2010年12月09日

子供嫌いからみえたこと

部屋が片付いているようになったら、ひかるとのぞむが友達を呼びたいと言い出した。

子供部屋ができてからね、と保留している。

そうか。

私が、散らかっててほしかったのかもしれない。

部外者に立ち入って欲しくない。

わたしの場所。私の家に。

散らかった状態をキープすることで、言い訳を作っていた。

散らかってるから、入れたくないって。



子供部屋を作りたかったのは本当。

でもそれは、子供たちに居場所を与えて居間から追い出したかったんであって、子供たちが友達と遊べる場所を提供するためじゃない。

私は自分だけの場所が欲しくて、まだそれにしがみついていて。

自分の子供さえもテリトリーから追い出したいというのに他人の子供をテリトリーに入れるような余裕なんてない。



私の「子供」観は、たぶん歪んでいる。

子供は、大人の思惑に関わらず好きなように家の中を興味本位で見たがるし、勢いで動くから油断できない。

そして、遠慮なくストレートにものを言って、うちの惨状を言いふらす。

これは実際に子供の頃付き合いのあった子供たちによってできた「子供」観なんだけど、こういうことがまたいじめにつながったりしてるから、不信感が大きい。

偏った相手としか付き合いがなかったからよけいに偏った子供像ができてしまったんだろうけど。

私にとって、他人の子供というものは、私を侵略する存在に思える。

私は、子供っていう存在を恐れている。

私の方が、子供より自信がない。

子供に対して、こんなんでいいんだよって思えてない。

やっぱり、まだ思えてない。



他人の子供にどう見られようと、私という存在には影響はないんだろう。

でも私はまだ傷ついてしまう。

子供の何気ないストレートな物言いに、どうしようもなく傷ついてしまう。

それを自分のテリトリーでされてしまうなんて耐えられない。



ああ、それはまさに私の親のことじゃないか。

部屋と言って与えた私のテリトリーのはずの場所へずけずけと入り込んで、思ったままに私を傷つけて去っていく、親そのものじゃないか。

私の部屋をのぞいては散らかっていると溜め息をついていた母は、今ゴミ溜めのような部屋で何も捨てさせない。

あれだけやめてと言ってもたばこを吸い続けた父は、私が一人暮らしを始めたときに部屋へ呼んだら、たばこを吸わせないことに怒り、二度と来てやらないと言い捨てていった。

そんな両親を、付き合いのあった子供たちに映していただけだったんだろうか。



私はなんて、私の周りを鏡で埋め尽くしていたんだろう。

そこまでして周りを憎まなければいけないほど親を憎んでいたんだろうか。

そこまで私は親のことで頭がいっぱいだったんだろうか。

本当は私は親のことを考えたかったんだろうか。

憎みたいだけ憎んで、嫌いたいだけ嫌って、嘆きたいだけ嘆きたかったんだろうか。

それなのに、私が、思考が、親のことを閉め出したから、全部周りに映して八つ当たりしていただけだったんだろうか。





私は、たぶん、もう親からは守られているよね。

自分を守ることはできるようになっているよね。

それなら、もう、なにも怖がらなくていいんだよね。

子供は言いたいことを言うけど、私が傷つくことはないんだよね。

私はもう、あの頃の私じゃないから。

あの頃の私にとっては、他人の子供って存在は世界そのものだったけど、今の私にとっては、小さな存在だよね。

怖かったんだ。

世界そのものを乗っ取られるような。

私そのものを否定されるような。

あの頃の私はそんな恐怖をもっていたんだ。

大丈夫。

私は私でいい。

大丈夫。

怖くないからね。
posted by 蝉ころん at 18:10| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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