2010年10月04日

糧としての怒り

私を動かしてきたエネルギーはどうやら怒りだったらしい。

目標も、目的も、怒りによって作られてきた。

ちくしょう、なにくそ、負けるもんか。

あんなやつにやられっぱなしでいられるか。

いつか見返してやる。

いつか認めさせてやる。

見てろ。

いつか叩きのめしてやる。

いつか勝ち誇ってやる。




ずっとこんな気持ちを利用して、挫けそうな心を奮い立たせていた。

動けない体を燃やすようにして動かしてた。

私は全く幸せに向かってなかった。

打ち負かすこと。

認められること。

成功すること。

そして最後には立場を逆転させてやる。

そんなことに向かっていた。

復讐の欲求で動いていた。




最近は本当に子供に向けている感情が全部親へのものだってわかるようになってきた。

そしてその怒りを手放したくない気持ち。

私のエネルギーだったから。

怒りがそこにあれば体は動いた。

しなければいけないことをやりこなす力が出た。

馬鹿にすんな、これくらい、意地でもやってやる!

そんな思い。

怒りが沸けば、爆発的に力が出た。

でも逆に、していいこと、好きにできる時間、そんなときには何もできなかった。

好きなはずのことにも気持ちは向かなかった。

ただぼーっと誰もいないところで目を閉じて、そのままなくなってしまいたかった。

それか、ただ時間をやり過ごせる単調作業に没頭した。




怒りを感じられるときには私は未来を感じられた。

いつかきっとって。

怒りのないときの私は私を捨てていた。

感覚を捨てて無になってた。

早く消えてしまいたいって。

当時の私にとって怒りを捨てた現実には希望なんてなかった。

怒りだけが希望だった。

大きくなっても、大人になっても、怒りはずっとすぐそばにあった。

もうそんな環境でなくなってもずっと怒りを抱えていた。

他人に向けるにしろ、自分に向けるにしろ、それはずっと私を動かすエネルギーだった。




私は怒りを感じていたい。

私自身のパワーを感じていたい。

体温がカーッと上がって力がみなぎる感じを味わっていたい。

「できる自分」を捨てたくない。




でもやっぱりこれは違うんだ。

こんな、ドーピングみたいな、麻薬みたいな、自分まで壊してしまうようなエネルギーはやっぱり違うんだ。

怒ってもいいけど、悲しんでもいいけど、それにしがみつくことで自分を確認するようなことはしなくていいはず。




あのころはそれが必要だった。

自分以上の力を出して乗り切らなければ潰れてしまう状況だった。

もう戦場じゃない。

自分を壊してまで自分を大きくしなくていい。

私はそんなに大きい人間じゃない。

ちっぽけな私。

とってもちっぽけな私。

でも私は私を受け入れられる。

本当の、ちっぽけな私を愛してる。

posted by 蝉ころん at 16:57| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。