2007年09月03日

他人への信頼と不信

昨日の記事の続編のような。

昨日は、私が集団への不信と自己不信から自分の存在をなるべく消そうと行動しているらしいことを書きました。

ただ、私は不信というか不安を持っているのと同時に、集団に対してある程度の信頼も感じることがあります

どうしてもそこにいなければいけないという関係でなければ、不安をあまり感じずに自分を出すことができます。すると、たいがいそういう関係では、相手は私を受け入れてくれるし、相手もそれなりに自己開示してくれます。すると、さらに安心感が生まれて、その場に対して信頼を持つことができるんです。

何が違うのかというと、いざ何かあった時にその関係から逃れられるかどうか、ということでしょうか。

考えてみれば、私が苦しんでいた当時の集団は、家族、学校、夫婦・・・と、普通はそう簡単に逃れられない関係ばかりでした。

逆に、信頼感を得ることができた集団というと、クラブ活動、サークル活動、私的な趣味の集まりなど、自分から抜けるのが簡単なものでした。


モラハラを知って、色々知識を得ていった時、必ずと言っていいほど「逃げてもいい」「離れるという選択もある」「そこだけが世界じゃない」などの、そこにいなくてもいいんだ、というメッセージが含まれていました。

「逃げられない」ということが、どれだけ精神的に追いつめられることかを知りました。それから、どれだけ自分の場所をつくれるようになっても、「逃げられない」心理状態に陥ると、やっぱり「逃げられなかった」頃の自分が出てきて、追いつめられてしまうこと。


いつでも、どんな場所からでも、逃げることは出来る。そこだけが世界ではない。

一つのことに集中して長く続けることがいいことだ、いろんなことに手を出して一つところに落ち着けないのはダメな証拠だ、って植え付けられて育ったけど、こんな固定観念に縛られてなくていい。

自分の居場所を見つけるまで、何回でもやり直していい。逃げたっていい、諦めたっていい。どこかに私の場所がきっとある。

逃げられないと思わなくていい。もう一度逃げることができたんだから、またできるはず。脱出することを恐がらなくていい。それで私の価値が下がるわけじゃない。私はそのまま。私のまま。堂々と私でいればいい。


・・・最後は自分に言い聞かせてしまいました。(^^;

「逃げられない」は、自分で自分を縛るキーワードなのかもしれませんね。「逃げられる」「逃げていい」「離れていい」・・・で上塗りしていきたいと思います。
posted by 蝉ころん at 06:34| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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