷つけたり、傷つけられたり・・・・

そんなことになってしまってたのが、悲しい。

誰も悪くないのに。みんな必死で。見えなくなってしまって。

悲しいな・・・・




あらら、また、なんか話が別の方向へ・・・ごめんなさい。

でもこんな心境です。今現在の、「夫のいない日々」。

「夫といる日々」を書いた頃には、こんな状態は想像もできなかったな。

想像よりも、いい方向へ向いていると感じてます。

どんどんいこう。ゆっくりと。私の日々を。
posted by 蝉ころん at 12:54| Comment(0) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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