2010年10月29日

私の地盤

夜、子供たちが寝付いたばかりの布団の中で、じわじわと怒りが出てきた。

前回辞めた会社での人間関係で抑えていた怒り。

全く責任を持たない上層部。

上層部同士で互いに相手をかばい合いつつ、不都合なことは全て下層へ、下層へ、責任を押し付けて、手柄だけを分け合う。

自分たちの評価を外部にもらうためにあることないこと、口ばっかり達者な奴ら。

部下は部下で、全員がなにがしかの気持ち悪さを感じながら、自分を叱咤激励して、自分の至らぬところを向上すべく、ひたすらその日の業務をこなすしかできることがない。

ハラッサーの上層部と被害者集団の下層部で回っているように見せかけているだけのような会社だった。

そうだな、私はこれを後回しにした。

あそこで感じた怒りも妬みも悔しさも辛さも屈辱も、まずは横に置いておいて、過去の私の掘り起こしに専念する覚悟をしたんだった。

昨晩感じた怒りは、破壊し続けたいような衝動は全くなくて、怒りの感情を言葉で表現してみたらあっけなく落ち着いて拍子抜けしたくらいのものだった。

過去から繋がって出てきた怒りではなくて、ただそのときに感じていた分の正当な怒りだって、そんなふうに感じた。



だいぶ視線が現在に戻ってきた。

過去の思いが出てきたら、またそのときに対応できるだろう。

そんな自分に対する信頼がある。

元夫の被害者だった頃、かろうじて私に残っていた私自身に対する信頼は、人間の体の機能に対する信頼でしかなかったけど、今は、自分自身に対する信頼としてここにある。

まだ、弱い、脆い信頼だから、早急に現実にこぎ出すことはできないけど、この信頼を取り戻せたことが、単純に嬉しい。



それから、私自身を大好きだと思う気持ち。

あんなに不自然さを感じていた、「大好き」「愛情」なんていう言葉も、それなりに、今の私なりにしっくりくるところまできた。

愛情を母親に頼らなくても、私自身で私自身に注ぐことができるようになってきた。

のぞむにも、ひかるにも、「大好き」を向けることができるようになってきた。

無理しないで分けてあげられる量はまだまだ少ないけれど、確かに、ある。

今は、この、できたての柔らかい地盤を、しっかりした頼りがいのあるものに育てて行きたい。

ここまできた道のりのように、急がないで、ゆっくり。

今は少し、このほやほやのほこほこの土の感触を味わってから。

まだまだ、ゆっくり、進む。

posted by 蝉ころん at 09:19| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

受けるのか、受けないのか

ひかるからのコントロールを、受けるのがいいのかどうなのか、以前は迷いがあった。

それが私がした虐待の作用で、ひかるなりの表現だというなら、私は私のしたことの償いとして受けるべきじゃないのかと思った。

ひかるには私にぶつける権利があるんじゃないのかと。

でも今朝、ひかるの行為を、コントロールだ、と気付いたとき、同時に、私はこれを受けない、と決めた。

受けたらいけないことだと思った。

受けることで罪悪感を軽減するのは私の自己満足でしかないと思った。



あのとき、なぜそう思ったのか。

コントロールは、責任から完全に逃げようとする行為だ。

自分の希望に自分で責任を持たずに、他人が勝手にしたことにして責任を丸投げして逃げることだ。

そしてそのまま、自分の本当の欲求に気付かないまま、他人に背負わせて生きる道を進んでしまう。

だから、これを受けたらいけないんだって、わかったんだ。

受けることは、ひかるから責任を奪うことだ。




たとえそれが私のしでかした行為の影響だとしても、自分の責任は自分でしか背負えないことを、ひかるが学び直すために。

ひかるは、コントロールはコミュニケーションじゃないこと、希望を伝えるためには他の方法があることを知らないといけない。

まだまだ辛い道を進んで行かなければいけないことを思う。

私はただ見守るしか出来ないけど、ひかるは、その道をきっと乗り越えて行ける。

私はただ、目を背けずに見守る。

辛い道を進むひかるを、見守り続ける。

手も口も出さず、ただ、見守る。




私が受けるべきは、怒り。

虐待行為に対する怒りとして表現されたものなら、どれだけ長く続こうとも、受け続ける。

その怒りを表現して、私にぶつけることは、ひかるにとって大切な事だから。

私に向けるべき怒りを正当に表現することも、ひかるがひかるの感情に責任を持つことと繋がっていると思うから。

ひかるがひかるを受け入れるために大切な事だから。



ひかるはきっと、進んでいける。

posted by 蝉ころん at 20:42| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ひかるとの関係

私とひかるの関係は、今もまだ加害者と被害者という面が残っていると感じる。

私が加害者を残している限り、ひかるは被害者に戻るし、私の加害性が抜けたとしても、ひかるの私に対する恐怖心が簡単に抜けるはずもない。

ひかるの恐怖は、すでにもう隠されてしまっていて、歪んだ形でしか出てこない。



のぞむを見ていると、感情表現がとてもストレートで、とてもわかりやすい。

嫌なときは嫌なんだとわかるし、嬉しいときは嬉しさを体いっぱい表現しているし、怒っているときは言葉でも態度でも怒っていると伝えている。

自分自身に迷いを持っていないように思う。

のぞむとは、対等にケンカも出来る。謝り合って仲直りも出来る。

対等に人間同士として関わっている感覚がある。




ひかるは、とてもわかりにくい。

嫌なときに笑っていたりするし、嬉しいことでもすぐには反応しない。

それだけのことをしてきたんだなと思う。

そして、私のこと、相手のことを、伺っている雰囲気がある。

私が怒るか、笑うか、その瞬間を見ている。

私が笑っていれば笑う。怒っていれば引っ込む。



そして今日、ひかるは私に仕掛けてきた。

学校に行く、その時、突然床に転がる。

ドタドタと暴れて音を出す。

ああ、これは、私をコントロールしようとしていることなんだ、と思った。

「私が困ってるんだから、察して、助けにきて」という意味。

今までは、これに乗っていて、それが結局良くなかったんだな。

そのうち、泣き出す。

「こんなに泣いてるのに、助けにきてくれないなんて酷い」という意味。

関係が長いと、泣き方でわかる。

悲しくて泣いてるのか、辛くて泣いてるのか、責めて泣いてるのか。

ひかるは寝っ転がって、起きれなくて暴れていた、ということにしたい状態。

なんで来てくれないんだ、なんで助けてくれないんだ、このままじゃ学校に遅れるのに、なんで私を起こしてくれないんだ。お母さんのせいだ!



ひかるは、取引をしていたんだ。

学校に行くこと。

宿題をすること。

片付けをすること。

そんなことを、放棄することで、私と取引をしていた。

困るでしょう、私が学校に行かないと。

だから構って。私が学校に行けるように、問題を解決して。

嫌でしょう、片付けてくれないと。

だからなんとかして。私が片付けられないことをなんとかして。

お母さんのせいだよ?

うん。そう思ってたんだよね、私。

すっかり見抜かれてたんだよね。

自分が利用されてること、ひかるはずっとわかってて、嫌だったんだよね。

それで、立場を逆に利用して、私を動かすことを覚えてしまったね。




お母さんは、もう、察して動くことは、やめるね。

助けを求められたら、助けてあげることは出来る。

頼まれたら、手を貸すことは出来る。

でも、もう、勝手に答を探して、渡すことはやめるね。

ひかるの解決する力を、取り上げることは、もう、やめるね。

今までずっと、ごめんね。



これからが厳しい。

きっとひかるにとってはとっても辛いことになる。

ひかるはコントロールをコミュニケーションと誤解して学んでしまっているから。

私だって、ブレないでいられる自信なんかない。

特に生理前とか・・・冷静に問題を切り分けられる自信なんてない。



でも、踏み出すね。

加害者と被害者の関係から、抜け出すために。

私はひかるを手放す。

ひかるが私をコントロールしようとするのを受け入れない。

コミュニケーションで伝え合う関係に向かうために。



助けてって言っていいんだよ。

恐かったら恐いって言っていいんだよ。

嫌だったら嫌って言って、いいんだよ。

人を頼っていいんだよ。

そんな大切な事を、ずっと封じ込めさせてしまった。

ずっとずっと、恐いお母さんで、本当にごめん。



ひかる。大好きだよ。

posted by 蝉ころん at 11:45| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

犠牲にした心

泣きじゃくる子供を怒鳴りつけていたとき。睨みつけていたとき。

私の目に映っていたのは誰なんだろう。

ぶつけた怒りは本来は母へのものだった。

大声で泣いて怒りを拒絶する子供は母なんだろうか。私なんだろうか。

それともやっぱり、見えていなかったのか。



ただ泣き声としか認識していなかったのか。

泣き叫んで拒絶される母親。そんな酷いことをした母親。

そんな、外から見た私の姿だけを見ていたんだったか。

あの瞬間、私の目の中には誰もいなかった。

怒りをぶつけた私も、恐怖に怯える子供も、いなかった。

ただ、私の世間体だけがあった。

あるべき姿から外れた私の外面だけがあった。



私は、子供をキチンと躾けられる母親という「あの子」を目指して子供に強制した挙げ句に、虐待をする母親という、あってはならない「ダメな子」に転落した。

どちらをとるかを天秤にかけて、虐待をしない母親という「あの子」を選択した。

あの時点では、私の思考パターンは変わっていなかった。

それでも、あの一歩があったから、私はここにいる。

あの日選択した「あの子」を目指して、「あの子」はいらないんだって気付くところまできた。



今は、ひかるが私に怒りを出せるようになることを願う。

心に力が付いて、被害者のひかるから抜け出すために、怒りのパワーをもって加害者の私を捨て去ることを願う。

怒りはきっとそのために使うもの。

私はその怒りを正しく受け止めたい。

あの頃の、ひかるの恐怖と悲しみと絶望を、きちんと受け止めたい。

どうか、ひかるが、怒りを無関係の人に向けずに、正しく私に向けることが出来ますように。

そして、怒りから解放されることが出来ますように。

posted by 蝉ころん at 11:07| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

いろんな私

自分を振り返ってみて、自分の心の動きに気をつけて感じるようになって、人格といっていいのかわからないけど、何かが切り替わっているのがわかる。

状況によって出てくる、恐怖にさらされた時のための自分。ひたすら固まって状況が変わるのを耐え忍んで待つ、ただそれだけのための私が用意されている。

そして、緊迫した状況が過ぎ去ると、すぐに元の私に切り替わることができる。

意図してなっているわけでなく、頭の回路が自動的にそうしている。

切り替わった瞬間なんてものは全然気が付かない。

記憶も、感覚もつながっているのに、全く別の私になっている。

無意識に違和感なく切り替わっている。



その場しのぎに見える口約束も、その時の私は本気で約束している。

ただ、次の瞬間には、そんな約束をする気もなかった私がいる。

約束をしたときの気持ちも、恐怖を感じる用の私とともに、切り替えられて忘れている。

約束した記憶だけは存在するものの、約束は約束としての意味を持たずに、ただ恐怖の引き金として感じているから、約束自体を無意識に遠ざけてしまう。

そして、刻限が近づくと、約束とともに恐怖が沸き上がってくる。

恐怖に怯える私に切り替わると、目の前の恐怖しか見えなくなり、なにもできない。

そして約束を守らない私が出来上がる。



怒りに翻弄されているときの私も同じような感じ。

一瞬で頭が怒り一色に染まって、衝動のまま発散したくなる。

でも収まってしまえば、その時の怒りのレベルは理解できない。

言ったこと、したことは覚えていて、謝ったり、反省したりはするものの、その思いは怒っているときの私には引き継がれない。

反省はなかったことになってしまう。

怒りを出してはいけないって思いが、切り離した私。



辛くて悲しくて動けない私。

感覚がなくなったように真っ白な私。

見えているけど見えていない、聞こえているけど聞こえていない。そこにいるけどそこにいない。

誰も来ない、背の高い雑草の中でうずくまって1人で何も感じない時間をただ過ごすための私。

ただただ現実から逃げるための私。

そんな私もある。



学生の頃、多重人格に関する本を読んでいた時期がある。

当時はそんな症状があるんだな、大変だな、くらいにしか感じていなかったけど、最近、私はそれに近いんじゃないかと思った。

記憶が繋がってるか繋がってないかの違いで、人格が入れ替わってる機能(ってのもおかしいのかな)としては同じような脳の働きなのかもしれないと思った。

私の場合は、きっかけの出来事が生活に支障をきたすほどの経験ではなかったから、記憶まで分断する必要がなくて、感情だけが分離されたのかなって。

そんな自分をなにげなく感じていたから、多重人格に興味をもったのかな。



今は繋がれる自分がだいぶ増えた。

コントロールはまだ難しいけど。

どの私もちゃんと私だった。

私が、自分で切り離して、封じ込めていった私。

ごめんね。

こんなに長いことかかって。

長い間、放っておいて。



悪い私なんていない。

捨てていい私なんていない。

全部私。

大切な私。

感じちゃいけない思いなんてない。

posted by 蝉ころん at 18:59| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月24日

こんな私

電話がなる。

玄関のチャイムがなる。

知り合いとすれ違う。

私の苦手なこと。

本当の私でいるときに割り込んでくるからだ。

とっさに仮面をかぶってその場を乗り切る。

すごく疲れる。

携帯電話も嫌い。

子供と一緒にいる時間も苦手だった。

私を一番出したらいけないときだから。

そして私が一番出てきやすい相手だから。



1人でいるのが好き。

知り合いのいない場所が好き。

家じゃなく、外出先が好き。

没頭してても誰も来ない、誰かと関わるときでも仮面をかぶらなくていい場所が好き。

それはただ、自分自身でいたかっただけ。

したいことなんかなにもない、ただ自分でいたかっただけ。

没頭するのも、仮面を忘れていい時間が作れるから。

ただただ忘れていたかっただけ。

仮面を付けなきゃいけない場面も、本当の自分自身のことも。

突然違う人になれたらいいのに。

違う世界で全く違う人間に生まれ変われたらいいのに。

妄想癖は本気だったんだよ。

妄想の中の人間として生きたかった。

そっちの世界へ行きたかった。

本当の私を受け入れない世界も、世界に受け入れられない自分も、消してしまいたかった。

この世界と繋がっていたくなかったんだよ。



ぐうたらで片付けもしたくなくて洗濯もしたくなくて子供の世話も苦手で着替えもおっくうで料理もしたくなくて出不精で身だしなみも面倒くさい。

怒るし泣くし妬むし恨むし八つ当たりするし怒鳴るしキレるし行儀悪いし可愛くないし面白くないし虫歯もたくさんあるしおならもするし男みたいだし太ってきたし白髪もはえてきた。

他にもいろいろ。いっぱいいっぱい。

そんな私だけど。

そんな私が私だよ。

こんな私でも、やっぱり私は、私がいい。

私がいいと思う。

この私で生きて行きたいと思う。

posted by 蝉ころん at 15:51| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今の自分から

いい人になりたかった。

私を好きになって欲しかった。

好かれる人になりたかった。

本当の私は人に好かれる私じゃなかったから、好かれる人の仮面をかぶろうとした。

いっぺんに変身してしまいたかった。

仮面の私はニセモノの私。

でも、頑張って一所懸命仮面をかぶっている私は、本当の私。

いい人になりたい私は本当の私。



今その人でないとダメだと思ったから、その瞬間に好かれないとと思ったから、本当の私を見せるわけにはいかなかった。

最初に仮面をかぶってしまったら、かぶり続けるしかなかった。

本当の私は嫌われる私だから。



仮面の私からは成長できないんだね。

私は本当の私でないと成長できないんだね。

ハリボテの私はもう捨てるんだね。

私は私がなれる私にしかなれない。

いい人でなくても。

人に好かれる私でなくても。

それは本当の私。

取り替え続ける仮面でなくて、成長し続ける私。

凹んだり嫉妬したり怒ったり泣いたりしながら進んでいく私。

posted by 蝉ころん at 12:41| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月23日

自分の現実を認める

工場などの自己管理には、「人間はミスをする」前提で対策をするのが重要だって言う。

加害者性をもっている私も同じだって思った。

「私は人を傷つける衝動を持っている」

親のようにはなるものか、と思って生きてきたけど、そうはいかない現実を認められてないだけだった。

私は親のようになるように育ったんだ。

それを認めていくってこと。



私には、自分でも気付かないうちに封じ込めてしまった怒りがある。悔しさがある。妬みがある。

爆発的に表現されるのを待っている感情たちがある。

そして、取り込んでしまった表現方法がある。

コミュニケーションのつもりで身につけた間違ったやり方がたくさんある。

怒鳴る。

睨む。

見下す。

憶測で決めつける。

思い通りに動かそうとする。



無意識なほど出てくる。

リラックスするほど出てくる。

被害者だった頃、よく言われていた「加害者は、被害者相手に出す加害性を他人には出さないんだから、理解してやっている」という評価があるけど、それはやっぱりなんか違うんだ。

よそ行きの服を寝るまで着る事がないように、プライベートでは外用のキャラクターを脱ぐ。

プライベートでもよそ行きのキャラクターではいられない。

それをしようとして、爆発が大きくなる。

本当の自分が暴動する。

加害者は、もともと加害性を持っている。

加害性をもともと持っているのが私であること。

プライベートでも加害性を持たないキャラクターを演じ続けることはできないんだ。

私のプライベートの中に人を入れるということは、加害の的をつくるということ。



本当の私を消し去ることはできない。

本当の私自身が悪いわけでもない。

加害性のある衝動も、悪いわけではない。

間違った対象に向けていることに気付くこと。

コミュニケーション方法を学ぶこと。

衝動の表現方法を身につけること。

そうやって改善し続けいくこと。

これはきっと育つってこと。



きっと本当は産まれたときから始まっているコミュニケーションの学習が、うまくできてなかった。

足し算やかけ算を知らないまま、因数分解を丸暗記で解いているようなもの。

数字の意味も知らないまま、形だけ答を出したふりをしているようなもの。

足し算からやり直しても大丈夫。

頭脳は理解出来るところまで成長してる。

遅すぎるなんてない。

きっとちゃんと身につけられる。

私は育つって決めた。

posted by 蝉ころん at 09:49| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

手を出せない状況で

ひかるの行動。

だらだらとしていたのに、私が家事をしだすと急に勉強し出す。

いや、宿題終わってないんだから勉強よりまず宿題でしょ?とか思いつつモヤモヤ。

なぜそこで宿題じゃないんだ。

いやいや、これはひかるの問題。

ものすごーく試されてる感がする。

ひかるはただちょっと私がいてるのが嬉しいんだ。

だからちょっとイイ事してみたいんだけど宿題はしたくないんだ。

んで、私はそういう感じがモヤモヤっとするんだ。

モヤモヤなので掘る。



なんで今頃するのかなー?たくさん時間あったよね。

私が見てない時間もできたよね。

ね。

お母さん。

いつもいつも、私が姿を現すと「あ、もうこんな時間」って、始めるんだよね。

で、私はそこで待ってないといけなかった。

その頃は、叱られるわけでもなし、ただちょっと何もできない時間を使わされるのがビミョーだったけど、お母さんはそういう人だから仕方ないなーって思って付き合ってた。

あれって、「時間の感覚がない人」じゃなかったんだね。

見てて欲しかったんだね。

私の事を見てもいない人がね。

自分の方を見てて欲しかったんだね。

私は、お母さんの存在を確認する目だったんだね。

そして私は、小さな怒りを持ってた。

それくらい自分で管理して。

すぐそばにある時計くらい見て。

しなきゃいけないことを先にするくらいわかって。

私が言わないでも、声をかけないでも、やるって言ったんだから、やって。

やらないならやらないで、言ってくれればそれはそれでいいんだから。

手を出させないくせに、自分からはやらないって、そういうのやめて。

あなたがやらないなら、私は私の事は自分でするんだから、手放して。

他の人にも自分たちでさせればいい。

あなたがしないなら、どいて。



そうだ。

いつも、私がしびれを切らして自分でしようと思って動き出すと、母も動いた。

取り上げられまいとしているみたいに。

そして私は手を引っ込める。

していいのか、悪いのか、しなきゃいけないのか、しないほうがいいのか、何もはっきりしない。

「やるよ」と言っても「いいのいいの」とか言うくせに、自分からは動かない。

そんなのがずっと気持ち悪かった。

どうしようもなくなってから、追いつめられてから、でもさせてもらえない。

さらに時間が過ぎる。

自分でしようとした事を、母にされて、感謝しなければならない。

ビミョーな気持ち悪さ。



こんなことにも怒りを持っていた。

どけよ!

もういいよ!

好きなようにさせろよ!

やりたいんなら、もっと、さっさと、こっちの限界がくる前に、やっとけよ!

させないくせに!

早めに言ってもしないくせに!

あんたがいなきゃ進まない仕組みをいつまで続ける気だ?

あんたの存在価値のためにどこまで不自由させられるんだ?

なんでそんなことであんたの存在価値を認めなきゃいけないんだ?

そんなことで陣取りしてなくたって、あんたはあんたなんだから、お母さんはお母さんなんだから、手放してよ!どいてよ!



こっちはいつもイライラしていた。

いつになるんだ。

本当にやるのか。

間に合うのか。

また忘れてるんじゃないか。

そろそろヤバい。

どっちなんだよ。

はっきりしろよ!

パフォーマンスみたいなものだった。

いつもギリギリ。ギリギリになって、バタバタなんとか間に合わす。

あー間に合った、よかったね。

よくねーよ!!

もっと早く終わってただろ!

すごい消耗した。疲れた。

何も手出し出来ない、自分で解決出来ない、ただ見てるだけの辛さ。

それで全部結果は自分に跳ね返ってくる辛さ。

「だってお母さんが」

なんて通用しない。

「自分でやればいいじゃん」

ってことだ。

やろうとしたさ!

でもさせてもらえない、する機会が与えられない辛さ。

いつでも母は陣取りしてる。

母しか使えない状態にしてある。

やりかけの洗濯、食器が積んである台所、雑誌やらで埋め尽くされたテーブル・・・

しかも母のやり方しか受け付けない。

必ず母に聞かなければいけない。

聞くと「私がやるから」と返ってくる。

聞かずに手を付けるとあとで必ず文句を言われる。



地味だけど辛かった。

ビミョーに気持ち悪かった。

歯がゆい、居場所ない、やんわりとした違和感。



どうしたいんだよ!

何がしたいんだよ!

はっきりしろよ!

確かにひかるに向けたくなってる、こんな言葉、全部母へだ。



嫌だったんだよ。

どうなるのかわからない感じ。

不安をずっと持ったまま待ってなきゃならない感じ。

自分で解消出来ることをさせてもらえない。

ただ母の出方を伺っていなければいけない状況。

モヤモヤしながら、イライラしながら、待つしかない不甲斐なさ。

解決したい!

スッキリしたい!

さっさと終わらせて安心したい!

こんな状況に耐え続けなきゃいけないのは嫌だ!

これは一体なんのためなんだよ!

その変なこだわりをさっさと手放せよ!





私が解決したかった私の問題。

解決させてほしかった気持ち。

母が私の問題を私に返してくれなかったことへの苛立ち。

を、ひかるに向けてる。

ひかるが持ってるひかるの問題を、取り上げられた私の問題とダブらせてる。

ってこと。

だな。

posted by 蝉ころん at 14:31| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

怒りきること

許せなかった。

ずっと。

謝られても許せなかった。

わかってないのに謝るな!

伝わってない。私が怒っているわけは伝わってない。

ちゃんと聞け!

最後まで聞け!

面倒くさいからって適当に謝って終わらせようとすんな!

理解してないのに謝れるわけがないじゃないか。

こっちが、ちゃんと説明できてないのに伝わってるわけがないじゃないか。

私は最後まで吐き出したい。

全部出し切りたい。

気持ちをちゃんと伝え切りたい。



でも。

どう伝えたらいいの?

どう言ったら表現できるの?

この感情は、この怒りは、いったいなんなの?

私がわかんないのに伝えられるはずない。

表現できてるはずない。

簡単にわかったなんて言うな。

わかってるはずない。

私がちゃんと言えるまで、表現できるまで、出し切らせて。

勝手に終わらせないで。

まだ、まだ、たくさん残ってる。

残ってるのに。

解決よりも大事なこと。

表現したいのに。

posted by 蝉ころん at 21:16| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

感じたまま

「あんたのせいだ」

私はそう言いたかった。

それをただ認めてもらいたかった。

私の話も聞いてもらえないで、私の気持ちもわかってもらえないで、ただただ言いなりにさせられて。

それで私が傷ついたり泣いたり怒ったりしてもただの私のわがままになって。

あんたたちのせいだよ!

あんたたちが私を傷つけたんだよ!

あんたたちが私を不幸にしたんだよ!



認めろよ!

私がじゃないよ!あんたたちだよ!

私の意思を奪って、感じ方を否定して、それで泣くこともダメなんて。

私はなんなんだよ!

おもちゃじゃないんだ。

人形じゃないんだ。

私は私の意思で、私の感情に従って、私の行動を決めて、私の感じ方で感じる、私の私なんだよ。



あんたたちの代わりの人形じゃない。

あんたたちができなかったことを代わりに体験するための道具じゃない。

本当の私を消し去ろうとするのはやめろ!

自分たちの望む私に作り替えようとするのはやめろ!

本当の私を悪いもの扱いするのはやめろ!

そんなことで私は幸せにならない。

本当の私が幸せに感じることでなきゃ私は幸せにはならない。

あんたたちが掴みたかった幸せは、私を幸せにはしない。

あんたたちは道じゃない。



私の幸せは私が探す。私が叶える。

そのための道も、私が選ぶ。




私は幸せにしてくれる人を探してたんじゃなかった。

一緒にいて幸せになれる人を探してたんじゃなかった。

私の不幸の責任を認めてくれる人を探していた。

親が認めてくれなかったことを認めてくれる人を。

だから、不幸なままの私を受け入れられる人でなければならなかった。

私が幸せになろうとすることを見守れる人でなければいけなかった。



お母さんの代わりはいないの。

お母さんに認めてもらえなかったことは、間違ってることじゃないけど、他の人には背負えないことなの。

辛かったよね。

嬉しくないことを喜ばなければいけないって。

喜べないことを、素直じゃないって言われて。

ひねくれた子って。

私は私でいい。

私が嬉しいことを嬉しいって感じていいし、つまんないことはつまくていいし。

おいしいものはおいしくていいし、まずいものはまずくていい。

好きなことは好きだし、嫌いなことは嫌い。

それは、悪いことじゃない。ひねくれたことじゃない。

素直なこと。

素晴らしいこと。

私の感じるままを表現していい。

それはとっても素敵なこと。



ありのままに感じたことを、ただ、そうなんだね、って聞いてほしい。受け止めてほしい。

それがまず、私の求めていた幸せってやつ。

それもまた私の気持ち。

posted by 蝉ころん at 11:03| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

大人のともだち

子供の頃、近所の大人とよく仲良くなった。

私と仲良くなるような人はのんびり私の話を聞ける人なので、今考えてみれば昼日中に時間のある、正体不明の怪しい人が多かった。

そういう人と遊んでいると、それは当然、親は心配する。

そんな、よく知らない人と遊んじゃダメ。なにをされるかわかんないよ!

結構何回も遊んだあとだったからあまり納得はいかなかったけど、しぶしぶ受け入れた。

変わらず声をかけてくれる、何も悪いことをしていない相手に対して、冷たい態度をとることに罪悪感を持ったことを覚えている。




そのうち、近所の隠居してるおじいさんとか、素性のはっきりした人と仲良くなるようになった。

仲良くなってよく話をするようになると、母がどこからか情報を仕入れてきて、禁止する。

邪魔になるから話しかけちゃダメでしょ。

相手が怪しい人でなくても、そんなふうに言われておしまい。



なんですぐに取り上げるの?

私が見つけた私の友達なんだよ。

大人だってなんだって、私は友達と思ってた。

だって私を対等に扱ってくれたから。

でも、すぐお母さんが大人の事情を持ち込んできて、私は子供だからダメなんだって現実を突きつけられたんだ。

私に悪いことをしてくる人かどうかの判断もさせてもらえないんだって。

悪いことをしてこない人とでも仲良くなっちゃダメなんだって。




喜んでいるように見えても、私が子供だから喜んでいるようにしてくれているだけ。

真剣に話を聞いてくれているようでも、子供相手だから邪険にしないでくれているだけ。

本当は、邪魔だと、早く帰ってくれないかと思われている。




いやいや。

これって、母がそうなんでしょ。

近所で延々と長話した挙げ句、「全くあの人は話が長いんだから」とか。

「平気で子供の相手させて」とか。

言ってた。

押し付けられてただけだ。

私が邪険にされてたなんて、その人にしかわかんないじゃない。

だって私には、私と話している人たちは嬉しそうに見えたよ。

私を話すことを楽しみにしてくれているように見えたよ。

私と会えたことを喜んでくれているように感じたよ。

それは本当にいけないことだったの?

だってそれは私にとっても、すごくすごく大切なことだった。必要なことだった。

でも自分不信に変わった。



私と話したいと思ってるわけじゃない。

無理して相手してくれているだけ。

邪魔になっちゃいけない。

誰かに見られてもいけない。

そうやって自分から距離を置くようになった。

くそー。



みんな、私のこと好きだったよ!

本当に喜んでたよ!

孫に会えない埋め合わせだろうが、話し相手のいない寂しさだろうが、私に会えることを楽しみにしててくれてたよ!

毎日顔会わせてもほとんど時間がないあんたより、よっぽど話を聞いてくれたよ!

せめてそんなことくらい、自由にさせてほしかった。

そんなところにまで手を伸ばしてきて欲しくなかった。



それに、私にとっては、仲のいい大人というのはセーフティネットでもあった。

外に出ているといつどこでいじめに合うかわからなかった当時、近所にそういう大人がいてくれる安心感は大きかった。

でも私が仲のいい大人と話をしているということは、近所の人の目に留まり、母に伝わり、禁止される。

私がいじめられていても大人は誰も気にしないのに、私が大人と話しているとやめさせられる。

私は、いじめられっこから抜け出す手だてを塞がれた。

私が地域に自分の存在できる場所を作ることを阻止された。




自分の外聞が悪いからだけじゃん。

そんなの気にするんなら自分が私の話し相手になってればいいじゃん。

自分が軽く見ているような相手と長話や長電話ばっかりしてないでさ!




私から避ける必要なんてなかった。

もっと素直に受け取っててよかった。

笑顔の人の裏の感情なんて見えないものを予測する必要なんてなかった。

笑ってたら嬉しいんだでよかった。

楽しそうなら楽しいんだでよかった。

私がそう感じたんなら、私のことを対等に扱ってくれていると信じてよかった。

その人本人が嫌というまで、その人本人から避けられるまで、私は好かれているって信じててよかった。

それでよかったんだ。

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2010年10月14日

弱音

辛い、しんどい、疲れた、嫌だ、無理だ、できない、苦しい、やめたい

いつからだろう、弱音を吐けなくなったのは。

弱音を吐いても、それくらいで、と返される。他の人はもっと頑張ってるのに、と言われる。

「お母さんなんかもっとしんどい」
「お父さんは辛くても頑張ってる」
「みんな嫌だけどちゃんとやってる」

他の人なんかどうでもよかった。

私がしんどかったんだ。

私がもう無理だったんだよ。



足が折れてしまえば良かったのに。

気を失って倒れてしまえれば良かったのに。

体力なんて全然なかったくせに体だけは頑丈で。

まだできるだろう。まだいけるはず。根性なし。

他の誰もが辛くてしんどくて投げ出すところまで頑張り切らなければ、自分を止めることを許されなかった。




今日、ふいに思い出したのは元夫とのやりとり。

家事をうまくこなせなくなった頃にさんざん元夫に言われたこと。

「これくらい誰でもやってるだろ」
「こんなこともできないやつだと思わなかった」

あのとき、私は本当は大声で叫びだして発狂してしまいたいくらいの気持ちだった。

手当たり次第のものを投げつけて、元夫を消し去ってしまいたいくらいだった。

これもまた、子供の頃からの繰り返しだった。

私が、自分の限界を自分で決めることに自信を持てるように育っていなかったから。

納得しない誰かを納得させるまで休めないなんてことはないんだ。

それは私が決定していいこと。




あなたたちの望んでいる通りには私にはできないんだよ。

他の人ができるからって、私にできるとは限らないんだよ。

私はあなたたちの期待には応えられないんだよ。

お願いだから私を解放して。

私に期待しないで。

ノルマを勝手に積み上げないで。

私がしたいと思わないことばかり増やさないで。

私がしたいことまでしたくないことに変えていかないで。

私にはできないんだってことを、受け入れてください。

私が感じている私の限界を、ちゃんと受け入れてください。

私がやめたいと感じたときに、やめることを禁止しないでください。

あなたたちがそうして生きてきたつもりだからといって、私にまでそのやり方を押し付けないでください。

私の辛さは、私にしかわからない。

これは、過去の私が言いたかったこと。




やめたかったらやめたいって言っていい。やめていい。

またやりたいと思ったらやりたいって言っていい。また始めたらいい。

続けたかったら続けるって言っていい。そして続けたらいい。

違うことが良かったらそれもいい。

私が限界を感じたらそこが限界でいいんだ。

誰とも比べずに弱音を吐いていいんだ。

誰かの許しがなくとも休んでいいんだよ。

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2010年10月13日

妬み

妬みが出てきた。

ほんと、ドロドロ。

元夫が、面接交渉時に義母家族を会わせていたらしくて、その話しを聞いたのがきっかけ。

元夫の兄弟は、かなり成功した実業家で、まだ婚姻関係にあった頃、うちの子達を連れて行くと「あそこに行くと何でも買ってもらえるから、って遊びにきてほしいし」と、高級なものを買い与えるような人だった。

高級レストランに連れて行っては料理に文句を付けたり、お礼をすると言ってはすっぽかしたり、誠意の感じられないお金の使い方をする人で、当時から嫌だなあと感じていた人。

そんな人が子供たちに近付いてきたんだと思うとモヤモヤとして穏やかでない。

そこの子供は、親に対してずっと不信感を持って嫌い嫌いと言っていたけれど、結局親の事業で食べているらしい。



さらなるモヤモヤ。

モヤモヤは黒い感情の現れなんだな。

掘る。



私の子供たちを取り込もうとしてきているように感じていること。

そしてそれをものすごく不快に感じていること。

私がだ。

私は取り入りたかったんだね。

あの、お金に汚い人に。

違うね。私が自分の「取り入りたい」気持ちに気付きたくないから、「金に汚い人」にして、自分から遠ざけようとしていたね。

そして、人をお金で操っているように見える、金を稼ぎだす力を持っているその人を、妬んでいたね。

私はその人の事業に絡むチャンスがあった。

でも、元夫たちのやり取りの中で、そのチャンスはなくなった。

何回もそんなことがあった。

こういう形で手伝ってもらえないか?

ーーーーーーそういう誘いは、全て私じゃなく、元夫が切っていた。元夫自身は元夫の家族とは親密に関わっているのに、私は関わらせてもらえなかった。

私は、彼らの親族でのやり取りの中から、完全に閉め出されていた。

あれは私に権利のある金ではない。

そんなことは知っている。

でも、なぜ、彼らは私だけをここまで閉め出すのか?

私はここでも、仲間に入りたかった。

使える金を持っているあの人が妬ましかった。




そして、その根は、やっぱり実家にあるんだ。

幼い頃は貧乏だった実家。

小学生くらいになると家業が繁盛しだしていた。

でも、家族の暮らしにはあまり影響はなかった。

家業にどんどんつぎ込まれていたことと、父の散財。

家の中で、父だけは自由にお金を使っていた。

母子と父で違う家庭に住んでいるのかと思うほど金銭感覚が違っていた。

欲しいものは父にお願いする。

母に頼んでも、父にお願いしろと言われる。

私は父が死ぬほど嫌いだったが、欲しいものを買ってもらうために父の機嫌を取って下手に出なければいけない。そんな自分がまた嫌いだった。

兄はなぜか、母を説得すれば父には頼まなくても父まで話が通って買ってもらえていた。

私は卑しい人間なんだ。

私のものは母に頼むだけでは買ってもらえない。

嫌いな人間にヘイコラして、自分で自分のプライドを踏みにじらなければ納得してもらえない。

私だけがそれをやらされる。

母にとって私と兄はまったく価値が違うんだ。

母は私を卑しい人間に貶めていた。

私は母に頼んだんだ。

私は母に叶えてもらいたかったんだ。




金を自由にできないからじゃないじゃないか。

兄にはできることをなぜ私にはできないんだ。

なんで私だけ。

なんでいつもいつも私だけ兄と違うのか。

兄が妬ましかった。

生まれながらに実家での特権を持っている兄。

跡取り息子ととして、将来実家での実権を約束されている兄。

2番目に、女として産まれたというだけで、家業の真髄に関わることを拒まれ、父に媚びる役目を回される私。

道化の私。

もう高校生、大学生になってからのことだ。

バイトに出ることを許されず、嫌いな人間から小遣いをもらわなければいけない屈辱。

嫌いな人間に恵んでもらわなければ自分で自由に動くこともできない惨めさ。

そんな人間が家にいて、常にサイフを膨らませている現実。



父方の祖父も金持ちだった。

いとこたちは、祖父の近所に住んでいて、しょっちゅう何か買ってもらっていた。

私たちは遠方に住んでいて、たまたま正月に行くような用事があって、運が良ければ4ケタのお年玉があるかもってくらいだった。

実家まるまる疎外された状態だった。

子供の頃はなんとも思ってないつもりでいたけど、やっぱり妬ましかった。

ファミリーに入っているいとこたちが。

当然の権利として金持ちの恩恵に預かれるいとこたちが。

未だに祖父の遺産の恩恵で暮らしているいとこたち。

私の実家は事業という遺産だけを取った。

私には何も回ってこない。




平等なんかじゃない。

チャンスもなにも平等なんかじゃない。

私にはなにも回ってこないようになっている。

回ってくることになっている人たちが妬ましい。




たぶん私は金持ちの親戚に目を付けられている、子供たちを妬んでいる。

金の力で子供たちを引きつけることができる、彼らを妬んでいる。

私の中の黒い感情。

優等生が押さえつけていた本当の感情。

見たくなかった、あってはいけなかった感情。

本気過ぎて誰にも見せるわけにはいかなかった感情。

かっこつけて、金なんかいらない、自分で稼ぐ、自分で生きて行く宣言をして、何もいらないって顔をしてきた。

心の奥で、本当は思ってた。

「私も欲しい!!!!」

全部これ。

「私だって!!!」

ってこと。

これも私なんだ。




根っこはきっと、ずっとずっと小さい頃にあるんだろう。

妬みも、怒りみたいに間違えた対象に向けているのかな。

posted by 蝉ころん at 09:36| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

積もった怒り

あってはならないと思っている感情を封印しているとき、本当はその感情が発生していても、私には見えていない。

私が尋常じゃない怒りを感じているとき、その奥には、封印された過去の経験の積み重ねがある。

「またそれか!いい加減にしろ!」

という感覚の怒りに思える。

過去、数えきれないほどの回数にわたって繰り返されてきた、同じような行為に対する怒り。

たまたまそのとき目の前にいる人物がした行為が、その人にとって初めてしたことであっても関係なく沸き上がる怒り。

封じている分、芯の部分が見えないまま積もって積もって大きく育った怒り。


「いい加減にしろ!!」


誰に言ってるんだろう。

そのとき目の前にいる相手を通して、運命のようなものに叩き付けているかもしれない。

何度も何度も目の前に現れる、回避しようとしても回避できない問題に対する苛立ち。

仕組まれているようにさえ感じる。

いつまでこんな目に遭わせる気だ!

いつまで私はこんな目に遭い続けなければいけないんだ!!




それは、私が、気付くまで。

私が、自分に眠っている怒りを正当に解き放って、過去の怒りから解放されるまで。

頑にならず、柔らかく、自分を許しつつ、自分の感じ方を受け入れて、自分を取り戻すまで。

それまで、何度でも、封じられたところで密かに働く自分の無意識が仕掛け続けてくる。

まわりの人間を巻き添えにして仕組んでくる。



私はもう、気付くやり方を知った。

次は、いつ、どんなふうに出てきた怒りに対しても、気付いていけるように、身に付けていくこと。

そして1つずつ焦らずに解放していくこと。

私の人生の宿題。

posted by 蝉ころん at 23:35| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

だから言ったじゃん!!

子供相手の怒りだと思っていたことが親相手だとわかると本当にガックリくる。

今日もひかるとひと悶着。

ひかるがよくやる、こちらが先に忠告してるのを聞かずに結果ドツボにはまって泣きわめき、こちらを巻き込んで影響を及ぼしてくる。

影響が出るのが見えるからとはいえ、私がひかるの問題に口を突っ込んでる時点でまずこちらがイケナイのはわかってる。

で、離れて落ち着くと、本当は何も言わずにドツボにはまるのを見守り、はまったところで落ち着いて話しを聞いてあげたりするのがいいんだろうって、考える。

でも私の怒りは消えてないわけで、そのまま受け入れたフリをしても怒りは確実に伝わる。

収まらない怒りは子供へのものではないってことで、向けるべき先を探る。

そうするとやっぱり母なんだよ。




いつもいつも出かけるとわかっていてもギリギリまで準備をしない母。

私ら子供は用意をして待っている。

父もさっさと人に手伝わせて用意を終わらせてイライラと待っている。

それでも用意を始めず、家事ばかり。

家を出ると言っていた時間を過ぎても家事の手を止めない。

「あれもこれも、やっておかないといけないから」

そう言いつつ、言っていたことが全部終わったことなどないくせに。

そしていつも間に合うか間に合わないかのラインギリギリ。または、父のリミットを超える。

リミットを超えて爆発中の父と出かけるとか、切符の買ってある電車に乗るためにみんなで走る、なんてのがいつもだった。



私らは、焦って焦って、靴もはいて玄関で、

「お母さん、早くしてよ、間に合わなくなるよ」

「お皿なんて、帰ってからでも洗えるから、先に用意してよ」

なんて言うんだけど、絶対に聞かない。

そして、私らが割を食ってた。

本当に小さい頃、自分で上手く準備ができないくらいの頃には、私らの準備も言い訳に使われていた。




あと、こちらが約束のつもりでいたお願いのこと。

「××までに○○してね」なんてお願いすると「時間があるときにしておく」と返された。

約束したつもりの刻限に近づいても○○してくれてる気配がないから、確かめる。

「○○してくれた?」「わかってるから何度も言わないで」

「○○してくれた?」「わかってるってば、あんたはしつこいね」

しつこいとまで言われたら私も黙る。

結局、刻限になって、「○○は?」と言うと忘れていて、慌ててなんとか用意する、そんなことばかりだった。

いつも母が絡むとギリギリセーフか間に合わないか。

私が確認を忘れると用意ができずに対外的には私の失点になった。

私のせいじゃないじゃん!

何度も言ってるじゃん!




朝寝坊もよくした。

まず食事が遅かったし、真夜中に父や兄の怒鳴り声が聞こえて眠れないことはしょっちゅうだった。

それでも遅刻したら私の失点だ。

毎回先生に呼び出されて、「寝坊しました」「もっと早く寝なさい」わかってるよそのくらい!

私の努力で解決できるなら遅刻なんてしてないんだ!




こんな怒りを、親にぶつけたことはなかった。

バカバカしい。言ってもムダ。どうせ私とか他の誰かに責任をかぶせて、うやむやにされるだけ。

私自身の落ち度でできなかったときに倍返しされるだけ。

「あんたがやれって言ったから無理して付き合ってやってるのに、なんであんたがちゃんとしないの」

そんな風に仕返しされるだけ。

私が失敗したとたんに対応を放棄されるだけ。

1回失敗したらやり直しはないんだから、嫌な思いをするだけ損。

そうやって諦めて、そして、それはそれで自分自身への言い訳に利用してきた。

仕方ない、親がこんなだし。

先生が環境を用意してくれるわけじゃなし、この環境で無理しても仕方ない。やるだけムダ。

いつか家を飛び出してから頑張ればいいや。

そうして自分の前向きな気持ちもつぶした。自分でつぶした。




あなたの問題に巻き込まないで。

あなたの問題の尻拭いをさせないで。

私の問題に、ちゃんと取り組ませて。

私を手放して。

ああそうか、「親のせいでできない」っていうことも、子供の問題を取り上げていることになるんだ。

子供自身の力で解決することを妨害してるんだ。

自分の問題に辿り着く以前に足止めをして、取り組ませないってこと。

そして、できない子供にしてしまうってこと。

できないでいいって許可を与えてるってこと。

私が私自身の問題に取り組むためには、解決しなければならない親の問題がいつも立ちふさがっていた。

それが当たり前のように、親の問題を解決するのが先と、差し出されていた。

私は放っておかれていると感じていたけど、こんなに干渉を受けていたのか。

そしてそのことにずっと怒りをもっていたのか。




親の問題は親のものだ。

怒りは、親へのものだ。

やり方は、親の刷り込みだ。

やり方は学び直す。

怒りは、親へ返す。

私には、私の問題と自分でぶつかる権利があったんだ。

posted by 蝉ころん at 18:57| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

「あの子」になりたかった

私の怒りは、「同等に扱え!」っていうのが軸にある。

もっと言うと、せめて同等に扱えってこと。

本当は自分を特別扱いしてほしいけど、それは叶わないようだから、せめて、他の人が受けているものと同等の扱いをしてほしいということ。

抑えて抑えて、同等で納得するから、同等まではできるでしょ?

あの人に、あの子にしてあげられるんだから。

私にだってできるじゃない?

できるのにしないのは、私が、あなたにとって与えるのに値しない存在だから。

そういうことじゃない?



私の頑張りは同等に見てもらえる存在になるための頑張りだった。

権利を勝ち取るための戦いだった。

あの子みたいにできたら、褒めてもらえる、可愛がってもらえる、笑ってもらえる。

「あの子」のような自分を演出してた。

家にいるときの「あの子」は兄。

兄ができることはなんでも追い求める。兄ができないことはできなくていい。

片付けもできなくていい。宿題もできなくていい。遅刻もしていい。

学校にいるときの「あの子」は担任がお気に入りの優等生。

活発に発言する。いじめっこにも立ち向かう。勉強もできる。宿題は出さなければいけない。でも家では兄なので宿題はしない。

人がいるところでは体が動くのに、1人だと何もできない。子供の時から。

1人だと、「あの子」がない。

誰も見ていない。

誰かの目を通さないと、あるべき私が見えない。

何をしていいかわからない。する意味も見えない。

私を同等に扱ってくれる何かは何もない。



本を読んだり、テレビを見たりするようになった。

主人公や、人気者の振る舞いを参考にするようになった。

世間というものの「あの子」になろうとした。

こんな人がいいらしい。

こういうことをしたらダメらしい。

こんなことは知っていないと。

こうできないと。

誰にでも通用する完璧な「あの子」を追いかけるようになった。




私って存在していたんだろうか。

この世に私っていたんだろうか。

私を一番感じていなかったのは私なんじゃないか。

でも「ひとと同じに扱ってほしい」って気持ちがあったのはわかった。

その後の怒りのなかに、この気持ちから出ているものがすごく多いことも見えてきた。




なんでそんなこと言われなきゃいけないの!

なんで私が悪いことになるの!

なんで私だけさせてくれないの!

私も!私も!私も!

「私も」って言っている言葉さえ、聞いてはもらえなかった。

私が不平等に扱われていると感じていることを、誰もわかってくれなかった。

私の気持ちを尊重してくれる人はいなかった。

尊重される立場に立ちたかった。

そこで、聞いてもらいたかった。

いつか爆発させるつもりの爆弾を大切に大切にしまいこんで、「あの子」を追求した。

自分で取り込んで、自分で制限をかけ続けた。

叶わないのは、私が「あの子」じゃないから。

「あの子」なら、叶うはず。

希望でもあり、絶望でもあった理想の「あの子」

いつか、「あの子」になって権利を手にしてやる。見てろ。




誰かがいると頑張ってしまう。無意識にやってしまう。

まだ残ってる「あの子」。ぽいしよう。

それはまぼろし。

まぼろしを追っても、何も得られないね。

「私」を見失うだけだったね。

頑張らないで。

「私」を思い出そう。
posted by 蝉ころん at 21:56| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

糧としての怒り

私を動かしてきたエネルギーはどうやら怒りだったらしい。

目標も、目的も、怒りによって作られてきた。

ちくしょう、なにくそ、負けるもんか。

あんなやつにやられっぱなしでいられるか。

いつか見返してやる。

いつか認めさせてやる。

見てろ。

いつか叩きのめしてやる。

いつか勝ち誇ってやる。




ずっとこんな気持ちを利用して、挫けそうな心を奮い立たせていた。

動けない体を燃やすようにして動かしてた。

私は全く幸せに向かってなかった。

打ち負かすこと。

認められること。

成功すること。

そして最後には立場を逆転させてやる。

そんなことに向かっていた。

復讐の欲求で動いていた。




最近は本当に子供に向けている感情が全部親へのものだってわかるようになってきた。

そしてその怒りを手放したくない気持ち。

私のエネルギーだったから。

怒りがそこにあれば体は動いた。

しなければいけないことをやりこなす力が出た。

馬鹿にすんな、これくらい、意地でもやってやる!

そんな思い。

怒りが沸けば、爆発的に力が出た。

でも逆に、していいこと、好きにできる時間、そんなときには何もできなかった。

好きなはずのことにも気持ちは向かなかった。

ただぼーっと誰もいないところで目を閉じて、そのままなくなってしまいたかった。

それか、ただ時間をやり過ごせる単調作業に没頭した。




怒りを感じられるときには私は未来を感じられた。

いつかきっとって。

怒りのないときの私は私を捨てていた。

感覚を捨てて無になってた。

早く消えてしまいたいって。

当時の私にとって怒りを捨てた現実には希望なんてなかった。

怒りだけが希望だった。

大きくなっても、大人になっても、怒りはずっとすぐそばにあった。

もうそんな環境でなくなってもずっと怒りを抱えていた。

他人に向けるにしろ、自分に向けるにしろ、それはずっと私を動かすエネルギーだった。




私は怒りを感じていたい。

私自身のパワーを感じていたい。

体温がカーッと上がって力がみなぎる感じを味わっていたい。

「できる自分」を捨てたくない。




でもやっぱりこれは違うんだ。

こんな、ドーピングみたいな、麻薬みたいな、自分まで壊してしまうようなエネルギーはやっぱり違うんだ。

怒ってもいいけど、悲しんでもいいけど、それにしがみつくことで自分を確認するようなことはしなくていいはず。




あのころはそれが必要だった。

自分以上の力を出して乗り切らなければ潰れてしまう状況だった。

もう戦場じゃない。

自分を壊してまで自分を大きくしなくていい。

私はそんなに大きい人間じゃない。

ちっぽけな私。

とってもちっぽけな私。

でも私は私を受け入れられる。

本当の、ちっぽけな私を愛してる。

posted by 蝉ころん at 16:57| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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