2010年06月30日

何にでもなれる

ぽんと出てきた言葉。

「何にでもなれる」

涙も一緒に。

感情はついてこない、出来事もついてこない。

ただ、「何にでもなれる」

うん、そうだね。

何にでもなれる。

私は何にでもなれるね。

何も、諦めなくていい。

拘りも捨てていい。

私は何にでもなれる。



生活が変化すると新しい刺激があるんだな。

また違う方向から掘り出すものが見つかりそうな予感。

焦らない、怖れない、侮らない。

ただ力を抜いて受け止めるだけ。
posted by 蝉ころん at 19:10| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

書けてないけど

ここのところ、ひかると話しながら家を出るようにしていて、そのまま外出してくるのでパソコンに向かう時間があまり取れないでいる。

夜には時間が取れるけど、そのときには書くこともなく、放置状態が続いている。

といって、書いておきたいことが全くないかと言えばそうでもなく、朝はやっぱり家を出られる時間がはっきりしないことなんかがストレスになっていて、状況によってはころんちゃんも出てくるんだけど、ちょうど書けそうな盛り上がりが来た頃には外にいる。

そのまま外出して家に帰ってくると、朝に感じた気持ちはすっかり忘れている。

相変わらず私の記憶は蒸発が早い・・・いや、きっかけがあれば思い出せるってのは、やっぱり隠しちゃうのが早いんだな。

これも、小さい頃に獲得した生きる知恵ってこと。

書けてはいないけど、そのときそのときで、たとえ外出中でもころんちゃんが出てきたタイミングで掬い上げてしまっているから、たぶん大丈夫。

書いている時よりは掬える深さは浅くなっちゃうけど、そこはそれ。またきっと書けるタイミングはある。



そんなこんなで毎日外には出るようになって、体は日に日に元気になっているのを感じる。

体が動くようになると、心のエネルギーが減っていても勢いで無理しちゃったり、「毎日はできないこと」を始めてしまったりして失敗することがあるから注意してる。

とにかく今は自分のプラスを貯めること。

マイナスは捨てること。

バツを消して、マルを増やしていくこと。

焦らないでゆっくりゆっくり浮上していくこと。


posted by 蝉ころん at 20:11| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

バツにバツをかさねる

子供のころ、住んでいたところは木造のアパートの2階だった。

声は筒抜け、足音は1階に響く。

当然、騒いではいけない、暴れてはいけない、話は小声で、歩く時はそーっと。

うるさい子は、悪い子だった。

それが、幼稚園、学校に入って、逆転する。

おとなしい子はつまんない子。大きい声が出せない子は元気がない子。活発で、大きい声で喋る子は、とっても良い子。

今度は、静かな自分にバツをつけて、元気で快活な子を目指さなければいけない。

家では、相変わらず、静かにしなければいけない。

そうなると、元気な自分にさらにバツをつける。

だんだん、声の出し方がよくわからなくなって、元気にしているつもりでも万歩計が反応しないような歩き方になってた。



家では、自己主張はNGだった。泣くのも、要求するのもバツ。

学校では、発言ができなければいけない。自分の意見を持たなければいけない。自己主張のできない自分にバツをつけて、意見をひねりだして声を出す。

プライベートの付き合いでは、相手を尊重できなければいけない。主張できるようになった自分にバツ。

表現のしかたもどんどん忘れていって、笑う時だから笑い、泣いてもいいから泣き、怒るべき時だから怒り。必死でまわりに合わせて、感情を出さなければいけないから感情があるふりをしていた。

合わせるのに必死で、本当に自分が感じていることなんて、意識にものぼらなかった。



どんどん、身につけたものにバツがついていく。

バツの上にバツをつけて、さらにバツを重ねて、なにがよくて何が悪いのかももうよくわからなくなっていって、それさえもバツになって。

そんなことをずっとしてきた。



笑っていいんだよ、って言われても。

笑わなきゃ、って思った。ああ、ここは、笑うべき時なんだって。

よかれと思ってかけられた言葉でも、バツに変わっていく。

軽くしようと思ってくれたことでも、重荷に変わっていく。

自分でもなぜなのかわからない。

でもそうなってしまう。

苦しいよ。

もうなにも乗せないで。

ただそのままの私でいさせて。

ただ私でいさせて。

立ち止まっていさせて。





バツを無理にはがそうとしなくていいね。

バツはかさぶた。

傷を守るためのかさぶた。

時が来たら、自然にはがれる。

ただ立ち止まっていれば、自然に癒えていくよ。

posted by 蝉ころん at 13:43| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

ルールの中の私

私は産まれた時からルールの中にいた。

欲求ありきではなく、ルールありきで生かされてきた。

あまりにもいつもそばにルールがあったから、それが当たり前のことになっていて気付かなかったけど、私はいつもルールの中にいた。

自分が不真面目でいい加減な人間だと自覚していたのに、他人から見ると真面目できちんとした人に見えるというのが不思議で仕方がなかった。

でも、ルールの中で生きていることがわかって、納得がいった。

真面目に見えて当然だ。

私はルールからはみ出ずに生きていたから。

自分にだけダメージがくるような悪さはするけれど、他人に迷惑がかかるようなことはほぼしていない。

私はただ、許された範囲の中で、ちょっとできた隙間の中で勝手なことをしているつもりになっていただけ。

したいことをしていたつもりもあったけど、したいことじゃなかった。

ただ、私にも許されているはずの権利を使いたかっただけ。

大量のしなければいけないこと、してはいけないことに囲まれて、ぎゅうぎゅうになっていた生活の中で、他の人間がしていることを羨んで、私だって、していいはず!って、主張したかっただけ。

してもいいこと、しなくてもいいこと、が欲しかっただけ。

私の欲求は、深く深く、埋まっている。

大量の決まり事の中に、埋もれている。



子供たちが、何か主張するたび、イライラするのはなぜなのか。ほんのほんの、些細なことでカーッと血が上るのはなぜなのか。

そんな疑問もあったけど。

私の中にはそんな細かいことにも、全部ルールがあったんだ。

生活全てが、ルールだった。

私の周りの誰にも見えていないルールが、私にはあった。

みんな、そんなことになるなんて知らなかったんだ。

でも、私は、言葉をかけられるたび、縛られていった。

なにげない、本当に何気ない言葉に縛られていった。

縛られないことが、ありえないことだった。

私の境界線は、ルールで作り上げていた。

私の気持ちからできたものじゃなかった。

ルールに従うことが生きることだった。

だから、縛られずに生きているのが許せなかった。




他の人が自由に動き回れる面の中で、私は網のような線の上を歩いていた。

他の人から見たら、そこにそんな線は見えない。

でも私にとっては、決してはみ出てはいけない線。

みんなと同じ場所にいるようで、同じように動いているようで、私は限られた場所しか通ってはいなかった。

その線さえ、少しずつ、減っていった。



私が、取り込んだルール。

ルールを取り込むものとして、生きてきたけど。

本当に、いつから身に付いたのかわからないくらい昔からそうやって生きてきたけど。



破壊する。

これは、本当に、いらない。

人を思いやることと、ルールに仕立て上げて自分を縛ることは違う。




しばらく、めちゃくちゃになるかもしれない。

いやきっとなる。

でも壊す。叩き潰す。

二度と使いたくない。

いや、使っちゃうだろうけど。

でももういやだ。

私が一時ばらばらのむちゃくちゃのとんでもない人間になったとしても。

もうこんなのはいやだ。

私は生きたいよ。

私でいたいよ。

生きたいんだよ。

posted by 蝉ころん at 19:57| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月16日

加害者気質と被害者気質について思うこと

私が被害者にもなり、加害者にもなり、そこそこ自分を探る旅もしてきてことで、昔の謎が、どうでも良くなっていることに気付いた。

どうして加害者になる人となる人と被害者になる人がいるのか。

私は被害者にも、加害者にもなったので、ハラスメントの被害者加害者の生育環境には似たものがある、という話を自分の存在で証明したようなものだけれど。

今になって、私なりの答を出すとすると、責任、かな、と思う。



生育環境で、自分の本来持つべき以上の責任を背負わされていたら、そのまま人の責任を背負い込むように生きてしまい、結果被害者になりやすいかもしれない。というか、加害者気質の人に捕まりやすくなる・・・という感じ。

逆に、自分の持つべき責任を持たせてもらえず、常に奪い取られて別の誰かが背負っているような環境だと、加害者になりやすいように思う。

それから、いつも誰か別の人の責任を背負い込まされていたけれど、隙あらば他の人に乗せてしまえ、と狙っているタイプ。被害者にも、加害者にもなる。私はこのタイプかなと思う。

どのパターンにしても、各自が負うべき、苦しみや、悲しみ、辛さの原因を、誰か特定の人物を犯人に仕立て上げて、丸投げして逃げたい、っていう心理があるように思う。

自分が苦しいことに耐えられなければ、他人に背負わせるし、人が苦しんでいることに耐えられなければ、他人の分まで自分で背負い込んでしまったり。

対象が自分か他人かっていうだけで、実は誰かを責めている時点でしていることは同じに思える。



犯人はいらないんだよね。

自分の苦しみは自分で持つ。他の人の分は、勝手に奪い取らない。それだけのこと。

たとえ子供であっても、その子の背負える分は、その子が背負う分。

背負えない分は持ってあげるほうがいいけど。

背負う力を育てる機会を奪ってはいけない。

辛いことを解消したければ、状況の改善のために原因を探るだけ。無理矢理犯人を作らなくていいい。

犯人探しをしてしまうのは、ハラスメント界の習慣なんだと思う。



そして、加害者が、加害に気付くかどうかのポイント?

相手が被害を受けている状態に耐えられなくなること。

相手を本当に好きかどうか、にかかっていると思うんだなあ。

自分を好きなのと同じくらい、相手のことを好きかどうか。

私の私見ですが。

これはかなり難しいよねえ・・・。

posted by 蝉ころん at 17:27| Comment(5) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

逆の立場

次はひかるの側。

こっちも私はやっていた。

相手はひかる。

私がターゲットにしていたのはひかる。



鬱陶しかった。

私が見つけて獲得してきたものを、横からかっさらっていくひかる。

なんでも真似して、先にやってしまう。

させるものか。

私のだ。

私がやるんだ。

わからないように、バレないように、ブロックする。

お前なんかにやらせるものか。

嘘もつく。

あ、やりたかったの、ごめんごめん。

邪魔なんかしてないよ。

気のせいだよ。




私もやってたね。

嫌だったんだ。

私が受け入れられなかった気持ちを実現していく子供たちが妬ましかった。

全部伝わってる。

ひかるにはバレてるよ。

それでもひかるは頑張って生きてるよ。

私も頑張って生きてた。

こんなこと、いらないね。

もうこんなこと、必要ないね。

手放そう。



私はもう自分で実現していけるから。

誰も邪魔なんかしてこない。

受け入れられることを待っていなくてもいいんだから。
posted by 蝉ころん at 08:42| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

掃き溜めの役

子供はちょくちょく刺激をくれる。

今日は、ひかるがのぞむがしようとしていることをさりげなく邪魔ししてて・・・。

モヤモヤ〜っとくる。

だーーーー!もうっ!

いらんことすなっ!

自分がうまくいかないからってのぞむを巻き込むな!



ふーーーー。



ころんちゃんひさしぶり。

私も、よくやられてたんだよ、そういうこと。

誰にも相手にしてもらえずに、仕方なく自分でなんとかしようとすると必ず邪魔する人がいた。

足を引っ張る人がいた。

私はやっぱりターゲットにされてたんだね。

私に自律して欲しくない、ずっとターゲットのままでいてほしい人がいたんだ。

それもたくさん。

みんなにターゲットにされていた。

そうだったんだ。

私がターゲットで居続けることで助かる人がたくさんいた。



嫌だったね。

助けてって言っても無視されるのに、進もうとすると止められる。押しつけられたりする。

立ち止まるとまた放っておかれる。

私にどうしろって言うの?

進むことも許されず、止まっていたら置いていかれて。

私はどうしたらいいのよ。

どうしたらみんなと一緒に歩けるの?



私は一緒に歩くことを拒まれていた。

どんな私になろうが、あの人たちは私と一緒には歩かなかったんだ。

常に後ろをこそこそとついてきて、気が向いたら石でも投げられる存在であり続けることを求められていたんだ。

集団で、私の立ち位置はそこしかなかった。

集団の中でもなく、外でもなく、壁より外、堀より内。

そんな立ち位置。



悔しい。

やっぱり誰も私そのものなんて見てくれていなかったんだ。

私が感じた、部外者だけが私を人として見てくれるって感覚は、本当だったんだ。



入らなくていい。

そんな集団に入らなくていい。

私は私でいい。

ころんちゃん、辛かったね。

ずっとずっと外側をひそかに歩き続けて、寂しかったね。

認められずに、ひとりぼっちで、嫌だったね。

よく頑張った。

もういいからね。

もう、そんな思いはさせないよ。

私は私でいいんだもの。

私が進みたいように進んでいいんだもの。

誰にも道は塞がせない。

一緒に進もう。
posted by 蝉ころん at 08:19| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

感情をごまかす表情

ひかるは以前、火がついたように泣いたと思ったら、泣き止んだとたんに笑い出すクセがあった。

泣くことを否定されていると身に付く、自分をごまかす方法。

否定されることを恐れて、泣くより強い表現で覆い隠す。

笑うことで、泣きたくなる感情を押さえ込んでいる。

だから、笑い方も妙に明るくて不自然。




私も子供の頃はそんな時期があった。

繰り返すうちに、そのうち泣く前から笑うようになっていくんだ。

そして悲しいってことさえも忘れていく。

最後には悲しい時でも笑っている人間が出来上がるんだろうな。




感情を否定されるのはとても辛いね。

感情は私の源なのにね。

ねじ曲げて、素直に表現できないって苦しいね。

まっすぐに表していけばいい。

私そのものを出していけばいい。

ごまかさなくても大丈夫。




最近、ひかるは泣き続けるようになってきた。

泣き止んだ後は、ぼーっと放心している。

泣き尽くせてるといいんだけど。

ひかるも少しずつ変わっている。

解き放って、進みたい方へ進んでいったらいい。

変わりたい方へ変わっていったらいい。

私はそれをしっかり見守ろう。

見守るのが辛い時は、自分を掘り起こそう。

押しつけはもうたくさんだね。
posted by 蝉ころん at 16:34| Comment(4) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

続くもあり、変化するもあり

ひかるの学校生活は相変わらず不安定。

私は何かあるたびに学校や担任の対応についてモヤモヤしてしまう。

モヤモヤするときは自分を疑え。自分の中の常識を疑え。

私はずっと学校に対して不満や要求を持ち続けてきた。

学校に縛られていたのは私。



私はずっと、ひかるが「普通に」学校に通えるようになることを目指していた。

私が変われば子供も変わる。

そんなことを信じて、ひかるが変わることを目指していた。

自分を見ているつもりで、ひかるを動かそうとしていた。



そうじゃないね。

ひかるが変わるかどうかは、ひかる自身が選ぶこと。

私ができることは、私が変わることだけ。

ひかるのことは、ひかるの意思に任せるだけ。



私は、毎日なにごともなく学校に行けるようになって欲しかった。

今のひかるを見ずに、未来のひかるに望みを託していた。

今までだってずっとひかるは頑張ってきた。

それを認めずに、先ばかり見ていた。

目標に至る道筋に乗っていることしか認めてなかった。

今日はこうできてた。よかった。

今日はまた逆戻りだった。まあそんなときもある。

そんなふうに自分を納得させてた。

逆戻りってことは、認めてないよね。

ひかるはただ、今を頑張ってる。

それをただ見守るだけ。



先のことはわからない。

全く馴染めなくなって学校に行かなくなるのかもしれない。

あっさり克服して何事もなかったように通うようになるのかもしれない。

どちらにしてもひかるは頑張って生きている。

私は私にできるサポートをするだけ。

ひかるが自分で選んだ道を、サポートできるように変わる。それだけ。



私はただ、ブレない私自身でいられるように、自分であることを強化する。

倒れない、折れない、しなやかな太い幹になる。
posted by 蝉ころん at 16:36| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

悪くないんだ

今日は疲れもあって、子供と気持ちがずれまくってる感じがしてた。

で、ちょっと、スムーズにいかないときに立て続けにのぞむとひかるが同じような困ることをしてきて。

で、二人とも謝らない。

カチンとくる。

モヤモヤしたから1人になって探ってみた。



私は嫌だったんだ。

困ることを、手間取ることをされて嫌だったんだ。

それでも謝ってくれなかった。

なんで?

嫌なことしたのに。

あっちが悪いのに。



ここだ。

子供たちが悪いのか?

私は嫌だった。

それだけしか、そこにはなかったんだ。

悪いとか、ないんだ。

私が嫌だったってことを、子供たちが受け入れてくれるのかどうかだけ。

私は伝え方を間違った。

責めてしまった。

そして、子供たちは受け入れないことを選んだ。

そりゃそうだ。

悪くないのに責任なんて押し付けられたくないよ。



悪いなんてないんだ。

そこには気持ちがあるだけなんだ。

嫌だったってこと。

嫌だったってことをわかって欲しかったこと。

私がそういう気持ちになったことに対して子供たちには責任はない。

子供たちは、そのままでいいんだ。

そういうことなんだ。



わかってもらえなくて私が寂しかっただけなんだ。

押し付けちゃったね。

寂しさは自分で持とう。

posted by 蝉ころん at 21:21| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月05日

永遠に続くとしたら

それが永遠に続いたら耐えられるのか?って沸いてきた。



なるほど。

確かに私はよく、あと○○の辛抱だから、って我慢をしていたな。

いつまでも続くなら無理、ということは、やっぱりもともと無理してるんだよ。

減っていってるんだよ。

私のエネルギーを分けるとき、今の状態が永遠に続くなら嫌だと思うなら、やりかたを変えることも考えた方がいいかも。

私が続けられる方法を選ぶ。気持ちよくできるやり方で選ぶ。



よく、明日死ぬなら最後に何がしたい?って質問はあるけど、真逆な感じかな。

明日死ぬなら〜は本当にしたいことを見つける質問だけど、これは本当は嫌なことかどうかを見分ける質問かな。

これもいいかも。

ときどき自分に確かめてみよう。

posted by 蝉ころん at 21:12| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あげすぎてた

私は他人にパワーを使いすぎてるんだな。

自分に使うはずのパワーまで人にあげちゃってるんだな。

ずっと親にパワーを使ってた。

今は子供に向けてるのが多い。

お母さんなんだから、って。

これくらいはできなきゃって。



自分を基準にして線を引かないと。

それは私にしかわからない境界。

実は簡単なんだ。

だってイライラするもん。

イライラしちゃうほど頑張っちゃうのは、境界を越えてる証拠なんだ。

あげすぎたら返して欲しくなっちゃうんだな。

わけてあげられる分だけで対応できれば、イライラもでてこない。



私は返してもらうことを期待してたんだな。

褒められるとか、喜ばれるとか、笑顔とか。

それを取り込もうとしてた。

返ってこない前提でどこまで分けられる?

私のエネルギーの使い道は自分で決めていくんだよ。
posted by 蝉ころん at 21:00| Comment(4) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

自分のためにパワーを使う

このところ、「自分だけのため」をさぼりがち。

何かのついでに自分のものも。
家事の前に自分にもフォローを。
もう子供が帰ってくるからその前に滑り込みで。

そんな感じで、自分がおまけ状態だったかも。

他のことが動くから、自分のこともどさくさで実現してる感じ。

一見自分で動いているときでも、自分のためのことのきっかけは受け身なんだ。



私はこれだとあんまり嬉しくない。エネルギーにならない。

私が、私だけのために、面倒くさいのを押し切って実現するのがだいじ。

面倒くさいを打ち破るんだよ。

簡単じゃないけど。

その時は本当に面倒くさいが心と体を占めてるから、大変。かなりパワーがいる。

でも打ち破るんだよ。



私が動くことで、私の思いが実現することを実感することが大事。

心と体が体験して記憶することが大事。

心の回路には、バーチャルよりもリアルが有効。

何回も何回も繰り返して記憶を塗り替えてくんだ。
posted by 蝉ころん at 23:51| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

受け身人生を終える

思いを実現すること。

そのために色々なことが存在するんじゃないかと思った。

技術も、思想も、理論も、道具も、学問も、自分の手足も。

思いを表現するため、実現するための手段。

私はどれだけ自分の思いを実現してきたのか。

私の思いはなんだったのか。



突き詰めるほどに、私には自分から動いた記憶がない。

最近意識して自分から動いていることを除けば、与えられたものばかりだった。

自分で食べたいものを主張するでもなく、着たい服を選ぶでもなく、行きたいところに行くでもなく。

ただ、出された物を食べる。買ってこられた物を着る。勧められた服を買う。行かなきゃいけないから行く・・・。

いかに受け身が多いかと思う。

学校の勉強なんか全部受け身だし。

「やれ」と言われたから仕方なく、という形式を受け入れていた。

自分から決めようと思う時でも、誘われなかったからとかいう理由で諦めたりした。

正当化された理由がなければ動けなかった。(ごく最近までそうだった)



以前から気になっていたこと。

事実ではあるようだけど、記憶・感情と繋がっていないからこれを書くのはどうなのか?ってずっと書かずにいたこと。

でもひっかかっているのは事実だから、書いてみようか。

母から聞いた、私が産まれた病院でのこと。





その当時、その病院では産まれた赤ん坊はすぐに新生児室に入ったらしい。

病院での生活は、授乳時刻がきっちり決まっていて、時間になると連れてこられて授乳をして、また連れて行かれるというスタイルだったらしい。

授乳以外の世話は全てスタッフ任せ。

退院したときには私は既に泣かない子だったと言う。

そして、起こさなければずっと寝てる子だったと言う。

起きても泣かず、誰も気付かないくらい静かな子だったと。



本当か?

私だって、最初は泣いたんじゃないのか?

声の限り泣き叫んでいたんじゃないのか?

私が助けが欲しいタイミングで、私の気持ちで声を上げていたんじゃないのか?

それでも時間にならなければお腹は満たされない。母親には会えない。

私はこのときに既に自分から発信することを諦めてたんじゃないのか。

そう思えて仕方がないんだ。

だんだん学習したように思えて仕方ない。

ちょっときもち悪くてもそのうちには誰かがやってくれるみたいだしまあいいか。

次はいつくれるかわからないから飲んどくか。

目が覚めようが、お腹が空こうが、くれないタイミングではくれないんだから、言うだけムダ・・・・そんなら疲れるだけだし静かにしとこう。



喋るのも遅かった、動き回るのも遅かったという私。

私の面倒くさがりはこのときからもう獲得してたものに思えるんだ。

私から発信してもどうせ何も実現しないし。

言わなくてもいつのまにか誰かが勝手にやってくれてるし。

やんなくてもいいじゃん。



私に喋らせるために話しかけ始めたんだって。

私に立たせるために捕まらせたんだって。

好きなことだって、与えられてみたら面白かった、だけ。

自分から積極的に好きだからやりたい!ってなかった。

こうしたい!ってなかった。



人生のスタートはこんなかんじ。

たぶんきっとそんなかんじ。

やっと自分から動く人生をスタートしたんだなあ。

働きかけを待たない。

自分起点で動く。

そのスタートが、あのまっしろな空間なのかな。

どこに向かって歩くのかも、どんなペースで歩くのかも、留まっておくのかも、私次第。

全部私の中にある。
posted by 蝉ころん at 11:26| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

変わってる!

昨日、今の自分の不安定な感じを、離婚当初と似ていると書いたけど、そのイメージが、真っ白い空間を歩いている・・・って、そうとう違ってるって気付いた。

離婚当初、あのころは、切り立った崖の上の一本道のイメージだった。

ちょっと足を置く場所を間違えれば道は崩れ、踏み外せば奈落の底ってイメージだった。

なにもない、先が見通せない、は変わってないけど、今のイメージは、平らだ!



どこまでも続く平らな場所。

光のあふれる場所。

不安はあるけど、恐怖はなくなってる。

安心はないけど、安全はある、みたいな。



いつのまにか、こんなところまで歩いていたんだな。

ひかるものぞむも一緒にいるんだな。

一歩は小さくても、ペースは遅くても、進んでる。

進めてるね。
posted by 蝉ころん at 17:08| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

ひとりで歩く

命綱を手放す覚悟。

これも、覚えのある感覚だった。

元夫と離婚することが決定したころ、私はとても恐かった。

不安で不安で、なにかにすがりつきたいような感覚に襲われてた。

まあ、それでモラハラ環境の職場にすがりついてしまったわけだけど・・・



あのときと似てる感覚。

でも、今度の方が力づよい。

イメージは、なにもない明るい白い空間を、ひかるとのぞむと手をつないで、ただまっすぐに歩いていく感じ。

私は前後にも左右にも、支えがない感覚にとまどっている。

でも私は知っている。

私が支えがなくてもちゃんと歩けることを。

歩けるようになることを。

離婚当時と違って、自分のことを信じることができるようになっている。

私はひとりで歩く。



子供たちとは、手をつないでいる。

子供たちも、手をつないでいても自分で歩いている。

しっかり歩ける自信がついたら、自分から手を離していくんだろう。

私はそれを応援するだけ。

子供たちが私を心配しないでいいように、私はただ自分の足でしっかり歩くだけ。

明るいまっしろな空間を歩くだけ。



そんなイメージが今頭の中にある。

posted by 蝉ころん at 22:34| Comment(0) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

捨てられる恐怖

新しいカテゴリを追加しました。

書くという形でころんちゃんを表現する必要はなくなったけど、私は相変わらず忘れっぽいのでやっぱり出てきた記憶は綴っていこうと思います。

===============================

昨日、まだ私が親に繋がる命綱を握っていたことに気付いたあと、夢のことが浮かんできた。

ここにも書いた、父に対して怒鳴ってる夢。

私は放置されていたし、奔放な子の役もやっていたから、結構好きなことをして、好きなことを言っていたように思っていたけど、それも違った。

子供の頃、父の本気を試したとき、私はちゃんと父の限界を知っていた。

私を受け入れられる限界を知っていた。

いつも、限界に届かないレベルで発言してたんだ。

本当に自分の気持ちを主張したことなんてなかった。

だから、夢でしたように親に言いたいことをぶつけきる経験はしたことがない。



私は父が恐かった。

格闘技の心得があり、段位を取れる力があるくらいだったけど、素人を相手にできなくなるから段位は取らなかったというほどの実力だった。

そんな男が、家庭で大声で怒鳴る。物に当たる。

私は父のことが恐ろしかった。

母に暴力を振るったことはなかったらしいし、そんな記憶もないけど、そうなるかもしれない恐怖は常にあった。

それから、捨てられる恐怖。

なぜなのかはわからないけど、逆鱗に触れたら「出て行け」って言われると思っていた。

なぜ、の部分はまだ埋まってるんだろう。




とにかく、私は捨てられるのが恐かったし、家庭内で暴力が発生するのがとても恐かったってこと。

覚えている限り人に対して暴力がふるわれてはいなかったけど、命が奪われる恐怖が常にあの家にはあったんだってこと。

捨てられて、ひとりぼっちになる恐怖があったってこと。
posted by 蝉ころん at 18:08| Comment(0) | ころんちゃん覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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