2010年11月20日

片付け

あまりにも散らかっているので、自分のために少し片付けた。

のぞむがやってきて、「ありがとう」「ひかる、見て、お母さんがきれいにしてくれた」と言った。

それで、スイッチが入った。

なんでかわからなかった。

「ありがとう」でスイッチが入るって?

私は感謝も素直に受けられないのか?

掘る前に、まずそんな自分が悲しくなった。




でも、掘る。

私は、「ありがとう」と言われることに怒りを感じる。

「ありがとう」と言われて悲しくなる。

なぜ?

なぜ?

だって。

のぞむのためにやったんじゃない。

そこか。それか。

のぞむはありがとうと言って、私が片付けたところをまた平気で散らかす。

ありがとう。私のために場所を空けてくれて。

ひかると遊ぶための場所を空けてくれて。

場所がなくなってきて困ってたんだよね。

これでまた、思う存分おもちゃを出せるよ。

それくらいの意味をこめた言葉に、私が勝手に、自動的に受け取っている。

確かにそういう刷り込みを過去に散々受けた。

実家でも、学校でも。

だからそう感じてしまうようになった。




たぶん、今後結果的に感じたような状況になるのも予測できる。

予測はできるけど・・・。

やっぱり今の段階でそこまでに受け取ることはないね。

私は私のために片付けたんだし、私が気持ちよくできる時間が少しでもあれば、それだけで、片付けた成果だね。

そのうち子供たちが散らかすのは、今のあの子たちはそんな状態だから、そうなるね。

でも、それは、別の話。

今は、ただきれいになって嬉しかったから「ありがとう」なだけ。

「ありがとう」だけ、受け取ればいい。

そゆこと。




頭の中も、ちょっとずつお片付け。

目に付いたとこからひとつずつ。

posted by 蝉ころん at 20:00| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

ひかるの悪夢

ムカムカをうまく消化できなかった日の夜、ひかるは夢を見たらしい。

お母さんがぷんぷん怒って何かをしている夢だったらしい。

それでそのあとの会話。

「そっか、お母さん昨日おこりんぼだったからそんな夢みたのかもね」

「そうね」

「やっぱりおこりんぼになってるって思ってた?」

「まあね」

「そうだよね。ごめんね」

バレバレでぶつけてたってことで。まだまだだなあ。

ひかるは、私が怒ってるときは警戒してこんな話はしてこない。

しっかり私の機嫌をみて話してくる。

すっかり察知能力が身に付いてしまったことに、罪悪感を感じたりもする。だけどこれは、私の問題としてずっと私が持ち続けるもの。

それはそうとして、ひかるからこんな話が出来るのは、きっといいこと。

私も自分がおこりんぼになってたことを認めているのも、たぶんいいこと。

最終的にはこんな話がなくてすむようになるのがいいんだけど、まだまだそこまでは辿り着けないから、良くなってること、上向いていることをちゃんと確認しておこう。



そしてひかるの夢のことを考える。

ひかるは幼稚園の頃、夜中にときどき、突然泣き叫んで怖がりだすことがあった。

よくわからないことを叫んでいる中で、必ず、「お母さんがいい!」と言った。

大丈夫って声をかけても、揺さぶって起こしても、抱きしめても、なかなか泣き止まず、そのまままた眠ってしまう。

1年に2・3回のことだったので、そんなこともあるのかなと、あまり気にしていなかった。



小学生くらいになっても同じような夢を見ていたようで、起こすと「あそこにいる、怖い」なんて言うようになった。

幻覚みたいなものが見えていたらしい。

それは、私に重なっていることもあり、別の場所にいることもあった。

抱きしめたりしても、触ろうとすると抵抗することもあった。

相変わらず、「お母さんがいい!」と叫ぶ。

何ヶ月に1回かの頻度で繰り返すうちに、さすがに気付いた。

私が夜に爆発したときに見ているらしいこと。

たぶん、ひかるが見ているバケモノは私だってこと。

お母さんがバケモノに変身してしまったことに、ショックで泣き叫んでいること。

とにかく夜には怒りを抑えるようにして、だんだんおさまった。



本当はバケモノが私だって気付いたとき、私はすごく悲しかったんだ。

あの私は、バケモノなんだって。

ひかるにとっては、お母さんじゃなくてバケモノなんだって。

今はわかる。

これは、私の中の、怒りもわかってほしい、受け止めて欲しいっていう、ころんちゃんの感情。

ひかるに向けたらいけないことだけは、そのときもわかったから、自分の中に納めてた。



だからお母さんが怒ってたって言われたときは、ちょっと嬉しかった。

ひかるの夢の中で、怒っている私はちゃんと私の姿をしていたんだなって。

私の怒りのレベルが落ちたのと、ひかるが成長して私の中にそういう部分があるって言うことを理解しだしたのと、両方なんだろうと思う。

最近は、夢を見て笑っていることも多いひかる。

あのころの悪夢はもう数年見ていない。

寝相もけっこう悪くなった。

のびのび寝られる環境を与えることが出来ていなかったなって思う。

いつか、ひかるの夢の中のオコリンボ母さんもいなくなればいいな。

オコリンボは私の中だけで暴れさせられるようになったらいいんだから。



いろんな形で、私に気付きをくれる子供たち。

いつまでも鏡させてないで、私が先を行けるように。

お母さんばっかり見てないで、自分たちのことを見つめられるように。

そんなふうに思う。

posted by 蝉ころん at 16:43| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

存在価値とかそういうの

ときどき自分の心の状態にアンテナを張りながら生活してみている。

今日は、そろそろ晩ご飯、というときに、「ご飯だから片付けてー」と言っていたとき。

子供たち、聞かない聞かない。遊ぶ遊ぶ。

何度言っても。

今日はおやつがちょっと多めだったから、お腹空いてなかったんだろう。

全然聞かない。

もういいやって感じになって放っておいた。



私はなんだかモヤモヤしていた。

この聞いてくれない感じ。

声を出しても届かない感じ。

それでいて、私には絡んでくる感じ。

私の体はそこにあると認識されているのに、私の声は届かない。

ただの個体でしかない。

子供は正直。

お母さんが必要ないときは、お母さんの声なんか聞こえやしない。なんか言ってる音がする、くらいのもの。

それはそれで健全なんだと思う。

軽んじてるわけじゃなくて、ただそのときは自分のことに夢中なだけで。



ただ私は、そうされることに不快を感じる。

親として、しょうがないなってふうには思えてない。

個人として、聞いてよ!って、なってる。

集団の、1個人になってる。

ひかるとのぞむの集団対私個人ていう図式。

これはスイッチの入る状況なんだね。



状況のスイッチって、相手がどんな人とか関係ないみたい。

子供だろうが、大人だろうが、家族だろうが、誰でもいいみたい。

ただ、複数の人間がいること。

そんで、集団がもりあがってるだけなら、全然気にならない。スイッチ入らない。

その状況で、私の発言が完全にスルーされたとき。

そこでスイッチが入ってるんだな。

その状況で急に気分が落ちる感覚、確かに何回も経験してる。

あの、物体だけはあることになってて、心があることは認められてない扱い。

私は、なに?っていう感じ。

相手に対してどうこうって感情じゃないみたい。

ただ自分ってものの存在のなさ、必要のなさを突きつけられる感じ。

自分の存在に対する自信の揺らぎみたいな感じ。



正体はそうとして。

大丈夫。

私はそこにいるし。

私がそこにいることは、周りが私を聞かないことの影響を受けない。

私のこととは関係なく、たまたま盛り上がってて気付かれてないだけ。

子供は、まだ楽しいときに人の話を聞けるほど成熟してないだけ。

私は私を聞いてるし、感じてるから、大丈夫。

posted by 蝉ころん at 22:12| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月16日

外食中のできごと再考

週末のあの感じを思い出す。

自分でビックリした、あの、いきなりのムカムカ。

やっぱり、ハラッサーが相手に叩き付けるときに怒る名目は、口実に過ぎないんだって実感した。

とにかく目についたことを怒って、怒りを出してしまおうっていうだけなんだ。

直前になにか気に障ることがあったらそれしか原因に思えないからそれを口実にするだろう。

だって本当になにもないところに突然ムカムカが沸いてたもの。

しかも、怒りが去って普通の感覚に戻ってしまえば、あのムカムカの感覚は残っていない。

記憶には、ただ、口実として使った相手の失敗の事実と、少し怒り過ぎたかも、くらいの情報が残る。

頭はそういうふうに出来ているみたいだ。



頭ってのは、何かの状況をキーにして、過去の情報と結びつけて、導いた対処法だけをポンと体と心の反応として出してくるらしい。

たぶん、その、利用する過去の情報がまずいんだ。

現状と似ているように判断されてしまっているけど、実は現状とはまったく違う経験を利用してしまってるんだ。

恐くないはずの状況で、恐かった過去の出来事を利用しているし、楽しい状況で、緊迫した出来事を勝手に持ち出してくるし、困った状況なのに、ふざけてなぜか場が和んだ経験を使おうとするし。

頭が、勝手にやってる。

勝手に、適切でない対応の経験を、過去の成功事例として持ち出してくる。

「こうしよう」が頭に浮かぶんじゃなくて、すでに「こう」しちゃってる状態で現れてくる。体(動き)も、心(気持ち)も!

しかも、その経験を選ぶ過程はまったく意識に上らないから原因は目の前にあるように思うし。



だから、困るんだ。

確かに私が育った家ではその方が安全だった。

何度もその対応をしてきた。

でもそれは、すごくねじ曲がっている対応で、混乱の原因になってるんだ。

適切な対応はまだ自動的にはでてこないんだから、いちいち修正していくしかない。

そして、頭の中に新しい経験をたくさん仕入れて、古い情報よりも新しい情報を勝手に選ぶようになるくらい、経験するしかない。

学ぶというより、無意識を相手に教える感じ。

自然に出てくるほどに身に付くまで、じっくり教え込む感じ。

そんな感じで。

やっぱ先が長そう。

posted by 蝉ころん at 19:00| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

原因不明なイライラ

昨日は外食した。

ひかるものぞむももりもりよく食べ、それを見ながら私もなんとなく、あー、こういうのが幸せって感じなんだなーとか思いつつ楽しく食事してた。

ふざけたり、こぼしたり、なんだかんだとありつつも、楽しく食事していた。

のぞむもひかるも食べ終わり、残ったものを私が平らげているとき、自分の心の状態が変化していることに気付いた。

なんだ、このムカムカ、イライラは・・・・。

ひかるが話しかけてくることに生返事をし、よりかかってくるのぞむを押し返す。それでもたぶんマシな対応。

意識ができていなかったら、何かに理由をつけて怒鳴りつけていたんじゃないか。たぶんいつもの私ならそうなっていた。

表層化を抑えながら、心の中を探った。

何が根っこだ?

今日は、注文もちょっと多めで、残るだろうことは予想もしていて、私が食べられるな、と思っていたし、ひかるが残したことが直接のきっかけじゃないはず。

状況としては、私が1人だけ最後まで食べている、という形だってこと。

そのへんか?と思って探るも、とっかかりが掴めない。

ずっと気になって、寝るときも探ってみたけど、気が付くと違うことを考えていたりして、実は取り組ませたくない、妨害する感じがある。

ちょっとこれは根が深いかもしれない。



実家で一番食べるのが遅いのは私だった。

外食すると、私がいつも最後まで食べていて、それをきっかけに父がイライラし始めた。

学校では、給食はいつも一番最後、掃除中も砂っぽい中で食べていた。

食べるのが遅いのを知っているのに、食が細いのに、量はしっかり食べさせられた。

残すことに罪悪感があった。



証拠としてはこれくらい揃っている。

でもなんか、ピンとこない。

なんか、違う感じ。

なんか、見当違いのところを掘っているような感じ。

ここはちょっと保留かな。

違う視点を手に入れたら、また探ってみよう。



とにかくイライラを出しちゃう前に状態の変化に気付けたじゃないか。

それはなかなかの進展じゃないか。

あそこまで無意識に変わってるなんてちょっと驚きだった。

でも一回経験したから、だんだん気が付くことが増えてくるだろう。

また一歩。

これからも一歩一歩。

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2010年11月13日

描くこと

子供の頃から、絵を褒められると嬉しい気持ちと、苛立ちがあった。

私は自分の作品を上手いとはあまり思っていなかった。

ただ、表現したかったことを描き出せたか、そうでないか。

そこが納得いくかどうかだった。

だから、納得がいっていない絵を褒められても嬉しくなかったし、納得いった絵を褒められても、なにかのズレを感じていた。



一時期、美術系の進路をぼんやりと希望していたことがある。

でも美術系に進むにはすごい勉強がいるんだと聞いて、なんだかやる気がなくなってやめたんだった。

そんなに簡単にやめる気になったんだから、私はそっち系のことがそんなに好きなわけじゃないんだと思って、距離を取るようになった。

頭でっかちな決め付けで、自分の心には聞かなかった。



私にとって、絵ってなんだったんだろう。

別に上手くないしとか。

完成させるのめんどくさいしとか。

決まった時間で終わらないしとか。

私はきっと才能がない。そんなに努力する気もない。成功するはずもない。

だから、やってる価値もない。意味もない。

そんなふうに思ってたけど。



小さい頃。

私にだってあったはず。

歪んだ丸の中に、点をふたつ、線をひとつ引いて、お母さんの顔を描いたことが。

絵ってそういうこと。

「私はお母さんが大好きなの」

私にとって、絵ってそういうもの。

言葉で表現するのが上手くない私が、私の気持ちを表現するためのもの。



技術なんかいらない。

評価なんかいらない。

点数も賞状もいらない。

具材なんてなんでもいい。

ただ、私の心を表現できたかどうか。

私の思いが乗っているかどうか。

今だって、丸に点々とカーブを描くだけで、涙がこぼれることもある。



ああ、やっとわかった。

中学のとき、友達を描いた肖像画に修正を加えられたときの怒り。

それをまた先生の独断で展覧会に出されて、絵は戻ってこず、入賞の賞状になって帰ってきたときの怒り。

私にとって、ただ、絵が自分の手で完成すること、それを友達にあげたいと思っていたこと。それが大切だった。

私の、「私は、あなたのこと大好きなんだ」の気持ち。

あそこまで気持ちを載せられた絵は、あのときが初めてだった。

ラブレターかよ。ラブソングかよってほどに。

それを、ただの、量産された賞状と交換されてしまったこと。

私の伝えたい想いを載せた世界でたった一枚の絵は、たぶんもうどこかに捨て去られている。

そんなふうに私の思いを扱われたことが許せなかった。



先生もきっとわかってたんだ。

私が想いを載せて描いていたこと。

だから、他の人にはどんどん手を入れるところを、私の絵にはほとんどアドバイスだけだったし、手を入れられたところも、本当にちょっとだった。私が慎重になり過ぎて表現しきれていないものを、こうしたら表現できるのにって、教えずにいられないみたいな感じだった。でもそれで印象が大きく変わってしまったから、私は素直に受け入れられなかったんだ。

そして、それくらい想いを載せていたからこそ、選んでくれたのかもしれない。

すれ違っちゃったけど、わかってくれていたんだってことが、わかれてよかった。

あの出来事は、そういうことだったんだな。

これでやっと、あの出来事を思い出として片付けられる気がする。




ただ、私のそのときを表現したいだけ。

それが私が絵を描くこと。

それが私にとってかなり大切な事だったんだってわかった。

やっぱり好きなことだったんだってわかった。

それが嬉しい。

嬉しい。

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2010年11月12日

私の記憶力ってやつ

私の記憶力、特に身近な出来事についての記憶力が低いことの原因がなんとなくわかったかもしれない。

私って、友達もほとんどいなかったし、親も兄弟も私と話なんかほとんどしなかったからっていうか私の話なんか聞かなかったから、私はその日のこととかあんまり話したことがない。

そういえば覚えてる。

学校から帰って、ねーねーって話しかけても、あとでねって。

すっごく嬉しいことがあって、るんるんで帰っても、家の中は真っ暗で。

楽しいことがあっても、辛いことがあっても、分かち合う人がいなかった気がする。

大人になってもずっと聞き役できたし。



記憶する意味がなかった。

伝えたい、共有したいことがあっても、伝える相手は存在しなかった。

なんのための記憶?

伝える相手がいないなら、引き出す機会がないのなら、記憶する意味もない。

たぶん、記憶はあるんだろう。データとして。

アクセスする機能がすごく低能なんだ。

引き出されないから。

私の記憶は、雑学とかそんなんばっかり。

なにって、実行できること。

人生の参考にできるようなこと。

人に伝えるための記憶じゃない。



なるほどなーと思った。

これも改善していけることだな。

posted by 蝉ころん at 15:19| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月11日

傷あと

どうも私の中には細かい細かい爆弾がたくさんたくさんあるらしい。

私の傷つきの場所はほとんど家庭と学校。

そのどっちもで、私は母性を求めてさまよっていて、全力ですがっていたために小さな出来事でもとても大きな傷になってしまったらしい。

今まで爆発の発端になったことってどんなことだろう?って思ったので書いてみる。

・責任をなすりつけられること
・人の仕事を押し付けられた上に感謝されないこと
・不当に待たされること
・嘘をつかれること
・理解したつもりになられること
・無視されること
・親切の押しつけ
・うるさくされること
・道具扱いされること
・オンナノコ扱いされること

列挙してる最中から怒りで手が震えてくる。

それにしても、細かいことばかり。

それこそ自己嫌悪が沸いてきそうな細かいことばかり。

怒鳴られたり、殴られたり、は、地雷になってないことに気が付いた。

そっちは怖いだけで、怒りには繋がってないような。

ああ、なんか、これか。そうか。

私は、周りに理解されない形でやられることにものすごく怒りを感じるんだ。

だから、細かいことばかり。

それくらい気にする方がおかしいって言われるようなこと。絶対わかってもらえないこと。

理解されない経験が続いて、自分の中で整理が付かなかったんだ。

でもこれってモラハラの真髄とも言えるやり方じゃん。

私は小さい頃からモラハラ被害に傷ついてたんだな。



私が境界線を踏み越えられたと感じたこと。

それで傷ついたこと。

それを、周りの人に理解してもらえなかった。私の感じ方を承認してもらえなかった。

二次被害ってやつだ。

それをずっと、子供の頃から、家庭内とか学校で受け続けてきたから。

私の学校不信、組織不信みたいなのはここからきてるんだ。

たぶんこっちの方が重いんだ。

どうせ私を受け入れない社会、って思ってる。

なにか嫌なことをされると、自動的にそこまで意識がいってる。くっそーこんなのどうせわかってもらえないって。

違う。私が思ってる。こんなことでいちいち腹を立てている自分に怒ってる。

あーくそ。頭が繋がんない。妨害されてる。

繋がんない。バリヤー張ってる。固くて掘れない。

なんかわかんないけど、怒りを正当化してる回路がある。たぶん。

ほどくのはそこだ。

今はまだタイミングじゃないのかもしれない。




話を戻して。

そういえば被害者だった頃、同じようにモラハラを受けている人たちが、二次被害を受けているのを不思議に思っていたことがある。

なんでこの人たちはわざわざ、理解してくれるはずのない人に話しにいくんだろう?わかってくれないのが当たり前なのに。

なんて。

私にとってはそうだった。理解されないのが当たり前の中で暮らしてきた。

でも、他の人たちは違ったんだ。

理解してもらえるだろうっていう信頼を持ってたってことなんだね。

だから話すことが出来たんだね。

それで、現実の中でも理解者を得ることが出来た人たちもいた。

私は話せなかった。

理解されない社会がスタンダードだと感じていたから。

相談なんてできない。決めるのは自分。

そうやって生きてきた。たぶん今も。




相談することが一番高いハードルだった。

傷ついた、って言うことそのものが怖かった。

誰にも話したくない。

誰にも否定されたくない。

それなら自分で相手を責める方がいい。

責めて受け入れられなければ悪い人ってことにできる。

それなら、もう一度傷つかなくていい。

相手が悪いんだってことにして、自分が傷ついている事実から逃げた。

怒りに逃げた。




きっと何気ない言葉。

私が一番傷ついてきたのは、すごく軽い言葉。

忙しい合間に、適当に放った一言。

それだけなら、きっとほとんど意識されないような。

私自身も気付かないくらいの言葉。

そんなのが積み重なって、積み重なって、爆弾が幾つも幾つもできた。

爆弾になんてならなくてすんだかもしれない小さな出来事が、大きく繋がってしまった。

根っこはきっともっと小さくてきっと見つからないだろう。

すり傷みたいなものだったんだ。

水で洗い流してしまっていれば何ともなかったようなこと。

傷を負うたび、小さな小さな砂つぶが、傷の中に潜り込んで忘れ去られた。

同じところを擦りむくたび、また砂つぶが入った。

痛いよって言う度、それくらい平気でしょって放っておかれた。

だんだん、砂が溜まっていって、中でおかしいことになっていった。

他人からは、すり傷にしか見えない。

でも治そうと思ったら、砂つぶを全部出さないといけない。

出しても出しても、まだ入ってる。

ずっと続く。

いつまで続くかわからないけど、ずっと続く。

深くにいくほど、痛みも大きい。

傷を開けて探さないと砂つぶは見つからない。

自分で傷を広げて、痛い痛いって大騒ぎして。

バカみたい。

バカみたいって思ってる自分にまた傷ついたりして。

ほんとバカみたい。

でも大事なこと。

私にとっては大事なこと。

辛いし嫌だし挫けたい。もうこのくらいでいいじゃんとか思う。

でも負けたくない。治したい。良くなりたい。

なにかあるたびに飛び上がるほど痛いのは嫌だ。

子供のひとことで窓ガラス割りたくなるほどの破壊衝動が沸くのは嫌だ。

私だってにこにこ平和に笑って暮らしたい。



ちゃんと治して、過去の傷跡にする。

嫌だって言おう。悲しいって言おう。辛いって言おう。

嫌だったのって話そう。悲しかったんだって話そう。辛かったって話そう。

ちっぽけなことなんかじゃない。

大切なこと。

うん。

posted by 蝉ころん at 11:19| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月10日

ちょっと弱音吐く

親の世代が羨ましい。

自分の葛藤を下の世代にぶつけてよかった人たち。

子供を道具として使ってよかった人たち。

あれは間違いなんだと思ってやってきたけど。

羨ましいと思っている私も存在する。

私だって、誰かにぶつけてせいせいしていいならぶつけたい。

そして無意識にそれをやってきてたわけだし。

でも。

それはいけないことだと理解してしまった。

自分がしていると気付いてしまった。

悪い自分になるのは嫌だ。

自分を嫌いになるのも嫌だ。

それで逃げ場はなくなった。



逃げ場がほしくなってる。

疲れた。

変なの。

仕事もしてないひきこもりなのに。

疲れただって。

変なのー。




心の工事は大変だ。

頭の中に手を突っ込んで、間違って繋がった回路をプチップチッて繋ぎ直せたらいいのになー。

せめて全行程のどこらへんまで進んでるのか見えたらいいのになー。

なんて。

こんなこと書いといて、たぶん明日には復活してんだろうな。

posted by 蝉ころん at 10:15| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜中に考えたこと

昨日の夜考えてたこと。



私は母が好きだったな。

母からの好きは感じられなかったけど。

幼稚園くらいまで、母は私の好きを受け取ってくれてた。それなりに。

一緒にいれる時間もあったし、アイコンタクトはなくても、そばにいられた。

小学生になって、一気に受け取ってくれなくなった。

一緒にいる時間がほとんどなくなった。

会話もなくなっていった。

私の乳母がわりだった兄も私の相手をしなくなった。

私は好きを向ける対象を失った。

空いた時間をただ、埋めるだけになった。

誰もいない空間を無視して没頭するだけ。

私の好きはどこに埋まったんだろう。

今はどこを向いてるんだろう。

私の大事なエネルギーの源は。

それとも私は、見つけたくないのだろうか。

今まで色々掘ってみたけど、「好き」は出てきたことがない。

本当にあるんだろうかなんて思う。





うつ状態だったときのこと。

辛かったのは、うつじゃなかった。

休めば動けるようになるのは自分ではわかってたから、動けないのが辛いんじゃなかった。

動けないことを許されないことが辛かった。

病院でうつの診断をもらってからも、辛さは同じ。

休みたいだけ休めればよかった。

でも、元夫からは全力で治そうと努力することを求められていた。

全力で薬を効かせ、早急に回復させるために休まねばならなかった。

そんなのが辛かった。

私のうつ状態は潜伏してる。

私の中に、常にある。

必要に応じて出てくる。

子供の頃から頻繁にあったから、そういうことも知ってる。

だからどうやったらよくなるかもよく知ってた。

私が回復のためにしていることは周りにはなまけてるとしか見えないことも。

そんな「周りの人間」が見張ってたのが辛かった。

私の思いを理解してくれない人間が一番身近でコントロールしてこようとしていたのが怖かった。




夜は寝付き損ねるといろいろ考える。

昼間ならあんまり浮かばない、ダークなことが多い。

それはそれで、夜ならではのことで、いいのかもしれない。

posted by 蝉ころん at 09:52| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

こっちだった

わかった。

なににイライラしてたか。

さっきのは違う。

ひかるが、私のせいにしたからだ。

朝、登校時間を過ぎたあとに声をかけたとき、私が出すべきものが出ていないと言ってきた。

まだ提出期限がきていない提出物だ。

私は、ひかるが本当は何を気にしているかを知っている。

だからこそ、イラついた。



私のせいにされた。

私の不備を、ひかる自身の罪悪感を逃がすために利用された。

自分で背負え!っていう怒り、だった。

お母さんが出してくれないから、怒られるし、ヤダなー。ってことにしてるけど。

本当は、自分の理由で行きたくない、行けない、どうしよう。でしょ?

私のせいにしているうちは直面しないで済むから。

お母さんが出してくれないからだもん。って。

ふ・ざ・け・ん・な



こういうの嫌い。だいっきらい。

どれだけ肩代わりしてきたか。

どれだけ肩代わりして無意味に怒られてきたか。

なんで今?

なんで私?

え?今なにがおこったの?

なんで私こんなことになってんの?

冤罪、濡れ衣、スケープゴート。

なんでもかんでも私に背負わしてみんな無事に逃げ延びた。そして横で笑ってた。

あいつらへの怒り。

簡単に騙される責任者への怒り。

本物の犯人はあいつなのに。

背負うべきはあいつなのに。

私は「いつもの子」だから、どうせまた「いつもの子」が面倒を起こしたんだとしか思われなかった。

事務処理的に怒られた。

とりあえず「いつもの子」を怒っとけば解決したことにできるからって、適当に怒られた。

代わりに怒られてやって、さらに馬鹿にされる屈辱。



大っ嫌いだ。

擦り付けたやつも、信じる大人も、知ってて見てるだけの傍観者も、話を聞かない連中全部も。

絶対許せない・・・!!



悪くなかった。

私は悪くなかった。

私はまだ未熟で、弱くて、自分を助けられなかった。

圧倒的多数と、強権を持った大人には敵わなかった。

私は不当に背負わされてきた。

下ろそうとしても下ろそうとしても、勝手に背負わされた。

私の荷物を落してまで背負わされた。

まだ収まらない怒りを持っている。

あのころのあいつらに対して。

あいつらはまだ許せない。

許せなくていい。

posted by 蝉ころん at 14:08| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

目を逸らすもあり

ただいまひかるが現実逃避中。

そしてそれに付き合わされ気味。

それがとてもイライラする。うざい。

これは私がひかるの問題に影響されているからイライラするんだってことで。

今はそれどころじゃないはずでしょう?

とか

そんなんじゃなくって本当に気にかかってることがあるんだろ?

とか

そんなことが頭をぐるぐるしててひかるの話もろくすっぽ聞いちゃいない。

ひかる自身もそんなに聞いてもらいたくて話してるわけじゃない。

ただ目を逸らしていたいだけ。

目を逸らすための道具が欲しいだけ。

それそれ。

道具だ。

道具にされてる感じ。

人間じゃない。私じゃない。道具。



今はそんな場合じゃないはずなんでしょう?

目を逸らしていたいだけなんでしょう?

それで私を目を逸らす道具につかって、それで、結局は・・・・

私のせい?

知るかよ!

そんな切羽詰まってるなんて私知るわけないじゃん!

私を巻き込むなよ!

あんたの問題でしょう!

あんたが見たくないと思うのは、あんたの問題でしょう?

そんなことまで責任を押し付けないで!

私をいいように利用しないで!

「だってころんが・・・」

って言われる度に「ええええええ????」て思ってた。

私のせいじゃないよ。

逃げたきゃ自分の責任で逃げな。

巻き込むために私を産むな。

言い訳のために私を作るな。

そんなことのための命ならいらなかった。

私はいらなかった。



私は、私をいらなかった。

ああ、またここに繋がった。

ここ最近、ずっと、掘るべきか迷っている引っかかり。

でもまだ時期じゃないと思っているから・・・。



今日はひかるとのこと。

ひかるは逃げたいってことにも自覚なく逃げている。

それに私は付き合いたくない。

私と話したいわけじゃなく、ただ時間を流したいだけの脈絡のない話を延々と聞かされるのが辛い。

ひかるの母親として、ひかるの心に傷をつけた人間として、それに付き合わないのはどうなんだ?と考えている。

私が傷をつけたから、ひかるはこういう行動をする子になったのに、その結果を引き受けないのはどうなんだ?って。

これが、私の辛さの原因か。

また自分を縛ってる。

これはひかるの問題だった。

ひかるは自分の問題と向き合う権利がある。逃げる権利もある。

私は、ただ私が引き延ばしに付き合うのが嫌だってこと。

私は道具にされたくないってこと。



私とひかるの関係が加害者と被害者だってことも忘れちゃいけないけど、縛られないこと。

それより先に人間と人間ってことが大切。

何度でも確認しながら進もう。

posted by 蝉ころん at 10:25| Comment(0) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

認められなかった・認めたかったこと

やってしまった。

ひかるの言葉を反射的に突き返してしまった。



自分を非難していても地雷を放置しているだけ。

とにかく掘る。

ひかるに突きつけられたのは、責任の所在。

私を責めるニュアンスを無意識に感じて突き返した。

怒りは感じていなかった。

怒りよりも、恐怖が近い。

「私知らない!私じゃない!」

そう。

ぞくっとくる感じ。

全体から責められる恐怖。

私1人だけが断罪される恐怖。

「違う。私じゃない。私じゃない」

「私だけが悪いんじゃない」

誰も聞かない。

私の釈明なんか誰も聞かない。

ほんのカケラでも自分の罪を認めたが最後、全てが私の罪になる。

全員から全てを背負わされる恐怖。

認められない。

怖い。

誰も聞いてくれない。

私だけ通じない言葉を喋ってるみたいに誰も私の言葉を聞かない。

子供の自主性に任せるなんて言って、やりたい放題させる先生は当然手を差し伸べたりしない。

ただ責め立てられて有罪判決が下る。

そしてそのまま罪人としての毎日が続く。

一度着た汚名は消えない。



最初から認めちゃいけない。

絶対に認めちゃいけない。

私は何も悪くない。

私は何もやってない。

絶対やってない。

ほんの少しも認めちゃいけない。

絶対にやっていない。



認めることに強烈な恐怖を感じるようになった。

認めることは、私自身を差し出すこと。

私の中で、認めることは罪になった。

やったかやってないか以前に、私は認めてはいけない。

私は私に認めることを禁じた。

必要のない環境でも自動的に働く声。



もう、いらない声だ。

いらなくなったんだ。

もうそんな声に怯えなくていい。

ずっと怖かった。

怖かったんだ。

怖くて怖くて認められなくて、それでまた自分を責めた。

私にだって責任はあったのに!

全てを負わされるのが怖くて逃げた!

私は逃げた!

私は卑怯者だ!

そんな声も聞きたくなくて、叫ぶように否定した。

私じゃない!

絶対私じゃない!

私は絶対悪くない!



知ってた。

私も悪かったこと。

全部じゃなくても、私にも責任があったこと。

言いたかったのに、怖くて言えなかった。

怖かった。

でももう怖くない。

もう、認めることができるよ。

私はちゃんと言い分を聞くよ。

もちろん責任は免れない。

でも私の分だけの責任を負えばいい。

他の人の分まで負わされることはもうない。

ちゃんと目を開けて見てみれば、そんなに重いものじゃないって、見えるよ。

怖くないから。認めよう。

認めてみよう。

「私です」って、言えるよ。

私は認められる。

posted by 蝉ころん at 21:36| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

後始末の人生

部屋がとことん散らかっている。

食事あとの食器が次の食事前まで積みっぱなし。

決して私の好きな状態じゃない。

片付けというものに気が乗らない。

逃げている。

そんなことを感じながら、昨日の深夜に目が覚めて、見つけたこと。



私は自分の人生を、両親のしたことの後片付けだと感じていた。

いつから芽生えた気持ちなのかわからないけど、あった。

私はあんたたちの後始末のために生きてるんじゃない!!

散らかされた部屋も、洗われるのを待っている食器も、いつも山積みになっている洗濯物も。

全て、私の人生と同じ。

彼らの欲求の結果として作り出された命。

そんなふうに捉えている自分がいた。

そしてそれを封印した私。

人の子として思ってはならない感情として封印した私。



私に会いたかったからだって、信じたかった。

私のことを好きなんだって信じたかった。

でも私には全くそうは感じられなかった。

子供が好きだから子供が欲しかったんじゃなく、子供が必要だから子供を作ったんだとしか思えなかった。

絶望しても絶望しても、忘れ去って信じた。

信じるために、確かめることを諦めた。



私は、ただの結果。

作られてしまった以上、生きねばならない人生。

そこにいなければならない命。

あの両親の子供に産まれた者としての後始末の人生。

そんなふうに自分を捉えていた私がいた。

そんな結果でしかない自分が嫌いだった。

ひねくれもののひねくれた者の見方として、表に出さずに封じ込めた私の人生観。



そう感じていたんだもの。

そう感じるくらい辛かったんだもの。

そう思ったっていいじゃない。

愛されてるなんて感じられなかったんだもの。

嫌いな物をプレゼントされても喜べない。

押しつけを愛情と言われても満たされない。

それでいいんだ。

私はそう感じた。

信じたいことと現実に感じたことは全く反対のことだった。

それをちゃんと感じていた。

それはそれで、いいんだ。



でもね。

私の人生は、後始末なんかじゃない。

生まれたそのときから、私の命は私のもの。

誰のためでもなく、私のために生きよう。

私にとっての私を生きよう。

私のことは、私自身で愛していったらいい。

もう私は、私の命を嫌いじゃないよ。大好きになったよ。

あの人たちは放っておいたらいい。

後始末は自分たちでしてもらおう。

二人とももう大人なんだからね。

posted by 蝉ころん at 11:29| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

子供への嫉妬

嫌だなあ。

子供たちと関わるのが、今、すごく嫌。

生理前なのもあるかもしれない。

でもそれだけじゃなくて。

今、「子供と関わるのが嫌な自分」を認めるときに来てるんだと思う。

だからといってもちろん放り出すわけでなく。

子供との関わりを保ったまま、「子供と関わるのが嫌な気持ち」を、消化していく時期なんだと思う。

もともと、子供の頃から子供が嫌いだった私。

重ねてる部分ももちろん、ある。

それだけじゃなくて、嫉妬。

「平等に扱え」欲求が強い。

これは、直接子供に向かっている感情じゃなくて、子供に関わっている親や学校、社会全体に対する怒り。

それがねじ曲がって向かっている。

なぜ、私に許されない行為、権利、私なら罰せられるようなことを、あの子供は堂々と許されるんだ?

なぜ、誰も罰しない?

おかしいじゃないか。

なんで罰を与えないんだ!

なんで許されるんだ!

憎い。

許せない。

許さない。

これはたぶん、兄に対する怒りか。

私より先に生まれ、まだ小さかった兄は、私が必要とする母の助けをことごとく奪った。

母の視線も、母との会話も、母の膝も、母と遊ぶ機会も、おもちゃも、期待も、母に反抗することさえも。

私は兄がこんなにも嫌いだった。

私に許されない権利を全て手にしていた兄。

嫉妬をずっと持っていた。

ちくしょう。

お前ばっかり。

先に生まれたからって、男だからって、何がそんなに偉いんだ!

私だってできる!

お前が出来ることなら私だって出来るんだ!

お前だけが偉いんじゃない!

なんで私だけダメなんだ!

なんでお前はいいんだ!

おかしいじゃないか!

許せない!

なんでもかんでも、私の前で見せびらかしやがって!!!

そんなに私が羨ましがるのが面白いのか!

悪趣味!変態!性悪!

お前なんか嫌いだ!

大っ嫌いだ!

どっかいってしまえ!

お前さえいなければ・・・!

いなかったらよかったのに!





私は同じようなことを兄に直接言われたことがある。

兄は兄で私に対してコンプレックスを持っていたのは薄々知っていた。

でも、言葉にできただけ、兄の方が良かったんだろうか。

親に対しても、反抗心を表せただけ、兄の方が良かったんだろうか。

私はどっちも今頃やっとだ。

やっぱり私は兄が羨ましい。



私の子供たちのことも、羨ましい。

羨ましがっている私がいつもいてる。

私は多分、色々なことを後悔もしている。

後悔したくないと思って生きてきたから、後悔していないことにしていただけだ。

私は過去に、未練たらたらだ。

たぶんこれも私らしいことなんだ。

そんな私でいいじゃないか。

羨ましいことは羨ましいといいながら、未練があるなら時々振り向きながら、それから前を見たっていいじゃないか。

posted by 蝉ころん at 18:43| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月01日

浸食

部屋がとっても散らかっている。

私のものじゃなく、子供たちのものが散乱している。

だんだん、私のスペースがなくなってきた。

ちょっと前から気付いていたけど、これは実家での状態の再現だ。

気に障るたび、掘り起こして書いて、怒りとか悲しみとかを出してきたけど、まだ残っていたらしくて、昨晩は、ちょっと行動に現れた。

私のスペースに置かれた子供たちのものを、乱雑にバサッ、ドサッ、ガシャッと音を立ててどかす。

やりながら、ああ、これは、実家で本当にしたかったことだな、と思った。

そのあと、また子供たちが寝付いた布団の中で、続きに思いを巡らせた。

中学生頃から私はずっと実家では片付け役だった。

私のスペースに物が置かれていても、私はそれを丁寧に、適切な場所に片付けた。

何度私の場所を占領されても、粘り強く片付けた。文句も言わずに片付けた。

言っても誰の心にも響かず、何かの騒動を引き起こす不快のタネになるだけなのを知っていたから。

その頃には既に体も大きく声も大きく、既に私では太刀打ちできない力を持っていた兄に対しても、私はどこかで恐怖心を感じていた。

兄は既に思春期に突入し、反抗心とともに怒りを親にぶつけるようになっていて、私に向けられたことのないその怒りに対して、恐怖を感じていた。

私は怖かった。あの家庭に存在するのが怖かった。

なるべく主張せず、目立たず、それでいて、受け入れられたい気持ちもあり、ただひたすら私の存在場所を、自分で空けた。

私の場所をくれない家族に怒りを感じつつ、どうかここに入れてくれ、と思っていた。



夜、夢を見た。

実家で、あの、むかし暮らしていた、物が散乱したあの部屋で、私は両親と兄に、散らかった物をぶつけまくっていた。

直接顔に向かって、怒りを叫びながら、私の場所を埋め尽くす物を次から次から拾っては投げていた。

お前が片付けろよ!

お前の物じゃないか!

捨てたら怒るくせに、私の場所に置くな!

そんなに私にいてほしくないのか!

それなら殺せば良かったじゃないか!

私がいらないんだったら、産まなきゃ良かったじゃないか!

この家に私の居場所なんか、どこにもないじゃないか!

私なんかどこにもいないじゃないか!



相手の顔も見ず、声も聞かず、必死で叫び続けていた。

私はまだ怖がっていた。

夢の中でさえ、私はまだ怖がっていた。

あそこで自己主張するということは、それだけの覚悟がいること。

仕方ない。私はまだ彼らのターゲッティングから外れてはいないんだろうから。

怖いものは怖くていい。

私は、父が、力に訴える可能性のある人だと知ってしまっているから。

怖いものは怖いんだ。

夢の中ででも怒りを表明できたのは、やっぱりすごいことだ。

よくやった、私。

posted by 蝉ころん at 20:42| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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