2010年05月10日

母の日

昨日は母の日で。

子供たちが計画して、1日私をもてなしてくれた。

朝ご飯から晩ご飯まで。

プレゼントもあった。

メッセージも。

とても素敵な子たちだな。

私はすごく幸せ者だな。

それでも、喜びの薄い私。

もちろん喜んでお礼をいった。

でもまだ心はしっかりこもらない。

こもってないのが自分でわかる。

ころんちゃんは白けている。

感情じゃなく、理性で喜ぶべきと思って喜んでいる感覚。

うつ状態だと喜びを感じる物質の出る量が少なくなるんだとかなんとか。

そういうことなんだろう。

でもそんな物質話はどうでもいい。

だって私は喜びが増幅される状態も知ってるから。

薬物的なことじゃない方法があるはず。

のぞむと笑い合った時の喜びの感覚が、そのことを教えてくれる。





喜んで欲しいのはまだ私。

ありがとうって言って欲しいのもまだ私。

私も、きっかけを見ては母にイベントを仕掛けていたな。

母の日にプレゼントもしたな。

でも、いつも忙しい母は、言葉だけでお礼を言うだけだった。

母は、私が何かしたことで嬉しそうな顔をしたことがない。

お礼じゃないんだ。

喜んで欲しかった。

いちいち評論しないで、ただ嬉しいって言って欲しかった。

私を見て笑って欲しかった。



ひかるものぞむも、「ご飯おいしかった?」「プレゼント、嬉しい?」とかって、何度も何度も聞いてくる。

そんなふうに何度も確認して、喜んでもらってることをしっかりしっかり確かめてよかったんだな。

喜んでもらえて嬉しいってことを自分に焼き付けられるくらい、しつこくしてもよかったんだな。

ストレートに表現できる子供たちが羨ましい。

羨ましい!



私ももっとストレートに出していいんだ。

しつこく確かめていいんだ。

子供を羨ましがるなんて、とか、思わない。

羨ましいもんは羨ましい!

羨ましいから、やる!

私も真似する!

真似だってしたっていいんだい!




いろいろ子供に助けられてるなあ。救われてるなあ。

きっと恩返しするからね。

こんなお母さんでも大好きでいてくれて、ありがとう。




あー。

いまごろやっと、嬉しいのが出てきたよ。

嬉しいちゃんはのんびりやさんみたいだね。

筋肉は長いこと使ってないと筋肉痛が遅く出るんだって。

嬉しいも使ってなかったから反応が遅いのかなー?
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2010年05月08日

気持ちを実現すること

子供のうちから大人の常識を実現できていなければならなかった。

マナーとか、非常識とか、行儀とか、外でも家でもきちんとできているべきとされてた。

自己主張とか悪いことだった。

全部ただのワガママとして処理されてた。

大人から聞かれた時だけ、希望を出していいが、返ってきたものが希望通りでなかろうがありがたく受けるのが素直な子供のあるべき姿。

自分を主張する前に他人を受け入れねばならない。

子供が大人相手に?

どんな世界だよ!って今なら思う。

そしてできてようが褒められるわけでもなく、できてなければ叱られる。

マイナスをもらわないために、ゼロを感受する。

どれだけ頑張っても避けることのできない小さなマイナスが日々蓄積していってた。

どんどん気持ちを封じ込める方向へ追いつめられてた。




気持ちを出すのがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。

出しても出しても、全部マイナスが返ってきてから。

今はもうまわりの大人に頼らなくても自分で決めて受け止められる。

希望を実現することも自分でできる。

それがこんなに気持ちいいなんて。

昨日は、お菓子を作りたくなって、本を見てピンとくるものを探して、カップケーキを焼いた。

自分だけのために。

途中で、3つできるからみんなでわけた方がいいかな・・・ってでてきたけど、振り払った。

私が私だけのためにすること。

それで満たされること。

それが今の私に大切なこと。

お客さま用のティーカップにホットミルクを入れてシロップを垂らして。

不思議だな。

片付けもイヤじゃない。

ちょっと楽しいと思えたりもする。

それがまた嬉しい。



気持ちが根っこにあると、こんなに違うんだ。

自分に確かめるようになってから、毎日希望が違うことに驚く。

本が読みたいときもあれば、寝っ転がりたくなったり、踊り出したり、おせんべいが欲しかったり、サンマが食べたかったり、コーヒーだったり、グレープフルーツだったり、ピンクだったり黄色だったり。

こんなに色々あったんだ。

全然知らなかった。

気付こうとしてなかった。

「私が好きなのはこれだから」

って勝手に決めちゃってた。

それでいつもワンパターンで過ごしてた。

ワンパターンで惰性で通り過ぎないといけないほどエネルギーが足りてなかったんだね。

でもその間、気持ちは封じ込められてずっと我慢し続けてたんだ。



気持ちがベース。

子供と過ごす時も、うまくできたな、って思う時は気持ちをベースにできてると思う。

みんなが自分の気持ちを出す。

それをうまく叶えるにはどうしたらいいか考える。

叶えられそうにない時は、他に道はないか探す。

どの条件がいらないものか?

条件を満たすために譲れることはあるか?

みんながOKになったら、実行に動く。

保留になったことがあったら、条件が揃ったときに必ず実現させる。

どうしても無理なことは、嘆きたいだけ嘆く。

こういうことが今まではできなかった。

こんなやり方があることは知らなかった。

そうだ、知らなかったんだ。



今までは、誰かが我慢すればいいと思っていた。

1対1のときにうまくできてたのは、私が我慢すればよかったからだった。

3人以上になるともう1人我慢してもらわないといけなかった。

子供相手だとどっちも我慢したくないからうまくいかなかった。

無理矢理片方(大抵はひかる)に我慢させて、強引にことを進めて、みんなどこか後味が悪かった。

このやり方じゃうまくいかなかったけど、違う方法があったんだね。



それに、いつも時間に追われていたから、希望を出し合って作戦たてて決めるなんてやってられなかった。

いつ父が怒り出すか知れない。

いつ父がぶち切れて全部中止になってしまうか。

出発の時間、電車の時間、集合時間・・・

元夫ものんびりできない人だった。

ぴったりの時刻に現地に着くことばかり考えていて、いつも時間に余裕がなかった。

焦ってぎりぎりで、とにかく希望なんかより時間内にやるべきことだけ終わればそれでよしとするべし、で生活してきた。

学校では、私の意見はすべからく黙殺されてきたし。

話し合って、とか、経験なかったよ。



ゆっくり考えて、みんなが納得できるやり方を探していいんだ。

我慢しなきゃいけない人なんていないんだ。

大人だから、お母さんだから、なんて、ない。

私も希望を言っていい。

希望を叶えるために努力していい。

納得のいく方法を提示していい。

まだ上手くいかないことの方が多いけど、ひとついいことを掴みかけてる感じがする。



それから、ひかる。

のぞむは自分の気持ちを出すのが上手だから、率先してやりたいこともどんどん出せているけど、ひかるは小さい頃から気持ちを封じ込めるやり方を身につけてしまったから、なかなか希望を出せないね。

それに、ひかるが私を試してくるやり方が、引っかかる。

表現の仕方がのぞむのようにストレートじゃなくて、遠回しだったり、歪んでいたり、のぞむに代弁させようとしたり、で、イラッとくる。

まだ上手く受け止めてやれないね。

でもきっとできるようになる。

だってひかるを抱っこするのも、3年前にはすごく不自然だったけど、今は違和感なくできるもんね。重いけど。

ひかると私の関係も変化してきてる。

きっとできるようになるよ。

大丈夫。進んでるよ。
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2010年05月07日

親からもらったもの

たくさん残っていた元夫のものを、少しずつだけど順調に減らしているこのごろ。

子供たちはお父さんにもらったものとかは大切にしたいだろうな・・・って思いが出てきて。

この思いも私のものだなと思った。

でも、私には大切にしたい父からの贈り物に心当たりがない。

昨日も書いたけど、たいがいは私の希望から一番肝心なものが抜けていて、形だけ、喜んであげなくてはいけない贈り物になってしまっていた。

もらったもので、大切なものってなにかあるかな・・・・

洗い物をしながらぼんやりと思いを巡らせていたら


「私だな」


って思って、涙が出てきた。

これってどの感情だろう。

嬉しいのか寂しいのか、怒りたいのか怖いのか、よくわからないけど。

私は私が大切だなって思った。



小さい頃は、お父さんやお母さんが別の人たちだったらよかったのに、なんてよく思った。

もっと幸せな家庭で、仲のいい両親で、もっといい人生になったんじゃないかって。

大きくなって、知識もできてきて、私はこの父とこの母の子でなくては私として産まれることはなかったんだろうと思った。

そして兄のあとに、私の命が動き出すタイミングで動き出したからこそ私として産まれることができたんだと思った。

たとえ同じ父と母であっても、兄のタイミングでは私は産まれることができなかったのに、まして別の父と母から産まれていては、それはやっぱり別の人であって私になれるわけがない。

だから私はこの家庭で、この父とこの母の子としての人生を、私として生きていくんだと思ったんだ。



この世にたった1人だけのわたし。

物とか、形とか、愛情とか、うまく受け取ることはできなかったけど。

私は命をもらった。

命を生きる心をもらった。

私以外の誰かのために使いつぶしてしまう道を行きそうになったけど。

今は自分のために生きるってことを感じつつある。

私は、私の一番大切なものになったよ。

意図してくれたものではないとしても。

私にとって一番大切なものをもらった。



まだ、ありがとうまでいかないけど、この感じを書いておきたいなと思った。
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2010年05月06日

一緒にいたいんだよ

この連休は、久しぶりに実家に行かずに過ごした。

子供たちと3人で過ごす連休。

どれだけ爆発することか、と、不安を感じていた。

でも、思ったほどの問題は起こらず、出かけたり、のんびりしたりしているうちに過ぎていった。



最近、子供たちが家にいるときにでも罪悪感を感じずに1人になれるようになってきたから、それが大きいと思う。

でも、それは大きな壁でもあると思う。



私は子供から逃げている。

常に私と一緒にいたいと思われていることが苦痛でならない。



感情はまだ遠くにある感覚でうまく掘り起こせないでいる。

今日はここにチャレンジしてみる。



今までの経験から、たぶんこれは、ころんちゃんの嫉妬。

私がどういう状況にあろうがかまわず寄ってくるのぞむに対する嫉妬。

離れようとしているところに寄ってくるひかるに対してもイライラを感じる。

私の母は常に何かに忙しく、物心ついた頃には母には寄っていってはいけないと知っていた。

父はほとんど家にいなかった。

兄は、私を道具にしていた・・・。

私も常に一緒にいたかったんだろうって気がする。

誰か安心できる人のそばに。

ずっと一緒にいて欲しかったんだよ。私も。

でも誰もいなかったんだよ。

常にいなかったんだよ。

そこにいるのが見えていても、それは私が寄っていっていい相手ではなかったんだよ。

周りに誰がいようが、何人いようが、私と一緒にいてくれる人はどこにも誰もいなかったんだよ。





小学生の頃、一人っ子のクラスメイトの家にお邪魔したことがある。

その子の部屋にあった、大きなパンダのぬいぐるみに、目が釘付けになった。

背丈よりも大きいぬいぐるみ。

羨ましくて仕方がなかった。



そのあとしばらくして、珍しく両親と行ったおもちゃ売り場で、好きなものを買ってあげると言われて、迷わず「パンダのぬいぐるみ」と言った。

おおきいの、と言ったが、結局買ってもらえたのはその店で一番小さいぬいぐるみだった。

悲しかった。小さいのなら、いらないって思った。

大きいのがよかったのに。



当時はなんで大きいことにこだわっているのかわからなかったけど、私は、私を抱きしめてくれる私だけの存在が欲しかったんだ。

いつでも私を待っていてくれて、安心して抱きつける相手が欲しかったんだ。

手に入ったのは、小さな小さな存在。

抱きしめたら、手の中に収まってしまうくらいの、赤ん坊のような存在。



かわいがりたいんじゃないんだよ。

かわいがってほしいんだよ。

いつでも私を包んで欲しいんだよ。

そんな感覚だったなって思う。

自分でもなんなんだかわかってなかったから、表現できなくて誰にもわかってもらえなくて、ワガママの評価をもらったっけ。

ちょっと泣けるんだ、ここ。

ころんちゃんが反応する。

でもまだまだ根は深いのを感じる。

しっかり出てきてないんだ。




ぬいぐるみ買うか?

んーーー。

自分より大きいぬいぐるみはすでに着ぐるみだな。それはヤダな。

ちょっと相談しよう。ころんちゃんと。

ここはちょっと、乗り越えたいぞ。
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2010年05月05日

今日の買い物でのこと

今日は普通に近所のスーパーへ1人で買い物。

必要なものカゴに入れて、子供たちからの要望品も入れて、それから、自分が欲しそうなのを物色。

毎回、自分で食べる用のおやつを買うんだけど、今日はあまり希望が出てこない。

えーー。

せっかく1人で来たのになんか買おうよ〜。

と思っていたらば。

「ダメ〜、パソコンしながら意識しないで食べちゃうじゃん」

って、笑いながら、ころんちゃんが登場!

一瞬迷った。

これはころんちゃんみたいだけど?言ってることは私を制止してる?

んーと。

私が間食に走るのは依存なので。

もう間食に依存すんのやめようよってことなんだ。

そうだよね。

依存してるときは逃げてるとき。

ころんちゃんから逃げてるとき。

そりゃイヤだよね。

気持ちも動かないし、よし、今日は買わない。



で、店を出て、

自動販売機見て、ジュースくらいいいんじゃない?って思ったんだけど、

「私は別にいいよ?買いたいなら買いなよ」

ってこれまたニコニコ笑いながら登場!

んーーーー。

なにか買いたいとは思うけど、欲しいジュースがあるわけじゃない。

いらないってことだね。

うん。欲しくないな。買わない。

習慣とか、クセとかで買いたくなるけど、欲しいわけじゃないんだね。

自動的に動いちゃうのが楽だから習慣にまかせてたけど、楽でも楽しくないことだったんだ。だからエネルギーにもならないんだ。使うばっかりで。

そのときの気持ちに従えば、エネルギーになる。



なんか、ころんちゃん強くなってる。

育ってるイメージ。

この感じ。こんな感じ。

言葉にうまくできないけど、いい感じ。

こわいけど大丈夫だ、私。



そうだ。私の方が怖かったんだ。

でもころんちゃんがこんなに強いよ。

だからきっと大丈夫。

信じて進もう。

私は行けるよ。
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2010年05月04日

物欲とか

GW真っ盛り。

毎日子供たちと遊びに買い物に出かけています。

ショッピングモールにも2回ほど行って、いろいろと見て回って。

なんだか、欲しいと思わない。

本屋さんに行っても、デザート系のファーストフードでも。

我慢してるでもなく、諦めてるでもなく、心が動かない感じ。

そんでもって、子供が欲しいって言ったら、いいよ〜って、焼きもちも出てこない。

一個だけ、ここじゃないと食べられないってのがあって、お腹はいっぱいだったんだけど、ここじゃなきゃ買えないし・・・・って迷ったんだけど、気持ちは「いらない」。

買わなくても後悔も出てこない。



ははぁ・・・。

考えて、買いたい理由をつくって買ってたんだな。

買わない時も、買わない理由をつくって我慢してたんだな。

こんな感じでいいんだな。



いろいろ回ってる間も、「あれ見に行きたい」「ここ寄りたい」って言い合いながら、全部オッケー出して。

帰りも、もう買い物飽きた!と思ったら「おうち帰りたくなってきたー」って声に出して。

子供たちも「帰ろう帰ろう」って。

結局私のものは何も買わずに帰った。

家に着いて、自分のだけ何もないのがつまらなかったから、「お母さんだけ開けるのなくてつまんなーい」って言ったら、子供が自分の分を開けさせてくれて(というか開けさせられて?)それで満足できちゃったりして。



ちょっと不思議な感じを味わってます。
posted by 蝉ころん at 11:03| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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