2010年09月08日

学校に行くということ

今日は子供たちがふたりとも突発的に学校を休んだ。

いや、昨日、記事を書いていた時、なんとなく予感はあったんだ。

夏休み明けのスタートダッシュでひかるが頑張りすぎてる無理が来てたこと。暑さが和らぎだして気候の変化にのぞむが体調を崩しそうになっていること。

さらに私は長い夏休みをずっと子供たちと過ごした挙げ句に学校が始まり朝のストレスがのしかかっていた。

「明日あたり休むかもな」

と思っていたのに。

それでも今朝はダメージを受けてしまった。

予測できてもダメだなんてそれもまたショックだあ。




以前から、子供が学校を休むとイライラに支配される。

私の時間が取られるから、自由がなくなるから。そう思ってたけど、なんかそれだけじゃない。絶対違う。

だって夏休みの間はそこまでのイライラはなかったもの。日中ずっとひかるものぞむも家にいて、宿題のことを思い出しもせずに過ごしていても平気だったもの。

だから引き金はたぶん違う。

学校を休むこと、それ自体が引き金なんだ。

私はまだ学校を休むことをちゃんと受け入れられていない。休むことにまつわる感情を解放できていない。

だから子供が休むことに対して憤りが出てくるんだ。




私は学校を休むことを許されていなかったし、学校に行かないなんて選択肢があるわけがないってくらい、封じ込めている。

きっかけになる出来事は思い出せないけど、学校を休みたい、行きたくない気持ちを、封じたらしい。

無理をしてでも頑張ること。やりたくないことでも頑張ること。つらいことでも頑張ること。

誰も認めてくれなくても、私は頑張ってる。今日もちゃんと学校に行った。

いじめが待っていることがわかっていても、先生に怒られることがわかっていても、私はちゃんと学校に行った。


それが私のプライドだった。


それだけが、私が私を認められるところだった。


そんなことしかなかったんだ。

そんなことだけだったんだ。

そんなことにしがみつかなければ生きていけなかったんだ。


誰からも認めてもらえなかった私が、自分自身に自信を持つために必要だったことだった。

中学でできもしない部活を選んで、厳しい指導に3年間耐え抜いたのもそのため。

辛い状況を耐えてやりきることだけが、私が私を認められることだった。

それも、他人から与えられた苦行でなければいけなかった。

私にそれを課してきた相手が根負けする場面が欲しかったんだ。

やられ続けていても、耐え切るということでプライドを保ちたかった。

自分を保ちたかった。




頑張った。よく頑張った。

よく潰れずに自分を守り通した。

偉かった。

そうだった。私はずっと見てた。

忘れ物をして立たされても、カンニングの疑いをかけられても、ランドセルの中身をぶちまけられても、バイキン扱いされても、殴られても、首を絞められても。

死んじゃうんじゃないかと思っても。

それでも毎日学校へ行った。

楽な方へ逃げずに立ち向かっている。

私は間違ってない。私は悪くない。私は頑張っている。

そのことを誇りに感じるために学校へ行っていた。

私は知ってる。

偉かったころんちゃんのこと。

頑張り抜いたころんちゃんのこと。

私はころんちゃんを誇りに思う。




これは私が選んだ方法。

無理を貫くことで自分を守った。これは私が選んだ方法。

生き抜くために必要だった方法。

私だけが理解して、私を認めていればいい。

子供たちに証明してもらう必要はないんだね。

posted by 蝉ころん at 20:33| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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