2011年02月21日

順調に進んでないとき

地雷をもう一つみつけた。

何かやってるとき、それが何であっても、私が何かやってるとき、順調に進んでるときは大丈夫。でも、うまくいってないとき、そばに誰かが寄ってくるとアウトらしい。

これ、自分が被害者側のときは、上手くいっていないことを八つ当たりされていると思っていたんだけど、私の場合はそうじゃなかった。

1人だったら、別にストレスとも思わないくらいの小さなことでも、誰か知ってる人物がそばに出現すると、ざわざわしてくる。

上手くいっていない現状を知られることが、地雷。

終わったことだったら大丈夫だったりする。

とにかく、今現在順調に進んでないとき。どんなに小さなことでもアウトらしい。

順調じゃなくなった時点で焦り始めていて、周りにいる人の動きに過敏になってくる。

失敗をすることが怖いんじゃなくて、失敗しそうな状態を悟られることを恐れてる。



なんであっても、私が取り組んでいることは他の誰かの方が上手かった頃、私は出来ないことを馬鹿にされたし、呆れられたし、そして、取り組んでいることを取り上げられた。

終わってしまえば、いくら途中で失敗しそうになったことがあっても、何回もやり直しをしていたとしても、結果的にできていれば、何もマイナス評価はなかった。

上手くいっていない途中経過を知られることは、最終的に到達できるはずの成功への道を断たれることを意味した。

以前、横取りって表現したこと。

横取りは、同じ立場の人間に取られることな気がするけど、この感じは横取りじゃなくて、取り上げられるって感じ。

取り上げられ経験が元になって、横取りへの怒り・悲しみも増幅されてたかもしれない。

とにかく、上手く進んでいないことを知られると、私が達成したいことへ到達するチャンスを取り上げられる。

そして取り上げられたチャンスに、次は二度と来なかった。



何度も、何度も、どんな小さなことでも、私は巡ってきたチャンスを取り上げられた。

母は、私のことを、知らないうちに何でも出来るようになっている子だったと言っていたが、当たり前だ。

知られないようにでしか、できるようになれなかったんだから。

出来ないところを見られたら、出来るようになれないようにされるんだから。



失敗したり、上手く行かないとき。

私が挑戦し続けたくても、横から手を出されて終了させられた。

私は何度でも立ち向かいたかった。

本当は立ち向かうことを応援して欲しかった。

できれば「上手くできないよ」って弱音だって吐きたかった。

弱音はギブアップのサインと捉えられてしまうから、言えなかった。

できるなら、弱音を吐いても励ましてもらいたかった。

そしてもう一度立ち向かいたかった。



「できないくせに手を出すな」って言われるのが嫌だった。

ひどい。

誰だって最初はできないじゃないか。

まして子供ができないのなんて当たり前じゃないか。

兄貴ができるからって、なんでもかんでも兄貴の手柄にして私は出来ない子のままでいさせようとして。

チャンスも与えてもらえないで、出来るようになるわけがないじゃないか。

私だってやれば出来るもん。

私だって出来るようになるもん。

お兄ちゃんだけが偉いんじゃないもん。

私だって偉くなれるもん。




兄貴には家に取って価値のある仕事を回し、偉い子として育て、私には雑用、誰でも出来ること、誰がやってもいい仕事を回してあくまで価値のない子として育てられた。そう感じていた。

私は、みんなに隠れて、価値のある方の仕事を身につけて、兄を出し抜こうと必死だった。

出し抜いて、いつの間にか兄より出来る人物になって、親が、私に価値ある仕事をさせなければ仕方がないと思うようにさせたかった。

私なりの反乱だった。

でもそんな日は来なかった。

私はどれだけ技術を上げようと思っても、必要なことはまず兄に教えられるし、私がそれを盗み見て必死で独学している間も、兄はどんどん新しいことを教わっていた。

いつまでたっても追いつけないし、親は私には一切教えないし、私にさせるつもりが全くなかった。

そして結局、父に「女にはできない」と断言されて、引導を渡された。

この父が私を認めることはない。私がいくら努力しても日の目を見ることはないんだって。




この人たちは、私の望みなんてほんとに見てなかったんだ。

ただ、私が邪魔をしてきて面倒だとしか思ってなかったんだ。

私はいつも、何をしても、家庭のメンバーの中で、私だけが、いつも出来ない子で、必ずそれで兄に奪われて、馬鹿にされて、邪魔にされて、悲しくて、悔しくて、それでも食い下がったら母に怒られた。

私はただ、みんなと同じことを出来るようになりたかった。

そしてただのお荷物じゃなくて、みんなと同じ、役に立つ、重要なメンバーとして、そこにいられるようになりたかった。

チャンスを奪われることは、はしごをはずされることだった。

はしごを上ることを望まれていなかったから、はしごを上っていることを知られるのが怖かった。

のぼっている途中で外されるのを恐れて、こそこそと上って何もしてないふりをしていた。

私はただ成長したかっただけなのに!



成長を止められてたんだよ。

私は成長させてもらえなかった。

だから隠れて成長しようとした。

何も変わってない顔をしながら隠れて必死に変化してた。

変化してる途中を見られたら、また戻されるから。

私は進みたかったから。

そうか。

私頑張ってたんだ。

隠れて成長するのって大変だった。

誰もいないときに、どきどきしながらしてた。

何回も、はしごをかけ間違えたり、踏み外したりしながら、焦って焦って上っていた。



悪いことでもなんでもないのに。

でも実家では、私だけは悪いことと同じようなものだった。

取り上げられるのは咎められるのと同じことだった。

私は、何かを達成しようとすることを悪いことのように感じていた。

達成してしまえば良いことに変わるのに、達成できるかどうかわからない状態は悪だった。




この前、誰かが言ったって言葉をテレビで言ってた。

ものごとには、成功か、成功しつつある状態か、その2つしかない。

ていう感じの言葉。

失敗も、成功のための段階に過ぎないって。

そういうことなんだよね。

子供の頃に欲しかったな。その言葉。




もう、取り上げる人はいないよ。

ひかるも、のぞむも、取り上げたりしないよ。

自分でもしたがりはするし、知ってることは口も出してくるから、取り上げられるように感じるんだよね。

でも道を譲ってあげるかどうかは、私自身で決めていいんだよ。嫌だったら、譲ってあげなくてもいいの。

「上手くいかないよー」って弱音吐いてもいいんだよ。

「悔しいよ」って言っていいんだよ。

「見てよ」って見せてもいいんだよ。

誰も笑わないし、怒らないし、取り上げられないよ。

怖くないよ。

達成への道を、隠れずに進んでいいんだよ。
posted by 蝉ころん at 22:03| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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