2010年05月31日

チャイルドに試されていた

ころんちゃんの声が聞こえるようになり始めた頃、当時の私にしてはハードルの高い要求が多かった。

試されていると感じた。



本当に聞く気があるのか?叶える気があるのか?
こんなことできるか?面倒だぞ。恥ずかしいぞ。お金かかるぞ。太るぞ。

それでも、本当にやる?



やらないと信じてもらえないのは知っていた。

だって、やり方が子供の頃の私と同じだから。

私が親を試していた時と同じだったから。

ぎりぎり、許容限度を超える要求を突きつけて、それが叶えられないようなら本物じゃないって。

何回か要望を聞いていくうちに、ころんちゃんの厳しい要求は収まっていった。

現実的には満足できたらしかった。



次は、ブログ。

かなり激しい感情がでてきても、そのままを書くこと。

ただ私が受け止めるだけでなく、その感情を、世に公表してもいいものと認めた証明。

書くことで、ころんちゃんの存在を公にすることで、私が存在を認めたことを納得してもらえた。

その上で、ブログをそういう目的で使っていることは書いてはいけなかった。

「私はいろいろときついことを書いていますが、これを書かないと進めないからしかたないんです。本当の私はこんなこと考えてないんです」

っていう、言い訳になってしまうから。

私ところんちゃんは別物ですって言っているのと同じ。

それは、ころんちゃんを本当には受け入れていない証明になってしまう。

だから、ただそのまま、浮かんだままを綴り続けた。

言い訳をしたくなっても、なにか違うって感じた。

この感情は、ころんちゃんは私。私をそのまま出すんだって。




でも今日、親を断ち切る覚悟を書いて、もう試しはいらないんだとわかった。

あとは本番だけなんだってわかった。

不思議だけど、わかった。




逃げないで向かうよ。

恐いけど向かうよ。

きっと大丈夫。
posted by 蝉ころん at 21:47| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親を断ち切る覚悟

ここのところ親に関わる思いが続けざまに出てきた。

自分では、もうとっくに親は切っているつもりでいたから、あれ〜?と思っていた。

さっき見えた。

私はまだ命綱を握っている。

最後には親に認めて欲しいと思っている。

それがわかった。

親を切ったつもりでいても、同じように生家に対して絶縁宣言を叩き付けた人たちのブログを見て、安心を求めていた。

絶縁したあとに、関係が修復されていることを求めた。

「大丈夫、修復できるんだから」

そんな声を期待して。

やっぱり手放していなかった。

繋がっていたかった。




「覚悟」って言葉が出てきた。

記憶にある言葉。

ああ、あれだ、子供とはなれる覚悟をした時だ。

子供たちは、私から離れても生きていける。

立派に成長していける。

それを認めたとき。

子供たちが元夫と暮らすことになって、私は二度と会えないこともありうることを受け入れたとき。

私は子供たちと会えなくなることを受け入れた。

私がいなくても、それでも子供たちは大丈夫なんだと、子供たちを心の中で手放した。



共依存体質は私。

私から手放す覚悟を決めない限り、共依存は続く。

今度は親から私が離れるんだ。

二度と会えなくなる可能性は、ある。

それでも。

親を受け止める役を降りる宣言をしないかぎり、彼らはずっと私を道具として扱い続ける。

私は道具にはならない。

それは、親たちから見た子のあるべき姿をいっさい受け入れないと言うこと。

実の親から勘当された経験のある父。

絶縁になる可能性は高い。



私の生家の内部は共依存の関係だった。

離れても、続いている。

彼らが自分たちのしていることに気付かない以上、私が子供であることを放棄したら、関係は壊れる。




私は親を失うんだろう。

子供たちから祖父母を奪う結果になるかもしれない。

子供たちに恨まれる結果になるかもしれない。

親からは当然、恨まれるんだろう。




それでも私はその道を進むんだ。

それでも私は子供たちを育てるし、子供たちは育つだろう。

親たちは、私がいなくても今まで通り親たちの人生を進むだろう。

そう、私は親たちには必要ない。

親たちも私には必要ない。

覚悟を決めるんだ。

私は親を断ち切る。

私はその道を進んでいける。

ひとりでも進んでいける。
posted by 蝉ころん at 21:25| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当はどうなんだ

子供時代、私ら兄弟はなんでも自分たちでするようにしつけられてきたと思う。

自分のことは自分でするようにされていた。



それが、いざ、自立が見えてきたころから変わってきた。

違うメッセージが見え出した。

私は自活することを目指していたから、バイトを経験したかった。

それは父に阻まれた。

親の臑をかじっている分際で、自分で自由に使える金を増やそうなど許せないと。

そして母は私に家事をさせよう、させようとしだした。女だから。

兄には絶対にさせない。男だから。

私は、母が資格がないから資格保持者の父と一緒でなければ仕事もできないこと、家事を担当していることで、資格を取る時間もないことを聞かされていた。

私は家事が嫌いだ。

特に、家の仕事としての家事が嫌いだ。

家事では、暮らせない。

誰か稼いでくれる人がいなければ、家事を身につけたって生きてはいけない。

その家事を押し付けてこられるのがとても不快だった。



こいつら、みんなして私を使いもにならなくしようとしている。

私を、誰かに寄生しないと生きていけない人間に仕立て上げようとしている。

私を、母の代わりに家に縛り付けて道具にしようとしている。



私は家事が嫌い。

でも、好き嫌いの前に、私は家事を見下している。

そんなこと、やってられるか、と、思っている。

時間だけ食って金にもならないこと。
他になんにもできないやつがすること。
仕事のできないやつがすること。

そんなふうに、思っている。

封じていたんだ。

そんなことを思っているなんて!

でも思っているんだ。




封じていたから、見えなかった。

家事をする人=母を、見下しているんだ。

家事を理由に、逃げてる。

中学生にもなれば、見える。

別にそんなことに拘らなくていいじゃんってことに拘って時間を使う母。

そして時間を使うだけ使って、時間がないからと言い訳をする母。



やんなきゃいいだろ!

みんなもうほっといたらできるだろ!

やらせればいいだろ!

兄貴にだって、親父にだってやらせればいいだろ!

しょーもないことに拘って誰にもやらせないのは、お前だろ!!

家を言い訳にしてんじゃねーよ!

私に丸投げしようとしてんじゃねーよ!

みんな自分のこと自分ですればいいだけだろ!

ふざけんなよ!

やりたいことあるならやれよ!

私らのせいにすんなよ!!!

やりたくないなら、やらないのを家事のせいにしてんじゃねえよ!



あんたが自分で選んでんだよ。

何もできない状態を。



そんな母を見下してた。

思い通りになんかなってやるかと思ってた。

勝手に破滅してろ。

私はそんな道はいかない。




私は、ただ母を否定していただけだ。

いろんなこと、好き嫌い、したいこと、したくないこと・・・

否定するために、同じことには手を出さないようにしてしまう癖。

全否定しないと恐いから。

同化してしまいそうで。

やるからには、抜きさるまでしようとする。

影響を受けない位置まで。

こんな好き嫌い。

きっと本当の気持ちじゃない。

と、思った。
posted by 蝉ころん at 19:38| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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