2011年06月22日

褒めること

褒めるということに対して、長いこと違和感を感じていた。

「子供を褒めてあげてください。なんでもいいから、とにかくほめてあげてください」

こういうことは、育児関係の講演とか、育児書とか、いろいろなところでよく耳にしたし、目にした。

でも、褒めるべきこともないのに、何を褒めるたらいいの?変なことを褒めたら悪いことを助長してしまうんじゃない?

そんなふうに感じていた。

それから、自分の掘り起こしを始めると、褒めるということに対してさらに抵抗を感じるようになった。

私が育てられた環境での褒めることのカラクリがわかってきて、私自身もそういう用途でしか褒められないこともわかってきたから。



褒めるということは、ハラッサーの世界では条件付きの承認の意味になること。

「あなたは、私の意に沿うことができたから、このことについては認めてやる」

そんな意味でしかない。

しかも、その「意に沿うこと」の条件は、「私」の気分次第でころころと変わるもので、「私」自身でさえ結果が出るまでわからないものだ。

結果というのは、衝動的に出てくる「怒り」か「受け入れ」という形で出てくる。

こんなもののために、子供に必死に「意に沿うこと」を探して行動するよう仕向ける。

それが、ハラッサーにとっての「褒める」「叱る」ということの意味。



私はそんな風に子供を育てることから手を引こうと思っていたから、ハラッサー的にしか使用できない「褒める」ことからも手を引くことにした。

代わりに使うようにしたのが、とにかく子供の気持ちだけに注目して、今どう感じているかに注意して、ただその感情に名前をつけてあげること。

「嬉しいね」「やったね」「大満足だね」「疲れたね」

褒めない。行動に私情で評価を与えない。

のぞむは、感情を出すのが上手で、言葉でも表すのが上手いから、私も感情を返しやすい。
感情を返してやるとあっさりと満足して、また自分の世界に戻っていく。

ひかるは、感情が上手く出せず、話も、事実、行動を語るだけで、そのときのひかるの気持ちがなかなか伝わってこない。
恐怖に蓋をして嬉しそうに振る舞っていたり、のぞむや私の機嫌を伺ってにこにこしながら我慢していたり・・・。
表情豊かにはなってきたけど、作られた表情なのがわかるから、感情を返すのもなかなか難しい。



そんな感じで子供たちの行動を見ているうち、少しずつわかってきた。

褒めるっていうこと。

子供たちは、自分たちなりに、したいと思ったことをしている。

いいことと、悪いことなら、できればいいことをしたいと思っている。

いいことができたと思っているとき、褒めてあげられれば、「やっぱりこれっていいことだよね!」っていう気持ちになるのかも。

基準は子供の中にあって、その基準に対して、そうだね、って言ってあげることなんだ。

親にとって、大人にとって困ることならば、そう伝えればいいだけのこと。



基準は子供が持っている。

判断は全て子供自身がする。

子供自身の行動は、子供自身が選択して、子供自身が実行する。

子供はそれだけの力を持っていて・・・・親は、大人は、ただ、判断材料を渡すだけ。

褒めるってことは、子供の判断を尊重することなんだな。




子供を1人の人として扱うってことは、こういうことなのかも。

少しずつ実感を伴って進んでいると思う。
posted by 蝉ころん at 20:18| Comment(2) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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