2011年05月30日

原因は悪くない

なにかが起こったとき、私はまず、条件反射的に「えーーーっ!」となる。

私なにもしてないよ?なんでそんなことに?嫌だよ、どうにかしてよ!

これで、頭がいっぱいになってる。

この後、対処しているつもりでも、ベースがこれなので、ハラッサー的な対応になる。

ようは、

・犯人を探す(私がやったんじゃないでしょ!)
・罪を認めさせる(私が悪かったんじゃないでしょ!)
・原状回復を要求する(私は元通りでいられるべき!)

・・・な感じ。



実際に違うやり方を試していった上で、すこーしずつ、実感して来た。自分のやり方が無自覚にそんなふうになっていたことに。

何かが起こったときの対処としては、上のやり方ではいい感じには落ちつかない。

まずは、起こってしまったことを、ただ起こってしまったこととして認めるのがだいじ。上のやり方では、起こってしまったことを全く認めようとしていないなあ、そういえば。

そんで、起こってしまったことに対して、どうするかを考えるんだ。

・何が起こったのかを確認する(起こってしまったことはしょうがないや)
・困ることがあれば対処する(ベストでなくてもベターでいいよ)
・次に困らないように予防する(原因をみつけておこう)

・・・な感じ。

が、じんわり自分の中にできてきた。

まだまだ最初は「えーーーっ?」が出てくるけど、個人的な「やだやだ困る困る私のせいじゃない勘弁してー!」を表現して、一旦落ち着いてから対応するようにしてる。



で・・・・最初の

・犯人を探す(私がやったんじゃないでしょ!)
・罪を認めさせる(私が悪かったんじゃないでしょ!)
・原状回復を要求する(私は元通りでいられるべき!)

これは、私がされてきたことだなー。受け続けてきたことだなー。やはり。

何か起こったらとにかくまず容疑者は私。冤罪であっても犯人は私。
そして謝らせられて、始末をつけさせられる。私だけが原因じゃなくても。私が悪いんじゃなくても。もっと根本的な原因があったとしても!

それから、家では、ただ兄が兄だというだけで罪を背負わされているのも見ていた。

私が泣けば、兄が怒られる。明らかに私の我がままでも、私が悪かったことでも、私が泣いてしまえば、兄が怒られる。
いくら泣かないように努力しても、泣いてしまえば、兄が悪くなる。

なにか問題が発生したら、それは誰かが悪いのであり、とにかく罪人を決定して罪を償わせなければ解決はしない。

・・・なーんて回路ががっつり頭の中に定着してたらしい。



罪なんてどうでもいいのかもしれない。

被害者がいるなら、その心の傷が癒されることが大切なんだし、困ることがあればそれを回避することが大切なんだし、何回も起こることなのであれば、それを繰り返さないように工夫することが大切なんだ。

原因を見つけることは、改善するための糸口を探すこと。

犯人を見つけて裁くことが目的じゃない。

誰が悪いか、と、何が原因か、はイコールじゃない。

原因=罪、じゃない。



で・・・あと、何かおこったあとの対処をすることがとっても嫌いなんだけど、そのとき思っていることは、めんどくさい、とか、嫌だな、よりも、「私は悪くないのに・・・私のせいじゃないのに・・・なんで私ばっかり・・・私だけ・・・」とかそういう恨みが渦巻いている。

たぶん、私の中では、問題対処すること=罪を犯した人の罰、になってるんだ。

そうじゃないんだよ。

対処するのは、実は対処することができる人であれば誰でもいい。

というか、むしろ、上手な人が、原因になった人と一緒にやり方を見せてあげるのがいいんだろうなあ。その方が学べるんじゃないかなあ。

私はたいてい ちゃんと元通りにしとけ!→放置 か 邪魔だからあっちいけ!→放置 だったからなあ・・・。

どう転んでもひとり。

そのうち対処しないといけないような事態にならないようにならないようにするようになっていったなあ。そりゃ問題対処能力もつかないわけだ。



問題はおこるもの。どうあがいてもおこるもの。そう思っていた方がいいんだきっと。

だから、おこさないようにするのも大事だけど、おこったときにどうするかのほうが、きっと大切なんだよ。
posted by 蝉ころん at 12:44| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

学校の都合

ひかるは今年度も不定期登校。

私としては、よく完全不登校にならずにもちこたえているな〜という感じ。

本人はまだまだどっちつかず。「行きたいけど行きたくない」という言葉は、半分本当の気持ち、半分思考からでた結論だろうとは思うけど、本人に行こうとする意思があって、行ける状態であるなら、行くことをサポートする、それだけでいいと思うようになってきている。

ただ、その落ち着いてきた私の気持ちをかき回すのは、やっぱり学校側。もちろん私がまだまだ突かれて反応するところを持っているから何だけれども。

学校側も、行けたり行けなかったりする子供、しかも、行けてしまえばすごく楽しそうに過ごしている子供が、行けないはずはないと考えてしまうのもわからなくはない。

でも、学年が上がるにつれて、「行かなければいけない事情」が増えてきているなあ、と思う。



高学年になると、だんだんと学校行事での役割が増えていく。

休むと、同じ学年の子にひかるの分の負担がいく。

負担の増える子供たちに不満はたまっていくでしょう。

ひかるが登校したときにその不満をぶつけられたりもするでしょう。

それがまた、ひかるには重くなったりもするようで。

それは、まあ、ひかるが自分で消化していかなければいけないことかもしれない。

でも、もう少し学校側も、来ない可能性が高いものとして、対応を考えてほしいなあと思う。

毎年毎年担任が変わるたびに状態を逐一説明して、事情を話して、理解と協力をお願いして、苦労をかけているなあとは思っているけれども・・・・。

直接説明をしていない教師からは、「なんで来られないんですか?」「今日も無理なんですか?」「お母さんから話してください」などなど・・・・・

責めるような言葉遣いにはまだまだ弱いと実感しつつ、電話を切ったとたんに悪態をついて発散して気持ちを表現してその場で消化しちゃうようにしている。



まったく、学校、行事多すぎ!

自分たちが全部こなすの大変だからって、いっこいっこの行事で力つきて行けなくなる子供の気持ちを考えたことあるか?

負担を背負ってることをわかりつつ、でもやり抜きたいって思ってる子供が頑張ろうとして、でもできなくて辛い思いをしているってのもわかって、でも見守るしか出来ない親の気持ちがわかるか?

なんでも親に押し付けてくるんじゃない!

出来ない子だって出来ないなりに参加できるならいいけど、出来る子と同じレベルを求めるのはやめてくれ!

そしてそれを親に強制させようとするな!

自分たちで責任持ってやってくれ!

出来ない子が出ることくらい覚悟して取り組んでくれ!



ひかるは頑張りたいと思っていて、でも頑張りたくないとも思っていて、私は、それをどっちも認める。できたら、一緒に喜ぶ。

こんなこともまだまだ上手くなんてできなくて。

私はまだ、登校時間になると動こうともできなくなるひかるを、ただそのままいさせておくだけ。

ただ一緒にお昼を食べるだけ。

顔を合わせたら普通に話すだけ。

イライラする前に離れるだけ。イライラは掘り起こしておくだけ。



上に書いた学校のことも、結局は私の心残り。

ひかるのためじゃなくて、私の気持ちのわだかまりだけ。

ひかるや、先生には直接当てずに、私が表現して消化すること。

現実に対応するのは、感情を元にして、思考が考えて、感情が納得できるやり方を決める。

学校の都合は、学校に返す。

私が引き受けられないことなんだから、やっぱりそれは引き受けずに、返す。

対立するんじゃなくて、できませんって言う。

それなりに、私なりに、なんとかかんとか、対応できていると思う。
posted by 蝉ころん at 19:21| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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