2010年03月10日

恐怖に囲まれていた

朝、起きるのが嫌だ、と書いた。

昨日、子供が寝付いた後、布団でそのことを掘り返してみた。そしたらやっぱり「怖い」が出てきた。



朝起きても、何もいい出来事は待っていない。子供の頃からそう知っていた。

夜眠るのも嫌いだった。眠ってしまえば今日が終わる。また朝が来てしまう。

朝が来なければいいのにと思っていた。



朝になれば学校に行かなくてはいけない。

学校ではいじめが待っている。

私は堂々と当然のようにいじめられた。明らかな暴力が、クラスメイトの周知のもとで行われた。

帰り道では、大人が行き交う中で公然と暴力が振るわれた。

死んじゃうと思ってた。

「このまま死んでも誰もなんとも思わないんだ」とも感じていた。

怖かった。

私のことは誰も、人だとは思っていない。いじめられて当然、死んで当然の紙くずみたいな軽い存在でしかないんだ。

このまま、なにかのはずみとかしょうもないことで殺されるんだ。誰にも悲しまれずに簡単に死んでしまうんだ。私なんてそんなもん。

怖かったんだよ。ずっとずっと怖かったんだよ。

なんで?なんで?なんでなの?

なんでみんな笑ってるの?なんでみんな笑ってる横で私だけ泣き叫んでるの?私だけおかしいの?私だけなんでおかしいの?私はダメなの?

家に帰ればお父さんはいつキレるかわからない。いじめられてるなんて知られたらどうなるかわからない。学校に怒鳴り込んだりするかもしれない。嫌だ嫌だ。怖い。

家でも、学校でも、道ばたでも、ずっと恐怖におびえていた。いつでも、1人になれる場所を探していた。1人でないと怖かった。でも、1人じゃ淋しかった。でも誰が周りにいても私はひとりぼっちだった。

怖かったんだよ。本当に怖かったんだよ。本当に寂しかったし悲しかった。

誰かに聞いて欲しかったし、わかって欲しかった。辛かったねってぎゅっと抱きしめて欲しかった。ただそばにいて欲しかった。

大人は話なんか聞いてくれない。

「いつまでもいじめられっぱないしで情けない」
「いじめられる方にも問題が」
「友達も作れないひっこみじあん」
「泣き虫」

うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい

なんでみんないじめっ子の肩を持つんだ。そんなに私はみんなにとって意味のない子か。私がいじめられとけばみんないつも通りでいられるからか。

私は生け贄だったのか。



ちくしょーーーーーー!!!!

なんでもかんでも私に押し付けやがって!みんなひどいよ!

今ならわかる。いや、そのときからわかってた。私がおかしかったんじゃないんだよ。

怖かったよ。怖かったよね。とってもとっても怖かったよね。

よくここまで辿り着いたよ。

生き抜いてくれてありがとう。私はちびころんに会えて嬉しい。私の大切な大好きなちびころんだよ。

私が抱きしめるよ。まだヘタクソだけど勘弁してね。

ずっと一緒にいようね。
posted by 蝉ころん at 11:45| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

崩してみる

完璧主義なところがある私です。

すっかり家事ではぐーたらが板についてきましたが、「やり始めたことは毎日続けなければいけない」という価値観はなかなか抜けてくれず・・・ついつい続きだすと「毎日」にこだわらなければ気が済まなくなります。

このブログも例外ではなく、最近続きだしていたら、書くことが浮かばないようなときでもモヤモヤと・・・

「書かなければ」

出たー!!

なので、日曜日は意識して更新を飛ばしてみました。

ザマーミロ!

飛ばしたって平気だよ!また書けるよ!

書きたいときにだけ、書きたいことを書きたいように書くんだも〜〜〜ん。

やり直すんじゃないんだ。また始めるんじゃないんだ。続いてるんだよ。ずっと、続いてるんだよ。

何も後ろめたいことなんか、何もないんだよーーーー!



文体が記事ごとにばらんばらんで読みにくいだろうなーと思います。心のままに書いているのでご勘弁くださいませ・・・。



で、今書いていて気付きました。

毎日続かないこと=悪いこと

と思っていたこと。

1日空いたって続いてるんだよ。

たったこれだけの事実で涙が出てくる。たったこれだけのことにどれだけ縛られてたんだろう。

もういいよ。私の思うように、続けようよ。止めようと思ったら、そのときが止めたとき。ただ間が空いたって、私が続けてると思っていれば続いてるんだよ。1週間空いたって、1年空いたって、続いてるんだよ。

ちくしょう。馬鹿な奴らの口車に乗せられてずいぶん自分を縛ってた。

掘り返せば掘り返すほど、いろいろと悔しくてしょうがない。

全部子供の頃に植え付けられた価値観じゃないか。
大人の言うことを聞いて生きていかなきゃ仕方なかった頃じゃないか。

大人だからって子供を好きなように振り回していいと思うなーーーー!!!!
posted by 蝉ころん at 15:56| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

嫌なんです

最近、気持ちで動こうと意識している私です。

そしたら、なんだか、逃避行動が前よりひどくなってる感じで、逃げたくなる気持ちをよくみてみたら、生活全てが「嫌」に染まっていっています。



朝起きるときも嫌。

子供を起こすのも嫌。

子供を保育園に連れて行くのも嫌。

ご飯作るのも嫌。

部屋を片付けるのも嫌。

掃除も嫌。洗濯も嫌。

買い物に行くのも嫌。

外に出るのも嫌。

子供を迎えにいくのも嫌。

お風呂に入るのも嫌。

他にも色々・・・・



何もできないじゃん!って状態。

「やらなきゃいけない」と思っていることばっかりなんですね。

生活の中に「やりたい」ことってなにもない。

そしてさらに、今まで自分が好きなことだと思っていたことが、全て逃避のためのことでしかないことがわかってきたんです。不安な状態から逃げるためにやっていたことばかり。

「やりたい」こと、ないんです。

あらー。

そこまでだったのね。

そーかそーか。

そんなに嫌だったんだ。辛かった。怖かったんだ。

きっと、自分を取り戻したら自然に沸いてくるんだな。やりたいこと、なくてもいいよ。今はそれでいいよ。

ゆっくりいこう。
posted by 蝉ころん at 18:17| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

料理について

昨日、夕飯の支度をするときになって、ふと

「ご飯、なに食べよう」

って声に出してみたんです。

そしたら、今まで、「何を食べたいか」を人に聞いてばかりで自分で何を食べたいかってほとんど考えて作ったことがなかったことに気付きました。

先週かな?「お腹がすいた」と思ったら体が動いた、と書きましたが、これも関連しているようです。

「そろそろ食事を用意しないといけない時間だから」「みんなが食べてくれるものを」「なるべく手間のかからないものを」嫌々作る、のが料理だったみたい。

実家ではメニューの選択権は父と兄だったし、結婚してからは何を作ってもなにげなくマイナス評価をされてたし、子供ができてからは、とにかく子供が食べてくれるものでないと、食べてくれないと不安だったし。料理が楽しいなんてありえなかった。

私が食べたいものを食べたいから作る。おいしく食べるときを楽しみにして作る。

そんなふうになったらいいのかもしれない。作りたくて作るようになれるのかもしれない。道のりは遠そうだけど。

まずは、私は何を食べたいのかなー?
posted by 蝉ころん at 17:57| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

今日の集まりから

コメントいただいていますが、こちらから先に書かせて頂きます。ごめんなさい。



今日、保育園関係で集まりがあったんですが、いつも集団の中で必ず一人は見かける、私を除外しようとするタイプの人がいました。

こういうタイプの人のターゲットになりやすいのは変わってないなー。と思いつつ、でも私もまだそういう行動をとる人のことが気になりました。

今日は、この人のことを気にしてしまっている状態に気付いたので、「自分がやりたいこと」の方に注意を向けるようにしてみて、わりとうまく行きました。そっか、これでよかったんだ・・・。

で、帰る道すがら、なんでこういう人のことが気になるんだろう・・・・と。

なんかあるんですよね。絶対。

でも今日は疲れたので明日にします。忘れないように書いておきます。

未発掘カテゴリとかいるかしら。
posted by 蝉ころん at 22:35| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

虐待からモラハラ発現まで

私が虐待行為から足を洗う決意ができてくるまでの過程を書いてみたいと思います。久しぶりに長いです。

加害者側の心理が出てきます。読む方の状態によってはキツい内容かもしれません。辛くなったら無理して読まないようにしてくださいね。



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子供に虐待の影響が表れてきたとき、まず浮かんだのは「隠すこと」だった。

漏らすことを怖れるあまりトイレから出られなくなる、という状態。

とにかく子供の問題行動(そのときはそう捉えていた)が表に出ないようにしなければならない。早く。早く。

「一回出たらしばらくでないんだから早くトイレから出なさい」

と、押しつけようとした。

でも治らない。

明らかに、本人の意思に反してどうしようもなく行動が出るようだった。押さえつけようとすればするほど、影響は大きくなり、パニック状態になるようになっていった。

無理矢理引きずり出そうとしたこともある。すると尋常じゃない声で泣き叫ばれる。まずいまずいまずい。バレる。バレる。見つかる。黙れ。黙れ。黙れ!叫ぶな!泣くな!

これはもう、やらせておくしかない。こんなに叫ばれたら絶対近所にバレてしまう。

とにかく本人が大丈夫と思えるところまでやらせよう。本人がトイレから出たくなるまでトイレにこもらせよう。幸い今は昼間しかこの状態にはならない。周囲に、夫にバレる前に治ってくれ。頼むから!

好きなだけこもらせるようにしてから、少しずつトイレから出られるまでの時間は短くなっていき、何日か後には普通にトイレに行けるようになった。

私は心底ホッとした。子供のためでなく、自分のためにホッとした。



このころ、近所ではよく虐待のニュースについて話題にのぼることがあり、私は内心ヒヤヒヤしていた。そして、「虐待なんて信じられない」「あんなことするなんて親じゃない」などの言葉を聞くほどに苦しくなっていった。

自分のしていることが虐待の一歩手前だと思っていた私。虐待をしているとは思っていなかったけど、いつ虐待をするようになってもおかしくないと思っていた。私はこの人たちとは違う種類の人間なんだ。私には虐待をしてしまう人たちの気持ちが理解できる。私は虐待をする側の人間なんだ。普通の、子供を愛せる人たちとは違う人間なんだ・・・。



子供の状態は、トイレについてはなんとか解決したようだったけれど、他のことで問題は続いていた。なにげないこと、つまらないことで(これも当時はそう思っていた)パニックになり、全く言うことを受け付けなくなる。これは夫の前でも出ていたが、夫は全てを子供の問題にして、無理矢理言うことを聞かせていた。

どんどんひどくなる・・・。このままではもっともっとひどくなる。私がちゃんとできていないことが見つかってしまう・・・。

「怒らない育児」というものを頑張ってやってみようと思った。

あまりこのときの行動は具体的には覚えていない。ただ、怒らない→見ない、にするしかできなくて、怒らなければいけないような行動をしている子供を見ないようにする、無視する、それでなんとか怒ることから自分を遠ざけていた。

うまくいっているような気がしていた。

でも、そのうち私は、なにかのきっかけで怒ってしまうと、それまでとは比べ物にならないくらいの激しさ、しつこさで怒ってしまう、怒鳴ってしまう、暴力を押さえるのがやっと、という状態になっていることに気がついた。

怒るのを無理に押さえても溜め込んでしまうだけだ。これでは逆効果だ。

「子供を怒る必要なんてないんですよ」
「ただ見守ってあげていればいいんですよ」
「怒りたくなったら深呼吸して落ち着いて」
「怒っている自分の顔を鏡で見てみたら嫌になってやめられますよ」

育児の専門家とかいう人たちが余裕の笑顔でそんなことを言う。

じゃあなんで子供を抱きしめながら歯ぎしりをするほどの怒りがわくの?
今にも子供に向けてしまいそうなほどの力で握りしめてしまう拳をどうしたらいいの?
口を開けたら自分でもびっくりするほどの子供を傷つける言葉が溢れ出るのにどうやって「大好き」なんて言えるの?

そんな答えは誰も語ってはいない。そんな人間の存在は認められていない。やっぱり私は、普通に母親ができる人たちとはどこかが違うんだ。キレる側の人間なんだ。

誰にも理解してもらえない。バレる。はじき出される。二度と受け入れてはもらえない・・・。

なんとか取り繕わなければ。ちゃんとした親のままでいなければ。

子供にぶつけたくなる怒りは、自分で解消するしかない。他で発散させるしかない。子供といたらどんどん怒りが増えるだけ。1人にならなければいけない。自分の時間を持ってストレス発散するしかない。



ここでやっと、夫に私にも休みが欲しいことを訴え、月に1度、丸1日を休みにすることにする。自分の子供に対する怒りについては、誰にも相談できないままに。

そしてこのころから、夫からのモラハラに苦しむようになっていった。

モラハラが苦しかったのは事実だけれど、他の苦しみまでを全て夫との問題にすり替えて、全てを夫のせいにしたかったのかもしれない。

でも、モラハラを知れば知るほど、加害者は私のことだった。

被害者から脱しただけでは、私の問題は終わらない。加害者からも脱しなければ。

そこから、やっと自分の問題として観念し、覚悟を決めて取り組みだすことができた。

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これも棚卸しの一環です。こんな状態のときもすべて自分の一部です。

虐待をしてしまうのも、エスカレートさせてしまうのも、「自分が周囲に受け入れられることのできる人間」であり続けるため。

受け入れられないことへの恐怖が全てだったと思います。

虐待をするのは、「子供のしつけもできない人間」と思われたくないため。
虐待をエスカレートさせるのは、「虐待をしている人間」だということを隠すため。
さらにエスカレートさせるのは、「虐待をしている人間」になった責任を子供に押し付け、「虐待をしたくなかったのにせざるをえなかった」と周りに理解してもらうため。

全部自分のことのようで、周りの目が全てです。

そしてその「周りの目」というのは、ほぼイコール「親の目」だといいます。
親に受け入れられなくなることへの無意識の恐怖が自分をここまで突き動かすんだと思いました。

自分が子供を虐待しているのに、そのとき私は恐怖に震えていたんです。

恐ろしくて、とても冷静になんかなれない。こんなに怖いのに、なんで押さえなきゃいけないの。早くなんとかして!怖い!怖い!早く!早く!

今、こんな気持ちがあったことが見えてきました。でも、その当時には見えていません。封じられていたんですね。



虐待は人の心に傷を残すこで、許されることではないです。

でも、虐待してしまう人を周りの人が責めても、被害者には益はないんですよね。

責められると知れば、加害者の無意識の恐怖は膨らんでいきます。そして虐待がどんどんエスカレートしたり、見えない形に変わっていったり。被害者にとってはさらに辛い苦しみが続いてしまいます。

恐怖から解放されれば、よくなるのかな。加害者の救済は難しいと言いますけど、なんとかなったらいいのにな、と思います。

被害者も、加害者も、辛いです。

ちょっと、余談になりました。
posted by 蝉ころん at 11:12| Comment(6) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

早寝おそ起きです

一度寝不足すると、なかなか寝不足から抜けられないです。

今日も早寝します。

最近、眠いときは子供より先に寝てしまいます。

「あんまり遅くならないうちに寝るんだよ〜」

くらい言っておくと、上の子も案外早く寝るみたい。
下の子は、私が寝るとすぐに用意してきます。

子供ってホントたくましい。頼もしい。

子供が素直に伸びていける環境になりたいなあ〜。

とはいえ、まずは自分です。私が素直に伸びるのだ。まずは素直に寝るのだ。

ということで、おやすみなさいませ。
posted by 蝉ころん at 21:19| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

「怖い」が出てきた

昨日は、振り返りでたくさん泣いたので、疲れて早く寝ました。

そして夜中に、下の子が通っている保育園が空っぽになっている夢を見て、怖くて目が覚めました。

今年卒園なので、それでこういう夢になったんだと思うんですが・・・。

保育園には結構お世話になって、ずいぶん受け入れてもらっていたので、拠点がなくなる怖さがあるんですね。

それで、過去の怖さも刺激されて出てきたようです。

拠点がない、心もとない感じ。手探りしてもどこにも手応えがない、足元に地面があるかどうかも見えないところに足を踏み出さなければいけない感じ。

しばらく不安に包まれていました。昼間泣いたのに負けないくらい涙がでてきて。

「怖い」「怖いよね」って声を出して、怖い気持ちを認めてあげる。

自分で自分を抱きしめて・・・大丈夫って声かけて・・・。

ようやく落ち着いて寝付けたのは明け方。すぐに目覚ましがなりました。

で、今日は寝不足です。

寝不足だけど、ちょっと今日は自分から逃避せずに過ごせたかも。

「怖い」はまだ何回でも出てきそうだな。いろんなタイミングで感じたいろんな「怖い」がきっとたくさん埋まってるんだろうな。



感情を受け止められてるのか、認められてるのか、あまり自信はないけど。でもきっとこれでいいんだなって思って、今はこんなふうにやっています。

うすーい、うすーいフィルムを一枚ずつはがしていくみたいに。変わっているのかいないのか、よくわからないときもあるけど、きっと前進してるから。
posted by 蝉ころん at 21:11| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

生まれたくなかった

昨日の、石や、葉っぱを触ってざわざわした気持ち。

甘えたい。包まれたい。そんな気持ち。

抱きしめられたかったんだ。受け入れられたかったんだ。

お母さんにだっこしてもらった記憶は今のところはない。幸せなこともあったのかもしれない。記憶が封印されているだけなのかもしれない。でも今はそんなことはまったく浮かんでこない。

小さい頃の記憶はほとんどなくて、幼稚園か小学生が一番昔の記憶。そのころの私のイメージは、昼でも暗い部屋で電気を付けずにソファの座面と背もたれの間にうつ伏せでうずくまって泣いている。

学校ではいじめられ、地域にもなじめず、家族も誰も私に注意を向けない。

誰も受け入れてくれない。

こんなところに生まれたくなかった。

なにも拠り所がなかった。手応えもなかった。明かりも何も見えなかった。それでも手探りで生きていくしかなかった。

家にいるのに「帰りたい」って思ってた。

お腹の中に戻りたかったんだね。抱きしめてくれないなら、ずっとお腹の中にいたかったんだ。

辛かったよね。怖かったよね。寂しかったよね。

私が抱きしめるからね。大好きだよ、ちびころん。生まれてきてくれてありがとう。
posted by 蝉ころん at 12:02| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生まれたくなかった

昨日の、石や、葉っぱを触ってざわざわした気持ち。

甘えたい。包まれたい。そんな気持ち。

抱きしめられたかったんだ。受け入れられたかったんだ。

お母さんにだっこしてもらった記憶は今のところはない。幸せなこともあったのかもしれない。記憶が封印されているだけなのかもしれない。でも今はそんなことはまったく浮かんでこない。

小さい頃の記憶はほとんどなくて、幼稚園か小学生が一番昔の記憶。そのころの私のイメージは、昼でも暗い部屋で電気を付けずにソファの座面と背もたれの間にうつ伏せでうずくまって泣いている。

学校ではいじめられ、地域にもなじめず、家族も誰も私に注意を向けない。

誰も受け入れてくれない。

こんなところに生まれたくなかった。

なにも拠り所がなかった。手応えもなかった。明かりも何も見えなかった。それでも手探りで生きていくしかなかった。

家にいるのに「帰りたい」って思ってた。

お腹の中に戻りたかったんだね。抱きしめてくれないなら、ずっとお腹の中にいたかったんだ。

辛かったよね。怖かったよね。寂しかったよね。

私が抱きしめるからね。大好きだよ、ちびころん。生まれてきてくれてありがとう。
posted by 蝉ころん at 12:00| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

歩いていたら

今日はちょっと出かけてきました。

橋を渡っているときになんとなく欄干をなでてみたら、古いコンクリートのざらっとした感触がちょっと気持ちよくて、あれ?って。

なんだろ?って思って、その先で、植え込みの葉っぱを触ってみて。「はっぱ」って声に出してみて。そしたら涙がでてきて。

よくわかんないけど、なんかじわじわときました。

なんだろな。この感覚。

木とかに抱きついてみたいような。地面に寝っ転がってみたりとか。

子供の頃は自然にそういうことをしてたような気がする。

今度どこかの木に甘えてみようかな。
posted by 蝉ころん at 21:00| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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