2010年12月21日

部屋を片付けると

昔から、部屋を片付けると友達を呼びたくなる。

「やっと片付けたから遊びにきて」

これが、昨日、またやってきた。

「片付けたよ」というと「じゃあ遊びに行けるね」と言われて「来て来て」となるんだけど、その裏にある心理に気づいた。

私は、褒めて欲しいだけだった。

いつも、遊びに来てもらっても、あまり楽しんでもらえてないっぽいことを気にしつつ、結局人疲れしてしまう私。

会いたい、うちでのんびり喋りたい、一緒にだらだらテレビでも見よう・・・そんな目的がなにもなかった。

ただ、褒めてくれそうな人に片付いた部屋を見て片付けたことを褒めて欲しいだけだった。

そしてやっぱり、それは親に褒めて欲しい気持ちが、根っこに潜んでるんだ。



私は、片付けをしても、その後に散らかしたときに倍嫌味を言われるのが嫌で、親には片付けたことを言わなかった。

それでも親は部屋にはくるし、片付けたことはバレてしまい、やる気をなくした。

そしてまた部屋は散らかり、嫌味を言われる。

私がきれいな部屋にいたい、その気持ちだけで片付けていたわけじゃなかった。

時間が遅くなって焦ったり、途中を見られて血の気が引いたり、あまりの物の多さに嫌になったり、しがらみで捨てられなくて結局元に戻したり・・・全然変わってない。

褒められたいのに、褒めて欲しい人に知られたら最終的に嫌味を言われることに怯える。

褒められたいから、褒めてもらえる片付け直後の状態だけが目的になって、結局続かない。

そんなパターンができあがってた。



最近のモチベーションは、子供部屋を作ってしまって、明け渡すこと。そして、心置きなく自分の部屋を好きなようにすること。

そのために子供部屋にする部屋を空にしたのに、それでも人を呼んで褒めて欲しいんだなあ。

子供部屋は子供のもので、私が自慢するためのものじゃないよね。

一度、この目的は放棄した方がいい。

誰も人が来なくていい。

私自身が、まず今の状態をただ楽しんだらいい。



そして人と会いたくなったとき、ちゃんとその気持ちを知ろう。

私は誰に会いたいだろうか。

何を話したいだろうか。

そのために家に来てもらうのがよければ、それから呼んだらいいよね。

頑張って片付けたことを自慢したいのも、それもいい。

でも、いつでもきれいな部屋に片付けている私、なんて、やっぱり無理してる。私を縛ってる。

もう散らかった部屋のままでも人を呼べるよ。

散らかってたって、それはそれでいいじゃない。

散らかってたって、それはそれで私っぽい。

たぶん、片付いてても私っぽい。

私が疲れない、気持ちいい部屋で過ごせているなら、誰が褒めてくれなくてもそれはきっと私らしい。
posted by 蝉ころん at 14:49| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月20日

捨てたーーーーー

我が家に居座っていた、大物家具たちの処分をやっと始めた。

今まで、たぶん外聞を気にして一度ですまさなければと思っていたけど、何回かに分けてもいいじゃないか、って決めて、今処分できる物からやってしまうことにした。

今日は第一弾。

婚礼ダンスとダブルベッドと本棚を処分した。

婚礼ダンスは、実は私が気に入って決めた物で、当時はとても役に立っていたんだけど、今の住居に引っ越してからは部屋のレイアウトと相性が悪く、すっかり邪魔になってしまっていた。

前回書いた文庫に、無理に家具に合わせて生活してストレスを溜めるくらいなら処分してしまった方がやはりいいんだ、というようなことが書かれていて、ああ、それでいいんだ、やっぱり私はそうしたかったんだなあと思って、踏ん切りがついた。

リサイクルショップの店員さんに見積もり取ってもらったら、「これは売れます」と言ってもらい、普通なら洋ダンスは即処分が相場なのに、和ダンス、洋ダンスとも、運び出しの手間賃のみということにしてくれた。ベッドも本棚も処分だったけど。

お金が安くてすんだのも嬉しいけど、なにより「普通これだけ大きい物は買い手がつかないんですが、デザインがいいから、これは売れます」と言ってくれたのが嬉しかった。

私がデザインに惚れ込んで決めた家具が、まだまだ不人気市場でさえ買い手がつくだけの良デザインだと言ってもらえた。私のセンスを認めてもらえたような気分だった。

私ってやっぱりまだまだ褒めて欲しいんだよねえ。

全然褒められ足りてないんだよねえ。

だから、ちょっとでも褒められると離れがたくなっちゃうんだよねえ・・・・。

たぶん、次の処分のときもあのお店に頼むんだろう。



今日は、お別れにつきものの悲しい気持ちにはならなかった。

だいぶうつ傾向からは脱してきてるんだな。

さあ、これで気持ちを切り替えて新しい環境にしていこう。

次に入れる家具は、しっかり吟味してコンパクトなものを選ぼう。

まずは子供部屋〜。

子供に選ばせたら思惑とは違って結構大型のものを選ばれて若干ヘコんだけど、そこは子供の領域だから。

私は私の領域を楽しく使いやすく整えていこう。
posted by 蝉ころん at 19:12| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月12日

お気に入りのもので生活すること

部屋がある程度片付き、あとは大物(婚礼家具とか)だけを残す状態になって、進行がとまっている。

ここまできて、なかなか動けないのは、自分だけで処分ができないものだからっていうのと、近所に見られるから。

電話をかけて見積もり依頼をしないと・・・・

なるべくいっぺんですませて終わらせないと二度とできない・・・・

あとで何か言われるかな・・・・

言葉にしてみたらこんなかんじ。



あくまで自分の意志で進めないと続かないから「捨てる」とか「片付け」系のHOW TO本は普段は買わないんだけど、昨日は、「持たない暮らし」って文庫を買った。

たぶん自分の背中を押したかったんだな。

読み進めていくと、すごい共感とともに、なんだ、私、これでよかったんだ、って思った。

割と早いうちから私の中にあったものと考え方がすごく似てる。

気に入ったものしか家に入れない、気に入らないものをとりあえず買わずになしのままで工夫する、とか。

で、私のネックもわかった。

他の人が持ってるものだと、なんとなく自分も持っていた方がいいような気がしてしまうこと。

人がくれると言うと、断れない、使わなくてはいけない気になること。

薦められると良いと思わなければいけない気になること。

これって全部縛りだ。

自分の感性より、他人の感性を優先しないといけないって考えが、本当は好きじゃないものを家に入れてしまう行動につながってる。

ここをちょっと意識して、自分でいいんだよって背中を押すように気をつけてみよう。

一から始めてみよう。




それで、またまたつながったこと。

元夫のことが、そもそも「薦められた人」だった・・・・。

そして元夫もそういう感じだった。実際、好きじゃなかったと言っていた。

お互いに、気に入るかどうかもわからないのに、世話になってる人、仲良しな人に薦められたから断ることができず、付き合い始めてしまった。

特に好きとも思っていない相手のことを、決定的な欠陥がないからってだけでそばにいて、常になにか不満をもっていた。

私は付き合っているのに不満を感じている罪悪感を消すために、一所懸命好きになろうとした。

私たちは別れを切り出す罪悪感から逃れるために一緒にいただけだった。

私に致命的な欠陥を見つけたとき、元夫は出て行った。私が故障したから、元夫の捨てる罪悪感がなくなったんだ。

そしてついでに元夫は、実家で使っていた数々の気に入らないものを置いていった。

親の思いが残っていて捨てることのできないものを、捨てずに処分していった。

私に捨てることの責任を押し付けて出て行った。




部屋のとっちらかりも、人間関係も、おんなじなんだな。

縁があって関わった人だから大切にお付き合いしようって、すばらしいことだから、そうなりたいと思って頑張ってきた。

でも、私はちょっと辛かった。無理してた。

私はそれで楽しいタイプじゃなかった。

元夫は私を自分の気に入る人間に変えようとしたし、私は元夫を受け入れられる私に変わろうとした。

二人とも、私を変えようとしていた。

元夫の実家がくれるものが大きな負担だったな。

ものすごく振り絞って断っても絶対もらわされたし、仕方なく使った。

使うたびに嫌な気持ちになりながら使ってた。

やっぱりやめよう、って、使わないようにしたら元夫は不機嫌になった。

私が使いたくないものを使わないと不機嫌になられることが悲しかったし辛かった。

私はなにも欲しくなかった。

私は自分で好きなものを選んで、好きなものが見つかったときに、高価なものでも思い切って買うスタイルなのに。

そういうことを何度も言っていたのに。行動もしていたのに。

勝手にチープなものをくれないでほしかった。無理矢理気に入らないものを買わせないでほしかった。



うん。

これも、実家と同じ。

勝手に、くれる。

ほしいものは、くれない。

私は、ほしいものしかいらなかった。

好きじゃないものを好きなものの代わりに渡されて好きなものをもらうチャンスがなくなるなら、そんなものは一切いらなかった。

好きじゃないもので満足しなければならないことが、とてもとても不満だった。

そしてそういう感性を、贅沢だと言われたんだ。悪いことだと責められたんだ。

せっかく買ってやるのにって。

あんたたちがたまたま気まぐれで与えたくなっただけじゃないか。

私が欲しいわけじゃないじゃないか。



いくらでも待てるのに。

本当に欲しいものが手に入るなら、いくらでも待てるのに。空けておけるのに。

埋め尽くさなければ取られていくスペース、そのときでなければ買ってもらえないタイミング、へそを曲げたら全部パアになる親の機嫌、そんなものに急かされて、とりあえずで埋めていた。

私に取ってはとりあえずでも、親にとっては、大切にしてほしい与えてやったものたち。

親を満足させるためには捨ててはならず、場所を占領する気に入らないものたち。

私は自分の気持ちより親の気持ちを優先して自分のまわりにものを置いていたんだな。

親の気持ちを優先して親と一緒にいたりいなかったりしてたんだな・・・。




最近、粗品とかを断ることができている。

逆に、欲しいものを自分から言ってみたりしたこともある。

そんなんでもいいんだなって思う。



まずは、使ってない大きな家具を処分しよう。

それから、目線が通るくらいの小さな家具を揃えよう。

時間をかけて探したらいい。

ゆっくりでいい。

今決めなくていい。

出会いがあったときが、決めるとき。
posted by 蝉ころん at 12:07| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

子供嫌いからみえたこと

部屋が片付いているようになったら、ひかるとのぞむが友達を呼びたいと言い出した。

子供部屋ができてからね、と保留している。

そうか。

私が、散らかっててほしかったのかもしれない。

部外者に立ち入って欲しくない。

わたしの場所。私の家に。

散らかった状態をキープすることで、言い訳を作っていた。

散らかってるから、入れたくないって。



子供部屋を作りたかったのは本当。

でもそれは、子供たちに居場所を与えて居間から追い出したかったんであって、子供たちが友達と遊べる場所を提供するためじゃない。

私は自分だけの場所が欲しくて、まだそれにしがみついていて。

自分の子供さえもテリトリーから追い出したいというのに他人の子供をテリトリーに入れるような余裕なんてない。



私の「子供」観は、たぶん歪んでいる。

子供は、大人の思惑に関わらず好きなように家の中を興味本位で見たがるし、勢いで動くから油断できない。

そして、遠慮なくストレートにものを言って、うちの惨状を言いふらす。

これは実際に子供の頃付き合いのあった子供たちによってできた「子供」観なんだけど、こういうことがまたいじめにつながったりしてるから、不信感が大きい。

偏った相手としか付き合いがなかったからよけいに偏った子供像ができてしまったんだろうけど。

私にとって、他人の子供というものは、私を侵略する存在に思える。

私は、子供っていう存在を恐れている。

私の方が、子供より自信がない。

子供に対して、こんなんでいいんだよって思えてない。

やっぱり、まだ思えてない。



他人の子供にどう見られようと、私という存在には影響はないんだろう。

でも私はまだ傷ついてしまう。

子供の何気ないストレートな物言いに、どうしようもなく傷ついてしまう。

それを自分のテリトリーでされてしまうなんて耐えられない。



ああ、それはまさに私の親のことじゃないか。

部屋と言って与えた私のテリトリーのはずの場所へずけずけと入り込んで、思ったままに私を傷つけて去っていく、親そのものじゃないか。

私の部屋をのぞいては散らかっていると溜め息をついていた母は、今ゴミ溜めのような部屋で何も捨てさせない。

あれだけやめてと言ってもたばこを吸い続けた父は、私が一人暮らしを始めたときに部屋へ呼んだら、たばこを吸わせないことに怒り、二度と来てやらないと言い捨てていった。

そんな両親を、付き合いのあった子供たちに映していただけだったんだろうか。



私はなんて、私の周りを鏡で埋め尽くしていたんだろう。

そこまでして周りを憎まなければいけないほど親を憎んでいたんだろうか。

そこまで私は親のことで頭がいっぱいだったんだろうか。

本当は私は親のことを考えたかったんだろうか。

憎みたいだけ憎んで、嫌いたいだけ嫌って、嘆きたいだけ嘆きたかったんだろうか。

それなのに、私が、思考が、親のことを閉め出したから、全部周りに映して八つ当たりしていただけだったんだろうか。





私は、たぶん、もう親からは守られているよね。

自分を守ることはできるようになっているよね。

それなら、もう、なにも怖がらなくていいんだよね。

子供は言いたいことを言うけど、私が傷つくことはないんだよね。

私はもう、あの頃の私じゃないから。

あの頃の私にとっては、他人の子供って存在は世界そのものだったけど、今の私にとっては、小さな存在だよね。

怖かったんだ。

世界そのものを乗っ取られるような。

私そのものを否定されるような。

あの頃の私はそんな恐怖をもっていたんだ。

大丈夫。

私は私でいい。

大丈夫。

怖くないからね。
posted by 蝉ころん at 18:10| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月03日

隠したい・見せたい

部屋を片付けだしたらパソコンが壊れかけて、片付けをしながらどうしようと考えて。

新しいマシンを手に入れたら、前のが型が古すぎてディスプレイにつなげなくて。

また片付けをしつつどうしようか考えて。

ディスプレイも別のを手に入れて、セットアップなんかしていたら、結構楽しいことに気がついた。

壊れかけたパソコンはお気に入りなんだけど元夫との因縁もあるマシンだった。

今度のは、完全に私が選んで私が買って私の自由にできる初めてのマシンだ。

わくわくするし、嬉しい。




私はこういう手あかのついていない自分だけのもの、ってのにすごくこだわりがある。

そうでなければ自分の意見が通らないと感じてるからなんだな、と思う。




さらに探ると、誰にも知らせずに隠しておきたい気持ちがある。

知られると、使われてしまい、使われると、自分がしたかったことをされてしまったり、傷をつけられたり、けなされたり、気に入られたり、返してくれなかったりする。

そして私のお気に入りが汚される。

そういうことをとても怖がっている。



さらにその奥に、実は見せびらかしたい、自慢したい気持ちもとても強く持っている。

見てほしい。

私が嬉しいことを。

私が好きなように、やりたいようにすることをとても喜んでいることを、ただ見守ってほしい。

これすごいの。これ面白いの。楽しいの。

ただそう言いたい。

そうなんだね、よかったね。って見ててほしい。

うん。だから、見せびらかしたいんじゃなくて、伝えたかったんだ。

ただ私が嬉しいこと。

ただそれをわかって欲しかったんだ。

だから、同列の子供相手じゃ無理だった。



私が伝えたいときにそばにいる相手は、兄であり、クラスメイトだった。

そんな相手に伝えようとするとどうなるか。

面白そう、やらせて。えーやだまだ返さないもーん。

なにこれ、つまんない。こんなのが面白いの。変なのー。

そうなる。子供だもんね。この反応に罪はない。

でも私にとってそれは侵略だったし、攻撃だった。

だから伝えることを封じた。



上の立場で、私が面白がっているのをただニコニコと見てくれる人に伝えたかったんだね。

そしたら私は喜んでまたウキウキと取り組んだだろう。

全てをオープンにしたままで何も不安を持たなかっただろう。



私は要求をする相手を見つけることができないままで、大人になってもまだ周りの人間に親の役割を求めている。

子供たちにも、触らせたくない気持ちと見せたい気持ちを持っている。

お母さんすごーいって言って欲しかったりする。

そのくせ、放っておいて欲しかったりする。

そんなのを、子供に求めたくなる私がいる。

すごいでしょ、ほら、見ててね、ほら、いいでしょう。

そんなことを言いたかった、言えなかった。

そういう気持ちがくすぶってる。

言いたかったなあ。

言いたかったんだよね。

すごいねえって、言って欲しかったんだよねえ。



ただにこにこと見守っている。

大きく咲いたひまわり。

お日様の方を向いているようでいて、頭を垂れて足下を見守っている。

明るい足下で戯れる子供たちを見守っている。

求めているのは、そんなイメージ。






で、前のパソコン。

データを移動しようと電源をつけたら、前回聞いた不穏な音は全くなくて、すごく順調に立ち上がってくれた。

まだしばらく元気に使えそう。

完全に壊れる前に伝えてくれたんだろうか。

辛い時期を乗り越えるのに力を貸してくれたマシン。

ありがとね。

もうしばらく、よろしく。

posted by 蝉ころん at 18:52| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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