2011年09月28日

攻撃的な非難

突然見知らぬ人からメールが届いた。

とても攻撃的に私の落ち度を一方的に責め立ててくる内容だった。

SNSの一種で登録してあるアドレスに送信されてくるようになってるもので、直接のやりとりがあったわけではない、すれ違っただけの関係なはず。

こういうことがあると、精神状態が一気に崩れる。

子供を相手にしているときにハラッサーへ切り替わるのと逆の反応、被害者思考に陥る時のパターン。

たぶん、相手のしてることは子供のしていることと自動思考的には同じはず。

視点の固定された捉え方で、相手の考えも理解しないまま自分の不満を自分が背負えないためにくる全押しつけ。

やっぱり私も相手によって態度を変えているってことだ。たぶん、家族と、他人の違い。

家族には、それなりに自分の言いたいことを言っていたんだな。聞いてはもらえなかったけど言ってはいたんだな。

他人・・・同じコミュニティに属する他人からの攻撃には反撃しても逆効果と学習してしまった。後で倍返しでいじめられるとか、学級会でさらし者とか・・・・で、攻撃を感じたとたんに思考停止(本当は停止じゃなくて、答えが見つからない状態に感じる)して、萎縮してしまう。



そういえば最近はハラッサーころんの道しるべ作りは頑張ってきたけど、被害者ころんはほったらかしだった。

こっちのパターンも救ってみる。

まずこういう人物はこっちの言い分は絶対聞かない。何を言っても無駄。

自分の感じている世界が常識だと思い込んでいて、それを盾に脅してくる。

昔はいちいちこれに対抗していたんだ。親兄弟にぶつけるように。

親兄弟は話は聞かないまでも、その後いつまでも続くような報復措置はなかったから、それはそれで私の身に付いていたんだ。言葉にするのは私の力になるから。

でも、それはこの差出人のような人には通じない。

こちらが反論したり主張すればするほど、よりエスカレートしていくし、じゃあ相手の話を聞けばいいかというと、それも違って、もっと主張を強めてきたり、さらに長引く結果になる。

相手に対して、よかれと思って何をしてアプローチしても、全て逆効果に終わって、こちらの責められる立場が強化されていくだけ。

なぜか。

それは、相手にとってそれがプラスだから。

威嚇してきたとき、私が反撃したり、話を聞いたりすれは、それは相手にとってもっと怒れるということであって、プラスになる。

プラスの経験は、その行動を強化する。いいこととして学習する。

もっとしてくるようになる。

ハラッサーへの道まっしぐら。



つまりは放っておけばいいだけのことなんだけど、それが私にはすごく怖かった。

放っておく
 →なんで無視するんだ、と余計に責められる
 →コミュニティ内で人を無視する変な人ってレッテルがつく
 →孤立
 →何かあったとき、全員から攻撃される

っていうところまで、ブラックボックスで予期している、らしい。で、回答が見つからず、ボックス内で回転を続ける・・・

確かにそういう経験はあった。

とにかく、小学校在学中に、そういう経験が何回もあった。

小学校の経験から、私はコミュニティが怖く、人が怖くなった。少し仲良くなれた気がしていても、いつ私を責め立てる方に回るかわからない。信じられない。攻撃から逃れる術がない。もし冤罪を受け入れて謝ったとしても、それはさらなる攻撃の口実を与えるだけにしかならないと学んだから。

一度コミュニティでそういう立場に置かれると、そのコミュニティで立場を挽回することはできないと学んだから。



怖かったんだった。もちろん最初は嫌だったんだけど、嫌な経験が重なり続けたおかげで、嫌なことが起こる予感に恐怖が先にくるようになった。

それでも学校生活を続けるためには、その場にいなければいけなかった。

唯一状況を変える力をもっているはずの、上の立場の人物、つまり教師も、はみ出しっ子がいることに迷惑している様子で私を面倒者扱いだった。

逃げ場はないと感じていた。それが余計に怖かった。



怖かった。

こういう子、思い込みの言いがかりで世間・常識を味方につけて攻撃してくる人物が、私は怖かった。

こういう子の話を聞いて、簡単に味方になって私を責める方に回る、人間ってものが怖かった。

こういう子が攻撃を始めると、全体が一緒に攻撃を始めるコミュニティが怖かった。

誰か助けて。私の話を聞いて。そんなつもりじゃなかったのに。なんでこんなことになってしまうのか全然わからない。

私は悪いことをしようなんて思ってない。悪いことなんてしてなかったはずだ。

忘れ物をする子は悪い子だから私が悪いことをしたはずなんですか?

なんで誰も私の話を聞いてくれないの?

なんで先生まで私の話を聞いてくれないの?

なんで先生はあんな学級会なんてまだ人間として出来上がってもいない未熟な子供がつるし上げで出した結論をよしとして1人の子供に罪を押し付けるのを黙って見てるの?

子供たちが多数決で方針を決める経験をさせるためには1人の子供の冤罪なんてどうでもいいの?

人間の世界ってそんな世界なの?

・・・・そんな世界なんだ、と学習した。

私はそう学習して、世界にある意味絶望した。

そして怖がりの私を閉じ込めた。



大人になってハラスメント被害を受けたことで、ブラックボックスが強化されてしまった。

まだいた。怖がりの私。

大丈夫。

あんなのは、ただの言いがかり。放っておけばいい。

具体的に責められると自分がいけなかったように感じるけど、あれはただのいいがかり。

あなたのしたことは悪いことじゃない。

ただあの人が気に入らなかっただけ。それを伝える方法を工夫する努力をせず、ただ怒りをぶつけてきた無礼な人ってだけ。

あの人の目的は、不快の解決じゃなくて、ただ怒りをぶつけたいだけ。

だから、関わりたくないと感じている、そのままに行動すればいい。

大丈夫。怖くない。

怖いけど、大丈夫。
posted by 蝉ころん at 22:28| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月24日

頭の中の高速トンネル

すっかり間が空きました。

相変わらずひきこもりで主婦業のみ、ひかるは不登校の生活ですが罪悪感はすっかり抜けてきて、焦りではなく欲求として、子供の状態にもあまり振り回されず、何かしたい、仕事がしたいという気持ちが見えてきています。

これが罪悪感を持ったままだったら、その罪悪感から逃れるために、「私はずっと働いてきたんだからこれくらい休む権利がある」とかになって、そこにすがりついてしまうことで、余計に罪悪感から離れられないっていう悪循環にハマるんだなーと。

「休む権利がある」は「休んでいい」とは違うし、さらに「休もう」とはもっと違う。

権利を主張しだすのは、世間的には許されないことだと思って他人に対して言い訳、
許可を与えるのは自分自身で良くないことだと感じているのを解放するためで、
意思をそのまま行動に移せるのがハードルのなくなった証拠。

状況的なハードルはもちろんあるんだけど、心理的なハードルは全部取っ払っちゃって大丈夫。
「休もう」と決めてから、状況をどうするか考えればいいだけ。

簡単なことだったんだなあと思う。

そういう思考パターンが地部の中にあったなーと。



この思考パターンてのは、自動的に入って出てくるトンネルみたいなもので、状況が起こった瞬間にトンネルに入って、行動が始まってからトンネルから抜けるようなかんじ。

トンネルの中は見えない。

周りの人も理解できないけど、本人も全く理解してない。いつのまにか感情が切り替わっていて、思考形態まで一瞬で変わる。

トンネルに入る前は車だったのに、出てみたらなぜか新幹線に乗ってたみたいな感じ。しかもそれが一瞬で起こる。

記憶が途切れているわけじゃなくて、全部出来事としては知ってるし、思い出せる。”自分の外側で起こったこと”は。

でも、トンネルに入っている間に自分がどういう経路を辿ってこの感情が湧いたのか、なぜこんな思考パターンに切り替わったのかは、記憶にはない。トンネルに入る前の感情、思考形態は他人の考え方のようで、とてもできるとも思えない。新幹線で出てきたら、車がどこにあるのかわからない。いずれ新幹線が止まったら、そこでやっと乗り換えるようなかんじだ。



蚊に刺された時、かゆいな、と思わなくても掻いてる時がある。それに似てると思う。

ある程度以上の頻度で発生する状況を経験すると、成功したやり方を無意識で使えるように学習していくんだと思う。

今私はキーボードで文章を打っているけど、これだって無意識化してる。どの指でどのキーをどういう順番で押そうなんて何も考えなくてもただ頭に文章が浮かんだだけであまり間違えずに打つことができる。

でも”同じ状況かどうか”を判断するのは私自身じゃないんだよね。

だからきっかけが何なのかはよくわからないから、このトンネルに入るときにはいつのまにか入ってしまっているし、一方通行なもんだから、出た直後に「オカシイ」と気付いて急ブレーキをかけないと原因を探れない。

出た直後なら、出口付近の様子を確かめることができる。そうすると、そこは光が当たる。そしたら少し、トンネルを短くすることができる。

そうやって、トンネルの中で何が起こっているのかを探っていって、違う出口に繋がる道を造り直していくんだと思う。

キーボードを覚えたり、自転車に乗れるようになるみたいに、ギクシャクでも何回も新しい道を通っていれば、それがまた新しいトンネルになっていくし、きれいな景色の見える出口につなげることができるはず。



てことで、思考パターンを変えようと思ったら、頭の中で出来上がっている路線を作り替えることが必要なわけだけど、頭を直接切り開いてこっち切ってこっちと繋いで、なんてことができるわけでもないので、内部から、つまりは自分の思考で切り替えポイントを見つけ出し、より良いと思われる考え方のパターンを植え付けていくしかないわけだ。

心理療法も色々あるけど、やっていることはどれもこれと同じ目的に繋がってるなあと思う。

それが、私にとってはインナーチャイルドと話をすることだったり、インナーペアレンツと対決したり、クラスメートや教師たちの声を論破したり、不要な常識をどかしたりすることだった。

私にはこれがよかったけど、脳みその中を探るのは医者やカウンセラーにはできなくて、本人にしかできないんだから、本人ができない、不審に感じる方法だと成果も上がりにくいだろうし、本人がいろいろやってみて、一番合う方法を探していくのがいいんだろうな。

しかし理解が進むほど、被害者を確保しているハラッサーがこんなことに取り組むとは思えなくなってくる。



こんなかんじで。ドクターショッピングするのもいいんでないって話に落ち着いたような。

誰でも、頭の中にブラックボックスは持ってるんだと思う。問題が起きてない時は開ける必要はないから存在を気にしてないだけで。
子供が産まれてすぐに素敵なお母さんになれちゃうような人は、ステキなブラックボックスを持ってるんだろうなあ。

ひかるとのぞむにもステキなブラックボックスができますように。

それでも今までの経験でオカシイトンネルもできていると思うから、いずれ自分たちでブラックボックスを開ける時がくるかもしれないけど、そのときは振り回されずにサポートに回れるようになっていたいな。
posted by 蝉ころん at 21:30| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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